第三話 異世界戦線
夜の公園で人知れず闘争は繰り広げられる。
男は幾度もアメジストを射出した。
全方位から結晶に狙われるアスハ。だがその身に傷はない。
「鬱陶しい。これにて沈めい!」
男は土砂を束ね、巨岩を振り下ろす。彼の持ちうる最大火力だ。
「これで決着か……」
だがその勝機は蜃気楼に過ぎない。
「――否ッ!」
土煙越しに人影が映る。
「ケホッ、エホッ。粉塵までは完全に吹き飛ばせなかったか」
「粉砕した、のか。この『巨星』を」
「今までの攻撃に比べたら、真正面から来てくれる方が親切で有難いよ」
一切ダメージを負わないアスハに男は苛立ちを覚える。
「我が信念は不屈。我が凱旋は揺ぎ無き決定事項だ。だのになぜ、そこまで抗うか若人!」
「殺されそうになってるのに抵抗しないやつなんていないよ。それに俺は、お前の思想に何一つ共感できない」
「貴様も同じはずだろう同胞よ! 世界を渡った強者同士、きっと分かり合えるさ。さあ、一緒に取り戻そうじゃないか、あの頃の栄誉をッ。あの世界での喜びをッ」
手を差し伸べる男の論理に傾ける耳はない。主張も、矜持も、感動も、青年にとっては妄想に過ぎない。
「お前と同じなんかじゃない。そんなものなんて、なかった。ある筈がない。俺はただ、あの世界ですべてを台無しにしただけ――」
「ィッ!」
「ロクでもない異世界帰還者だよ」
天を睨み、アスハは拳を放つ。
男は手持ちの鉱物で防壁を築くが、結晶は内部から砕け去った。体表を破片が切り刻む。
「おのれ、小僧め!」
降り注いだ紫紺の槍、落とされた住宅級の巨岩、破壊された道の残骸。
敵はそれらを池に混ぜ、濁流を操りアスハへ放つ。泥砂は硬度を増す。
「汚泥に沈めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「全て無意味だよ」
そのことごとくをアスハは正面から撃ち破った。結晶は濁流に飲まれて尚も前進。水は弾かれ、たちまち拡散される。
彼の周囲には砕かれ積もった砂山が形成されていた。そして防御こそ行うも、未だ彼は一歩も後退していない。
「不愉快だ。なぜ効かん」
超再生や単なる魔術ではない。異様なアスハの戦闘方法の本質に敵は思考を巡らせていた。
「貴様、さては身体強化の能力を持っているな?」
「戦闘狂かと思ったら、意外と冷静に頭回すタイプなんだね」
「否定せぬとは、図星のようだな。どうやら多少はパワーがあれど、魔力を駆使する術は不得手と見たが――ッ!?」
その声を遮るようにアメジストが男の顔面へ飛来する。反射的に躱したものの、彼の頬に一筋の深い線が掘られた。
支配していたはずの結晶が主へ反旗を翻したのだ。
「我の制御が外れた? バカな、操作が不可能になろうとあのような軌道は……貴様の所業か」
その怪現象は伝播する。次から次へ一定距離を置いた石や鉱物が彼に向かって加速。男はアスハへの攻め手を中断して迎撃に全意識を割く。
「身体強化とは別の能力か、或いはヤツの力が身体強化ではない? 念力のような能力で外的に強化しているのか」
彼が考察している隙もアスハは逃さない。
「なっ、姿が――」
刹那、視界に出現したアスハに男は翻弄される。
その手から放たれる奇妙な冷気と明確な殺気に当てられ、咄嗟に最大速度でクリスタルの盾を構えた。
「凍てつけ」
「次から次へと、小癪なァ!」
金剛石は瞬く間に霜で侵される。男は盾を虚空に放り投げ、後方へ回避する。
異世界での実戦経験がなければ間違いなく死んでいた。皮一枚で繋がる瞬間が間隔を狭めながら何度も訪れる。
「懐に入られるのが相当嫌いなみたいで」
攻撃を無視して突撃するアスハはその手を緩めない。
腕を振り回し知覚可能な限り石を素手で殴り続けた。
今度はアスハの拳に接触した石が途端に溶けて液状化したアスファルトと化す。
「なんだ、能力の全容が把握できん。異能に統一性が一切ない。複数スキルの発動、は有り得ない。異世界でならともかく、この世界では……」
戦闘で得たデータもセオリーも無に還される。ここに来ての理論崩壊は主導権の逆転に大きく繋がった。
「なにが起きている。なにをしている。これは、なにを」
男が気が付いた時には、先に自分が破壊した公園の景色が蘇っていた。
道も木も草花も修繕され、巻き散った水は元の池の中へ自律して帰っていく。
「言っておくけど。俺の能力は、本来は規模も性能もこんな程度じゃないよ」
「バカなことを」
「この世界には魔力がないから、リソースが少ない。ただそれ以上の問題は、ルールを付与した時に戻せなくなる可能性があるから、むやみに能力を発動できない」
「ルールの、付与だと。一体貴様の力は……」
主導権の逆転などなかった。初めからそれを握っていた手はアスハのもの。
「――物理法則の上書き。それがこの能力の真髄だよ」
男の鉱物はその多くが彼の制御を離れている。
アスハが発動したスキルによって、それらは魔力との結合を強制的に解除されていた。
「『限りなき無秩序』。唯一俺に与えられたスキルだ」
この戦場を支配する青年は、まさに無秩序の体現であった。