クマムシは二日目のカレーライスを食べる
正しさにも、頭の良さにも、決まった形はない。
それでも僕たちは、笑ったり迷ったりしながら、
今日も食卓を囲んでいる。
──この物語は、そんな日常のひとコマ。
「……遅れ遊ばせ……じゃなくて、みんな──おはよう。」
階段を降りてきた灯が、寝癖を少し残したまま頭を下げた。
「灯ちゃんに兄貴、早めのプレイお疲れ。」
ひまりが、朝から全力で地雷を踏みにきた。
「やめろ。それに、朝イチでそんなことできるわけないだろ。」
「……もう“昼”だよ?兄貴。」
ひまりは、クスッとした顔で笑った。
「灯からしたら、“今”が朝なんだよ。」
「お兄さん──下ネタ、極まってますね。」
メイが、完全に真顔で冷静なコメントを挟んでくる。
「……僕のせいじゃない。」
葵の声が、半分あきらめと共に返された。
笑いの余韻と温もりの中で、
スクランブルエッグの香りが、部屋にふんわりと広がっていた。
ともあれ、
ひまりと春樺は“明治時代の見様見真似”──こと、肉じゃがを作ることになり、
僕たち3人は、リビングで雑談をしていた。
「炭水化物に炭水化物って、不必要の極みなんですけど、
背徳感マシマシで……最高なんですよね。」
メイが、どこか誇らしげに言った。
「わかる……!
まぁ食べたあとに体重計乗りたくなくなるんだけど、結局、食べちゃうよね。」
灯が苦笑しながら相槌を打つ。
「ラーメンセットとか、まさに“炭水化物 on 炭水化物”だよな。」
「ラーメンにチャーハン、あるいは白ご飯……。
もはやセットであることが常識みたいな顔してるし。」
「でも、“同じものの組み合わせ”って、一見すると無駄に見えて、
背徳感と同じくらい、得られるものもあるんですよ。」
メイはそう言いながら、話を続けた。
「例えば──カラオケとダーツみたいに、
娯楽同士が組み合わさった複合施設。」
「……いや、せめて数学Aの“数的処理”とかに例えてくれたほうがわかりやすい。」
「──私は、まだ中学生です。」
「そこで突然“中学生アピール”されても、説得力皆無なんだけど。」
「メイちゃんって、すごく頭いいよね……。
私、見習っちゃうよ。」
灯が純粋な声でそう言うと、メイはそっと目を伏せた。
「……あの。褒め殺し、やめてください。
ともあれ、“重複しても丁度いいもの”って、結構世の中に多いんですよ。」
僕は思った。
──言葉の重なりが、人と人を繋ぐこともある。
そういう意味で言えば、この“会話”もまた、丁度いい“重複”なのかもしれない。
「まあ……その矛盾ってやつもさ。
突っ込むくせに、社会自体が矛盾でできてるんだから──
このくらいは、大目に見てやらないとな。」
僕は、台所をちらっと見ながらそう言った。
「そんな簡単な矛盾……すぐには見つからないなぁ。」
灯は、スプーンをくるくる回しながら一生懸命考えている。
「SDGs。」
僕は思いついたことを適当に言った。
メイちゃんはすると、
「社会人は時に、“矛盾”を“正しさ”へと変えて、
“正義”として振りかざします。」
「お兄さんって、たまに鋭いこと言いますよね。
──まあ、人間なんて“天動説”を信じてたくらいには傲慢ですけど。」
「えっと、“天動説”って……?」
灯が小さく首を傾げた。
「“地球が宇宙の中心”だって考えるのが、天動説。
でも今は、“地球が回ってる”──“地動説”が有力。
太陽が宇宙の中心にあるっていう考え方。」
「つまり、自分たちの“いる場所”を正義だとする。
