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君たちの両親は、ここにはない  作者: コトカリ。
メメントという言葉に両親は存在しない
5/7

シミュレーションゲームは高級志向品

「当たり前の家庭」を、僕は知らない。

だからこそ、知ろうとしている。

自分にとっての“家族”が何なのか、

どこまでが真実で、どこからが欠落なのか。


静かな朝と、ふいに出会う“名前”。

小さな違和感が、やがて世界を動かしていく。

これは、そんな静かで騒がしい朝の物語。

──何を思ったのか。

僕の部屋には、今、布団が3つ敷かれている。


それが意味することは、ただひとつ。


「葵くんとひまりちゃんが隣同士にいる!」


灯の言葉が、暗闇の中で弾けた。


「なぜ、そうなる。」


「兄貴ぃ……春だねえ。」


ひまりが、どこか意味深に言う。


「今は初夏だ。」


「ひまりちゃんってさ……下ネタ、好きなの?」


電気を消した部屋の中。

多分、顔を赤くしたであろう灯が、探るように尋ねる。


すると──ひまりは、迷いなくこう返した。


「“下ネタ”という一括りで、“子孫繁栄行為”を表現してほしくはないんだよ。

人がここに存在しているのは、先人たちの“営み”のおかげであって、

恥じらうことをやめるべきだと、あたしは思うんだよ。」


「……申し訳ないが、“春”から“下ネタ”に飛躍するのが、意味が分からない。」


「なんか……現代社会に対して喧嘩売ってない?」


灯の鋭いツッコミが、夜の空気を軽く弾いた。


──3人の影が、天井の明かりの残像の中で、微かに揺れていた。


さて。

疲れているときの人間は、例外なくノンレム睡眠に徹する生き物である。

そして──僕もその例に漏れず、夢ひとつ見なかった。


……別の部屋で。


なぜかと言えば、理由は単純だ。

アラームが朝早く鳴るのを、二人に聞かせたくなかったから。

変な感情があったわけじゃない。

でも、“隣で寝ている誰かが寝にくい”という状況が、

どうにも僕は、少しだけ嫌だった。



ピーッ。


朝方の、4時半。

まだ世界が寝ている静寂の中、アラームが鳴った。


「……少し、二人の様子でも見てみるか。」


小声でそう呟いて、僕はそっと部屋を覗く。

ひまりは、布団を完全に蹴飛ばして、

灯は、小さく縮こまって、毛布の端を握っていた。


──朝くらい、何か作ってやるか。


まだ眠気の残る鬱らとした目をこすりながら、

冷蔵庫の卵と牛乳を取り出す。


いつもは自分のためだけに作っていたこの動作が、

今日はほんの少し、意味を持って感じられた。


静かなキッチンに、スクランブルエッグの焼ける音がやわらかく響いていた。


土曜日の早朝は、平日とは違う静けさに包まれていた。

学校が休みということもあり、空気はひんやりとしていて、街はまだ眠っている。


自転車のペダルを踏みながら、冷たい風を斬ってバイト先へ向かう。

きっと女性なら、風に舞う髪が綺麗に見えるのだろうが──

あいにく僕は、そこら辺の男と変わらぬ短髪である。

そして、いつも通りすぐに店に着いた。


「おはようございますー。」


「お兄さん、髪の毛ボサボサです。」


「風がすごくて……ていうか、そういうこと言わないでくれる?」


「メイちんは楠原くんに冷たいねぇ~。あっ、おはよう!少年!」


「情報量が多すぎる。あと、回収人さんのモノマネやめて。」


春樺もメイも、いつも通りだった。

その“変わらなさ”に、少しだけ安心する自分がいた。


「お兄さん、ちゃんとデート行ってます?」


「ま、まだだけど……」


「はぁ……これだからお兄さんは。

出されたご飯を食べずに外食に行くレベルの非常識ですよ?」


「いや、例えがおかしいから。

っていうか、バイト終わったら眠くなるんだよ。人間だもの。」


「メイちんはド直球だねぇ。でも賛成!

