4.父と婚約者(後)
カポッ、カポッという蹄が石畳を打つ音を背景に、人通りの多い街の中を一台の馬車がゆっくりと通り抜けていく。
馬車の窓から差し込む陽射しがぽかぽかと暖かい。
「ー⋯いい天気だ。今日の茶会は庭でするのもいいかもしれませんね」
ふかふかのシートに身体を預けながらそうのんびりと話す壮年の紳士の言葉に、イーサンは馬車の窓から外に目を向けた。白い雲が浮かぶ青空と軒下に飾られた色とりどりの花がよく映える。
イーサンは「そうですね」と頷くと紳士に目を戻した。
目の前に座るベネット伯爵ルーカス・キャンベルは普段通りに見えた。少なくともイーサンが想像していたよりも冷静に見える。
「ショッピングはもうよろしかったのですか?茶会の時間までまだ余裕がありますし、終わるまでお待ちしていますよ?」
「⋯構いません。ちょうど終わったところでしたから。というか、話ならばこの後でもよかったのでは?」
「娘に会わせる前に話をしたかったのですよ」
片眉を上げて問うイーサンにルーカスはにっこりと微笑んでみせた。イーサンは暗に『今でなくてもいいだろう』と嫌味を混ぜたが、気づかれた上でかわされてしまったようだ。
「ここ数日はお互い忙しかったでしょう?腰を据えて話をする時間もありませんでしたし。それにこうでもしないと公爵様はなんだかんだと理由をつけていつまでも私を避けそうでしたから」
「ー⋯それで話とは?」
あからさまに話を反らしたイーサンにルーカスは「やっぱり」と呆れる。
ベネット伯爵ルーカス・キャンベル。
父親の親友であり、婚約者の父親でもある。
家族思いで有名で、性格は温厚。周りの評価としては、伯爵としての能力は並で、可もなく不可もなく。良くも悪くも目立たず、かといって無能ではない。地味で堅実。毒にも薬にもならないとそう自然に周囲に思わせることに成功した男。
それがイーサンのルーカスに対する評価だ。
貴族としての誇りや見栄よりも家族の平穏や幸せを優先してきたルーカスの長年の努力を、仕方がなかったとはいえ一瞬で台無しにしてしまった罪は重い。
オリヴィアとアンディが婚約を解消するように働きかけたのはイーサンだ。
イーサンはカトリーヌの異常な執着心に虫酸が走るほどうんざりしていたが、それを逆手に取ってカトリーヌとアンディを罠に嵌めてやった。殺してやろうかと思うほど忌々しく思っていた二人が最後には役に立ったのだから長年耐え続けた甲斐があったというものだろう。
邪魔な二人を排除してオリヴィアの婚約者に収まったとき、あまりに簡単に自分の思い通りに進むものだから逆に心配になったほどだ。
おそらく、イーサンの父は今回の騒動についてイーサンが裏で手を引いていたことに気づいているだろう。
何かとイーサンを気にしていた父だ。直ぐに気づいたに違いない。
しかし厄介なことは、父とルーカスが親友同士なことだった。
父の性格を考えると恐らく既にルーカスにも伝わっていると考えたほうがいい。
となると、ルーカスは娘の婚約を邪魔したのがイーサンだと気づいているということだ。
ルーカスにはイーサンを恨むだけの理由がある。イーサンを嫌うだけの理由が!
