第7話:ドクターの罠:『最後の実験体』
タケルは、アキラの支援を受けて辛くも警備チームの追撃を振り切り、研究所の地上階への古い管理通路を登っていた。
『タケル!そちらのルートは、地上への最速経路だ。俺が爆破ルートを確保しておく!』アキラが無線で声をかける。
「了解だ、アキラ」
しかし、タケルが通路の突き当たりにある古い鉄扉を押し開けた瞬間、彼の暗視ゴーグルが、目の前の光景を捉えた。
通路の広場に、一体の巨大な異形種が立ち尽くしていた。その体躯はアルファに匹敵するが、体毛の色はより濃い黒であり、前足の爪には不自然なほどに鋭利な金属光沢があった。
そして何よりも異常なのは、その獣が、広場の中心にあるコンクリートの柱を、自分の体で盾にし、タケルに向かって待ち構えていることだった。
「これは…」タケルは息を呑んだ。
獣の本能的な動きではない。これは、人間のような戦術だ。遮蔽物を利用し、敵の動きを予測して待ち伏せている。
『タケル!動かないで!その熱源反応、アルファではありません!遺伝子情報に、さらに高度な人工的な追加変異が見られます!ドクター・Aの『最後の実験体』です!』ユキが叫んだ。
その「最後の実験体」は、低い唸り声と共に、タケルに向けてゆっくりと前進を始めた。
タケルは鉈を構えるが、彼の戦術が通用するか確信が持てない。この獣は、これまでのどの獲物とも違う。
「アキラ。援護を頼む。この獣は…考える」タケルは低い声で伝えた。
『くそっ!タケル、俺は射線が通らない!敵はあなたの動きを完全に予測している!』
アキラの分析が正しい。獣は、タケルの動きに合わせて、常にコンクリートの柱を遮蔽物として利用し、ライフルの有効射線を切っていた。
タケルはフェイントを仕掛け、右に大きく踏み込んだ。獣は反応せず、柱の陰に身を潜めたままだった。
ドォン!
獣は、タケルが踏み込んだ先の地面に、その金属質の鋭利な爪を叩きつけた。もしタケルが一歩でも深く踏み込んでいれば、足首を粉砕されていた。
「…俺の動きを読んだだけでなく、先読みした」タケルは背筋が凍るのを感じた。
この実験体は、マタギの戦術を学習し、その対策を遺伝子レベルで組み込まれている。タケルは、自分の「本能」が通用しない相手と、初めて対峙していた。
このままでは、警備チームに挟み撃ちされ、データもろとも葬られる。タケルは決断した。
「アキラ。計画を変更する。俺が囮になる。お前は天井の『換気口』を狙え!」タケルが叫んだ。
『換気口?なぜだ!』アキラが問い返す。
「この獣の最大の武器は『視覚と予測』だ。俺が獣の注意を引きつけ、その視覚を奪う!全力を込めて、天井の換気口に油と火炎を注ぎ込め!」
タケルはデータ収集端末を安全な場所へ投げ出すと、鉈を背負い、両腕を広げて獣に向かって突進した。これは、マタギの「最後の誘い(デコイ)」。自らを囮にして、獣の注意を一手に集める行為だ。
獣はタケルの突進を予測し、柱を離れてカウンターを狙う体勢に入った。
その瞬間、タケルは全速力で獣の足元をすり抜け、広場の天井へと続く巨大な換気ダクトを指差した。
獣の視線が、一瞬だけ天井へと向く。
パァン!
アキラのライフルの徹甲弾が、正確に換気ダクトの油圧システムを破壊した。同時に、ユキが遠隔操作でダクト内に仕掛けていた予備の油と発火装置を起動させる。
ゴオォォォォ!
ダクト内部で炎が燃え上がり、大量の黒煙が広場に噴き出した。獣の視界は、一瞬にして黒煙に遮られた。
「今だ、アキラ!」
タケルは、獣が視界を失いパニックに陥る一瞬の隙を突いて、獣の脇腹を鉈で切り裂いた。しかし、獣の肉体は予想以上に硬く、深い傷を与えることができない。
「くそっ、硬い!」
タケルは、獣の反撃を避けながら、広場を駆け抜け、アキラが確保していた脱出経路へと身を投じた。
『タケル!早く!警備チームがもうすぐだ!』
タケルは広場を脱出すると、アキラが確保していた管理通路の鉄扉を、外側からロックした。彼は全身から汗と煙を噴き出しながら、アキラの待つ地上へと続く階段を駆け上がった。
彼は、自分の狩りの知識と本能が、ついに「人間が作った怪物」に通用しなかったという、痛烈な敗北感を噛み締めていた。




