第十話 誅殺
排除対象として帰還者達を拝むアスハの瞳に温度はなかった。
「はン。少しはまともな遊び相手になりそうじゃねぇの」
「捉え方は自由で構わない。俺はただ殺しにいくだけだから」
声音はひどく冷たいものだった。闘争心に満ちた三つの視線にも彼は今日mにを持たない。
「それにしても、よく戦闘中に武装解除できるね」
「あアン!? どこをどーみたらンなこと言えんだ?」
噛みつくジャケットの男は吠える。それが遺言になるとも知らず。
「どこもなにも、ねぇ」
その吐息は小男の細い首を撫でる。彼が気付いた時には、アスハは背後を通過していた。
「はやッ、見えな――」
振り向きざま、男は理解が追い付かなかった。
胴体が抉られ、自分の頭と四肢だけが虚空に留まっていたことに。
「ァ……」
ドサドサ、と肉塊が落ちる。トレードマークのジャケットは形も残っていなかった。
残る者達に恐怖を伝えるには、その一瞬で十分だった。
「……ハッハ、ガチか」
「い、一撃で……腐っても彼は、私の世界のSS級に並ぶ実力者なはず」
襲撃者達はようやく悟った。
眼前の青年が、異世界で相対してきたどの強者をも超える怪物であることを。
その怪物が自分達を殺しに来た絶望を。
「そうか。その程度の世界なのか」
言葉に反応し、アスハはまたもや高速での移動。
姿を現した時には、メガネの男の頭蓋を握っていた。
岩さえ砕く握力で掴み。更には男の脳漿が沸騰を始める。
「あ、が、ぁ……脳を、ちょくせつ」
「インテリみたいだったから、脳は鍛えられてるのか試そうと思って」
「ギ」
脳みそを直接茹でられ、男は絶命。骸の目や鼻からはグツグツ煮えた液体を垂れ流す。
もはやアスハによる一方的な処刑。共犯者たちの亡骸を前に、冷静だった巨漢の顔も歪んでいた。
「『弱斬撃』ッ!」
不可視の刃が撃ち抜かれる。が、彼の体表で跳ね返される。
アスハは大気を身に纏い、攻撃を直前で消滅させた。
「……子供だまし」
「無傷はダメだろ、そりゃ」
巨漢は笑う。恐怖で思わず笑ってしまう。
「……使いたくなかった、死ね」
眼球に高圧がかかり、漢の瞳からは死が射出された。
片目を代償に相手を死に至らせる弾丸はアスハに直撃した。
「は、ははは……なんで死なねぇんだよ」
アスハの命に何ら影響を与えなかった。
「なんでだよ。俺の『死視刺静』がどうして効かねぇ。代償付きの即死スキル、強制的な概念スキルだぞ!?」
「残念だけどね、『限りなき無秩序』も概念スキルなんだ。この程度わけないよ」
「……で、『弱攻撃大砲』ッ!」
右の五指から放つ攻撃。巨漢の生涯で最大級の威力が放たれた。
「ごめんね。何も感じないや」
それでもアスハの歩みは止まらない。前髪でさえ揺れることはなかった。
「やめ、やめろ、来んじゃねぇ。俺は、おれは英雄だ。大勢救って来た人間なんだって。殺さないでくれ、もうこんな真似しないから」
「悪いけど、遅かったんだよ。その決断」
巨漢の腹に、アスハの腕が捻じ込まれた。分厚い贅肉へ、肘まで沈むほど貫かれる。
「腹、がァ――」
捻じ込んだ腕は五臓六腑をまさぐる。逃げ場のない痛みが容赦なく男に降りかかった。
「そうだ。再生の練習、させてもらうね」
アスハは悍ましい法則を漢へ付与した。
彼の五臓七腑は膨張し、感覚神経を増殖させる。全身が数倍の神経密度になった頃、六臓八腑は張り裂けた。
八臓、九臓、十腑、十一腑と痛みを感じるだけの臓器が無意味に生み出される。
「ィ、ンジイイィィィィィィィィィィィ」
繰り返される痛みは想像を絶する。
溢れた臓物は腹の傷口を破り、やがて口からも溢れ出す。
「一度は世界を救った英雄なんだろう。なんでここまで堕ちた」
肉は何も答えない。漢だったものは倍の質量に膨張し、人とは思えない姿で息絶えた。
