3.父と婚約者(前)
透明、白、緑、黄、青、紫。
光を受けてきらきらと輝く宝石達はどれも曇りや翳りが一切ない最高品質のものばかりなのだがー⋯。
宝石店の店主は、かっちりとした木箱の中で艷やかな絹の台座に鎮座する宝石達をじぃっと見つめたまま固まっている目の前の紳士をそっと盗み見た。
均整のとれた体躯に整った容姿。難しく眉を顰める様でさえ絵になるような紳士には、きっとどんな宝石でも似合うだろう。
店内がいつもより浮ついて思えるのはきっと気の所為では無い。彼の他にも数人の客がいるのだが、皆んなチラリチラリとこちらを窺っている。
店主は難しい顔で悩み続けている目の前の紳士、イーサン・アディンセル公に努めて礼儀正しく話しかけた。
「随分と悩まれておりますが、何か気になる点でも御座いましたか?」
「⋯いや、どれも素晴らしい品ばかりだ」
「それはようございました」
店主は柔和な笑みを崩さずに言葉を続けた。
「何かお悩みでしたらお手伝い致しますが」
「⋯そうだな⋯」
沈黙が落ちる。
再び考え込んでしまったイーサンに店主は「これは長くなりそうだ⋯」と腹の虫が鳴るのを必死で我慢した。
時刻は昼過ぎ。朝ご飯を食べて以降まだ何も口にしていない。歳を取るにつれてぽっこりと出始めた腹が切なく泣いている。
それにしても、と店主は独りごちる。
これ程美しい人に思われるとは何とも羨ましいことだ。
顧客に貴族が多いこともあり、店主は彼が最近ブラング公爵令嬢との婚約を破棄し、さらには別の令嬢と新たに婚約したことを知っていた。
以前ブラング公爵令嬢と婚約していた時から彼はこの店を懇意にしてくれていたが、実はこうやって彼が直接店に足を運んでくれるのは初めてだったりする。
いつも彼の侍従を介していたので、店主は初めて『グロウドリー公爵イーサン・アディンセル』という人物を認識した。時折他の顧客から聞く世間話などから彼が美しい人だとは聞いていたが「成る程」と心の中で頷く。
艶のある銀髪に涼やかな切れ長の瞳、それを縁取る長い睫毛。薄い唇に形のよい鼻。ともすれば中性的ともとれる顔立ちだが、鋭い視線や高い身長に服の上からでも分かる引き締まった筋肉、落ち着いた雰囲気が彼が立派な男性であることを知らしめている。
硬い口調と無表情から冷たい印象を受けるが、それがまた不思議と魅力に感じるのだから凄い。
店主は再び「成る程」と心の中で頷いた。
そんなことを考えられているとは知らないイーサンは、やっと睨むように見つめていた宝石たちから顔を上げた。
「⋯すまないが、店主。これと同じ品質のオパールをもう一つ貰えるだろうか」
「畏まりました。しかし、店にあって今お渡しできるものこれだけになります。二つとなると数週間お待たせすることになりますが宜しいでしょうか」
「構わない。それとこちらの宝石も全て包んでくれ」
「全てでございますか?」
店主は僅かに目を瞠った。店の中が僅かにざわつく。
近くにいた令嬢が嫉妬に顔を歪めるのが分かった。
店主は暫し熟考した。
公爵に見せた宝石はどれも店の中でも選りすぐりのものばかりだ。公爵家の財力をもってしても全てとなるとかなり値が張るが⋯随分と思い切ったものだ。
公爵が考え無しなのか、それとも自分が思う以上に公爵家の財は潤っているのか。
口に出すか出すまいか悩んで、宝石店の店主という矜持が気がついたら己の口を開かせていた。
「⋯公爵様。店としましては沢山ご購入頂けるのは有り難いのですが⋯私が言うのもなんですが今直ぐに購入せずとも良いのではありませんか?もし色や種類でお悩みでしたら、贈るお相手ともう一度ご来店くださいませ。それまでこちらの商品は大事に保管しておきますから」
「⋯提案には感謝するが、その必要はない」
