表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

後編


 ストムから真実の愛を捧げられたネウロパに、全員の視線が集まる。


 期待、戸惑い、困惑…各々の感情が複雑に混ざる瞳を向けられても、ネウロパの表情は崩れない。この部屋に来た時に見せていた戸惑いや驚きも完全に消え去っている。いつもとは違う、無機質な表情の彼女の思考が読めず、ベレスティナは身構えてしまう。


 ネウロパは真っ直ぐに視線を動かさず、ゆっくりと唇を動かした。


「…もう、よろしいので? マハルダ」

「あぁ…そなたへ真実の愛が捧げられたこと、しかと見届けた」


 おもむろに発せられた声はストムでもベレスティナでもなく、マハルダに向けられた。


 ベレスティナはネウロパが、マハルダの名を敬称無しで口にしたことに驚いた。そして、それを咎めないマハルダにも。


 マハルダは先程の話を聞くに王家と繋がりがあり、それなりの地位があるように思う。対して、ネウロパは平民だ。普段のネウロパなら、目上の者にそんな失礼な対応などしないだろう。何より、マハルダがそれを許すとも思えない。


 ベレスティナは、ネウロパとマハルダへ不安げな瞳を交互に向けた。


 ネウロパはマハルダの許可がおりると、ベレスティナ達の方へゆったりと足を進めた。ストムは慌てて愛を捧げた少女の細い腕を掴む。


「ネウロパ! その女に近づくのは危険だ!」


 先程の恐怖が身に染み込んでいるストムは、ネウロパをマハルダから遠ざけようと必死だ。腕を引かれるネウロパは眉間にしわを寄せた。


「…お離し下さい、ストム様」

「君のために言っているんだ!」


 グイッと力任せにネウロパの腕を引っ張ると、パコッと何かが外れる音がした。同時に、ストムは自分の手が突然軽くなり後ろに数歩ふらつく。


 ストムが後ろに下がってもネウロパはその場にいる。一瞬、手を振り払われたのかと思ったがストムは自分が何かを掴んでいることに気が付き、“それ”に視線を向けた。


 ストムの手にはネウロパの一部である肘から下の腕である前腕が、ぷらりとぶら下がっている。


 あまりに衝撃的な光景にぎょっとしてしまう。


 ストムは小さく悲鳴を上げると、慌てて握っていた前腕を放した。床に落ちた腕が無機質な音を立てる。


「全く…乱暴ですね」


 ネウロパは呆れ交じりに呟くと、床に転がっている自身の腕を拾い上げた。その動作があまりにも自然なので、ベレスティナは目の前の光景が幻覚なのではないかと錯覚を起こす。


 肘から下が抜け落ちたというのに、ネウロパは痛がる素振りを見せない。それどころか、彼女の腕からは一滴たりとも出血すら無いのだ。ネウロパは外れた腕に纏わりつく汚れを落とすかのように、ふぅと息を吹きかけた。


 そして、片腕を持ったまま付き人のようにマハルダの横に並んだ。


「何なんだ…一体何が起こっているんだ!?」


 ストムが声を震わせる。ベレスティナも何が起こったのか頭で整理ができなかった。だが、一つだけ思い浮かんだのはカフェでのマハルダとの会話。


『こんな子供騙しより、他の魔法をそなたはすでに見ておるがの』


 まさか、と答えを求めるようにマハルダに勢いよく顔を向けた。


「さすが、ベレスティナ。察しがいいのぉ」


 紅の三日月を描く唇に、どこか嬉しそうに細められた瞳。言葉にしなくても、マハルダが自分の予想を肯定してくれているとベレスティナは察した。


 他の魔法の正体…それはネウロパのことだったのだ。


 まさかこんな身近に魔法が存在していたとは、想像もできなかった。気が付かなった時間が惜しい、とベレスティナは自分の鈍さを悔やんだ。


 一人悔やんでいるベレスティナに、ストムは怪訝な目を向ける。それに気が付いたマハルダは、小さく息を吐いた。


「認めたくないのか、鈍いのか…どちらにせよ、直接言わねば理解できぬようじゃの」


 ドクリドクリ、とマハルダの先の言葉をかき消そうとするかのようにストムの心臓は大きな音を立てる。


 だが、無情にもマハルダの唇はゆっくりと聞き逃しのないように真実を紡いでいく。


「ボンクラ息子が真実の愛を捧げたのは、わらわが造った人形よ」


 決定的な言葉にストムの瞳は大きく見開かれた。


「にん…ぎょう…?」


 かろうじて発した声は、マハルダの言葉を復唱したもの。衝撃の事実を、脳内で飲み込もうとしているストムではあるが、理解を拒絶するかのように彼の頭は真っ白に染まっていく。


