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藤崎の人生

「紹介したい人がいるの」藤崎は娘からそう言われた。

『ついにこのときが来たか』という思いだった。嬉しさもあるが、寂しさもある。妻と娘は藤崎にとって生きる希望だった。この2人がいなかったら自分は辛い仕事には耐えることはできなかっただろう。2人がいつも笑って生活をできるようにと30年以上も働いてきたのだ。しかし、娘ももう立派な年頃だし、もう少し経てば婚期を逃したと呼ばれてもおかしくない歳である。でも、1人娘の結婚はやっぱり寂しかった。

藤崎は階段を降りて冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注いだ。眠れなかった。娘の彼氏に会うというのは、少し緊張する。コップを持って椅子に座ると階段を降りる音が聞こえきた。

「あら、まだ起きていたの?」妻が少し驚いた顔をする。

「ちょっと眠れなくてね。」コップのお茶を飲みながら答える。

「ふっふふ。あなたらしいわね。あの子のこと考えていたんでしょ?」妻は悪戯な笑顔を見せて言う。付き合う前は愛想の悪い女の子だったけど、付き合い始めたらよく笑う子だということを知った。最初は愛想の悪いのも1つの彼女の魅力だと思っていた。笑顔の彼女ももちろん素敵だし、彼女が始め見せた笑顔は、そのときに藤崎は生涯忘れられないだろうと思うぐらい素敵だった。しかし、何故か藤崎が好きになったのは愛想の悪い彼女だった。妻も冷蔵庫を開けてお茶を取り出してコップに注ぎ始めた。

「なぁ、お前は寂しくならないのか?」

「寂しいけどしょうがないでしょ。それに嫁の見つかり手がないよりマシよ。もっと喜びましょうよ。」彼女はお茶の入ったコップを持ちながら藤崎の隣に座り笑った。やっぱり、父親と母親では娘に対する愛情というものが少し違うものなのだと藤崎はこの年になって理解した。しかし、それ以上に彼女がこんなに笑う人ことにあの頃は全く想像ができなかった。

 また、階段の降りる音がした。娘が降りてきた。

「あれ、2人揃ってどうしたの?」娘もそう言うと冷蔵庫を開けてコップにお茶を注ぎ始めた。そして、お茶の入ったコップを持って2人の座る向かい側に座った。

「ねぇ、明日だけど大丈夫?」娘が心配そうに訊いてきた。

「大丈夫って何がさ。」藤崎が答える。

「いや、その。・・・結婚とか認めるとか認めないとか?」娘は返答に困りながら少し躊躇ってから訊いた。

「それは彼しだいさ。」藤崎は少し意地悪に答える。

「大丈夫よ。お父さんは自分が苦労したからって、意地悪になっているだけよ。」隣に座る妻が茶々を入れる。

「なーんだ。」と1言安堵する言葉を漏らし「小さい時言われなかった。やられて嫌なことは人にするなって。」娘は開き直たように言う。

「そうだよ。人にやられて嫌なことはぜ~たいに人にしては駄目なの。」妻も聞えよがしに大袈裟に言った。男は藤崎だけなので家庭の会話は藤崎が劣勢になることはいつものことだった。しかし、こんな会話ももうすぐできなくなると思うと、やっぱり寂しい。

「ねぇ、そういえばお父さんとお母さんの馴れ初めとか教えてよ。」娘が興味津津という顔で訊ねてきた。娘に妻へのプロポーズの言葉などは聞かれたことはあったが出会いについて聞かれるのは初めてだった。

「馴れ初めかぁ。」妻が隣で遠い過去を見つめている。

「そうだな、奇跡が起きたのかな。」藤崎が答えた。

「何それ? ロマンチックな話?」娘が目を輝かせた。

「う~ん、どうだろうね。ロマンチックだったら、白馬の王子様でも現れるんだろうけどね、現れたのがねぇ。」妻が隣にいる藤崎を見て意味あり気に言う。

「白馬の王子じゃなくて、・・・なんだったの?」娘が悪戯な笑みを浮かべた。

「泥だらけのヒーローって感じかな。しかも、弱いの。」妻ががっくりと頭を落しながら言った。しかし、藤崎には何も言い返す言葉が見つからない。

「でもね、それでも格好良かったんだ。」妻が娘に自慢するように言う。娘は「へぇ~」と藤崎を見ながら意味深に言葉を漏らす。その視線は『このお父さんがねぇ~』とでも言いたげだ。

「だからあなたもいい人連れてきなさいよ。」妻が娘にビシッと言うと「絶対大丈夫」と娘も強く返した。それからしばらく家族の会話は盛り上がった。

 藤崎は部屋に戻ると1本のバットを手に取った。このバットが妻と自分を結び付けてくれた物だと藤崎は考えている。あれは奇跡だった。でも、あの奇跡は今考えても何だったのかわからない。でも、藤崎はあの奇跡は神がきっと自分に与えてくれた希望だと感謝していた。

 ふと、カーテンの隙間から月が見えた。

 綺麗な満月だった。

 あの日もこんな綺麗な満月だったと藤崎は思いだす。

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