……それは、“人”に置き換えることもできる。
人間って、誰もが“自己中心的”なんですよ。」
「……わからんでもない。」
僕は、わずかにうなずいた。
その瞬間、台所からコンロの“カチッ”という点火音が聞こえた。
会話と火が、同時に静かに始まっていた。
「とはいえ──もっと簡単な矛盾が、世の中には蔓延していますよ。」
メイちゃんがそう切り出した。
「……よく思いつくね。
私、頭よくないのかな……」
灯が小さくつぶやいた。
「学年で成績、五本の指に入る灯に言われたら……
僕なんてクマムシレベルだよ。」
「クマムシは、宇宙に放り出されても生き残れるんですよ。」
「……いや、そういう話じゃなくて。」
「ともあれ──“クマムシさん”、話を続けますよ。」
明らかに明後日の方向へ飛んだあだ名に、僕は小さくため息をついた。
「例えば、“犯罪”があるとします。
被害者は、トラウマを抱えたまま、事情聴取をさせられ、
嫌な思い出を何度も“再現”させられます。
事件解決のためとはいえ、彼らは“混乱状態”のまま、
証言を求められる。」
「まあ……事件解決となると、被害者に聞くのが一番、っていう
警察の言い分も、分かるけど。」
「──混乱状態の証言を真に受けて、
“真実”から遠ざかる話なんて、いくらでもあります。
たとえば、“痴漢”──どうでしょう。
“被害者の言葉”だけが証拠になるような体制、
矛盾しているとは思いませんか?」
灯が、静かに口を開いた。
「“被害者”って言葉のほうが、大きく見えるもんね。」
「そして、仮に“冤罪”が認められたとしても、
──“時間”は戻ってきません。
信頼関係も、人生も──おじゃんです。」
「……それは、確かに。」
「お金だけで“済まされる”って、おかしいんですよ。
泥棒しても、“商品を返せばOK”なんて、通用しないのに。」
「……ごもっとも、だね。」
灯は、腕を組んだまま、じっと考えていた。
部屋に、静かさが落ちた。
それはただの“沈黙”ではなく、
社会という名の歪みに触れた“無音”だった。
「ちなみに──お金繋がりで、少し脱線してみましょうか。」
メイが、話の流れをさらりと変えた。
「……これ以上、司法に喧嘩を売るのはやめてくれ。」
「一応、“お金繋がり”であり、“矛盾繋がり”です。」
「って……どういうこと?」
灯は、昔のゲーム機が起動しないときみたいな反応をした。
「──“不倫”ですよ。」
「これはまた……ドギツイ話を……」
僕は、思わず言葉が口をついて出た。
「まず、“人”というのは、“一人を愛する”という前提で作られていることは、分かりますよね?」
「……それは、そうだ。」
「生き物によっては複数の相手に好意を持つものもいますが、
──大抵の“高等動物”は、一つの個体を愛します。」
「うん。まぁ……確かに。」
「さて。これは私の“個人的な感想”になるので、信じなくても構いませんが──」
「話の空気が、変わってきた……?」
「──お兄さんの“両親”、したんじゃないですか?」
「……は?」
あまりに呆気ないタイミングで、僕の声が漏れた。
「“不倫”というものは、“逸脱した愛”です。
何らかの原因で、他の人を愛してしまった。
空気が変わったことを、もう一方は違和感として察知する。
そして──“証拠”を見た側は、そのショックで“消えた”のではないか、と。」
「……となると、
“片方が消えて”、もう“片方は残ってる”ことになるよな?」
「まさにその通りです。
──では、誰が“この家のお金”を出していますか?
