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大図書館の引きこもり賢者

作者: 雀40

 採光窓から入り込む日差しを避けて薄暗い隙間に収まり、魔石ランタンの灯りを頼りながら分厚い本にかじり付く、ローブをまとった少年がひとり。


 部屋の隅からほんの僅かに聞こえてくるトトト……というネズミの小さな足音を気にも留めず、少年は黙々と文字を追った。特殊な生態を持つその小さなネズミたちが、大切な本に害をなさない存在だと知っているからだ。

 地域ごとに、特有の生態系があるものである。とりわけこの周辺は、ことさらに珍しい生き物が多い。彼らが本という何の変哲もない存在を、わざわざ気にしたりしない。けれど、そんな本という存在には彼らのことがしっかりと刻まれている。

 

 たとえば、深い海の底で長い眠りについた古代の竜。

 たとえば、年に一度だけ満月の光を浴びて儚く咲き誇る高原の小さな花。

 たとえば、濃い魔素や魔力が無ければ育たない植物。そして、そんな植物だけを食べる動物。

 たとえば、世界の中心で枝を広げる巨大な世界樹に寄り添って生きる民。

 

 本と向かい合う少年が持つ癖のある髪は、カフェオレのような柔らかなブラウン。若草色の瞳は目の前の文字以外の何も映さず、そんな左目を古めかしい片眼鏡(モノクル)が覆う。モノクルから伸びた細いチェーンは、ぴんと尖った長い左耳を飾るイヤーカフへと繋がっていた。


 そんな時、ぱたぱたと可能な限りの早足で近づいてくる存在を認識した少年は、長い耳をぴくりと動かし億劫な様子を隠すことなく本から顔を上げた。


「し、師匠っ、お客様ですよー!」

「伝言魔術を使わず、君がわざわざ直接来たことで誰が客かはなんとなくわかったけど、図書館ではもう少し静かにね」

「うっ、はい……すみませぇん……」


 少年を師匠と呼びながら現れたのは、麦穂のような色の髪を頭部で揺らした華奢な娘だった。少年より少し高い背を縮こませ、少年と同じように尖った耳をしょんぼりと垂らし、娘がうつむく。

 弟子の少々落ち着きのない部分についてはいつも気になっているので、少年としてはもう少し注意したいところだが、彼女の言う客というのが少年の想像する人物であるのならばあまり時間はないだろう。


「……で、お客だよね?」

「は、はい。今は上個室にご案内して――」

「おう、アヨル。邪魔しているぞ」

「……本当に邪魔なんですよねぇ………………バルトロメウス陛下」


 師弟の会話へ割り込みながらゆったりと歩いてきたのは、強い存在感を放つひとりの若い男だった。男の漆黒の髪は短く整えられており、露出している耳は丸いものだ。


 文句はつい口をついてしまったが溜息のほうはなんとか飲み込み、アヨルと呼ばれた少年は、バルトロメウスと呼んだ男を見上げる。

 不敵な笑みのバルトロメウスに見下ろされたアヨルはそっと本を閉じ、のそのそと立ち上がって分厚い本を棚に戻した。


「動きが鈍重すぎる。毎日引きこもっていないで、もう少し動いたらどうだ」

「そんな余裕はありません。司書たるもの、蔵書は常に正確に把握しておきたいので」

「健康に悪いだろうに」

「それは否定しませんけど……陛下には言われたくありません」

「何を言うか。俺はちゃあんと運動しているぞ」


 組織の上の仕事なんてものは、主に決定と折衝だ。そのために行われる腹の探り合い会食で、皇帝であるバルトロメウスが美食三昧なことを、アヨルは知っている。

 とはいえ、軍人でもあるバルトロメウスは時間を作って適度に鍛え、逞しい体つきを維持していることも知っている。


 なお、以前健康についてバルトロメウスに説いたのはアヨルのほうだったりするのだが、明らかに現在の正義はバルトロメウスの側にあった。アヨルは少し悔しい。


「……お前の助言が欲しい」

「助言? 偽造金貨の件でしたらもう何も出ませんよ」

「いや、全くの別件だ」

「別件ねぇ……僕は司書であって陛下の相談役ではないんですけど」

「今更細かいことを言うな。器の小さい奴め」

「小さくないです。まだ少し伸びる予定があるんで…………ってなんです、これ?」

「背丈の話はしていないし、それは制作中の姉上のドレスの装飾だ」

「………………ふぅん?」


 アヨルがバルトロメウスから受け取ったのは、涙型の宝石だった。透明度は高く、どちらかといえば黄色いが赤味も強いものだ。


 とはいえ、アヨルは宝石の実物には塵ほどの興味もない。以前読んだ本からの知識によって、色合いからトパーズかシトリンが最有力候補だと推測する程度だ。アヨルが宝石の正体にあたりを付けてくるりと回せば、魔石ランタンの光を受けて複雑にきらめく。


