自転車操業の子役とバター抜きスクランブルエッグ
コンビニという場所は、無数の“偶然”が交差する不思議な交差点だ。
何も起きない日常のようでいて、突然、過去の亡霊のような名前が現れる。
“原”という名前がその空気を変え、
“養護”と“擁護”の意味が交錯し、
真実と正義、感情と利益が、複雑に混ざり合う。
だけど、それでも人は笑い、朝はやってきて、
カレーを食べ、冗談を言って、誰かのことを好きになる。
これは、そんな“ねじれた日常”の中で、少しずつ進んでいく、
ひとつの家庭と、記憶と、優しさの話である。
──物語は、いつも生活のすぐ隣にある。
コンビニの客がいきなり知り合いだった場合──
それは、ホテル業界で言う“ウォークイン”に近いものかもしれない。
予告なく、あるいは準備もなく現れる存在。
だからこそ、実際にメイは、明らかに動揺していた。
「……こんな朝早くから……あの人って人は……」
「原さん、だっけ? どんな人なの?」
僕がそう聞くと、メイは明後日の方向を向きながら、ぽつりと語り始めた。
「多分、お兄さんの今後のために、言っておきますね。」
「……うん。」
「倫理観がなくて、正義感だけはある。
目標のためなら、多少のことはしてもいい──
そんなタイプの人です。」
「……ごめんだけど、回収人さんと似てるね。」
「回収人さんって、“マイルドな原”なんですよ。
養護施設があるって、言いましたよね?」
「……メイちゃんの古巣、か。」
「表では“養護施設”と名乗ってますが、
裏では“擁護”した子どもたちの情報を抜いている。
──そんな場所です。」
空気が、凍りついた。
「……え……」
「おかげで巷からは“コンフリクト”呼ばわりですよ。
私が抜けた後に、回収人さんから聞きました。」
「……なぜ、回収人さんは、原さんと……?」
「──じゃあ、もしあたしみたいな存在が増えたら、どう思いますか?」
「……?」
「表向きは、“行方不明者の発見”。国からは“補助金”。
本人は……“ハッピー”とまでは言いづらいけど、少なくとも“生きていける”。
ね? Win-Winでしょ?」
「……メイちゃんは、それでよかったの?」
少し間を置いて──メイは、静かに答えた。
「原よりかは、明らかに回収人さんに拾われてよかったと思いますね。」
その言葉には、憎しみも、感謝も、皮肉も──全部含まれていた。
「利害一致──って、便利な言葉が世の中にはあるんですよ。」
メイは、淡々と、でもどこか楽しげに話を続けた。
「……助け合い、ってことかな?」
「可愛く言えば、そうですね。
でも悪く言えば、“呉越同舟”です。」
「……否定できないな、それは。」
僕が少し苦笑すると──
「楠原くんに否定されないって、回収人さん、ちょっと可哀想かも。」
メイは、ほんの少しだけ、声を弾ませて笑った。
「それでも、回収人さんには……感謝してるんですよ?」
「……そう見えないんだけど!?」
「本当に感謝してなかったら──
あたし、今ここにいませんから。」
「……たしかに。」
そのやり取りのあと、
店内の自動ドアが、カランと音を立てた。
日常が戻ってきていた。
でも、その日常は、すでに少しだけ深い場所に沈んでいた。
「そういえば、店長って今日休み?」
僕がふと思って聞くと、メイが即答した。
「ええ。新婚旅行らしいですよ。
……全く、いいご身分なことですね。」
「えっ、あんな変な人でも結婚してたんだ?」
春樺が、無邪気な笑顔でとんでもない直球を放ってきた。
「変なのは同意するが……言い方ってもんがあるだろ。」
「“変人には変人がついて来る”──が、正しいですか?」
メイまで追い打ちをかけてきた。
それも知らない相手に対して堂々と。
「“類は友を呼ぶ”を、そんな悪意に満ちた訳し方するな。
ていうか、そもそも失礼って概念、知ってるか?」
「それはそうかもしれません。
でも、そもそも論──“他人の話をしている時点で失礼”じゃありませんか?」
「……そもそも論って、そこまで戻る!?
