#1-00 プロローグ 過去
星園光陽、17歳。好きなことは誰かと遊ぶこと、苦手なものは熱い場所。
どこにでもいるような、ごく普通の高校二年生だ。
「光陽、今日ボウリング行かね?」
「せっかくの昼帰りだしな!」
「今日こそはヒデに奢らせる……」
「あぁ? やってみろよタツ」
そんな光陽に気がけなく話しかけてくる三人。
柿下琉希、吉村秀利、柴岡達。
三人とも光陽の小学生の頃からの大切な友人である。
「ごめんみんな、一昨日おばちゃんが腰やっちゃって、世話しないといけないから無理だ……」
「は!? あのパワフルなおばちゃんが!?」
「え~、マジかよぉ……」
「それに、優華に任せっきりにするわけにはいかないからね」
「まぁそうだよなぁ」
「光陽んちって、おばちゃんいなかったらヤベェもんな」
「なら仕方ないかぁ」
光陽はごく普通の高校二年生だ。しかし、それは表向きの姿である。
「ごめんな、また誘ってくれ、じゃあまた」
そう言い残して、光陽は駆け足で帰っていく。
「おう、おばちゃんお大事になー!」
「光陽、大変だな……」
「昔はむしろあいつから誘ってきてたのにな……」
「仕方ねえよ、あんな事が起こっちまったんだから……」
「だよな、あれでもだいぶ元気になったほうだぜ」
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光陽は、とても明るく、心の優しい少年だった。
名前の通り、その姿はまるで光り輝く太陽のようだった。
学校へ通い始めたと思えば瞬く間に多くの友達を作り、遊びの中心となって、バカなことをして笑い、怒られて泣き、家では兄妹ではしゃいでは母の怒りの雷に打たれて消沈する。
こんな性格ゆえに、多くの思い出を若くして積み上げてきた。
しかし、人の性格というものは一瞬にして塗りつぶされてしまう。
5年前、仲睦まじく家族で光陽の12歳の誕生日パーティーの最中。
近所でも仲の良さが評判の星園家は一瞬にしてバラバラになった。
原因不明の爆発事故により、自宅は崩壊、炎上。
暗い夜の空を、燃え盛る炎が真っ赤に照らした。
「お……父、さん……お母、さん……みん、な……」
頭を強く打って意識が朦朧としている。
体中が痛くて動かせない。足に感覚がない。血が流れ出ているのが分かる。
ただぼやけた視界で、燃え続ける瓦礫となった家を見つめることしかできない。
両親が微笑ましく見ていた背後で爆発が起きた。
恐らく、直撃を受けているだろう。
よりにもよって、自分が家族から祝福されているときに。
自分のせいかもしれない。そう光陽は自分自身を攻めてしまう。
自分が早く気づけていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。
そんな中、横の席に座っていた妹・優華を思い出す。
爆発の瞬間、咄嗟に体を張って守ろうとした妹の存在を。
「……ゅう、か」
横のほうに恐る恐る視線を動かす。その先には、頭の上に瓦礫を乗せて血を流したままかすかな息をしながら意識を失っている優華の姿があった。
それを見た瞬間、光陽の心は壊れた。
横に座っていた妹さえ守れなかったという自分の弱さと受け入れがたい事実が光陽の心を蝕んでいく。
「……ぅぁあ」
声にもならないような悲痛な叫びが反射的に出てしまう。
その結果、起きていられるだけの数少ない体力が奪われていく。
光陽自身も、意識を保つのが限界になってきた。
そんな中、周りを見渡すと、黒い人影が見えた。
その影は、瓦礫の山から何かを引きずり出している。
気づいてくれれば、せめて妹だけは助かるかもしれない。
「……たす……け……て……」
目を開けていることすら出来なくなる中、必死に声を出した。
しかし、その人影は、光陽の声に気づかないのか、離れていく。
「……ぁ」
お父さんなのか、お母さんなのか。
誰か全くわからないまま、何かを次々に引きずってはどんどんと消えていく人影。