 あたりをつけた宝石の他にも、何やらひっかかるものがあるなと思ったその時――アヨルの長い耳がトトト……といったネズミの足音を再び拾う。音の方向では小さなネズミが、暗闇からじっとアヨルの手元を窺っているように思えた。


 ふぅと息を吐いたアヨルは、ネズミから意識をはずしバルトロメウスへ向き合った。


「……これに関連する何かがあったんですよね?」

「ああ、盗難だ。……密室からのな」

「なるほど。とりあえず、現場を見たいです」

「ほう、なにか判ったか?」

「冤罪を生みたくないので、それは後ほど」

「そうか……わかった」


 涙型の宝石をバルトロメウスへ返し、アヨルはぐぐっと身体を伸ばし、凝った筋肉をほぐす。

 その動作を合図に、バルトロメウスはアヨルを先導すべく歩き出した。


 


 ――ここは世界樹の中にある大図書館。

 

 世界樹の民(エルフ)なら誰もが世界樹より与えられる、個人的な空間である。アヨルは、その己のプライベートスペースを人間の国を特殊な手段で繋ぎ、趣味である図書収集に役立てているのだ。

 ついでに、数百年前の権力者と友誼を結んでいたこともあり、気が向いたときにその知識を子孫へ提供する約束をしている。


 そうして長い時を人間社会の片隅で生きるエルフの司書と人間の皇帝は、適当な刺々しい会話を繰り広げながら剥き出しの木壁の部屋を後にする。

 その光景が数百年前の再来であることは、アヨルですら気づかない。


「………………へ、陛下も師匠もお静かに……」


 なお、そんなふたりの後に続く弟子エミナがこぼしたか細い声は、小さなネズミも聞いていなかった。




 ※


 


 三人は、そのまま大図書館のホールの壁で主張する美麗な装飾の片開きの扉をくぐる。その先は帝城の敷地内に建つ荘厳な図書館――の地下室に繋がっていた。


 限られた人員しか訪れないアヨルのための地下室から出て、バルトロメウスは慣れた様子で裏道を進む。

 途中、皇帝執務室に寄ってバルトロメウスの腹心でもある護衛と合流すると、表の通路に出た。


 裏とは違い、表では伝言魔術がよく飛んでいる様子が目に入る。

 

 伝言魔術とは、専用のメッセージカードを小さな生き物に変化させて飛ばす魔術である。

 どんな生き物に変化させるのかは術者次第だが、よく使われるのは蜂や蝶などの小さな虫だ。アヨルは、図書返却の督促のためによく蜂を飛ばしている。

 ちなみに、エミナは白いふわふわの綿毛のような何かを飛ばしている。若い女性の流行らしい。


 城には、そんな伝言魔術のための小さな扉があちこちにある。人間用の扉や窓に併設していることもあれば、壁に穴を開けているものもある。要するに様々だ。

 設置場所は様々だが、その小さな扉は本当に小さいため、特に鍵がかかるものでもない。鍵をかけてしまえば伝言魔術も通れなくなるからだ。


 そしてその条件は、目的地でも同様だろう。

 帝城では多くの人間が働いているため、比較的容易に習得できる伝言魔術は業務上必須なものなのだ。


 たどり着いた縫製室では、縫製室の室長が待っていたが他の人払いが済んでいた。

 

 アヨルはざっと見渡し、ある程度は整理されているものの、どちらかといえば雑然とした部屋だという感想を得る。先の継承争いのために皇族がずいぶんと減ったとはいえ、皇族の衣装は常に作り続けられるものだから仕方がないのだろう。

 事件だか事故だかはまだ断定できないが…………皇姉のドレスの件で作業が進められなくなり、縫製室の人員はあらゆる意味で戦々恐々としているだろう。気の毒な話だ。


 そんな部屋の奥には、鍵の掛かった小部屋への扉が、棚に埋もれるように存在していた。


「ここは、保管に特に注意が必要な衣装と部品のための部屋だ。ここの鍵は、縫製室の室長と侍従長……それに俺が管理している三本のみ」


 バルトロメウスが自ら鍵を開けた小部屋は、アヨルが思っていたよりも狭く薄暗い場所だった。

 作業場と倉庫を兼ねていることもあり、先程の部屋よりは多少片付いているが物は多い。

 

