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『それ』  作者: 次郎
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第三話

 僕は、『死』を知らない訳では無かった。だけれど、はっきりと『人の死』を感じたのは初めてだった。僕の両親が事故で死んだ時は、僕は、その場におらず、両親の遺体さえ見ていなかった。僕の前に、差し出された両親は、もう、既に骨だけであった。骨だけの両親を、僕は、はっきりと、それが別れだとそれが死である事を感じられずにいたのは確かだ。それ以来、僕は、『死』という言葉を骨のように軽く思っていた。

 人間は、生きる全てのモノは、死んでしまえば、こうして、骨になって行くだけなのだと。初めから、そこに生が有ったのか、無かったのかと忘れてしまう程に、残酷で、無惨さを思っていた。

 泣いていた人間でさえも、月日が経てば、その人間と言うものを忘れて行ってしまう。どんな声で話していたか、どんな顔で笑っていたのか、その人間の周りにある匂いさえも、記憶として思い出す事は難しい。忘れてなんかいない、忘れはしない、そんな言葉は、自分の為だけにあるに過ぎない。忘れてしまう事も、忘れて行く事も、罪でも無ければ、許しを請う事でも無い。それが、意識の存在が生きると言う意志を産んで行くと言う事なのだろうと僕は、両親が死んでしまった時、そう理解した。理解して、両親の死を受け入れた。

 だけれど、僕のそんな言葉も、目の前にある男の目を見れば、やはり、自分の為に作られた言葉でしか無いに等しいと実感した。

 男の目は、もう既に、生きる意志も、意識も、意味も無くしていた。徐々に、この世から切り離され、生きるモノと、そうで無いモノとの線が引かれていく。僕は、気付かぬ間に、赤く染まった目から涙が流れていた。涙は、止めどなく流れては、頬に、生ぬるいものの中に、強い熱さが流れ落ちて行く。

 そして、その熱は僕の心の中に、形ある『それ』に変貌した。

『これが、死。これが、生きるモノの全ての本当の死だ』

 はっきりと、『死』が何であるかを知った。存在の意識すら無くし、息も、形も、空気までもを失って、生きた痕跡は、もう、跡形もの無く消えてしまう。

 僕は、溢れ出した涙と共に、『恐れ』を感じた。自分が生きた痕跡すら残らない『恐怖』、忘れられていく事の『本当の意味』。

 僕は、『両親の死』を受け入れられていなかった事実に、その場に全てを吐き出していた。涙も嗚咽も止まらず、呼吸もままならないまま、何度も何度も誰に対してなのか、「ごめんなさい」と叫んでいた。

 骨だけになった両親へなのか、ただの『恐れ』なのか、両親の骨の手が必死に僕を掴もうと伸ばして来る幻に、意識が消えた。


「本当、災難だったと思いますよ。パニックになっても仕方ありません。それに、本当、打ち所が悪ければ、二次被害になっていた所ですからね。本当、奇跡としか言いようがありませんね」

 医者は、そう言って僕の肩を叩いた。僕は、意識を失い、目が覚めると病院のベットの上だった。軽い脳震盪と打撲だった事を医者から説明を受けた。

 それ程の事故だった事に、ぽかんとした。

「・・奇跡ですか・・?」

 医者の言葉の意味が理解出来ない、どうして、奇跡になるのだろう。僕は、もしかしたら、本当に、死にかけていたのだろうか、と記憶の無い後を思い出そうにもやはり、記憶が無いのだから、思い出せる訳は無かった。

「そうですよ。電車にはねられた男性に当たられたんですから、その衝撃に普通は、打撲だけではすみませんよ。本当、飛ばされた方が良かったとしか言いようがありませんね」

 僕は、電車の風圧に飛ばされたのだと思っていた事が、本当は、あの時、男が僕に当たって、後方に飛ばされた事故なんだと知り、ぞっとした。だから、あの男は、僕の上に引っかかっていたのか。

「・・・電車にはねられたって、それは、事故なんですか?」

 医者は、椅子をキイと鳴らすと僕の方を向いた。

「いいえ、自殺ですよ。自ら、線路に飛び込んだんです。もし、貴方に当たったのが、上半身だけで無く、全身だったとしたら、大人の男性ですからね、例え、貴方が男性でも、もっとも飛ばされただけでは、済まないでしょうね。こんな風に話せてはいないでしょうね」

 医者は、あけすけに言葉を並べて、また、椅子を鳴らした。

 僕に当たったのが、上半身だけであると言う事に、衝撃を受けたが、こんな簡単に、何の感情も無く、死んだ人間の形状を話せるモノなのだろうか。上半身だけと言うより、そうやって、人の死に慣れてしまう人間がいる事に、身が竦んだ。

「脳震盪も、軽いものですし、背中の打撲と頭部のかすり傷で済んで良かったですよ。あの男性も、そう思っているでしょう。自分の命を捨てるつもりが、他人の貴方にまでも巻き込んでしまう所だったんですからね」

 医者は、そう言うと椅子をキイと鳴らして、パソコンの画面の方を眺めた。僕は、何も言葉を返す事が出来ず、薄らと手の平に残る血の匂いに男が最後に笑みを浮かべた意味を知った。

「では、今日は、お帰りになって結構ですよ、後日、また、検査に来て下さい」

「分かりました」

 僕は、血で染まったシャツを手にこれを着るのかとどうしようかと考えていると、看護師が紙袋を渡してくれた。

「先程、男性のお母様からこちらをお渡しして欲しいと預かりました。そちらは、こちらで処分しておきましょうか?」

 紙袋に入っているのは、新品のカッターシャツだった。カッターシャツを袋から出すと一緒に、震える字で『申し訳ありません』とだけ書かれた手紙が落ちた。

 着替えた後、警察の事情聴取を受け終えると、すっかり、朝焼けの色をした空になっていた。何だか、疲労がどっと押し寄せ、夜が一瞬で過ぎた気がして、気が重くなる。

「また、身体に異変を感じたら検査前でも、来て下さいね」と玄関まで見送りに来た医者から念を押された。

「はあ」と曖昧な返事をしていると、一つ気になる事を思い出した。取り乱し、パニックに陥っていたが、今は、あの状況を思い出しても不思議な位、心は落ち着きを取り戻していた。

「あの、先生、聞いていいですか。その、男性は、即死だったんでしょうか」

 医者は、何とも言えない表情で言った。

「まあ、即死ですね。あれ程の出血をしていたら、数秒も意識は保てないでしょうね」

「そうですか」

「意識がないだけ、彼には救いになったんではないですかね。もっと苦しむ人もいますし、電車に飛び込んでも、死ねない人もいますから。それに、二次災害にもならずに済みましたからね。ご遺族の今後を考えると、もっと違う道は無かったのか、医者として不甲斐ないばかりです」

 医者は、流れ作業のようにぼやきながら暗い病院へと戻って行った。

 ご遺族の今後を考えるとの言葉に、ぼんやりと思い出されてくる。それは、いつしか僕も言われた言葉だった。両親の事故、残された家族は僕一人きりだった。

『ご遺族の今後の事も考えないと。未成年に責任は重すぎるでしょう』

 だから、単独事故で・・・。その言葉の、続きは僕は聞かなかった。聞いてしまっては、未成年の僕が、一生、大人に頼る事など出来ないと感じたからだ。

「残される方が辛いんだよ」

 僕の小さなぼやきは、誰かに届く事もなく、夏の温い風の中に消えて行った。

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