 未だに現実を見ようとしないストムに、マハルダは決定的な言葉を送る。


「ネウロパは人間でない。そんなことも見抜けぬとは…頭だけでなく、観察眼も弱いようじゃの」


 嘲笑を含んだ声に、自尊心に傷が付いたのかストムの思考が戻ってきた。


「ネウロパが人間じゃないなんて、噓だ! 俺を欺くためにお前が噓を―」

「嘘ではありません」


 ストムの叫びを否定したのは、ネウロパ自身だ。


「肉体が欠けても痛みが生じない私は…最早、人間ではございません」


 証拠とばかりにネウロパは前腕の喪失によって空洞となり、ダラリと垂れ下がっている片方の袖を見せつける。


 ストムを射抜くネウロパの瞳は、水面のように静かなで冷ややかなものだった。どこか無機質なものを感じたのか、ストムは思わず肩を跳ねさせてしまう。


 本人からの宣告に、ストムは唇を噛み締めようやく現実を受け入れたようだ。


 ストムを庇うわけではないが、ベレスティナには彼の気持ちが少し理解できる。


 魔法について理解があるベレスティナでさえ、未だに彼女が人間でないなど信じられない。普段からネウロパを知っている者として、彼女の動きは人形のように不自然なものではなかった。動作にはネウロパ自身の意思が感じられる、人間そのものの行動をしていた。表情だって不気味なほどにまぎれもない人間の色を宿し、違和感などは砂粒ほども感じたことがない。


「見事なものじゃろ? わらわも初めて試みた魔法であったが…無事に完成したようじゃ」


 マハルダはおもむろに立ち上がりネウロパと向き合った。


「しかし…まだ関節の部分が不完全じゃったか。まだまだ改善の余地は有りじゃな」


 ふむ…とネウロパの腕を観察する。


 マハルダはネウロパから外れた前腕を受け取ると手を翳した。すると、スルスルと白銀の糸がネウロパの腕から伸びていく。その糸はマハルダの手にある前腕まで伸びると、外れた関節に絡まっていく。そのまま伸縮していく糸によって、彼女の腕は綺麗に繋がれた。一部だけ破れてしまっていた服も綺麗に修復され、ネウロパの腕は何事もなかったかのように元に戻った。


 ネウロパは具合を確認するように、何度も腕を動かす。その滑らかな動作に、マハルダは問題なしと判断したようだ。


 非現実的なその光景を誰もが呆然となって見ていた。そんなベレスティナ達の思考を現実に戻したのは、この空間を作り上げた張本人であるマハルダの一声。


「さて…バンボラ家当主よ」


 ハッとなり、いつの間にか自分と向き合っているマハルダに、ストムの父は身を固くした。


「貴様の愚息はわらわの友人を害した。その罪状は後日、王家よりバンボラ家へと通達があるじゃろ。心して待つように」

「なっ!? 我がバンボラ家が何をしたと…!」

「当然じゃろ。わらわの友人に不誠実な態度を取り、謝罪もないうえに醜い言葉をぶつけた…これが罪と言わず何と呼ぶ?」


 答えてみよ、とばかりにマハルダはストムの父に問う。


 マハルダの言葉で、ベレスティナは彼らからの謝罪が一切無いことに気が付いた。謝罪がない、ということはストムの父も息子が悪いとは思っていないということだ。所詮は似た者親子、とベレスティナはぼんやりと脳内でこぼした。


「一緒に茶を飲んだベレスティナは、既に我が友人…その者に理不尽な愁いを与えた者を許せるほど、わらわの器は大きくないのでのぉ」


 芝居の一幕のように、頬に手をやり困ったように呟く。口元は笑みを浮かべているが、その瞳はどこまでも冷たく、温情を与えるつもりはないことを雄弁に語っている。


 確かにマハルダは言った。王家との契約に、彼女の『友人を害せぬこと』があると。それは、彼女が友と認めた者は王家の加護の対象であることと同じ意味だ。ストムの父の顔色が悪くなっていく。