デート行かないとか、理解できないレベルだよ~!」


「はぁ……僕には味方がいないのか。」


そんなやり取りを挟んで、僕はようやく本題に戻る。


「あ、そういえば──回収人さんに、ちょっと話したいことがあるんだけど。」


「ん? どうしたの?」


「家族の話について、なんだ。」


その瞬間だけ、春樺とメイの表情が、ほんの一瞬だけ静かになった。


ドアをノックして、地下室へと足を踏み入れる。

少し冷たい空気が、肌を撫でた。


「……あの、少々よろしいでしょうか。」


「ん? 少年。どうしたんだい?」


回収人はそう言って、新しい煙草の箱から一本を取り出し、火をつけた。

紫煙が、ゆっくりと宙に溶けていく。


「……僕の、家族についてです。」


「ほう……」


回収人の目が、煙の奥でわずかに細められた。


「少年も、変わったものだねぇ。

“家族”──そこに、違和感を感じたのだね?」


「僕には、両親という“常識”であり、“普通”がない。

それに、ようやく気づいたんです。」


「……フーッ。」


回収人の吐いた煙が、細く、まっすぐに空へ上っていく。


「“抜け殻”なんじゃないか……そう思っているのかい?」


「はい。

妹の作文を読んで、灯からも心配されて……

気づかないふりが、もうできなくなってきて。」


「そうかい。……時に少年、ジャンプを知っているかね?」


「え? 支払期限の延期とか……そういう意味ですか?」


「当たりだ。

手形ジャンプ、債務の先延ばし。

闇金業界でも、よく使われる言葉さ。」


また一本、煙草を取り出しながら、

回収人は静かに続けた。


「人の関係も、後回しにしすぎると──消えてしまうかもしれない。

私の持論だがね。」


「……難しい話ですね。」


「感情論さ。

例えば、家族を“後回し”にしていたとする。

その張本人は、何らかの形で──“消える”。

そんな気がしてならないんだよ。」


「……メイの話に、似てますね。」


「まさにそうだ。

とはいえ、“ジャンプ”という言葉がただの業界用語だった可能性もあるし、

そうじゃない意味が込められていたのかもしれない。

そういうことさ。」


「……なんか、難しい話ですね。」


「難しい話しかしてないからね、私は。」


回収人はそう笑いながら、ふと真顔に戻った。


「少し調べてみようと思うよ。

“真奈美”と“裕也”──それが現時点での、唯一の鍵だ。

……“原”に、少し連絡を取ってみる。」


その名前を聞いた瞬間、

胸の奥に、また“ズキン”と振動が走った。

記憶が暴れようとして、

それを無意識が必死に押し戻そうとしているような──そんな感覚だった。


回収人さんとの会話を終えて、

僕は再び“表の仕事”──コンビニの世界へと戻ってきた。


「ふぁああ……春眠暁を覚えず、だねぇ。」


春樺がレジに肘をつきながら、欠伸をかみ殺す。


「まあ、その気持ちはわかりますけど……目の前の仕事をしてから寝てくださいね。」


メイは今日もビシッと真面目だ。


「とりあえず、トイレ掃除してくるよ。」


「それはもう、私がやっておきました。

感情を持つ生命体であるならば──私に感謝することです。」


確認すると、トイレ掃除チェック表には、すでに“完了”のサインが記されていた。


「ありがとうな。

……って言い回し、ほんと独特だよな。」


僕もようやく、メイの回りくどい敬語メタ発言を

スルーできるようになったらしい──これも一つの“成長”かもしれない。


「では次は、商品陳列です。

本当はゲームのように、自動で並んでくれたらいいんですけど。」


「ドイツのシミュレーションゲームって、自分で陳列するからなぁ。」


「ドイツ人って、面白いですよね。

仕事を終えて“ゲームをやるぞ!”ってなった結果が“経営ゲーム”なんですから。」


「経営と、雇われてる身分じゃ……また感覚も違うんじゃない?」


春樺が唐突に話に割り込んできた。


「でも、下っ端の人でも社長になってみたいものだよ!

