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中編

 カフェを出たマハルダはベレスティナの手を握りながら、力強く足を進めていく。


 マハルダの歩みには一切の迷いが無い。そんなマハルダに、ベレスティナは一抹の不安が脳裏をよぎっている。


 バンボラ商会に殴り込み、というマハルダの宣言。


 ベレスティナは彼女の考えが読めず何をする気なのか全く予想ができない。殴り込みという物騒な言葉の意味だけは理解しているので、これから起こる事は穏やかでないことだけは確かだ。


 止めるべきか、とベレスティナは悩む。マハルダを私情に巻き込んでしまった罪悪感がベレスティナにはあった。しかし、マハルダを止める術など自分は持ち合わせていない。どうするのが最善なのか思考を巡らせるが、何も思い浮かばなかった。


 そんなベレスティナの心配など振り落とすかのようにマハルダは足早に歩みを進める。そして、ベレスティナが脳内で様々な可能性を考えていると、あっと言う間に目的地であるバンボラ商会の店が見えてきた。


 店はカフェからそれほど遠くない、街の中央にある。多くの店が集まっている中に、大きな建物があった。少し古い造りのように見えるが、手入れが行き届いた扉が足を運んでくれた客を迎えてくれる。老舗の風格がありながらも、傷などが一切ない外装。それがバンボラ商会の店である。


 無事、目的地に到着したベレスティナとマハルダ。ここから、どう行動すべきか…とベレスティナは思案する。店の迷惑にならないように裏口から入るべきかなどを考える。だが、マハルダは戸惑うことなく正面入り口の扉に手をかけた。


「ストム・バンボラはおるか?」


 真っ向勝負、とでもいうようにマハルダは勢いよく店の扉を開いた。店内に響き渡るくらいの声で、ストムを呼びつける。ベレスティナは心の中で悲鳴を上げた。


 店内は明るい照明で照らされ、需要を見越して仕入れされている商品が美しく陳列されている。店内には客と従業員が数名おり、誰も予想しなかった妖艶な女性の登場に全員の視線が集まる。


「ストム・バンボラは俺ですが…どうかされましたか?」


 店の奥から出てきた、金髪の見た目麗しい青年に店内の視線は移動した。


 ニコリと柔らかい笑顔を浮かべて近寄ってくるストム。ふと、ベレスティナの存在に気が付くと、不愉快そうに顔をしかめた。なぜここにいる? とでも言いたげなその表情に、ベレスティナは思わず顔を伏せてしまう。


 マハルダは、自身の体でベレスティナを隠すようにストムと向かい合った。


「ほう…貴様がストムという男か…」


 品定めでもするかのように上から下までストムを観察するマハルダ。口元だけ笑みを浮かべると、漆黒の瞳で獲物を捕らえた。その瞬間、言い表せない恐怖がストムを襲った。


―この女は危険だ。


 ストムの頭の中で警鐘が鳴り響く。呼吸が浅くなり、足が震えてきた。


 顔色が悪くなったストムに、マハルダは興味が失せたのか笑みを消すと近くにいた従業員に声をかけた。


「こやつでは相手にならん。店主を呼べ」

「え? あ、あの…」


 戸惑いながらチラチラとストムの反応を見る従業員。マハルダは思い出したかのように、再度、従業員に声をかける。


「そうそう。ネウロパという女もおるじゃろ。そやつも、呼べ」

「ネウロパですか? 何故、彼女を―」

「呼べ、とわらわは言っておる」


 二度は同じことは言わぬ、とギロリと従業員を睨みつけるマハルダ。


 彼女の圧のある瞳を向けられた従業員は、小さく悲鳴をあげると慌てて頷いた。そして、軽く頭を下げると早々に店主であるストムの父を呼ぶため、奥に消えていった。


 店内では、何とも言えない緊張感のある空気が漂う。


 従業員は明らかに動揺している。客にいたっては巻き込まれてはたまらない、とばかりにそそくさと店を後にする者がほとんどだ。残った客は野次馬根性が強いのか、マハルダに怪訝な目を向けながらも自分達の憶測をひそひそと同伴者と話している。