 換気と採光を兼ねた窓は小さく、高い場所にのみ設置されている。たとえ全開にしても、猫ならかろうじて通れる程度の大きさ。人間なら、赤子でも厳しいだろう。

 なお、伝言魔術用の扉は、縫製室と繋がる扉にしか備えられていない。


 部屋のほぼ中央にあるトルソーが着ているのが、件の皇姉のドレスだろうと思われる。

 光沢のある真紅の布は、魔石シャンデリアが照らす夜会の会場で存分に映えると容易に想像できた。オーバースカートの裾には、先程見た涙型の宝石がいくつもぶら下がっている。歩くたび、踊るたび、きらきらと光が舞うだろう。

 そんな最高級のドレスを前にしても、アヨルは一般的な感想しか持たないが、エミナは瞳を輝かせてじっくりと眺めている。


 もう少し観察すると、規則的に配置されているはずの涙型の宝石の並びには複数の隙間があった。さらに裾をよく見れば、縫い付けられた宝石を力任せにちぎったのかほつれた跡もある。かなりお粗末だが、盗難の痕跡だと推測できる。


「……それで陛下、魔術残渣と指紋はどうでした?」

「日常的なもの以外は、特に何も出ていない」

「何も……ですか?」

 

 アヨルの質問にバルトロメウスが答え、内容に不可解さを覚えたエミナが首を傾げる。確実に何かがあったはずなのに、何も残っていないとは、いったいどういうことか。


「……なるほどね。それじゃあエミナ、君が主導で情報を整理してみよう。追加の質問は直接陛下にしてもらって大丈夫だよ」

「お前…………まあ、よかろう」

「えっ、はっ、はい!」


 唐突に指名を受けたエミナが、姿勢を正して視線を彷徨わせる。


「えぇと……まずは、事態が発覚したお時間などを――――」


 エミナが整理した結果によると、盗難の発覚は昨日の夕刻。


 午前中に、この部屋で涙型の宝石をすべて縫い付け終えてから一度施錠。その後、昼過ぎに室長の許可の下で清掃をし、再び施錠。その後は誰の出入りもなく、夕刻の終業前の確認で発覚したということだ。なお、窓は清掃中のみ開放され、あとは施錠されていた。

 この小部屋の清掃は三人一組で行われ、清掃後には室長自ら確認している。清掃後、終業までは三時間程度だったが、人の出入りどころか誰かが扉に触れることすらなかった。これは、縫製室の人員が証言できる。


「ただ、縫製室の全員が共犯なのあれば、その証言にどれほどの信頼性があるかは……」

「そうなんだけど、無くなった宝石の数や質を考えればハイリスクローリターンだからなぁ」

「証言者の中には室長も含まれる。その可能性はとりあえず除外だな」


 状況の大前提について皇帝のお墨付きを得て、エミナはほっと息を吐く。


 皇姉のためのドレスとはいえ、今回消えた宝石のひとつひとつは然程大きいものでもない。もちろん、適切に売却できればそれなりの価格にはなるが――正規のルートで手放せば足がつき、裏のルートでは足元を見られるものだ。

 さらに言うのなら、皇族の所有物の横領など一族郎党の首が絞まっても文句は言えない行為だ。死か小金か……結果を比べてみれば得るものは殆ど無い。

 

「で、では、密室で何が起きたかと言うと……。あの……師匠、術者が視界の外でも自在に操れる伝言魔術のような小さなものって……ありますか?」

「少なくとも、そんな便利そうなものを僕は知らない。たとえ存在したとしても、魔術残渣検査にひっかかるね」


 伝言魔術は、便利なものだが自在ではない。半自動で相手にメッセージを届けること以外は不可能だ。

 無機物を操る傀儡術はあるが、対象を視界に収めていることが前提なうえ、高度な魔術なのだ。

 

 なお、魔術残渣検査とは、行使された魔術の痕跡を確認するものである。どんな魔術でも痕跡が残るため、どんな術者のものか、どんな魔術なのかが判ってしまう。

 便利だが、魔石ランタンのような簡易なもの、伝言魔術のような小さい魔術具を用いたものは、だいたい半日程度で消えてしまう。検査をするのなら、できる限り早いほうが望ましい。


