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第九話

「なあ、梨花ちゃん、もう書かないのか?あんなに面白いのに」


 奏斗は肘をついてだらしなく大股で座ったまま、梨花に説いた。


「もう書かなくてもいいかな、ってなってね!別に私じゃなくてもいいんでしょ?」


 にこやかな笑顔のまま、梨花は部室を去った。


 ***


「もうネタ切れか?お前の人生ってそんなに薄味だったのか?」


 口を歪める在音。口を荒げる梨花。


「いやあ?薄味じゃあないよ。何度も火に狂わされてるし。それに、もう書くのが虚しくなってきた。自分の人生、切り売りして、評価されて、脚色して。私は売春してるんじゃないんだ」


 カラスが何話か飛んでいくと同時に在音は消えていった。カラスの音の中で微かに一言。


「じゃあ、もう私はいらないな」


 ガードレールに寄りかかって、黄昏に見惚れてる私がいた。






「やあ、梨花ちゃん。読んだよ、日野江先生の小説」


 唐突に鼓膜を揺らした、ひどく軽薄で、それでいて底の知れない声。振り返る彼女の視線の先には、ひらひらと手を振って歩み寄ってくる長身の影があった。


 金木(かねき)(つばさ)。小中で同じ学校だった男。高校では別のクラスで、会話もしてなかったのに。 


 彼が近づくにつれ、ちょっとだけ甘ったるい香水の匂いが梨花の鼻口を突く。一人分の匂いではない。複数の、異なる種類の香りが混ざり合ったようなどぎつい匂い。


 金木は彼女の反応を楽しげに凝視しながら、芝居がかった手つきで大げさに頷く。


「いやあ、大傑作だ! ハンカチを手放せなかったよ。特に在音を助けようと炎に飛び込むシーンなんて……あまりにも滑稽で、腹を抱えて大爆笑さ」 


 梨花は表情筋を凍らせて、金木を冷たく見据えた。


「何が言いたいの?」


「だってそうだろう?」


 金木は一瞬にして声のトーンを落とし、彼女の顔を覗き込んだ。その瞳には、一切の光が宿っていない。


「実際に火を放って、在音ちゃんを殺したのは、君自身なのだから。ああ、罪深いねえ、在音ちゃんいい娘だったのにねえ」


 柵の向こうの湖で、カモメが一匹飛び立った。


「どんな妄想よ。証拠もない癖に」


「ほーら、言った。証拠は?って訊く人は大体犯人なんだよねえ」


 金木はクスクスと喉の奥で笑いながら、梨花の隣のガードレールに腰を掛けた。長い脚をブラブラと揺らし、夜空を仰ぐようにして語り始める。その鋭いメスが、梨花の脳を直接かき回しているようだった。


「【速報】東ヶ丘市立東ヶ丘中学校で放火の疑い 1人死亡。放火の疑いだってさ。誰が放ったんだろうね?それに、調べさせてもらったよ。君のパパママが亡くなった、あの古い火事のこともね」 


 梨花は息を呑んだ。


「仮に私が殺してたとしたら?」


「どちらにしてもだよ。私はね、君のそういう、猫被るところが昔から大好きなんだ。そんな強かな君が、自分のドロドロとした醜いエゴを、さもハッピーな青春かのように脚色して世界に垂れ流してる、なんて知ったら、興味惹かれることこの上ない」


 金木は彼女を指差し、子供のように無邪気に笑った。梨花の手は小刻みに震えていた。


「安心してくれたまえ。正義のヒーローぶって、警察に駆け込むような野暮な真似はしない。どうせ証拠もない。私はね、ただ君にお願いがあって来たんだ」


 金木は親指と人差し指を擦り付けあう。


「お願い?」


 梨花は髪をくるくる回す。


「私は、もうこの薄汚れた世界で呼吸するのすら飽き飽きしてしまってさ。近々、奇麗にパッと死のうと思っているんだよ。完全犯罪ならぬ、完全自殺! 魅力的だろう?」


 まるで明日のピクニックの予定でも語るように、金木は死を口にした。


「実はね、少々だらしないところがあって。今まで何人もの女の子と、それはもう泥沼のような、浮世の義理を欠いたお付き合いをしてきたのだよ」


 金木は自身のクズっぷりを、武勇伝か今日の天気を語るようにあっけらかんと口にする。


「このまま私がひとりで死ねば、世間の誰もが思うさ。 『女たらしのろくでなしが、痴情のもつれあいで惨めに死んだ』ってね。三面記事の端っこで笑い者にされて終わりだ。それだけは、許せないんだ」


 彼は大げさにため息をつき、両手を広げた。


「でも、梨花ちゃん、君なら? 私のこの薄汚れた浮気や裏切りの数々を綺麗さっぱり、漂白できるはずだ!」


 金木は熱に浮かされたような目で梨花を見つめる。


「私の死を、この世界に永遠に爪痕を残す美談にしてくれ給え。君の筆で、私の遺書を本物の文学にしてほしいのさ」


 梨花はため息をついた。

 

「呆れた。ただのクズ男の虚栄心じゃん」


「否定はしないよ。でも、君だってクズだろう? その暁には、私が満足して死ねる。君の秘密も一緒に墓場まで持っていってあげるよ。もしも断るなら」


 梨花はポケットの中で、溶けかかったライターを手放し、代わりにスマホを強く握り直した。


「いいよ」


 彼女の口角は、自然と吊り上がっていた。





 

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