「そんな…これはストムが勝手にしたことで…」

「関係ない、とは言わせん」


 ストムの父の言い訳は、マハルダの鋭い視線によって喉に押し戻された。


「ボンクラ息子がネウロパに熱を上げていたこと、気が付いておったのじゃろ?」

「そ、れは…」

「ベレスティナが傷つくと分かっていながら、ボンクラ息子を放置した。ならば、貴様は同罪。家長の罪は一族の罪と思うがいい」


 ビシリと言い放つマハルダ。ストムの父はうなだれるように顔を伏せ、頭を抱えた。


 自身の父の様子に焦りを感じたのか、ストムが名案とばかりに声を張り上げだした。


「ならば、元に戻せばいい! 人でない化け物であるネウロパへの愛は無かったことにしよう!」


 自身の言動はおろか、捧げた愛にさえも責任を持たないストム。さらには愛した女性に酷い言葉を放つストムにベレスティナは目を見張った。


 ストムの都合のいい言葉に、マハルダの眉間に深い皺が刻まれていく。明らかに気分を害したマハルダに、ストムの父は慌てるがそんな親の心情など気にも留めず、ストムは自信たっぷりの笑みをベレスティナに向けた。


「ベレスティナ。お前をもう一度俺の婚約者に戻してやっても―」

「お断りします」


 スルリと自然と喉から出た言葉に、ベレスティナ自身が驚く。


 凛と通るベレスティナの拒絶に、ストム達はもちろんマハルダまでもが目を見開いていた。


 全員の視線が集まるが、ベレスティナは決して訂正しなかった。


 断られるとは微塵も思っていなかったのか、ストムはひどく驚いている。だが、すぐに眉を吊り上げ激しい怒りを宿した目を向けてきた。以前のベレスティナなら、その瞳に怯えていただろう。しかし今は不思議と心に恐怖を抱くことはなかった。マハルダのおかげなのか、それとも先ほどのストムの情けない姿を見たからなのか…ベレスティナには分からない。けれど、目の前の男が自分の努力を否定するほど、偉い存在だとはとても思えなかったのだ。


 ベレスティナは深く呼吸をすると、ゆっくりと立ち上がりストムと向き合う。


「ストム様。あなたはいい加減、ご自分の発言に責任を持たれるべきです」

「俺に命令するのか!?」

「いいえ。これは、私の最後の警告でございます。あなたの無責任な言動で、バンボラ家はラチオ家との縁が切れてしまった…その責任の重さを自覚すべきです」

「だから、お前とまた婚約すれば―」

「一方的に婚約破棄を言い渡された私の心が、あなたから離れていないと…どうして思えるのですか?」


 真っ直ぐな言葉と瞳に、ストムは息を飲んだ。


 婚約して五年。長いようで短い歳月の中、ストムは一度たりともベレスティナに歩むことは無かった。愛情はおろか、信頼さえも育もうとしなかったツケが回ってきた。ただ、それだけだ。


「私とて人間です。あなたを見限ることだってございます」


 苦笑を浮かべながらも、声音は優しく諭すように話す。まるで駄々をこねる子供に言い聞かせるような言い方に、ストムの顔に羞恥の熱が集まる。


「ストム様…あなたが申し出た婚約破棄、承ります。今まで、ありがとうございました」


 カーテシーをしながら柔らかく微笑むベレスティナは、同じ年のはずなのにストムには酷く大人のように感じた。そして、どこか晴れやかな…解放されたような清々しさを感じる。


 婚約破棄を言い出したのはストムだが、最終的にベレスティナがストムを見放したような空気だ。


「フフフッ! よくぞ言った、ベレスティナ!」


 先ほどの怒りなど消え失せたマハルダは満足そうにベレスティナに拍手を送った。隣にいるネウロパも、感動したようにベレスティナを見つめている。大袈裟なくらいに褒めてくれるマハルダ達に、ベレスティナは心が少しくすぐったくなった。


 照れるように小さく微笑むベレスティナに、マハルダは柔らかく目を細める。と、ここでマハルダは何かを思い出したようにネウロパに声をかけた。


「ところで、ネウロパよ。そなたに捧げられた真実の愛じゃが…」

「取り除いてください! 今、すぐに!」

「わかった、わかった」


 言葉を遮って、ずずい! とネウロパはマハルダとの距離を一気に詰めた。マハルダは宥めるように返事をする。


 スッ…とネウロパの胸元に手を翳すと、マハルダは何か小さく呪文を唱える。すると、ネウロパの胸の間からコロリと小指の爪ほどの淡い桃色の宝石が現れた。重力に従い、床に落ちた宝石はコツンとか細い音を立てる。