唯一の助かる見込みすらなくなっていく。
自分は、もう助からない――――。
光陽は、小学生にも関わらず死を悟ってしまった。
熱い、熱い。体が焼けているような感覚に陥る。
体が耐えられる限界をとうに超えようとして、意識が失われようとした時、
「生きるんだ。 私は、お前達を待っている――――。」
まるで脳に直接話しかけてくるようにその声が聞こえた瞬間、光陽が感じていた灼熱の痛みは消え、同時に深い眠りへと落ちていった。
光陽が目覚めたのは、それから10日後。目覚めて最初に見たものは、病院の天井だった。
動こうにも、全く動けない。声を出そうとしても、かすかな声しか出ない。
自分が無数の管で繋がれている。
しばらくして、看護師の人が来たと思えば、すぐに慌てて出ていき、ぞろぞろと知らない大人たちが入ってきた。
医者や警察からは、事故当時の状況について聞かれた後、父・信、母・結、兄・立の死と、妹・優華が意識不明であることを知らされた。
光陽はすぐに優華のもとへ向かおうとした。しかし、体中に激痛が走り、動けない。
放心状態になる光陽。それを見て、大人たちは静かに病室を出ていく。
誰もいなくなった病室で、光陽はベッドに伏せて泣いた。体中の水分が無くなる勢いで泣いた。
何もできないことを悔やむまま、ベッドの上で泣いて寝ていることしかできなかった。
体の痛みも徐々に引いていき、体中の管が抜けてやっと歩けるようになった頃。
看護師から優華の意識が戻ったことが光陽に伝えられた。
光陽はすぐに優華の病室へ走った。
病室の場所は知らされていたが、光陽自身の怪我や活動の制限などもあり、すぐに駆け付けることはできなかった。
しかし、目を覚ましたとなれば話は別だ。
未だ痛みが全身に走っていたが、多くの大人の制止を振り切って、勢いよく病室へ入った。
「優華っ!」
その声に反応したのは、たくさんの管が機械につながれ、全身を包帯で巻かれた少女だった。
息をするのも一苦労な様子を見るに、元はほぼ瀕死の状態だったように思えてしまう。
「……ぉにぃ、ちゃん……」
「そう、兄ちゃんだ! 優華!」
返事をしてくれたことに、光陽は安堵する。
家族がみんな死んでいった中、妹だけでも生きていてくれた事実に涙が零れる。
そんな中、
「……みんな、は?」
「……っ」
当然飛んでくるであろう質問に光陽はうろたえた。
優華の素朴な質問に答えられない。
その答えが10年も生きていない妹にとって酷く残酷なことだからだ。
光陽の顔と心はぐちゃぐちゃになった。
しかし、いずれ知ることになる事実を隠しておく方が妹の為にも良くないと思った光陽は、良心を押し殺してありのままを伝えた。
優華は泣いた。それは酷く悲痛な叫びを伴っていた。
それを見ているだけの光陽は、ただ唯一残った家族をなだめつつ共に泣くことしかできなかった。
その後、両親と兄を失った兄妹は退院し、両親と兄の葬儀を済ませた後、両親の古くからの知り合いという女性に引き取られた。
この女性は、葬儀のほとんどの役割を担当してくれた。
兄妹の祖父母は早くに他界し、両親ともに一人っ子で、頼れる親戚などいなかったからだ。
見知らぬ女性に引き取られるという事実に、兄妹は警戒心を解くことが難しかった。あの事件以降、光陽は炎を見るたびに頭にあの時の光景がフラッシュバックしてパニックになり、優華は唯一の血縁者である光陽以外誰も信じることができなかった。
それに、もしかするとこの人が家族を無茶苦茶にしたんだと疑うこともあった。
しかし、女性はそんな二人に対して、
「おばちゃんに後は任せなさい。あなた達のお父さん、お母さんのような存在にはなれないし、私を受け入れてくれるなんて到底難しいかもしれないけれど、せめてあなた達を守らせてほしい。生き残ったあなた達がまだまだ可能性のある未来を歩んでいくためにも。だからせめて、私を信じてほしい。」
どこの誰かも分からない人についていくことなど当然危険極まりない。
