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死後のスマホ、ロック解除します。~天才ハッカーのデジタル遺品整理人が見つけた、不器用な愛のパスワード~  作者: 伊達ジン


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第4話 データが切り裂く偽善と、新しい助手

 地下室に充満していたスパイスの香りは、突然の無作法な訪問者たちによって持ち込まれた、ひどく安っぽい香水の匂いと湿った怒声によって掻き消された。


「どういうことだ! あんた、この怪しい業者に勝手にスマホを開けさせたのか!」


 重厚な鉄の扉を乱暴に開け放ち、阿部の静謐な事務所に土足で踏み込んできたのは、彩の叔父と叔母だった。

 それは、彩が兄の真実を知った翌日の昼下がりのことだ。彩は実家を訪れ、憔悴する両親に「兄はクズなんかじゃなかった。私の学費を払うために、一人で借金を背負っていた」と、阿部の事務所で知った事実を告げた。

 両親は驚きと後悔に泣き崩れた。だが、たまたま実家に出入りしていた叔父夫婦の反応は全く違った。彼らは顔色を変え、彩から事情を問い詰めると、「どこの業者だ! 今すぐ案内しろ!」と彩を車に押し込み、この秋葉原の地下室まで無理やり案内させたのだ。


「いいか、死人にもプライバシーってもんがあるんだ! それを妹とはいえ、勝手にロックを解除させるなんて犯罪行為だぞ! 今すぐそのスマホと全データをこっちへ渡せ!」


 血走った目で喚き散らす叔父の言葉は、一見もっともらしい権利を主張しているように聞こえる。だが、彩の耳にはどうにも不自然に響いた。

 生前は兄をただのゴミのように見下し、葬儀の場でも「厄介払いできた」と安堵していた親族が、なぜたかが死人のスマートフォンの記録ごときに、ここまで執着し、血相を変えているのか。


 彩は、強引にデスクへ向かおうとする叔父の前に毅然と立ち塞がった。


「叔父さん。兄は、叔父さんの会社からもお金を盗んだって言ってましたよね。でも、兄の遺した記録に、そんな事実はどこにもありませんでした」

「な、何を言ってるんだお前は! 騙されてるんだよ!」


 彩は振り返り、丸椅子に深く腰掛けている阿部を見た。


「阿部さん。依頼人として正式にお願いします。彼らに、『真実』を見せてあげてください」


 阿部は面倒くさそうに鼻で短く笑うと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「……クライアントの要望とあらば」


 阿部の指先が、キーボードの上で数回、滑らかに踊る。

 直後、中央の大きなモニターに、兄のスマートフォンから抽出された、膨大なメッセージアプリのログと、ある銀行口座の詳細な入出金記録が全画面に展開された。


「な、なんだそれは……」


 叔父の声が上擦る。


「こいつはギャンブルなんかやっていなかった。そして、遊び金欲しさに借金を作ったわけでもない」


 阿部は無機質な文字列を、感情の乗らない冷徹な目で一瞥した。そして、静まり返った地下室に、阿部の低く冷たい声が響き渡った。


「こいつの借金が取り返しのつかない額に膨れ上がった原因は、妹の学費と……もう一つ。5年前、自分の会社の金を横領した罪を、法律の知識がない若いあいつに被せ、口止め料として金を脅し取っていたからだ」


「なっ……! 何をデタラメを……っ!」


 叔父の顔が一瞬にして土気色に変わり、額から嫌な汗がどっと吹き出した。先程までの威勢の良かった態度は、完全に崩れ去っていた。彩は絶句し、信じられない思いで叔父の顔を見つめた。


「デタラメかどうかは、記録に聞けばわかる」


 阿部は冷徹な声で事実を次々と突きつけた。


「記録によれば、5年前から毎月、叔父名義の別口座へと『返済』という名目で送金されている。そして1年前、いよいよあんたへの支払いが追いつかなくなり、あいつは闇金まがいの業者に手を出した。その送金記録も、業者とのやり取りも、すべてこの端末に完璧に残っている」


「ち、違う! あれはあいつが勝手に……!」

「おまけに、メッセージログにはあんたからのこんな文面がはっきりと残っているな」


 阿部は画面の一部を拡大表示した。


『親にバラされたくなかったら、今月もきっちり振り込め。お前がウチの金を横領した証拠を警察に出してもいいんだぞ』


「お前の兄貴が実家に金の無心に行っていたのも、あんたらの脅しから両親を守るための口実作りだ。自分が『親から金を巻き上げるクズ』になりきれば、あんたらのようなダニが、これ以上実家の両親に寄り付かなくなるからな。自分が防波堤になっていたんだよ」


 阿部の一言一言が、鋭い刃のように叔父夫婦の喉元に突きつけられていく。

 生前、親族の集まりで誰よりも声高に兄を批判し、「石川家の恥だ」と罵っていたのは、他でもないこの叔父だった。自分がすべての罪を押し付け、脅迫して金を搾り取っていた相手を、安全な場所から嘲笑い、石を投げていたのだ。