普通、もうちょっと手前で止まらない!?」
僕がつい声を上げると、
二人は目を合わせて──どこか楽しそうに笑った。
まるで、“悪友”という言葉が、最上級の友情であるかのように。
「人間って、面白いじゃないですか。
週刊誌で誰かの不祥事が出たら、
関係ない人までこぞって叩きにいく。
──あれ、人として滑稽だと思うんですよ。」
メイは、棚に商品を並べながら平然と言った。
「芸能界なら、イメージダウンとか色々あるんだろうけどさ。」
「勝手に築き上げたイメージを、
問題が起きた瞬間に叩き落とすって──
それ、もはや“アンチ”と同じじゃないですか。」
「……すごい言い草だな。」
「普通に考えてくださいよ。
その“イメージ”って、メディアが勝手に持ち上げただけなんですよ?
それを“常識”みたいな顔で押し付ける。
──マスメディアって、特に気持ち悪くないですか?」
「……わからなくもない。」
「“不祥事で違約金”とか言うくらいなら、
最初から“問題を起こさないAI”に宣伝させればいいんですよ。」
「……まあ、人気者がやると“持ち上げ効果”があるんじゃない?」
「それが、さっき言った“勝手に築き上げたイメージ”の話に戻るんですよ。」
「……論破されてしまった。」
メイは特に勝ち誇るでもなく、ただ棚のペットボトルの向きを整えていた。
その無表情のままの知性が、時折、世界を切り裂くのだ。
「まあ、それで子役なんて、自転車操業みたいなもんですよ。」
メイが、さらりと重い言葉を投げた。
「……というと?」
「成長したら、“はい終了”。
次は、新しい子を雇う。
少子高齢化社会でこんなこと続けてたら──
どうなるか、分かりますよね?」
「後釜が、いずれいなくなる……と。」
「しかも今はネット社会。
何かあれば叩かれ、
それを告発しようものなら“子役なんてやるもんじゃない”ってなる。
……まるでスケートと似てる。」
その瞬間、春樺の目が静かに揺れた。
「……うち、昔スケートやってたよ。
辞めた理由は……まあ、うん。」
「春樺、やってたんだ。」
「うん。スケートって、リスクが高いの。
一度怪我すると──それは、一生モノ。
だから、大人は子どもにそんな思いをさせたくなくなる。
結果的に、競技人口は減る。
……子役も、似たようなもんだと思うよ。」
春樺は、珍しく真面目な口調で言った。
「命を取るか、知名度を取るか──
……まるで、さっきの“自営業”の話みたいだな。」
僕はそう呟いた。
静かな朝のコンビニに、冷蔵庫のモーター音だけが響いていた。
……ある程度、時間が経てば、バイトは終わるもので。
「──10時。そろそろか……。」
僕は小さくつぶやいた。
「あたしも終わりなんですけど、家行っていいです?」
「……いいけど、なんで?」
「“おちょくる”という言葉が、日本人の辞書には存在します。」
「……なら、断る。」
「うちも行く!」
「断る。」
「よーし、メイちん! 二人で行こうね!」
「人の話を聞かないって、普通に“害”だと思うんだけど。」
そのとき、地下から声が聞こえた。
「バイト組ー、ちょっと下に降りてこい〜。」
回収人さんだった。
「はい。」
3人で地下室に向かう。
「どうしたんですか?」
「うちまで呼ぶって……」
回収人は煙草に火をつけ、静かに答えた。
「原から連絡があってな。
“有望な人がいるなら、ぜひとも使え”──と、そういうことらしい。」
「……まるで、奴隷じゃないですか。」
「違う──。
ちょうど少年、君の両親の探索の件だが、原に話したところ……進展がありそうだ。」
「……なんか、あの人に知られるって、ちょっと怖いというか……」
「個人情報なんて、すぐに漏れるのが現代社会さ。」
「……説得力、ありますね。」
「さて。問題は、“どうやって両親を救うか”──なのだが。」
「そこ、一番気になりますけど……
まさか、以前と同じような手段じゃないですよね?」
「それはない。だが──
“消えた原因”を調べる必要がありそうだ。」
「……怖いな。」
「とはいえ……今は。」
そう言って、回収人さんはまた一本、煙草に火をつけた。
その表情は、少しだけ疲れて見えた。
「──上がっていい。
主に、春樺君。君も巻き添えになる……ということさ。」
「は、はい……。」
春樺は珍しく、ほんの少しだけ顔を引きつらせていた。
「失礼します。」
僕たちは、静かに地下室を後にした。
外に出ると、空気はすっかり昼の匂いになっていた。