おそらく、それは“残っている方”です。」
メイは淡々と、でも一言一言に熱を込めていた。
「──そして、“誰かが記憶を消した”。
……そうは、考えられませんか?」
「……それ、少し強引じゃないか?」
「“強引”な推理も、“仮説”としては有効ですよ。
あたしが“家に来た”理由──
“からかうため”と言いましたが、
……それとは“別に”。
“証拠を見に来た”んです。」
そのとき。
「できたよー!」
ひまりの声が、キッチンから響いた。
まるで空気を切り裂くような、日常の音だった。
「──2日目のカレーってさ、
栄養価は落ちても“美味しい”っていう、これまた“矛盾”に繋がるんだよなぁ。」
「……矛盾の話はもういいから。
兄貴、ご飯よそって。」
ひまりに怒られた。
「春樺ちゃん、ありがとね。
めんつゆで味付けしたから、もしかしたらちょっと味が濃いかもしれないけど……」
「なんで、僕にはそういうお礼が言えないのかな?」
「家族というものは、“お礼”を言わなくても──
“心”で通じ合うのだよ。兄貴。」
「……なんか、納得するかも!」
春樺は、すかさず笑顔で同意した。
「春樺ちゃんって、料理すごいけど──
将来の夢って、“調理師”にでもなるの?」
「んー?どうなんだろうね?」
「得意だからって、それが将来の職業になるとは限らないぞ。
──妹よ。」
「……得意なものでも、“責任”が生まれると、
それはもう“趣味”じゃなくなっちゃうよね……」
灯がぽつりと挟む。
「……それも、ある種の“矛盾”かもね。」
「──よしっ。
まあ、そんなことより、ご飯だご飯!」
ひまりは、勢いよく両手を広げて宣言した。
テーブルには、
同じ具材からできた──“違う名前”の料理たちが並んでいる。
その瞬間、全員の声が、ひとつになった。
「──いただきます!」
「──同じ具材でも、味が違えば飽きないよね。
とっても美味しい!」
灯は、満面の笑みをこちらに向けた。
「……灯ちゃん。いいことを教えてあげよう。」
「ひまり、変なこと言うなよ?」
「なんだよ、兄貴ぃ……
──それはともかく。」
ひまりは、ちょっと真面目な顔をして口を開いた。
「家族とか、好きな人っていうのは、
“毎日会っても”、少しずつ変わっていくもので、
──飽きないんだよ。
まるで、この料理と同じ。」
「……ふ、深い……!」
灯の目が、ほんの少し潤んだ気がした。
「実際、兄貴は──
灯ちゃんを救うために、“感情”っていう、
兄貴にとっては“未知なるOS”の導入に成功したからね。」
「……おいやめろよ。」
「お兄さんは、いつの間にか“救って”ましたね。
とはいえ、ゆっくり動いてた感じからすれば……
“タキサイキア現象”と呼んでも差し支えありません。」
「またメイちん、よく分からないこと言い出すなあ……」
「……危険なときに、時間がゆっくりに見えるってやつ、だっけ?」
「──そうです。
お兄さん、100点です。」
「……初めて“採点”で、嬉しかったよ。」
笑いと静けさが、ちょうどよく混ざった空気が、
食卓を包んでいた。
「……やっぱり、私よりも……みんなのほうが頭いいんじゃないかな?」
灯が、ふと下を向いてつぶやいた。
僕が声をかけようとしたそのとき──
ひまりが、自然に割って入った。
「頭の“良し悪し”が、すべてじゃないよ?
数字だけで判断する人生って、きっと“楽しくない”と思うんだ。」
ひまりの声は、真剣で、でもどこか温かかった。
「たとえば──
あたしは兄貴の前で“性教育推進動画”を見て、
その反応を“統計”取ってるけど──
灯ちゃんは、そういう“数字のための数字”じゃなくて、
“正しさ”を“数字に求めすぎ”だと思うんだよね。」
「……でもさ、実際、みんなの言ってることって、
なんかすごくて……つい、落ち込んじゃうんだよ。」
「趣味とか、感性とかって、“人それぞれ”でしょ?
あたしからすれば、灯ちゃんの“世界の見え方”を、
のぞいてみたいと思うよ?」
ひまりは、まっすぐに言った。
「もしかしたら──この世界が、
魑魅魍魎みたいに見えてないかもしれない。
“知らなくていい事実”と“知った方が身のためになる事実”。
それを見分けるのを、“命題”にすればいいんじゃないかな。」
「……やっぱ……ひまりちゃんって、大人だね。」
そう言いながら、灯は笑った。
「……ひまりも、たまにはいいこと言うな。
とはいえ──僕の“反応”を統計化するのは、看過できないが。」
「……あ、見る? 部屋にノートが……」
「おい本気でやめろ。」
「あはははっ!」
みんなの笑い声が重なった。
この日常は、きっと正解なんかじゃないけど──
間違いでも、なかった。
笑って、考えて、また笑って。
そんな会話が続くだけで、
日常は少しだけ豊かになる気がします。