 居心地が悪い空間にいながらも、マハルダは平然としていた。ベレスティナは、この先の展開がどうなるのか予想がつかず、ドクリドクリと大きく跳ねる心臓を必死に落ち着かせている。


 しばらくして、先ほどの従業員が戻ってきた。


 先にストムに声をかける従業員。ストムは小さく頷くとチラリとマハルダを見て、奥へと消えていった。


 従業員はストムの姿が見えなくなるのを確認すると、今度はマハルダとベレスティナに深く頭を下げ、奥の部屋へと案内する。


 応接室に通されたマハルダとベレスティナ。


 普段は商談や貴族に対して個別販売をする際に使われている部屋は、相変わらず掃除が行き届いていた。家具も上等な素材を使用した、高級感のあるものが配置されている。


 マハルダは特に大きなソファに座ると、すらりと長く美しい足を組んだ。ベレスティナは少し迷ったが、マハルダの横に遠慮がちにゆっくりと腰を置いた。


 ベレスティナ達が着席するのを合図にするかのように、従業員は頭を下げるとさっさと部屋を出ていく。


 カチ、カチと置かれた大きな時計の時間を刻む音が、部屋に響く。


「あの…マハルダ様…」

「様は嫌じゃ」


 拗ねた子供のような声音。マハルダの顔を見ると、ムスッとした表情をベレスティナに向けていた。


 先ほど、鋭い冷気のような空気を放っていたマハルダからは想像もできない、あどけない態度にベレスティナはキョトンとしてしまう。ストムと対峙していた時と今のマハルダは、本当に同じ女性なのかと疑ってしまうくらいに正反対だ。ベレスティナはその差に驚いたが、子供のように自分の感情に素直なマハルダに思わずクスリと小さく笑ってしまった。


「分かりました。では、マハルダさんと呼びますね」

「うむ。それで、どうかしたか?」


 満足そうに頷くとマハルダは、ベレスティナの先ほどの言葉の続きを促した。


「彼女は…ネウロパさんは何も悪くありません」


 ベレスティナは、マハルダが呼び出したネウロパの身を案じているのだ。


 ストムがネウロパに一方的に好意を寄せているのは明らかだが、彼女自身は何もしていない。寧ろ、困ったように笑いながら、ストムのアピールを上手くかわしていたように思う。迷惑な店主の息子がいようと、ネウロパは真面目に仕事をこなし、いつもバンボラ商会のために働いてくれていた。ベレスティナも、機転のきく彼女には何度か救われている。


 そんなネウロパを自分たちの婚約破棄騒動に巻き込み傷ついてほしくない、というのがベレスティナの気持ちのようだ。


 ベレスティナの真剣な表情にマハルダはポカンとしているが、やがてクツクツと笑いだした。


「案ずるな。ネウロパには何もせん」


 嘘を言わないマハルダの言葉にベレスティナは胸を撫で下ろした。そんなベレスティナに、マハルダは柔らかく目を細めた。


「そなたは本当に貴族らしくない娘じゃ。自分より他者を気遣う…変わり者じゃ」

「…それって褒めてませんよね?」

「さてな…しかし、そのような奴、わらわは嫌いではない」


 とても自分が奇特な人間であるかのように言われている、とベレスティナは不機嫌そうに顔をしかめる。そんなに自分は変なことを言っているのだろうか…とベレスティナは内心首を傾げた。


 だが、目を少し伏せながら浮かべたマハルダの微笑がとても優しいものだったので、ベレスティナは特に気にしないことにした。


「ネウロパを呼んだのは、別の目的があるからじゃ」

「別って…」


 コンコンコン、とノックが二人の会話を遮った。開かれようとしている扉を見つめるマハルダの瞳がスッと細められる。同時に彼女の纏っていた空気の温度が一気に冷たくなったように感じた。