 首を傾げるベレスティナとは違い、マハルダは眉間にしわを寄せた。


「随分と粗末で質の悪い真実の愛じゃ…薬の材料にもならん」


 マハルダは足を上げると、そのまま宝石を踏みつぶし粉々に砕いた。


「あ、あの…今のは?」

「ネウロパに捧げられた真実の愛を具現化した物じゃ」

「えぇ!? こんなちっぽけなものがですか!?」


 砕かれた物の正体を知ったベレスティナは、驚きのあまり本音を叫んでしまった。しまったと慌てて口を塞ぐが、遅かった。ストムの愛への酷評は、この場にいる全員の耳に届いてしまっている。


 だが、ベレスティナの本音に賛同しているのか誰も何も言わない。それもそのはずだ。あれだけ豪語したくせに、実際に出てきた愛がこれだけ粗雑なモノだったとは誰も予想しなかったであろう。


 何とも言えない気まずい空間を作ってしまったベレスティナは、改めて床に散らばる宝石だったものに目を向けた。


 本来ならばベレスティナに捧げられるべきだった愛。しかし、それは粗雑で、簡単に砕けてしまうほど脆いもの。普通なら悲しみや怒りの感情が浮かび上がってくるはずなのに、ベレスティナは特に何も感じなかった。寧ろ、床を汚している物体を早く片付けなければと思うくらいだ。


 完全に冷めきっているストムへの想いに思わず苦笑を浮かべてしまう。砕け散った宝石を処理しようとしたベレスティナの手を、マハルダがやんわりと止めた。


「これはネウロパが拒否したから零れ落ちただけじゃ…捨て置いてよい」

「拒否…?」

「取り除いて欲しいと、ネウロパが言っておったろ? だから、ネウロパの体から離れた」


 それに…と、マハルダは視線だけをストムに向ける。


「純度の高い真実の愛は、これくらいで砕けん。本物の愛はもっと美しく高貴なもの…ボンクラには難しかったようじゃがの」

「俺の愛を馬鹿にするのか!?」

「馬鹿にも何も…浮気した者の愛が美しいはずがないじゃろ」


 淡々と正論を口にするマハルダに、ストムは押し黙るしかできない。


 フンッと、ストムをあしらうと、マハルダは呆然としているストムの父に目を向けた。


「ボンクラとはいえ、この程度の愛しか持ち得ぬとは…日ごろからよほど陳腐な愛しか見ておらぬと窺える」


 ストムが常日頃から身近で見ている愛、それは両親たちの愛だ。故にその言葉は、ストムの両親の愛情をすらも低価値と言っているも同然。


 小馬鹿にしたような物言いに、ストムの父はカッと一瞬怒りが沸いたが、マハルダの氷のような瞳によってすぐに鎮火された。ストムは言葉の真意をくみ取れなかったが、苦々しい父の表情からマハルダが自分達を親子ともども見下していることだけは理解できた。


 自身の父を黙らせるマハルダの言っていることは正しいのかもしれない。だが、それを認めるほどストムの精神年齢は高くない。自尊心を傷つけられ、自身の愛も両親ですら馬鹿にされたストムに湧き上がるのは、怒りや羞恥心。それらは、ストムの拳を震わせた。


「ふざけるな…お前が全部仕組んだのだろ!? 僕に恥をかかせようと!」


 ストムはふつふつと湧き上がってくる負の感情を、理不尽にもベレスティナにぶつけてきた。


 ストムは怒声を上げながらベレスティナに掴みかかろうとする。その形相は恐ろしく、焦りと怒りが混ざった醜いものだった。


 ベレスティナは、これで全てが終わるならば、と痛みに備えるように目を固く閉じた。


 ドンッ! と何かを叩きつける音が鼓膜を刺激したが、ベレスティナの体に衝撃は何もなかった。


 恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。


「ゲスが…ベレスティナお嬢様に不敬です」


 パンパンと、汚れを落とすように自分の手をはたくネウロパにマハルダ以外の全員の目が点になった。ストムにいたっては、床に体を叩きつけられた衝撃も大きく目を白黒させている。