「……どうだ? これが、あんたらが必死に隠し、そして壊したかった『真実』の正体だ」


 阿部の冷え切った視線が、彼らの醜悪な偽善を完全に切り裂いていた。


「この記録の所有権は、依頼人である妹さんにある。これ以上騒ぐなら、この記録を提携している弁護士に回して、恐喝と詐欺の疑いで警察に持ち込んでもいいと、クライアントに助言させてもらうが。……あんたらの今後の人生の『ログ』がどうなるか、想像してみるんだな」


「ひっ……!」


 叔父と叔母は、幽霊でも見るような目でモニターの無機質な文字列を見つめ、やがて後ずさりした。言い逃れのできない完璧な証拠だった。彼らは何かを言い淀むように口をパクパクとさせた後、逃げるように踵を返し、転がるように階段を駆け上がっていった。

 バタン、と重い鉄の扉が閉まる音が、地下室に空虚に響いた。


「……終わったぞ」


 阿部はモニターの電源を落とし、何事もなかったかのようにIHコンロの前に戻っていった。


 彩は、その場に立ち尽くしていた。

 怒り、悲しみ、そして何より、一人で泥まみれになって戦い続けていた兄の圧倒的な孤独に、胸が張り裂けそうだった。自分がのうのうと大学に通い、就職し、休日に友人と笑い合っていた間も、兄はあんな醜悪な親族の悪意から、たった一人で家族を守り抜いていたのだ。


 彩は深く頭を下げ、そして阿部に向かって真っ直ぐに向き直った。


「阿部さん。私を、ここで働かせてください」


「……はあ?」


 突然の予想外の申し出に、阿部は本気で顔をしかめた。呆気にとられたような表情だ。


「私は、知るべき真実に救われました。どんなに醜い現実が隠されていようと、目を背けてはいけない事実があることを知りました。世の中には、私のように故人の本当の想いを知るべき人が、まだたくさんいるはずです。だから、私に手伝わせてください」


 彩の言葉は力強く、色素の薄いブラウンの瞳には揺るぎない決意が宿っていた。


「ふざけるな。帰れ」


 阿部は冷たく言い放った。


「俺は他人の事情に深入りする気はない。助手の遊びに付き合っている暇もない。邪魔だ」


 そう言い捨てて背を向ける阿部だったが、彩が引き下がるはずもなかった。

 彼女はトレンチコートを脱いでハンガーに掛けると、部屋の隅にあったほうきとちりとりを手に取り、無言で埃をかぶった事務所の床を掃き始めた。さらに、勝手に戸棚を開けてマグカップを取り出し、持参したティーバッグで手際よく紅茶を淹れ始める。


「おい、勝手に触るな」

「阿部さんの作るカレーは、少し塩分とスパイスが多すぎます。あの食生活を続けていたら、5年後に確実に血圧の数値に異常が出ます。健康管理と、掃除と、依頼人への接客担当のアシスタントが絶対に必要です」

「いらんと言っているだろうが」


 阿部が何度舌打ちをしても、彩は涼しい顔で作業を続けた。

 結局、阿部がそれ以上強硬に彼女を追い出さなかったのは、キーボードの横に無言で置かれた紅茶の香りと温度が、徹夜明けの体に存外に悪くなかったからかもしれない。


★★★★★★★★★★★


 それからさらに数日後。

 彩が勝手に持ち込んだモップで事務所の床を磨いていると、機材の買い出しに出かけていた阿部が戻ってきた。

 その手には、ハードディスクの箱……ではなく、真新しいプラスチック製のペット用キャリーケースが提げられていた。


「阿部さん、お帰りなさい。……って、何ですかそのケース」


 彩が不思議そうに覗き込むと、そこから「みゃあ」という、か細い声が聞こえた。

 中にいたのは、生後数週間ほどの、耳の折れ曲がった小さな子猫だった。スコティッシュフォールドの赤ちゃんだ。不安そうに周囲を見回すその瞳はガラス玉のように澄んでいる。


「……ブリーダーから譲り受けてきた」


 阿部はキャリーケースを床に置き、そっぽを向いたまま言った。


「えっ? ブリーダーって……普通に買ってきたんですか? どうして急に?」

「地下室はネズミが出やすい。サーバーのケーブルをかじられたら致命傷になるからな。ネズミ捕りとして雇っただけだ。他意はない」


 阿部の苦しい言い訳に、彩はたまらずふふっと吹き出した。

 キャリーケースの中で首を傾げているスコティッシュフォールドの赤ちゃんは、おっとりしていて運動神経も良さそうには見えず、どう見てもネズミ捕りの役目には向いていない。ただの愛玩猫だ。

 冷徹なハッカーの、どうしても隠しきれない不器用な優しさ、あるいは猫好きという意外な一面。


「データは嘘をつかないし、阿部さんも嘘をつくのが下手ですね」

「……うるさい。ペットショップに行って、子猫用のミルクとトイレを買ってこい。経費で落とす」


 阿部は乱暴にキーボードを叩き始め、逃げるようにモニターに向かった。

 静かな地下室に、小さな命の鳴き声と、サーバーの唸り音、そして彩の穏やかな笑い声が響いた。嘘をつかないデータと、嘘をつくのが下手な不器用な男、そして少しだけお節介な助手の、新しい物語がここから始まろうとしていた。

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