「お待たせいたしました」


 応接室にやってきたのは、硬い表情をしたストムの父と不機嫌なストム。そして、困惑の表情のネウロパだった。


 マハルダの向かいの席にはストムの父が座り、ストムはその横に腰を下ろした。ネウロパはストム達の椅子の後ろに控えるように立っている。


 ベレスティナの正面に座ったストムは、目が合うと眼光を鋭くして何か言いたげだ。その瞳から逃れるようにベレスティナは、視線を別の方向に向けた。


 その時、ネウロパが目を見開かせてマハルダを見ていることに気が付いた。ネウロパの驚愕の表情に本人も気がついてはいるようだが、マハルダの視線は真っ直ぐにストムの父を捉えていた。


「初めまして。私はバンボラ商会、店主の―」

「そなたの名など興味ない」


 自己紹介をするストムの父の言葉をバッサリと切るマハルダ。高圧的な彼女に、ストムの父は目を丸くした。


 今まで数多くの商談をしてきたが、マハルダのような態度をとる客はいなかったのだろう。驚きに固まっているストムの父に、マハルダは爆弾を投げた。


「そこのボンクラが、ベレスティナに婚約破棄を告げたことは知っておるのか?」


 マハルダはクイッと顎でストムを指す。ストムの父とネウロパの瞳が大きく見開かれた。


「婚約破棄ですと…!?」

「一方的に別れを告げ、令嬢をカフェに置き去りとは…いい趣味をしておるのぉ」

「なっ!? ストム! どういうことだ!」

「やはり知らんかったか…子も子なら、親もボンクラよ」


 呆れたように息を漏らすマハルダ。


 ストムの父の反応を見て、ベレスティナもやはりと思った。


 ベレスティナと婚約を破棄しても、バンボラ家に何の利益もない。むしろ、貴族令嬢に恥をかかせたことで今後の他の貴族との取引に影響がないとも言い切れないだろう。まして、人気のカフェで起こった出来事。他の貴族達がカフェにいた可能性は十分あり得る。そうなれば、ストムの失礼な態度が噂として広がっていくことは確実だ。そして、噂とは尾ひれ背びれがつくもの。それは、バンボラ商会にとって貴族や平民に関係なく、悪評が広がっていくことと同じだ。


 それが瞬時に予測できた敏腕な商人であるストムの父は、ストムに怒声をあげた。


 ストムは父親から詰め寄られながらも、鋭くマハルダに非難の目を向けた。マハルダは涼しい顔でその視線を受け流すと、確信をつく質問を投げかけた。


「それで? 婚約破棄の要因はなんじゃ?」


 そんなストレートに聞いてくると思わなかったのか、ストムはたじろぐ。


「わらわが見る限り、ベレスティナに問題があるとは思えん。むしろ、こんなボンクラ商会にはもったいない娘じゃ」

「あの、マハルダさん…ボンクラではなく、バンボラです」

「こんな無能を放置しておる時点で、この家の者などボンクラじゃ」


 国王に進言してもいいくらいだ、と言うマハルダ。彼女がどこまで本気なのか、ベレスティナには分からない。だが、これまでの行動を見るに、マハルダは有言実行のタイプのようなので少し怖くもある。


 中々答えないストム。マハルダは苛立ったように眉を顰めた。


「さっさと答えんか。ボンクラ息子」

「なっ!? 僕はボンクラなんかじゃ―」

「わらわは、婚約破棄の要因を聞いておる。それ以外の発言は許さぬ」


 鋭い声に誰もが息を飲んだ。空気がビリッと揺れたようにも感じる。まるで、マハルダが魔法でストムの声以外の音を奪ったかのように、静寂な時間が流れた。


「き、気味が悪いんだ…」


 ポツリとこぼれた言葉を皮切りに、ストムは怒鳴るように声を張り上げた。それはベレスティナも想像もしていないものだった。


「ありもしない魔法なんて調べているし、俺ができないことでもお前はすぐにできる! お前が俺よりも優れているなんてあり得ないことなのに…どうせ、その魔法とやらで、優秀な俺を呪っているのだろう!? お前のような陰湿な女は俺に相応しくない!」