楠原くんだって、ここのオーナーになってみたいんじゃない?」


「なりたくない。」


一刀両断だった。


「……え、えぇー!?」


春樺の声が、朝のコンビニに元気よく響いた。


「趣味が“経営”って人、多いのに、

実際に自営業やってる人って少ないですよね。」


僕がふと漏らすと、メイが即座に答えた。


「まあ、あくまで“趣味”ですから。

実際にやってる人は、日本では約9%程度です。」


「やっぱ、自営業ってリスキーなんだよなぁ。」


「まさに命がけですね。

この国の社会構造の中では、“挑戦”は高リスクですから。」


「社会的に終わるか、命を終わるか……みたいなものか。」


「そうですね。選択肢が少ないって意味では、どっちも“終わり”です。」


その言葉に、春樺が少し顔をしかめていた。


「……怖い話だなぁ。

でも現実って、だいたい怖いよねぇ。」


ピロンッと、レジ横の通知が鳴った。


「あ。お客さんです。

接客業の本業──行ってきてください。」


「メイちゃんもだよ。」


僕がそう返すと、メイも微かに頷いた。


そして──


「いらっしゃいませー。」


3人の声が、タイミングを合わせるように重なった。


「フライドチキンと、ハッシュドポテトを。」


その女性は、淡々と注文を告げた。

年の頃は、五十代前半くらいだろうか。

落ち着いた声の裏に、何か深く沈んだものが感じられた。


「少々お待ちください。」


商品を準備しながら、ふいに声がかけられた。


「……あなた、高校生、よね?」


「……あ。まぁ、そうですね。」


「こんな時間に、偉いわね。

……私の息子は、堕落してるの。」


急に落ちてきた言葉に、返し方が分からず、

僕はとりあえず言葉を選んだ。


「人それぞれですから。」


それはあくまで、接客業としての距離感だった。


「夢を追って、失敗して、廃人同然になってる。

……それを見るのが辛くて、私も、心を病みそうな毎日で。」


言葉が、目の前で崩れた。


「……ごめんなさいね。朝から、こんな話。

見ず知らずの高校生に、つい話しちゃって。」


「……人生、プラマイゼロだと思うんですよ。

落ちたら、あとは上がるだけ。

僕も、好きでバイトしてるわけじゃないです。

自分の考えを変えるために、やってるんです。」


女性の目が、わずかに揺れた。

その一瞬の隙間に、言葉が落ちてきた。


「……明るいのね、あなた。」


そして──


「最後に、言っておくわ。

私、この店の“回収人”を名乗る人と、知り合いなのよ。」


「……え?」


「“原”よ。」


そう言って、顔をゆっくりと斜め前に向ける。


「メイ。頑張っているわね。」


「……お久しぶりです。」


その瞬間、

冷蔵ケースのガラス面に、何とも言えない沈黙が映り込んでいた。


あまり良くはない空気が──確かに、流れていた。


「すみません、526円です。」


「……申し訳ないわ。忘れてたわね。

あと──75番もお願い。」


「かしこまりました。……それでは、963円です。」


「このご時世、“煙草”ってもう高級志向品に化けてるのよね。

カードでお願い。」


ピッという決済音が鳴る。


「ありがとうございましたー。」


3人の声が、自然に重なった。

原さんは軽く頷くと、ゆっくりと店を後にした。


「……あの人が、“原さん”か。」


「どうかしたの?」


春樺が首をかしげる。

どうやら、先ほどの空気を掴みきれていなかったようだ。


「昨日話してた、“名前”の関係者みたいなもんだよ。」


「へえ……そうなんだ!

世の中って、狭いねぇ。」


「街中に行けば、テレビに出るような有名人が

その辺にふらっと転がってますからね。」


メイが、事もなげに言う。


「……いや、こんな田舎じゃさすがに違うと思うけど。」


「村の濃密な近所付き合いも、

都市の中で有名人を見かけるって感覚も──

まとめてしまえば、“同じ現象”ですよ。」


「……そんなもの、かな。」


僕はどこか曖昧に返しながら、

原という名の、その人の背中を思い出していた。

名前を聞いただけで、心がざわつくことがある。

それは記憶か、感情か、それとも何かの予感か。


今回の物語は、まだ“始まり”の途中。

答えはまだ遠く、でも、手がかりは確かに手の中にある。

少しずつ、静かに、真実へと歩いていく準備はできている。


――きっと、もう後戻りはできない。

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