「……家、来いよ。」
その一言には、照れも誘いもなかった。
ただ、“助けてほしい”という気配が、うっすらとにじんでいた。
「断られても行く気だったけどね!」
春樺は、すでに元気だった。
「……2人共、起きてるかな?」
「流石に……とは、保証しかねるが。」
「主にひまり、ですね?」
「御名答。」
「でも、灯ちゃんがいるなら起きてるんじゃない?」
「だから、“保証しかねる”なんだよ。」
そんな会話を交わしながら、
僕たちは昼の街を、家へ向かって歩き出した。
「……で、だ。
本当に“弄り倒す気”だったのか?」
僕が問いかけると、メイは即答した。
「あたし達は、“嘘”という──
理解不能な文明の産物は使いません。」
「そこは理解してほしかった場面の一つなんだけどな……」
「……あの、僕の身の回りに“敵”しかいない気がするんだけど?」
「味方だからこそ、素になって弄り倒せるわけですよ?」
春樺が、どこか楽しそうに言う。
「真正面から、味方であってほしかったな……」
「真正面だろうが、斜め上からだろうが。
“味方”には変わらないじゃないですか。」
「……はぁ。」
僕がため息をついたそのとき──
ちょうど、家が見えてきた。
「ただいま。」
「おじゃまします〜」
「ご無沙汰でーす。」
玄関を開けると、いつもの声が出迎えた。
「お、兄貴ぃ……ここを“ハーレム王国”にでもするつもりかい?」
ひまりが、ソファの上からニヤリとこちらを見た。
「やめてくれ。そんな国、建てる気はない。」
「……灯は?」
「まだ寝てる。
あ、ちなみに──スクランブルエッグ、バター入れたら美味しいよ。ご馳走様。」
「……急いでたから忘れてたわ。
てか、ほんとに寝てるのか。」
「灯ちゃんなら、布団に抱きついて、ぐっすり。」
「──全員で、見に行きましょう。」
「……鬼か。」
「いいえ、“人間”です。」
メイは、まるで生真面目な研究員のような口調でそう言った。
日常が、少しだけ傾いた角度で回っている──そんな昼だった。
「……僕だけが、見に行く。
だから、お前たちはここで待っててくれ。」
独占力。
──そんな言葉が、ふと頭をよぎった。
「……あれ? 彼氏の顔してる。」
春樺が、ニヤリと口角を上げる。
「兄貴はね、ああ見えてムッツリなんだよ。
あ、メイ。新作のコスプレ子孫繁栄動画、どう?」
「私は興味ない。それ、お兄さんにでも渡したら?」
「最近さ、構ってくれないんだよ……
灯ちゃんのことばっか考えやがって。
もう少し、妹にも構ってくれてもいいと思うんだよ。」
「ひまりちゃんも、そういうこと考えるんだ!」
そのとき──階段を上がりかけていた僕が振り向いた。
「……お前ら、全部聞こえてるからやめろ。」
部屋に、笑い声が溶けていった。
僕は、自分の部屋の前に立った。
コン、コン。
「……灯。起きてるか?」
「ん……」
くぐもった返事が返ってくる。
「入るよ?」
ドアを開けると、布団に包まれた灯が、ゆっくりとこちらを見た。
「おはよう、灯。」
「あ……おはよう……。
すっごく……寝た気がするの。」
「もう、昼前だからな。」
「えっ……ええええ!? 昼前!?」
「バイトの二人が、“灯に会いたい”って言ってたよ。」
「えぇ……メイクしなきゃいけないのに……! どうしよう……!」
「……マスク、くらいするか?」
「……う、うん……。」
「あと──スクランブルエッグ、作ってあるから。
……冷めてるけど。」
「葵くんが……作ったの?」
「バイト前に、ね。
ひまりには、“バター入れたほうがいい”って言われたけど。」
「でもさ──気持ちが一番大事なんだよね。」
「……美味しくないかもしれないけどさ。」
「気持ちがこもっていれば、100点!
……降りるよ。」
「……マスク、取らないと食べられないけど。」
「それよりも、葵くんの気持ちのほうが大事。」
「……そんなもの、かなぁ。」
僕は、思わず小さく笑っていた。
人との距離って、いつも一定じゃない。
近づいたと思ったら、少し遠ざかったり、
踏み込みすぎたと気づいて、慌てて戻ったり。
でも、そうやって不器用に関わるうちに、
少しずつ「家族」や「仲間」って呼べるものが形になっていくのかもしれない。
誰かの名前に怯えて、誰かのためにスクランブルエッグを焼いて、
冗談を言い合って、眠って、また起きて。
そんな繰り返しの中に、僕たちの“物語”は静かに積もっていく。
この一話も、そのかけらのひとつです。
──次も、日常の隙間にて。