 ベレスティナの努力を全て否定するような言葉。言いがかりもいいところの理由に、ベレスティナは頭が真っ白になった。


 ストムが婚約破棄を言い渡してきたのは、ネウロパの存在だけだと思っていた。だが、まさか彼自身の不出来をベレスティナに押し付けていようとは考えもしなかった。そもそも魔法なんて存在しないと言っているストムが、魔法の存在を口にするのもおかしな話だ。


 ハァァ…と大きなため息が部屋に響く。


「随分と器の小さき男よ。婚約者の成功を祝えぬとは…どういう教育を受けたのだ」


 呆れながらマハルダは、ストムの父に冷ややかな目を向けた。


 ストムの父は片手で顔を押さえ、苦々しく顔を歪める。


「ありもしない、と言うが魔法は存在する。歴史をもっと調べろ、アホ」

「はぁ? 魔法なんて、絵本でしか書かれていないじゃないか」

「史実が子供にも理解できるように、御伽噺になるのはよくあること。そんなこともわからぬのか、ボンクラ」


 淡々と正論をぶつけながらも、ストムを見下す言葉を忘れないマハルダ。その言葉が気に入らないのか、ストムはマハルダに鋭い怒りを込めた視線をぶつけた。


 睨むことしかできないストムに、マハルダがますます苛立ちを募らせている。そのことにベレスティナは気が付き、内心ハラハラしてしまう。


 ここでストムの父は、マハルダの発言に気になる箇所を見つけた。


「失礼ですが…あなたは魔法を見たことがあるかのように、お話をされているように感じるのですが…」

「わらわが使えるからの」


 それが何か? とでもいうように、シレッと爆弾発言をするマハルダに全員の目が見開かれた。


「ま、マハルダさん! いいんですか、そんなあっさりと!?」

「いいも何も、事実じゃ」

「でも、魔法ってもっとこう…極秘するべきものでは!?」


 魔法について調べていたベレスティナは、残された資料の少なさを知っている。それらしき内容が書かれた書物を探すのにも苦労したのに、更にそんな数少ない資料の中でも明確に“魔法”という単語を記されたものは片手くらいしかなかった。多くのものは濁すような書き方や絵本のような空想世界のものとして書き綴られていた。だからベレスティナは、魔法は隠すべき存在なのだと勝手に自己解釈していた。


 そんな極秘にすべき魔法が使える事をあっさりと宣言したマハルダに、ベレスティナは慌てふためく。


 ベレスティナの焦りようにマハルダは「あぁ、なるほど」と小さくこぼした。


「魔法が表舞台から消えたのは、王家とわらわで結んだ契約が原因じゃろうな」

「王家と…?」

「…魔法は便利ではあるが、恐ろしくもある。故に欲深い貴族共が、わらわを従者にしようしたのじゃ」


 マハルダは遠い昔を思い出すように語った。


「魔法で田畑を潤せば、今度はより強大な恵みを…恵みを与えれば、次は更なる富をと…きりが無かった」


 その時の貴族たちのギラついた瞳が、マハルダは未だに瞼の裏にこびりついている。


 マハルダの前では彼女を褒め称え、姿を消せば誹謗する言葉を同じ口で吐く。そんな彼らがマハルダは気持ち悪く、距離を置いた。けれど欲深い人間が強大な力を放っておくはずもなく、何度も彼女の魔法の恩恵にあやかろうとしてきたのだ。質の悪い者に至っては、マハルダを自身の屋敷に閉じ込め、無理矢理使役しようとする連中まで現れ始めた。


 最終的には、マハルダの存在を巡って国内で争いが起こった。マハルダの意志など関係ない、無駄としか言いようがない争い。奪われ、傷ついていくモノ達を見て、マハルダは嫌悪しか抱けなかった。


