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君たちの両親は、ここにはない  作者: コトカリ。
プリマナチュールがある未成年しかいない家
1/7

パラダイムシフトと両親と恋人。

「当たり前」は、いつから「疑わないこと」になったのか。

空気のように信じていた日常が、ある日、音もなくひび割れる。

これは、“パラダイムシフト”という名の違和感から始まる、僕たちの再構築の物語。

「パラダイムシフト」という語がある。

現代においてそれは、ある一定の枠組みにおいて普遍的とされていた認識が、ある日突然、根本から覆されることを指す言葉として流通している。


たとえば、天動説から地動説への転換。

あるいは、空気が見えないからといって、存在していないとは言い切れないことを知った日。

あるいは、「好き」という感情が、ただの化学反応では片づけられないと知った時も、ある種のパラダイムシフトだと言えるのかもしれない。


ならば、「抜け殻現象」もまた、それに近い。

ある日、誰かが消える。世界から、記録から、人々の記憶から、完璧に。

しかし、僕はそれを知っている。知っているからこそ、疑わなかった。「僕の感情の変化」として処理してしまえば済む話なのだと。

だが、それで済むのなら、そもそもこの物語は必要ない。


ともあれ今は、昼休みだった。

午後の授業という現実の中断を前に、誰もがそれぞれの“仮初めの自由”に手を伸ばす。

弁当箱を広げる者、食券を握りしめて小走りに購買へ向かう者、あるいは──静かにひとりトイレの個室で時間をつぶす者。

この学校という小さな世界の昼休みには、見えない格差と、見て見ぬふりが同居している。


僕はと言えば、灯とともに、屋上へと足を運んでいた。

風が強すぎない程度に吹き抜ける場所。誰にも邪魔されない、でも世界の端っこにいるような、そんな場所。


「ねえ、灯。」


「ん?どうしたの?」


青空は、無遠慮に美しかった。心の準備ができていない僕たちにとって、それは時に暴力だ。

そんな空の下、僕は少しだけ不躾な問いを投げた。


「僕ってさ、特別目立つほうでもないじゃん?……そんな僕の、どこが好きなの?」


“なぜ好きか”という疑問は、もしかすると“好き”を壊す行為なのかもしれない。

だがそれでも、知りたかった。


灯は、少しだけまぶしそうに目を細めながら、言った。


「好きってさ、理由あるのかな?……いや、たぶんあるんだろうけど。ちょっとした気遣いの積み重ねとか、話してて心地良いとか、そういうの。」


「でもね、私にもよくわかんないの。ただ、そういうもんだと思ってる。

好きっていうのは、たぶん、“わからないけど、ある”ってことでしょう?だから──勘違いしないで。」


最後の一文に、必要以上の圧を感じたのは、気のせいだったのだろうか。

まるで、自分の想いを先に証明しておかないと、何かが壊れてしまうかのように。


「…そんなもんか。」


僕は、そう呟いた。

でも本当は、少しだけ分かる気がしていた。

人の気持ちを気にし始めて、初めて“好き”とか“寂しさ”とか、そういう名前のついた感情が、自分にも備わっていると知った。



「ねえ、今日──家行ってもいい?」


灯が、何気ない声で言った。


「いいけど…ひまり、うるさいぞ?」


「いいのいいの。あと、親御さんに挨拶したくて。」


「……親、御さん……?」


その瞬間、頭の奥で何かが軋む音がした。


「そう、ほら、彼氏の家に行くなら、ちゃんとご挨拶しなきゃって。」


「え……そんなこと……」


言いかけて、口が止まった。

なぜなら“思い出せなかった”のだ。

僕の家には、誰がいた?

僕を育てたのは、誰だった?

ひまりがいる。それは確かにいる。でも──それ以外は?


「……ご、ごめんね。挨拶はまた今度で!今日は普通に遊びに来るって感じで!」


「うん、了解。ま、家隣だしね。」


そう言って笑う灯の顔が、なんだか、やけに現実的だった。

逆に、僕の方がこの世界から乖離しているような、そんな感覚。


「ねえ葵。親ってさ、いるのが普通なんだよ。たぶん。」


そう告げた彼女の声は、青空よりも冷たく、

そして、僕の記憶よりもずっと鮮明だった。


さて。あれからというもの、バイトにも手馴れ、灯との関係にも妙な起伏はなかった。

いわゆる「普通」と呼ばれる状態に、僕たちは足を浸していた。

──もっとも、その「普通」という言葉自体が、最も不自然な幻想だったのかもしれないが。


季節は、初夏。

──とカレンダーが告げていたが、肌にまとわりつく湿気と空気の熱量は、既に名実ともに“夏”を主張していた。

きっとこれも地球温暖化の副作用だろう。時代の進歩と人間の愚かさの合作である。


教室の隅では、据え置きの扇風機が一台、ぶうんぶうんとやる気のない音を鳴らしていた。

いや、それは“空気の循環装置”であって、“涼風発生器”ではない。

つまり何が言いたいかというと、暑い。授業に集中できる気温ではない、という話である。


窓際の席で思わず呟いた。


「あっつ……」


すぐさま、教壇から声が飛んできた。


「おい、楠原。こっちも暑いんだ。我慢しろ。」


それが教師としての理論武装の限界なのか、彼はそれ以上の言葉を足さなかった。

職員室の冷房が、今日も快調に回っていることを僕は知っている。多分、彼も知っている。


「はい、すみません。」


反射的にそう返したが、内心では納得などしていない。

理不尽という言葉を、夏のせいにして流し込んだ。


周囲の笑い声が、かすかに教室の温度を下げた気がした。

──気がしただけかもしれないが、それでも、悪くない。

気づいてる方といらっしゃるとは思いますが、前作「君たちの名前は、ここにはない」の続編になります。

以前の作品の伏線をここで回収しようと思っています。


気づいてしまった違和感。

触れてしまった感情。

それは、“君たちの名前は、ここにはない。”という物語の、その先にある問いかけでもあると思います。


では。

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