 どうやら、ストムはネウロパによって一本背負いされる形で床に叩きつけられたようだ。


 唖然と部屋の天井を眺めているストム。その様子に、ネウロパは鼻で軽く笑うと踵を返しベレスティナに駆け寄った。


「ベレスティナお嬢様! お怪我はありませんか!?」


 華奢な体からは想像もできない、ネウロパの武闘派な一面を垣間見たベレスティナはコクコクと頷くしかできない。


 ネウロパは心から安堵の息を漏らすと、床に転がっている情けない男を見下ろす。


「女性に手を挙げるなんて…本当に最低ですね。初めて見た時から、大嫌いでした」


 その言葉にストムは、ハッとすると慌てて体を起こした。そして、愛おしいと思っていた少女に震える手を伸ばす。


「そんな…だって、ネウロパは俺をずっと見つめていたじゃないか!」

「はぁ? 私はベレスティナ様を見守っていただけですけど?」


 ネウロパの視線の先にあったのは、ベレスティナだったのだ。ベレスティナの近くには、婚約者であるストムがいつもいた。ようはストムの思い込みということだ。


 愕然としているストムに、ネウロパはとどめの一言を送る。


「貴方みたいなクズ、誰が好き好んで視界に入れたがるというのです?」


 嫌悪感を隠そうともしないネウロパの言葉と表情。初めて受ける女性からの軽蔑にストムは今度こそ膝から崩れ落ちた。


 人の心が折れていくのを目の当たりにし、何故かベレスティナはストムに罪悪感を抱いてしまう。


「ネウロパよ…もうよいじゃろ」


 意外にもネウロパを止めたのはマハルダだった。ネウロパはあからさまに不満げな顔をする。


「このクズを庇うのですか?」

「そんなわけあるか…そろそろ、わらわに代われと言っておる」


 ストムを哀れんだのではなく、自分に話をさせろということでマハルダはネウロパを止めたらしい。


 ネウロパは渋々マハルダにストムへの咎めを譲った。


 完膚なきまでにストムの心を折ろうとしているマハルダの追撃に、ストムは小さく悲鳴をあげる。先ほどの勢いなど無くし、顔色が悪くなっていくストムをベレスティナは少し哀れに思えてきた。


 ここでふと、ベレスティナはネウロパがなぜ自分をそこまで想ってくれているのか疑問に思った。


 ネウロパとは、この店で何回か一緒に仕事をしたことがある。だが、それでもここまで自分を大切にしてくれるほどの交流やきっかけが記憶にない。仮にストムが鬱陶しくてその腹いせで彼を投げ飛ばしたとしても、ネウロパはベレスティナの身を一番に心配してくれた。


 そして、先ほど彼女自身の口から『見守っていた』とまで言ってくれた。


「ネウロパ…あなたは一体…」


 ベレスティナの疑問にネウロパはゆっくりと振り向く。そして、そっとベレスティナに手を伸ばした。


 ネウロパはベレスティナの手を両手で包むと、キラキラと瞳を輝かせた。


「ベレスティナお嬢様! やっと貴方に正体を話せること、嬉しく思います!」

「え? 何のこと?」

「私です! テールでございます!」

「テール…?」


 はい! と元気のいい返事と共に返ってきたのは弾けるような笑顔。


 大好きだった乳母の笑顔と重なるその眩しさは、ベレスティナを困惑させた。


「嘘…だって、テールは四年前に…それに、貴方はネウロパで名前が…」


 ネウロパの口から出たテールという女性は、ベレスティナにとって大切で大好きだった乳母だ。四年前に病でこの世を去ったテールのことを、ベレスティナはバンボラ家の誰にも話してなどいない。ストムにすら話していないテールのことを、何故ネウロパが知っているのか…ベレスティナの頭の中が疑問でいっぱいになっていく。


「名が違ったのは、わらわが新たに名付けたからじゃ」


 理解が追い付かないベレスティナに、マハルダの説明が入ってくる。


 ふと、マハルダの背後に目を向けると、ストムだけでなくストムの父までも膝から崩れ落ちていた。


 一体何を言ったのか…余裕のないベレスティナは、怖くて聞くことはできなかった。


「テールとは、ちょっとした知り合いでな。生前、病に侵された体を引きずって、わらわの元に来たのじゃ。出迎えるなり、約束を果たすまでは消えるわけにはいかないと訴えてきてな」

「約束…?」

「大切な子が夢を叶えるまで…魔法を使う姿を見るまでは、この世に留まりたいとな」


 ベレスティナの脳内に幼い頃の記憶が次々と蘇っていく。


 それはきっとベレスティナと交わした約束だ。


 大好きだった乳母であるテールにせがんで、毎夜のように読んでもらった絵本。魔法を題材にした内容であったその絵本を読んでもらうたびにベレスティナは心が躍った。魔法によって絵本の住人たちが笑顔になっていくのがとても嬉しくて、ベレスティナは魔法に強い憧れを抱いた。