「嫌気がさし、この国を出ようと思ったが…当時の国王がしつこく引き留めてのぉ。あまりに必死で面白かったので、わらわは留まることにしたのじゃ」


 旅立とうとするマハルダの足に必死にしがみつき、涙ながらに説得する当時の国王を思い出す。


『お願いですから、この国にいて下さいぃ! 貴族達は私がなんとかしますからぁ!』

『えぇい、鬱陶しい! そなたには国王としてのプライドはないのか!?』

『プライドでは、民の安全は守れません! でも、貴方の魔法なら皆が豊かに暮らせる!』


 だから必死に引き留めているのです、と国王は矜持も威厳もない涙と鼻水にまみれた顔でマハルダを見上げた。情けない顔ではあったが、その瞳からは強い意志が伝わってくる。その目を見れば、彼が嘘をついているなど誰も思わないだろう。ふぅ…と、息と共にマハルダの体から力が抜けた。


『分かった…今しばらくは、この地に留まろう』

『ありがとうございます! 今しばらくと言わず、ずっとでもいいですよ』

『厚かましい奴じゃ』


 国王はマハルダの足を開放すると、ぐしゃぐしゃになった顔を拭った。加減を知らないのか、強くこすった顔面は赤くなっている。それでも国王の表情は満足げで、とても嬉しそうにニコニコと笑っているのがマハルダはなんだか可笑しかった。


 クスクスと昔を懐かしむようにこぼれた笑みは、長い年月が経った今でもマハルダを心底楽しませる。


「その時に、わらわは王家へ三つの条件を出した」


 一つ一つ指を折りながら語られる条件。


「一つは、わらわの全てを縛ることは何者にも許さぬということ。もう一つは、わらわの友人を害せぬこと。そして最後に…わらわの許可なく魔法の存在を決して世に広めぬこと」


 最後の条件を聞き、ベレスティナは魔法の存在が消滅していった理由を察した。


 マハルダにとって国王は少しばかり信用できたのかもしれない。しかし、他の地位ある者は別だ。国王が対策しようが、彼女を金のなる木として見ている者は後を絶たないだろう。そして、それらを相手にするのは面倒なこと。同じ轍は踏まないとばかりに、マハルダは先手を打ったのだ。


 語り継がれない歴史は、水に溶けるように少しずつ形を失っていく。マハルダがどれだけ魔法を使っても世に広がらなければ、ひっそりと影を潜めていくしかない。


 たった数冊の資料や絵本に残してくれているだけでも、マハルダの温情とでも言えるのだろうかとベレスティナの脳裏に大好きだった絵本がよぎった。


「この条件を守るならば、この地に留まり魔法による恩恵を与えると…当時の国王と契約を結んだのじゃ」


 その言葉にベレスティナは、そういえば…記憶を辿る。


 確かに、この国では大規模な飢餓が発生した記録がない。周辺諸国が日照り続きや災害で作物が育たない時でも、我が国だけはなんとか無事だった。寧ろ、食料が不足している他国に食べ物を給付したくらいだ。疫病も発生したこともあるらしいが、広範囲に感染せず被害もそこまで大きなものではなかったらしい。


 故に、周りの国々から“神から愛された国”として称賛され大国との交流も盛んだ。大国に目をかけてもらっているおかげか、はたまた神々から寵愛を受けているという噂のおかげか、我が国に戦争をふっかけようとする愚かな国は数少ない。