イーサンは店主の提案を断ると、今しがた自分が注文したオパールを摘んで指先でコロコロと転がした。
きらきらと光を受けて七色に輝く乳白色が彼女を彷彿とさせて目を細める。
「彼女をここに連れてきたとて、きっと遠慮して選んではくれないだろう。⋯それに、私も散々悩んだが考えれば考えるほど全てが彼女に似合うとしか思えなくなった。考えるのが馬鹿らしくなるほどにな。選ぶ必要がないと気付いただけだ」
「さようでごさいますか。⋯差し出がましいことを申しました」
「いや、いい」
盛大な惚気を聞いた気がする。
とりあえず彼は金に糸目をつけずに想い人に宝石を買い与えたいらしい。老婆心から余計なせっかいを焼いてしまった。
店主は急に雰囲気の柔らかくなったイーサンが一体誰を思い浮かべているか簡単に理解した。
どうやら公爵は良い出会いをしたらしい、と店主は微笑ましく美しく若い公爵を眺める。
イーサンが遊んでいた宝石をもとに戻すと、店主は素早く店の奥に控える妻に目配せした。妻はさっと近寄ってくると店主から宝石を受け取り、再び部屋の奥に戻って綺羅びやかな箱に宝石を丁寧に詰め始める。
全て包み終わるのには少々時間がいるだろう。
「⋯あのっ」
そんな時だ。鈴の転がるような声とともに、店内にいた一人の令嬢がイーサンの前に立った。
店主はにわかに焦りを浮かべる。なぜなら、店主は彼女がイーサンに付き纏うようにして常に彼の近くにいたことを把握していたからだ。そして時折その令嬢が嫉妬の孕んだ瞳でこちらを見ていたことも。
見目のよい紳士や淑女に対してこのような態度をとる人間は少なからず見かけるが、まさか不躾に話しかける無作法者がいるとは思わず油断してしまった。
店主は咄嗟にイーサンと令嬢の間に入るようにそのふくよかな体を割り込ませようとしたが令嬢のほうが一歩早かった。
彼女は存分に膨らませたスカートの裾をイーサンの靴先に触れるか触れないかくらいの距離まで体を寄せると、緊張からか興奮からか、頬を紅潮させながら瞳を潤ませ上目遣いでイーサンを見あげた。
店主は己の失態とこれから起こるであろうことを予測して青褪める。
得てして、彼女は店主の想像通りの行動をしてくれた。
「グロウドリー公爵様!私、フィッツロイ伯爵家の長女サンテリアと申します」
サンテリアと名乗った女は首を傾げると無駄に強調された豊満な胸の前で手を組んだ。まるでそうすることでイーサンが彼女を歓迎するとでも思っているみたいだった。
イーサンが何も言わないことをいいことに、サンテリアはそのぽってりとした唇で小鳥のように囀る。
「不躾だと分かっていたのですが、どうしても公爵様にお伝えしたいことがあるのです。お叱りを受けることも覚悟しておりますわ」
サンテリアはまるで自分が犠牲を厭わない誠実な女であるかのように振る舞った。
サンテリアは自分の容姿に自信があった。社交界でも美しいと言われることが多いし、なにより自分の身体が女性として魅力的であると理解していた。
イーサンに拒絶されないことをいいことに、サンテリアは彼が自分の話に興味を持ったのだと浮かれた。
サンテリアはずっとイーサンに恋焦がれていた。
しかしあの頃のイーサンはブラング公爵令嬢の婚約者だった。サンテリアだって敵に回してはいけない相手くらいわからないほど馬鹿ではない。ブラング公爵令嬢の取り巻きとして彼との接点を虎視眈々と狙うしかできない屈辱の日々を送っていたわけだが、イーサンが彼女と婚約破棄した今、サンテリアが我慢する必要はもうどこにもないのだ。
今日たまたまグロウドリー公爵と出会ったのも間違いなく運命だろう。
神様がくれた機会に違いない!
(絶対にこの機会をものにしてみせるわ!)