 憧れは姿を変えていき、幼い頃のベレスティナはテールにだけその夢を伝えた。


 ベレスティナの夢は魔法を再び自国で繁栄させることに変わりはない。だが、大前提として自分自身が魔法を扱えるようになることこそが、ベレスティナがテールに語った夢である。


 そして、夢が叶ったら誰よりも先にテールに披露するというのが、二人だけの約束だ。


 病に侵されながらも、果たせるかどうかも分からない約束のためテールは行動してくれていた。自分を最後まで信じていてくれたテールの想いが嬉しくて…ベレスティナの瞳に水が宿る。


 じわりじわりと、ベレスティナの視界が暖かな水分で揺らいでいく。


「魂だけの状態で一つの場所に留まると邪気に侵され正気を保てなくなる。そこで、わらわは依り代を与えたのじゃ」


 肉体を失ったテールが、新たな得た体が人形だった。生前と同じ人型であったが、無機物に魂が馴染むまで少し時間がかかり、満足に動けるようになったのは二年前だという。


 不自由なく普通の生活ができるようにはなったが、人としてもっと自然に動けるようになることを彼女は望んだ。そして、訓練の場として選んだのが偶然にもバンボラ家の店だったらしい。


「あの時は驚きました…ベレスティナお嬢様が働いていましたから」

「テール…」

「まぁ、私にとってはベレスティナお嬢様を探す手間が省けてラッキーでしたけど」


 フフッと昔を懐かしむように笑うネウロパは、そっとベレスティナの涙をハンカチで拭う。


 肌を傷つけないような優しい手つき、泣いている子供を安心させるような暖かな笑顔は記憶に残っているテールのままだ。


「姿形が違っても…魂は、そなたの言う“テール”であることは間違いない。わらわが保証しよう」


 力強いマハルダの断言に、ベレスティナの心に嬉しさがこみあげてきた。溢れる気持ちを素直に顔に出しながら、涙を拭いてくれている彼女を見つめた。


 するり、とベレスティナから暖かさが離れた。小首をかしげるベレスティナに、彼女は改まったように向き直る。


「テール…?」

「ベレスティナお嬢様…テールは、既にこの世にはいません」


 ベレスティナの今にも泣きだしそうな表情に、ネウロパは苦笑を浮かべる。


「私は友人の慈悲により、“ネウロパ”として新たに生を受けました。けれど、私の肉体は人ではなく、血肉が通わない人形。あの男のように化け物と言う者もおりましょう。それでも…」


 ネウロパは真っ直ぐにベレスティナを見つめる。


「ベレスティナお嬢様。また、貴方に仕えることを…許して下さいますか?」


 困ったような、泣きそうな表情を浮かべている彼女。


 ベレスティナは一瞬、息をつめた。記憶の中の彼女はいつも笑っていた。そんな彼女の初めて見る表情にベレスティナは、胸が締め付けられた。化け物である自分は拒絶されるかもしれない、という不安を胸に宿して日々を過ごしていた彼女を思うと、心が張り裂けそうだった。


 ベレスティナはゆっくりと彼女に歩み寄ると、体温の無い体を強く抱きしめた。


「もちろんよ、テール。いえ…ネウロパ! 約束の続きを二人で歩んでいきましょう」


 ベレスティナはコツンと額を合わせて、春の日差しのように暖かく微笑んだ。テール改め、ネウロパは一瞬目を見開くが、すぐに『はい』と小さく頷き心の底から幸せそうな笑顔を浮かべた。


 お互いを大切に思い合っている友人たちの姿を、マハルダは柔和な瞳で見つめていた。


 ベレスティナは改めてマハルダと向き合うと、頭を深く下げた。


「マハルダさん、ありがとうございます。テールに…ネウロパに会わせてくれて」

「礼など不要じゃ。ネウロパはちゃんと対価を払った…故に、わらわがその身を縛る理由などありはせぬ」


 そういえば、ネウロパはマハルダに許可をとっていた。それが対価と何か関係あるのだろうか。


「友人とはいえ、対価も無しに魂の魔法を使うわけにいかぬ。そこで、わらわはある条件を提示した」


 まるでベレスティナの心を見透かしたように、マハルダは疑問に答えていく。


「ネウロパに出した条件は一つ…真実の愛を捧げられること」


 その言葉で、ハッと床に目を向けた。先ほどの砕けた宝石は、跡形もなく床からも消えていた。


 対価が消滅したことにベレスティナの顔が真っ青になっていく。


「心配せずともよい。手元に残るものだけが対価ではない。わらわが納得すれば問題なしじゃ」


 クツクツと、肩を震わせるマハルダ。思考が完全に読まれているベレスティナは、恥ずかしくなってきた。そんなに自分は表情に出やすいのだろうか? と自身の頬を叱咤するようにムニムニと揉んでみる。