「仲間が殺されても傍観とは、集まりのレベルが知れるね。そもそもまとまりもないか。利害の一致で組んだ関係なんてそう長続きするものじゃない」
強襲者はアスハ一人に数分で勢力を半壊させられた。
それでも主犯格二人は焦りの一つも見せない。
「はっはっは、つっヨ! あいつチートってやつじゃン。どうするよ大将?」
「ふむ、撤退しましょう。リソースを魔獣に当てがった今回では分が悪い」
「誰が逃がすって?」
アスハは一息で二人組の眼前へ迫った。
正面からの超速接近。にも関わらず、彼らの目はアスハに追い付く。
「怖ェー! ちょっとちびっタ。死神みたいな顔だナ~」
「これは、不意打ち対策のスキルか」
アスハと彼らの間に青い半透明のバリアが挟まった。バリアはアスハを食い止める。
バリアの反応速度と強度、そして佇まいから男達の実力が伺えた。
「逃げるつもりかな」
諦めずアスハはバリア表面を削り、衝撃を与えて割りにかかる。
「マジかヨ。ボクちんのスキルでも削られるんダ。咄嗟に出したのが魔術だったら消し飛んでたネ」
「ですがこちらの術は間に合いましたね」
確信の笑みに呼応し、沸き上がった汚泥が彼らに覆い被さる。
「残念だが、撤退する。そう遠くない日、私達はまた剣を交ることになろう」
「待て。その命、ここで置いて逝け」
「攻撃は無意味、この転送魔術は発動時点で転送を終える。今見える姿は干渉不可の残像。諦めた方が賢明だ」
バリアの障壁を砕き手を伸ばすも、アスハは残像しか掴めなかった。
「次に相まみえた時は正々堂々と屠り去ろう。それまでに私達の名を覚えて来ると良い」
微かな怒りが復活する。同時にアスハの瞳に憎悪が宿った。
睨み付ける青年の視線を躱し、襲撃者二人は名だけを残して去る。
「幽谷の奇術師、魔人王デルネウゾ。そんじゃまたネ~」
「紅き剣聖、グリフェルト・ネビレウス――」
バリンと音を立て、廃ビルのダンジョンは崩壊する。
アスハの手には無力感だけが握られていた。
※ ※ ※
襲撃発生からほどなくして、現場に無島が到着した。
荒廃した校舎内を駆け巡り、魔力を辿る。やがて彼は見慣れた顔ぶれを発見した。
「凛藤、無事か! 他の子らは――」
その惨状に無島は言葉を失う。
「二人はここに」
アスハが抱き寄せた友人たちに生気はなかった。
毒に侵されたツムギは藤色の斑点にまみれ、血濡れのリリは散りかけの花弁のよう。
彼らの時間は蝋人形のように凍結されていた。
「ここで何があった? いや今は良い。とにかく病院だ」
「二人をスキルで仮死状態にしました。応急処置です。AEDか無島さんのスキルで、じきに目覚めます」
青年の言葉に感情はない。彼らの身を預けると、アスハは淡々と情報だけを羅列する。
「襲撃者は異世界帰還者の五人。内三人を殺し、二人を取り逃がしました」
「なんだと……了解した、そいつらの特徴と能力をあとで教えてくれ。すぐに対処へ向かって――」
「大丈夫です、その必要はありません。このままやつらの足取りを追います」
「は? おい、凛藤ッ」
彼が口にした時、スキルは発動していた。
アスハの体は無色透明に変化し、空気へ溶ける。
灰が風に流されるように青年の身は転移を始めた。
「二人に伝えて下さい。異世界帰宅部は退部すること。それと――」
「待て、アスハ!」
その術、その意志は無に還らない。
言葉を置き去りにして灰燼の体は希釈する。透けていくアスハの体を無島の手がするりと抜けた。
「俺のせいで、傷つかないでくれと」
――その場に一滴の涙だけを取り残し、凛藤明日葉の消息は完全に途絶える。
異世界帰還者が引き起こした史上最悪の事件、千景高校襲撃はその会話を最後に幕を閉じた。