しかし、その女性は兄弟の拒絶、閉じた心、今後の未来を全て受け入れると約束した。
少なくとも、この人は家族を失い路頭に迷う幼い兄弟を傷つけたりはしない。
その想いに、兄妹の心は少しずつ動かされていき、安心感を得るようになっていった。
その後、光陽は女性の献身的なサポートを受けて、ある程度炎によるパニックを抑えることができ、優華は兄以外の人を信じることが徐々にできるようになっていき、兄妹は女性を「おばちゃん」と呼んで、絶対的な信頼を寄せていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいまー」
家に帰った光陽は、靴を揃えて和室へと向かう。
揃えないと、家にとてもとても恐ろしい雷が落ちてしまうからだ。
そして、襖を開けると光陽の安心する存在が現れる。
「おかえり光陽、早かったねぇ」
敷布団の上で、洗濯物を畳みながら光陽に優しく微笑みかける女性。
光陽と優華の「保護者」、紫。両親の古くからの知り合いと光陽は聞かされている。
料理上手で優しく穏やかで、光陽の信頼する人だ。
しかし、
「ただいま、おばちゃん。今日は昼帰りって言ったでしょ」
「ああ、そうだったねえ。私なんか放っておいて、たまにはゆっくりして来たらよかったのに。また琉希くん達が誘ってくれたんだろう?」
「……おば、ゃん、いつもお見通しだよね」
「顔に書いてあるよ、また適当に嘘ついて断ってきたんだろう」
「……おばちゃんに家のこと全部任せるのは悪いしね。それに、今日は嘘なんかついてないよ」
光陽は心の優しい少年だ。
おばちゃんには、散々助けられ、今までたった一人で何から何まで支えてもらっていた恩がある。
それを返さずにのほほんと暮らすなんて事は頭にも思いつかなかった。
高校に入るまではあらゆることをおばちゃんに任せっきりだった。
それ故、おばちゃんを優先しがちになってしまうのだ。
「あの日以降、あの子たちはずっと支えようとしてくれてるじゃないかい。あんたに合わせて高校まで同じところに通ってくれてるんだ、たまにはあの子たちと思う存分――――」
「……」
光陽は、友達には恵まれていると感じている。
特に琉希、秀利、達の三人。
彼らは、5年前の事故よりも前から仲が良い。いわば、唯一の旧友と言ってもいい存在だ。
事故以降、人間不信になってしまった光陽のもとを多くの友達が離れていく中、この三人だけは変わらず接してくれ、徐々に閉じていた心が開いていった。そのおかげか、高校でも友人を作ることができた。
それはとても光陽にとっての支えとなり、恩返しをしてあげねばならないと思っている。
しかし――――、
「……また、思い出しちまうのかい? あの日のことを」
「……うん」
『生きるんだ。 私は、お前達を待っている――――。』
呪いのように光陽の頭の中に残り続けるこの言葉。
その言葉の意味、それが何なのかを知ることが先だと考えている。
「あいてて……」
「おばちゃん、まだ腰痛むんでしょ? 寝てないと」
「すまないねぇ、最近光陽や優華が色んな事手伝ってくれるから。気が抜けちまったのかもねぇ」
おばちゃんは兄弟と一緒に暮らし始めてから初めて体を痛めた。
おばちゃんはこの5年間、体のどこかを壊したことなど一度もない。
そもそも、咳どころかくしゃみすらしているところを見たことがない。
「一回とびっきり痛いのが走ってねぇ、そんときは光陽の嫁さんが見えた気がしたよ」
「縁起でもないこと言わないでくれない?」
重い空気になりそうになった時、おばちゃんはいつも場を和ませてくれる。
そんなおばちゃんの近くに居続けたせいか、光陽の心も和みを取り戻していったのだ。
「あっ、湿布これで最後だ。ちょっと買ってくるね」
「あらそうかい、すまないねぇ、お金はあるかい?」
「大丈夫! じゃ、行ってくるね」
そう言い残し、光陽はまた家を出て行った。
その背中を、おばちゃんは神妙な顔つきで見ていた。