「そなたのように素直な娘は貴重じゃ。美点と受取り、改善は不要と思うぞ」

「でも、私もマハルダさんのような大人な女性に憧れがあります…」

「二百歳を超えたババアに憧れるとは…世辞でも嬉しいものよ」

「にっ!?」


 衝撃の事実にベレスティナは驚きの声が飛び出る。その反応が予想通りなのか、マハルダはからからと笑いながらベレスティナを観察している。


「この顔は何度見ても飽きぬものじゃ。特にベレスティナのような純粋な娘は、いい反応をしてくれる」

「もう…ベレスティナお嬢様で遊ばないでください。というか、正確な歳はいくつなのですか?」

「さぁのぉ…二百を超えた辺りから、数えておらん」

「本当に大雑把ですねぇ」


 面白がるマハルダにネウロパは小言を向けつつ、思考が停止しているベレスティナの意識を現実に戻すべく軽く肩を叩いた。


 ハッ! と現実に戻って来たベレスティナは、改めてマハルダの容姿をじっくりと観察する。


 皺一つ無い透き通るような真っ白な肌に、長く艶のある黒髪。誰もが羨むほどに美しいボディライン…見れば見るほど二百歳を超えている女性とは信じられない。またマハルダが自分を揶揄っているのかとも思ったが、ネウロパの反応を見る限り嘘はついていないようだ。


 マハルダの美貌はさておき、よくよく考えれば彼女は自らを“ババア”と言っていた。それに話し方はどこか古めかしいものがある。他にも細かく思い出せばマハルダの言動には思い当たる節があったように思う。それらの記憶を素に脳内会議を行った結果、マハルダの年齢に違和感は無しという結論に至らせ、ベレスティナは自分を無理矢理納得させた。


「魔法って本当に奥が深いのね…」


 どこか遠くへ視線を向けるベレスティナにネウロパは苦笑を向ける。そんなベレスティナの頭にマハルダの手が軽くポンッと置かれた。


「まぁ、魔法についてはこれから知っていけばよいじゃろ」

「これから? それって…」


 ベレスティナに胸に期待という二文字が歩み寄ってくる。ベレスティナはマハルダの瞳を真っ直ぐ見つめた。ベレスティナの想いが伝わってきたマハルダは、可笑しそうにけれど柔らかく微笑みながら言葉を紡ぐ。


「そなたの魔法の研究、わらわが全面的に協力してやろう」


 望んでいた言葉が耳に届いたベレスティナの瞳はキラキラと輝いた。


「ありがとうございます、マハルダさん! あ…でも、私には支払える対価が…」

「対価はいらぬ。魔法の話のついでに、わらわと茶を飲んでくれれば十分じゃ」


 それに…、とマハルダはフッと目を細めた。


「友人達の約束を手助けせぬほど、わらわは薄情ではない」


 力強い言葉は、ベレスティナの胸を暖かいものでいっぱいにした。


 溢れる喜びが暴走しないよう、ベレスティナは大きく深呼吸すると深々と頭を下げる。


 魔法の知識について、マハルダ以上に心強い人物はいない。そんな彼女から、協力を得られたことはベレスティナにとって大きな前進だった。そして何より、自分とネウロパを大切に想ってくれているマハルダの気持ちが嬉しかった。


「そんなに感謝されるとはのぉ…どれ、手始めに何か聞いてみるか?」


 礼儀正しいベレスティナに気分をよくしたマハルダは質問を催促してきた。突然の要求にベレスティナは戸惑ったが、おずおずと抱いていた疑問をマハルダに投げかけてみた。


「あの…どうしてネウロパに真実の愛を対価として求めたのですか?」


 強大な魔法を扱うには対価が必要だということは、先ほどの話で理解できた。しかし、自分より古い友人であるネウロパに何故あの対価を求めたのかよく分からなかった。ストムのお粗末な愛を『薬の材料にもならん』と言っていたが、真実の愛の結晶は何か魔法薬を作り出すために必要だったのだろうか。それとも、ただ単純に宝石として求めていたのか…ベレスティナは対価の理由の決定打が知りたくなった。


