第三十一話 試練
ガチャガチャと音を立て、十字架は大剣へ変貌した。
刃を担ぎ、羽山はニヒルに微笑む。
「――第十三式粛清兵装『アルパージ』。幾つもの変形機構を備え、浸礼魔法の効力を増大させる兵器さ」
大剣を後ろに構え、神父は柄の照準を男に合わせる。瘴気を発散し、若者は襲いかかってきた。
「ア、ぁぁぁァァァァァァ!」
「お見せしよう。世界からも忘れられた秘術、浸礼魔法の真髄を」
次の瞬間、大剣の柄から光弾が射出された。
二十ミリ超えの口径弾が三発、男へ着弾する。その威力に体は後ろへ飛ばされる。
「ぎィィ、えろォォォォォォォ!」
吹き飛ばされながらのカウンター。男が腕を振ると、瘴気が砂の刃の如く羽山へ向かった。
「鬱陶しいねぇ」
分厚い剣身で羽山は砂刃を受け切る。触れた瘴気はたちまち魔力が浄化された。
防いだところでアルパージはまたも形状変化。
機械音をかき鳴らす武器を肩に乗せ、神父は白き奔流を解放する。
「ここらで仕舞いにしようじゃないか」
変形に次ぐ変形の末、アルパージは大型バズーカ砲となった。
周囲の魔力が収束し、アルパージに装填される。
「苦しむ子よ、その身に寵愛あれ」
閃光と火花を散らし、極太のレーザーが射出された。
圧縮された浸礼魔法の光線は悪魔憑きを貫通。全身の瘴気を焼却する。
「ァァァァァァァ――か、ハッ……」
獣の断末魔を最後に、男の表情から苦痛が消えた。
「よく耐えた。このままお眠りよ」
一呼吸も置かずに駆け寄り、羽山は倒れかけた男を受け止める。
体内の魔力ごと焼いた彼の身に、回復の浸礼魔法を施した。
「ぁ、りが……」
男は安堵を浮かべて失神した。
その時には粛清兵装は武装解除し、十字架として羽山の首元に戻っていた。
「浄化は完了した。が、彼を消耗させてしまったな。一度帰って教会で休ませよう……アスハ君?」
一部始終を目撃していたアスハは青ざめていた。
悪魔憑き。瘴気に犯され、本人の意志に関係なく凶暴化した状態。それに見覚えがあったのだ。
破壊と破滅の狂気、悪意。それはいつぞやの異世界帰還者達と似ていた。
「この人、明らかに人が変わってました。悪魔憑き……本当に別人格が乗り移ったみたいに」
「まるっきりの別人になるわけではない。瘴気はあくまで、人の悪意を引き出す養分みたいなものさ」
それはアスハにとってあまりに恐ろしい真実だった。
「もしかして、俺が今まで手をかけてきた彼らも、同じだったかもしれない。瘴気に犯されただけで、本来は善良な……」
フラッシュバックする。結晶の術師の最期を、惨たらしく処理した三人の帰還者を。
もし彼らが、瘴気に狂わされただけの哀れな被害者だったらと。
「異世界で戦って来た英雄を、助けるべきだった人を、俺は、また……」
恐怖心が滲み寄る。罪の意識が彼の視界を閉じ、胸を塞ぐ。
――命を奪う覚悟などとうに決まっていたつもりだった。
だが彼の認識は誤りだった。
『限りなき無秩序』による感情喪失と、大義名分で殺人の恐怖を誤魔化していたに過ぎない。
でなければ彼はこの瞬間のように、心が自壊してしまうから――
「安らぎを与えん」
羽山の手が震える胸に当てられる。強張った心臓と肺が次第に和らぐ。浸礼魔法が浸透すると、アスハは呼吸を取り戻す。
「アスハ君、深呼吸だ。なにも考えず、吸い込む空気だけを感じなさい」
言われるがまま肺を膨らませた。
茹だる夏の夜の熱気さえ、アスハの胸には山頂のように澄んで感じる。