 ちなみに、指紋鑑定はつい最近確立した技術である。未だあまり精度が高いとはいえない技術なため、あくまで補助的な立ち位置だ。

 この部屋で指紋が採取できそうなのは、扉のノブや机の空きスペース程度の限られた箇所だ。


「この部屋に隠し通路とかがあったり……」

「俺は知らん」

「失伝した隠し通路の可能性は否定できないけど、この部屋は棚や物が多い上に片付いているとは言い難いから……あるとしても埋まってそうだなぁ」


 バルトロメウスの断言にしょんぼりと耳を垂らすエミナのフォローをし、アヨルは苦笑いをする。


 密室だった時間帯、手前の部屋には人が常駐していたので、大きな音は厳禁である。

 棚や物、絨毯などを極力音を立てずに動かして侵入し、ドレスの裾の宝石をちぎり、再び音を立てずに戻して去る。確実に成果と労力が釣り合っていない。もし隠し通路があるのなら、ドレスそのものを持ち去ったほうが実入りを増やせる。売却リスクを考慮しなければ……だが。


「もちろん、ドレスの毀損そのものが目的の場合もあるけど……それにしては中途半端なんだよね。だから、毀損目的ではないと考えてみよう」

「アヨル、わかっているのならそろそろ勿体ぶらずに言え」

「…………わかりました。陛下、あの宝石の予備ってこちらにありますか?」

「ここの金庫にある……しばし待て」


 バルトロメウスは、手前の部屋に待機させていた室長を呼ぶ。手慣れた様子で金庫を開けた室長は、小さな宝石箱を取り出した。その小箱の中には、先程に見たのと同じような涙型の宝石がいくつか収められていた。


「まぁ、これで推測を補強できるかは運なんですけど…………ああ、これと……これですね」


 手袋を取り出したアヨルは、手袋越しにひとつひとつ指先で触れ、にやりと口の端を上げる。そして、あたりをつけた宝石をひとつだけつまみ、バルトロメウスへ差し出した。


「では陛下。少しずつで結構ですので、これに魔力を注いでみてください」

「一気に注いだらどうなる?」

「面倒なことになります」

 

 好奇心で瞳を輝かせたバルトロメウスをアヨルは即座に制した。

 意外と子どもっぽいところもあるバルトロメウスを刺激してはならない。ここで「大変」などと言ってはならず、「面倒」だと言っておくのが無難なのだ。実際、面倒なだけなので。

 

 アヨルとバルトロメウスの付き合いはそれなりに長い。

 バルトロメウスはアヨルの考えを見抜き、少々ふてくされたような表情を見せるが、指先の宝石へと大人しく魔力を注ぎ始めた。それは大雑把な性格に見合わぬ、繊細な魔力操作だった。

 細かな魔力操作はアヨルがかつて課した大図書館への入館許可の課題のひとつであり、幼いバルトロメウスの努力の結果である。


 バルトロメウスが宝石に魔力を注ぎはじめ、ほんの十秒ほど経った頃。

 宝石が一瞬だけ淡く光を放ち、ぴきっと軽い音がした瞬間――――宝石にできた亀裂の隙間から、植物の根と芽がひょっこりと顔を覗かせた。

 

「…………なんだこれは?」

「世界樹に根付く宿り木の一種です。実は宝石ではなく、宿り木の種なんですよ、これ。元々が原石のような見た目で、さらには同じ感覚で研磨できてしまうので、どこかで混ざったんでしょうね……混ぜられた、とでも言うべきかもしれませんが」


 美しい宝石から素朴な根と芽が飛び出す光景は、じつに不可思議だ。

 

 エミナがぽかんと口を開けて、バルトロメウスの持つ種を眺める。

 研磨後の種を初めて見たのだろう。とはいえ研磨を禁じられた品ゆえ、アヨルとてそうそうお目にかかれるものではない。


 その宿り木は、世界樹ほどの魔力や魔素がなければ育たない。

 しかし、鳥か何かが世界樹の外へ運び、運良く根付いた個体の種を人間が拾ったか……世界樹から持ち出されたか。


「こんな見た目ですからね。世界樹に根付いた宿り木の種を、外へ持ち出すことは禁じられています。禁輸の可能性がある以上、世界樹側へは僕から報告しておきます」

「わかった。こちらは仕入れルートから遡ろう……それで?」

「うん?」

「宿り木の種が混ざっていたことは判ったが、何故消えたかの答えにはなっていないぞ」

「……それもそうですね」


 アヨルからすれば、既に答えが出ている問題だが、バルトロメウスにとってはそうでもなかった。

 とはいえ、この種について知っているのであれば、あとは地道に探すだけだ。


「この宿り木の種が、とっても大好きな生き物がいるんですよ――――」



 