サンテリアはさも心配そうに眉を顰めると、庇護欲を掻き立てるような仕草でイーサンを見つめる。
「私、知っているのです。グロウドリー公爵様と新しく婚約なさったベネット伯爵令嬢は使用人の男と親密な関係にあることを。知っていますか?騎士でもないのにいつも彼女と一緒にいて剣の腕が立つあの男性のことです。実は以前ベネット伯爵令嬢とご一緒したときにこっそり教えて貰ったことがありますの」
「⋯⋯⋯」
「ベネット伯爵令嬢はエバンズ伯爵令息と婚約されていた時からその使用人の男と親密な関係にあったようなんです。報われない恋だとその時はお止めしたのですが⋯今回、エバンズ伯爵令息との婚約が破棄をすることになって、彼女は思い切ってベネット伯爵に使用人との関係を打ち明けると仰っていましたわ。それなのに、グロウドリー公爵様との婚約が発表されて⋯。私居ても立ってもいられなくて⋯っ!」
サンテリアは如何にも悲しんでいるといった様子で唇を震わせた。
「グロウドリー公爵様。どうか彼女との婚約を考え直していただけませんか?公爵様ならばきっと直ぐに新しい婚約者が見つかりますわ。けれどベネット伯爵令嬢には彼しかいないのです。どうか、二人が幸せになれるようご協力していただけませんか? 勿論婚約者を探すのがお手間とあればベネット伯爵令嬢の代わりに私が公爵様の婚約者になっても構いません。私の家は彼女と同じ伯爵家ですし、彼女の家よりも裕福ですから公爵様の事業の御役にも立てると思いますわ。それに父は王からの信頼も厚いので後ろ盾だって問題ありません」
「⋯⋯⋯⋯」
「?あの公爵様?お聞きになっています?」
「⋯⋯⋯⋯」
「えっと⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
そこでようやくサンテリアは異変に気がついた。
意気揚々と話していたサンテリアは、いつからか店内が静まり返っていることに気付かなかった。
しん⋯と静まり返った店内で、すべての人間が自分を見ている異様な光景にサンテリアはたじろぐ。
「な、なによ⋯」
ぎこちなく周囲を見回してふと、いつも柔和な笑みを浮かべている店主が顔を青褪めさせ諦めたように首を横に振ったのが見えてようやく焦り始める。
そうして恐る恐るイーサンを見上げたサンテリアはその華奢な喉を引き攣らせた。
瞳だけで見下ろすイーサンは悪魔のように見えた。
怒っている。いや、怒っているという表現が正しいかさえ解らない。サンテリアの拙い語彙力はそれ以上の言葉を探し出すことができないだけで。
彼女は震えた。公爵は怒っている、しかも物凄く。
まるで今直ぐにでもサンテリアを斧で斬り刻んでやりたいと思っているみたいに。
サンテリアはイーサンがゆっくりと口を開くのを、まるで死刑が宣告されるときのように固唾を飲んで見つめた。
「フィッツロイ伯爵令嬢⋯貴方は自分の幸運を喜んだほうがいい。この場に貴方の父親さえいれば明日には家族ともども他国に旅行にでも行ってもらっていたところだった。しかし残念ながらここには貴方ひとり。愚かな娘の戯言で済ましてやることができる」
「⋯⋯あ、あの⋯私⋯」
「⋯⋯⋯失礼」
イーサンは指先だけでゆっくりとサンテリアの肩を押した。
それは些細な動作でとても力が入っているようには見えなかったが、サンテリアはまるで殴られたかのように大きく後ろに仰け反った。そのままたたらを踏むように数歩後退る。
イーサンはそんな彼女を一瞥すらすることなく店主のほうを振り返った。
「店主。宝石は包めただろうか」
「っ!はい、只今お持ち致します」
店主は弾かれたように妻を振り返った。
突然の出来事に固まっていた妻も慌てて作業を再開する。幸いにも殆ど包み終わっており、ほんの数分で公爵に商品を渡すことができた。
イーサンに商品を渡す際に、店主は深く頭を下げた。結局場を収束させることができなかったのは店主の落ち度でしかない。
先程までの穏やかさはなりを潜め、今の彼は凍てつく冬のようだ。楽しい気持ちで買い物をしてくれていたからこそ、それがとても哀しかった。
「⋯公爵様、この度は不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。私の不徳の致すところです」
「気にするな、とは言えないが⋯別に構わない」
その声は冬の湖よりも暗く冷たい。
イーサンはこの出来事の責任が店主だけにあるわけではないと理解していた。他人にこうさせてしまうだけの要因が自分にはある。
顔色の悪い店主にイーサンの中でわずかな罪悪感が頭を擡げたが、しかしそれ以上口を開く気分にもなれず、イーサンは出口に向かって歩き出した。
未だ呆然と立ち尽くすフィッツロイ伯爵令嬢を、彼女の侍女が慌てて引き寄せイーサンの通る道をあける。
イーサンは通り過ぎる傍らでちらりと侍女を睨んだ。
ー⋯二度目はない。
言外にそう伝える。
侍女は顔を青くしながら首がもげるのではないかというほど激しく首を縦に振ると深く頭を下げた。今回のことはイーサンの温情によって首の皮一枚繋がっただけの状態だ。次何かあれば容赦はしない、とイーサンの言葉を侍女は正しく受け取る。
店主が押し開いた扉を潜る。扉についている鈴がカラン、カランと涼やかな音を立てた。
ふと視線を上げたイーサンは、待たせていた馬車の近くに二つの人影が見つけて露骨に顔を顰めた。
こちらに気がついた紳士と目が合う。
「⋯ベネット伯」
「やぁ、こんにちは。グロウドリー公爵」
ベネット伯爵ルーカス・キャンベル。
オリヴィアの父で、自分の父の親友でもある彼はイーサンもよく知る人物だ。
にこやかにこちらを見るルーカスに、イーサンはこれから起こるであろう事を考えて重い溜め息をついた。
前回のお話を読んでくださった方々申し訳ありません。
一旦削除し、差し替えさせていただきました。
楽しんでいただけたら幸いです。