「君の体験してきたことの全てを私は知らない。その思いや後悔を私は否定することも、肯定することもしない。だから一つ、余計な説法を説こう」
神父もどきは灰燼の心を導く。
「罰も贖罪も、機は来るべきに訪れる。後悔に苛まれ続け、己を罰することだけが償いではない」
「羽山、さん……」
「前を向いて進むこともまた、贖いだ」
聖職者の目は、アスハの闇を見抜いていた。
「さっきも言った通り、瘴気はあくまで心の悪意を引き出すもの。瘴気に関わらず悪に堕ちた者や、人間の尺度では救えない者もいる。今回のケースが全てではない」
神父の言葉にアスハは正気を取り戻す。
「はぁ、はぁ、すいません羽山さん……取り乱しました……」
「私は裁定人ではない。そして権利もないさ。人殺しという意味で、私と君は同類だ」
「羽山さんも、同じ……?」
「そうさ。私はこれまで、数えたくもないほど人間を殺してきた人でなしだ」
神父の答えに淀みはない。若者を連れて教会へ戻る間も、羽山は微笑みを絶やさなかった。
※
教会の客室で若者を寝かせ、応急手当を済ませる。
介抱が終わると聖堂にて、アスハは改めて告白した。
自分が生きた異世界で何をしたのか、何を成せなかったのか。
息絶える寸前に見た、あの平らに均された地平線の世界を。
「まとめれば、そんなところです」
「驚いたな。相当な経験だとは感じていたが、世界の全てをその手で……そうか」
神父に嫌悪の表情はない。ただ純然に、その事実に驚嘆していた。
「軽蔑したでしょう」
「そんなことはない。むしろ私に比べたら誤差も良い所だ」
「それは少し大げさで――」
「異世界でも、この世界でも、私は自分の意志と選択で人間を葬ってきた。神父の真似事ごときで清算されないほど、この手は血で染まっているのさ」
羽山は自分の手を見つめる。
「だが私は悔いてはいない。血に染まった手であろうと、確かに掬い取れたものもあったからね」
落ち着き払った様子で淡々と語った。その姿に確信を覚える。
「やっぱり俺は、貴方に教わって良かった。希望が見えました」
「……ほう?」
「俺は異世界で何も為せなかった。だから何も分からない、知らないんだ。知らないからこそ、理解したいんです! 償い方を……ツムギと並ぶ道を!」
灰燼の心は友の背中を拝み、渇望した。
「貴方は俺の先輩です。その立派な背中に届きたい。羽山さんやツムギのような、試練を乗り越えた英雄に!」
「ふむ……」
「英雄が抱えた葛藤を、その苦しみを。理解することで、彼とまたこの世界を歩けるように……」
願いは己の救済ではなく、友のためにある。孤独に苦しむ友へ寄り添うための贖罪を求めた。
その輝きに羽山は感嘆する。
「……その過去を背負ってなお、人のために進む優しさがあるのか」
「え? すいません羽山さん。今、何て言いましたか?」
「いいや、気にしないでくれ。ただの独り言さ」
神父もどきは微笑んで誤魔化す。
「君の友に対する思い、しかと受け取った。アスハ君の助けになることであれば、最善を尽くそう」
「羽山さん……この恩、いつか必ず!」
羽山は若き意志を称賛した。
「このまま昔話でもしてあげたいところだが……次の機会にしよう。もう夜が深い。眠っている彼もいることだからね」
頷いたアスハが踵を返した時、羽山は告げる。
「――アスハ君。君に試練を与える」
神父は新たな導きを指し示した。
「五日後、鯨竜座流星群の降る夜。この土地に眠らせた大魔獣の封印を解く。その獣を討伐せよ」
「……!」
「これはこの街を、ひいては世界を救うための試練だ」
聖職者は迷える者を導いた。