 ※




 その日の夕刻前、()()()が見つかったとの報告がアヨルにもたらされた。

 

 縫製室隣の倉庫内に作られた()の中には、複数個の涙型の宝石……もとい宿り木の種が見つかった。巣の主はコイン大の小さなネズミで、大図書館から抜け出した個体だと思われる。

 伝言魔術用の小さな扉を通り、壁を伝い荷物に隠れ、棚をよじ登って、宿り木の種の匂いを探ったのだろう。


 大図書館に作られた日当たりの良い個室で、バルトロメウスと向かい合うアヨルは、手土産の焼き菓子をつまむ。


「――つまり、この件はお前の過失だと思うのだが」

「何を仰りますか、普通に事故です。あんな小さな野生動物の行動なんて管理できません」

 

 あのネズミは、世界樹と共生する動物の一種である。

 世界樹のうろに住み、世界樹の花の蜜を吸い、世界樹を流れる水を飲み、世界樹の宿り木をかじる。彼らはそんな生き物だ。

 

 見つかった個体は、大図書館を出る人間につられて帝城へ入り込み、荷物か何かに紛れ込んで縫製室付近へ運ばれてしまったのだろう。つまり、不幸な事故だ。

 倉庫で巣にしていた木の器ごと図書館に運び込まれたネズミは既に解放され、大図書館の隅へと消えていった。

 

「馴染みのない場所で食べ物が見つからず困っていたら、大好物が見つかったんですよ。それはもう飛びついてしまいますって」


 宿り木の種は、世界樹のネズミにとって美味しいおやつだ。

 種の栄養価は高く、はぐれ個体にしては元気そのものだったのは不幸中の幸いか。


「お前の頼みだから生かしたが……ネズミの事情など忖度していられるかというのが正直な感想だぞ」

「ええ、もちろんお気持ちはお察しいたしますが、ネズミとはいえ彼らは世界樹の住人ですよ。無用な殺生は避けてくださいね」


 物が物であるため、宿り木の種のことは人間社会で公にしたくない。そのあたりは、アヨルとバルトロメウスの意見は一致している。

 

 人間社会には人間社会の理があるように、世界樹には世界樹の理がある。

 お互いのためにも、この件は「特別なことは何もなかった」ことにするのが一番だ。


「…………まぁ、盗難騒ぎについては関係者に口止めをし、縫製室の閉鎖については不審物の調査……ということにする。後日、害獣対策についてどこかで議論させれば、周囲も察するだろ」

「皇帝の姉のドレスに何かがあったと露見するよりは、よっぽど良いかと存じます」


 被害にあったドレスは補修を急がせるため、予定の夜会には間に合う見込みらしい。

 迷子のネズミは巣に帰れたし、ほつれたドレスは何もなかったことになるし、これですべてが丸く収まったと、アヨルは満足である。


 宿り木の種が混入した経緯についてはアヨルの仕事ではないし、これでもう心置きなく読書に戻れると安心した瞬間――――遠慮がちだが強く焦りを感じさせる叩扉音が響く。


「…………陛下、師匠、ご歓談中申し訳ありません……あのう……皇姉殿下の先触れの方がお見えになりまして……」

「……げぇっ、姉上はどこから嗅ぎつけた!?」


 申し訳なさと緊張を初めとした色々な感情で溢れそうなエミナが、今にも泣き出しそうに眉と耳を下げて皇姉の襲来を告げる。

 独自の情報網を持つ皇帝の姉には、何事もなかったことにはできなかったらしい。燃え盛る炎のように苛烈な女傑が現れるまで、然程の時間はないだろう。

 

 幸い、ここは大図書館……アヨルの領域だ。今にも逃げ出しそうな皇帝を留める手段はいくらでもある。


「それじゃあ陛下、説明頑張ってくださいね」

「いや、今回はお前のほうに説明義務があるからな…………賢者殿?」


 確実に骨が折れるであろう対応を押し付け合いながら、アヨルはエミナに新たなもてなしの準備を頼む。

 

 大図書館の司書――帝国の賢者の仕事はまだ終われないようだ。

 アヨルは長く息を吐いてから笑みを深め、バルトロメウスの腕を捕まえた。


 協力して大嵐に挑むのも、きっと友との楽しい思い出になるだろう。

ファンタジー安楽椅子探偵を目指したんですが、アヨルが意外とアクティブになりました。

とはいえ、完全引きこもり状態でファンタジー要素を強くいれると独自要素をどう盛り込むか……となるので難しいですね。でも楽しかったです。


ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

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