 ベレスティナの純粋な問いに、マハルダは「あぁ、あれか」と呟くとあっさりと答えてくれた。


「長い年月を生きる者として、真実の愛とやらを見てみたいと思ったのじゃ」

「ただの興味本位ですか?」

「それもあるが…」


 マハルダはネウロパに視線だけを向け、小さく息を吐く。


「いつまでたっても伴侶を見つけぬ友人を、わらわなりに心配したのじゃ」

「私の愛は、ベレスティナお嬢様に捧げております」


 余計なお世話です、とネウロパはそっぽを向く。マハルダは、やれやれと少々呆れていた。


「そなたの忠誠心による“真実の愛”は十分に理解した…しかし、わらわは恋愛での純愛を見たいのだが…」

「でしたら、ベレスティナお嬢様に望みを託してみては?」


 ネウロパの提案に、ベレスティナはぱちくりと瞬きをする。マハルダは、ふむと顎に手を添えた。


「ベレスティナか…じゃが、ベレスティナに似合うほどの男がいるのか?」

「そうですね…ベレスティナお嬢様のように、容姿端麗で健気で努力家で純真無垢な才能ある女性に釣り合う男など…」

「待って、ネウロパ。貴方の中で私が、とてつもなく美化されているわ」


 待ったをかけるベレスティナの言葉は届いているのかいないのか…ネウロパは、頬に手を添え思考を巡らせる。


「そうだ! この国の王子なんていかがでしょう?」

「ちょっ!? なんてこと言うの!」

「あぁ、あの男か…確かに、あやつとなら似合いじゃろうな」


 納得しているマハルダにベレスティナは慌てて訂正する。


「マハルダさんまで、何言っているのですか!? そもそも、私と殿下では身分が違います!」


 一介の男爵令嬢が、王家に嫁ぐなどありえない。それに他の婚約者候補に目を付けられ、貴族のドロドロの争いに巻き込まれるのは、ベレスティナにとって最も避けたいことなのだ。


「なら、ラチオ家の爵位を上げれば問題ないのでは?」


 名案とばかりに、ネウロパは発言する。とんでもないことだが、マハルダはポンッと手を叩き納得したような手ぶりをした。


「ふむ、確かに…このまま公爵くらいまで成り上がってみるのも面白そうじゃ」

「えぇ!?」

「そうですよ! 今、流行の成り上がり令嬢になりましょう!」


 不敵な笑みを浮かべるマハルダ。ネウロパは鼻息荒くベレスティナの手を握る。二人の圧にベレスティナの頬が引きつっていく。


「そなたに高い爵位がつけば、王家の目にも留まる。さすれば、わらわも純愛の“真実の愛”とやらが拝めるかもしれぬ」

「待って下さい! 私は魔法の研究にもっと集中していきたいのです!」


 婚約者がいては時間を割かれてしまう。まして、相手が殿下であるならば王妃教育を受けることは必須だ。ただでさえ時間が惜しいベレスティナにとって、これ以上興味の無いことに時間を奪われることはなんとしてでも阻止したいのだ。それに、婚約相手が魔法について肯定的なのか否定的なのかも分からない。


 長年の夢のため必死に訴えるベレスティナに、マハルダは意地の悪い笑みを向ける。


「魔法の研究には、わらわの協力が不可欠なのじゃろ? ならば、わらわの望みを叶える温情があってもよいのではないか?」


 ベレスティナは言葉に詰まった。なんとかマハルダに対抗できないかと思考を巡らせるが、悲しいかな年若いベレスティナにはそんな語彙力は無かった。


「養殖ではなく、天然で純愛の“真実の愛”を見てみたいものじゃ」


 しみじみと呟くが、その瞳はこれからの未来を想像しているのか笑いがにじみ出ている。ベレスティナは、冗談であることを願いつつも背中に感じる寒気を取り払うことは自分には無理だと悟った。


 止まっていた約束の時計が動き出したと同時に、新たな運命の秒針がカチリと穏やかに時を刻み始めていくのをベレスティナは無意識に感じ取ったのだった。


 数年後―

 神々から愛された国の王子と婚約者は『愛の魔女』がよって結ばれた、という伝説が語り継がれたのだが…それはまた別の話。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


ほんの少しでも面白いと思っていただけたら、下にある⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎で評価やブックマークボタンを押していただけると、すごく励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