『ー⋯彼が悪いわけではないことは理解っている。だが、頼む。イーサンを金輪際娘に関わらせないでくれ』
イーサンは、遠い昔にルーカスに言われた言葉を思い出した。正確に言えばイーサンにではなく父に向けて言われた言葉を盗み聞きしたのだが。
そしてその日から今日まで、イーサンとオリヴィアが会うことは無くなった。時折舞踏会で遠目にちらりと姿を見ることはあったが、それだけだ。
「敏い貴方のことだ。私に責められるとお考えだったのでしょうがそんなつもりはありませんよ。ただ、幸せにしてやってくれと⋯そう伝えたかっただけです」
ルーカスは目を細めてイーサンを見た。
その瞳には穏やかながらも冷たい怒りを感じる。
彼はやはりイーサンのことを恨んでいるのだろう。
「今回の騒動に貴方が関わっていることは察してはいますが、深く詮索するつもりはありません。ただー⋯」
イーサンとルーカスとでは身長に多少差があるが、座ると目線は殆ど同じだ。2人の視線が空中でばちりと交錯する。オリヴィアと同じヘーゼル色の瞳にこちらを冷たく見据える自分の姿を見た。
「貴方の勝手な都合で私の娘の未来を変えてしまったことを努々忘れないで頂きたい。私はオリヴィアに穏やかな人生を送ってほしいと思っていました。派手な生活も苦労も彼女には必要ない。少し退屈なくらいでいいから、ごく普通に結婚して幸せに暮らしてくれたら良かった。その点で言えばアンディ・エバンズ君は私の理想にぴったりの結婚相手でした。少なくとも、今までオリヴィアは何かに煩わされることなく生活できていましたから。ー⋯ですが、それも貴方と結婚してしまえば叶わなくなるでしょう」
「⋯⋯⋯」
「公爵夫人としての役割はきっとオリヴィアを苦しめる。綺羅びやかな社交に公爵夫人として相応しい振る舞い、所作。ただでさえ貴方の婚約者というだけで理不尽なやっかみを受けるだろうに、今回は経緯が経緯ですので周囲の目はさらに厳しくなるでしょう。謂れのない中傷や噂、もしかするとあの日のように命の危険に晒されることだってあるかもしれない」
苦しげに眉を顰めるルーカスから目を逸らすようにイーサンは瞼を伏せた。
その可能性がない、とは言い切れない。
解っていてそれでもオリヴィアと結婚したい。身勝手だと罵られても仕方がないと理解っているからこそ、ルーカスの気持ちが痛いほど分かった。
ルーカスは感情を吐き出すように細く息を吐き出すと、諦めたように緩く首を横に振った。
「先ほど申し上げたように責めるつもりはありません。ただ、私の気持ちを正しく理解してもらいたかった。⋯どうか、娘を幸せにしてやってください。傷ついたとしても最後には『貴方と結婚して幸せだった』と言えるように」
「ー⋯誓います。私の全てに賭けて、彼女は幸せにする」
真っ直ぐに答えるイーサンにルーカスは複雑な表情を浮かべた。なにやら口の中で言葉を探すと、先ほどよりも柔らかな口調で話しかける。
「君も幸せになってくれ。ウィリアムの息子だからというだけじゃない。いろいろと言ってしまったけれど、私自身君のことを気にかけているんだよ。でなければオリヴィアとの婚約を許すはずがないだろう?」
「ー⋯有難うございます」
「うん」
安心したように微笑むルーカスに幼い頃のオリヴィアの笑顔が重なった。お人好しなところは親子だなと実感する。
馬車は街を抜けて郊外に差し掛かる。
「あぁ随分と話し込んでしまったみたいだね。ここまで来れば邸までもう直ぐだよ」
ルーカスが窓の外をみながら楽しげに言った。
イーサンも釣られて窓の外に目をやる。
青空の下、若い緑が色鮮やかに輝いている。遠くの方、木々の隙間から白い邸がチラチラと見え隠れするのが見えた。
イーサンが今よりも大分小さい頃。オリヴィアと会うのを禁止されて数カ月くらい経ったころだっただろうか。オリヴィアに会いたくて、でも会えなくて。こうやって遠くの方から彼女がいるであろう邸を眺めたことがあった。
懐かしくなって思わず目を細める。
「ー⋯やっとここまできた」
気づいたらそう口にしていた。
眩しそうに景色を眺めるイーサンの横顔にルーカスは一瞬驚きに固まったが、すぐに諦めたように微笑んだ。
もしかしなくとも自分は色々と難しく考えすぎたのかもしれない。歳をとると疑り深くなると言うが本当だったらしい。
可愛い娘が傷つく姿を見たくないと過保護になり過ぎてしまった感はある。あくまでも彼らの問題だと言うのに、親が口を出し過ぎてしまえば子どもたちは自由を失うというのに。
(本人は気づいていないんだろうなぁ)
子供みたいにきらきらと陽の光を反射させている瞳はあの頃みたいな硝子玉ではなく、深い理性を感じる。
ルーカスの視線を感じたらしいイーサンがこちらをみた。
目が合ったその美しい青色の瞳には穏やかに笑うルーカスが映っている。
「きっとオリヴィアは慌てるだろうなぁ。なんせまだ約束の時間よりもかなり早い」
「驚かせてしまったらその時は心から謝罪します」
「知っているかい、イーサン。女性に詫びるときに手ぶらなんて以ての外だ。花の一つでも渡さなくては。これは人生の先輩からのアドバイスだよ」
「肝に銘じます。⋯途中で花を摘んでも?」
「そうしよう」
男たちは生真面目に頷きあった。
顔を見合わせ、少しの沈黙ー⋯。
ついに堪えきれなくなったルーカスが思わず吹き出して声を上げて笑うと、イーサンも口元を綻ばせて、御者に伝えるべく連絡窓を軽く叩いた。