 この平和な国を作りあげたのは、マハルダの貢献が大きいとベレスティナは悟った。と同時に、過去の国王に深く感謝した。


「何を言い出すかと思えば…王家だと? ハッタリもいいところだ」


 ベレスティナは我が耳を疑った。勢いよく視線を声の方に向けると、ストムがベレスティナの苦手な嫌な笑みを浮かべている。


 ストムは今までの話をマハルダの妄想だとでも言うように、鼻で笑った。


「魔法が実在するというのなら、実際この目で見てみたいものだな」


 完全に相手を見下すような物言いをするストム。マハルダの眉がピクリと反応する。彼女の性格をある程度理解しているベレスティナは止めようとした。が、遅かった。


 マハルダは人差し指をクイッと上に曲げた。すると、ストムの体がふわりと宙に浮きあがった。


「うわぁぁ!?」

「ストム!?」


 情けない悲鳴を上げながら手足を必死に動かし抵抗するストム。ストムの父は息子を助けようと手を伸ばし引っ張るが、ストムの体は宙に浮いたままだ。


「どうした? 見たいと言ったから見せてやったというのに…礼の一つも言えぬのか?」


 明らかに挑発するような物言いだが、ストムは反抗する余裕などない。


 慌てふためくストムにマハルダ満足そうにしている。


「わらわのようなババアでも、男一人を持ち上げることくらい造作もないことよ」


 成人男性二人の抵抗を完全に無力化しているマハルダに、ベレスティナは素直にすごいと思った。瞳を輝かせるベレスティナに、マハルダは目を細める。


「…ベレスティナよ、魔法は素晴らしいか?」

「はい! この魔法が使えれば、怪我人を運ぶのも―」

「確かに、魔法は便利じゃ。じゃが、それはそなたのような考えの者がいれば、の話」


 ベレスティナの言葉を切り、マハルダはどこか教え込むように真剣な顔になる。


「便利な存在の影には、必ず危険が潜むもの…魔法も例外ではない」


 マハルダの言う危険の意味があまり理解できていないのか、ベレスティナは首を傾げる。純真無垢な瞳を向けられたマハルダは困ったように笑いながら、ゆっくりとストムに視線を戻した。


「そう例えば…」


 スッ…とマハルダの瞳から温度が無くなった。


「このまま、この男を地面に叩きつけることも容易い」


 マハルダのその言葉に、暴れていたストムがピタリと動きを止めた。マハルダの言葉の意味を、瞬時に理解したストムは恐る恐るマハルダに目を向ける。


「言ったじゃろ? 魔法は恐ろしい存在でもあると」


 瞳を三日月のように細め、深紅の唇の端をニィィと不自然なほどに釣り上げるマハルダ。


 ゾクリ、とその場にいた全員の背に恐怖が走った。


 ベレスティナはそこでようやく、マハルダの言っていた恐ろしさを理解した。


 刃物と同じだ。確かに魔法のように便利なものは人々に、大きな恩恵を与えてくれる。しかし、使う者の意志によっては凄惨な結果を招いてしまう存在にもなってしまう。人の命など簡単に奪ってしまえるくらいに―


 ベレスティナはマハルダを使役しようとしていた貴族たちの本当の目的は、こちらではないかと感じ取った。


 魔法という未知なる存在の脅威は計り知れず、人々は対策も抵抗もできない。そんなものが、戦で放たれれば…想像しただけで、ぞっとする光景が脳内に浮かび上がる。


 戦力で優劣が決まるのではなく、マハルダがどちらに就くかで勝敗が決定してしまう事に改めて気づかされた。


 となると、富も名誉も名声も欲する強欲な人間ならば、マハルダは喉から手が出るほど欲しい存在だ。手段を選ばずに、マハルダの身辺を調べ、彼女と接点のある人物を脅しの道具にする可能性だって十分あり得る。だからマハルダは“自分の友人にも手出しは許さない”という条件を提示したのだろう。


 何手も先を読むマハルダの思慮深さに感心していると、悲鳴がベレスティナの思考を現実世界へと戻した。


 悲鳴の方に目を向けると、ストムの体は更に天井に近くなっていた。鼻先が天井に付きそうなほど高く浮かび上がったストムの顔から血の気がひいていく。


「た、頼む! 命だけは助けてくれ!」


 涙を浮かべながら命乞いをするストムに、マハルダは不気味な笑みを消しやれやれと肩をすくめた。


 マハルダの指が今度は下に曲がると、ストムの体はポスンッとソファに沈んだ。


「そなたの汚い血で、ベレスティナの目を穢すわけがなかろう。例えの話じゃ」


 魔法の存在を初めて目の当たりにしたストムの父達。脳が現実に追い付いていないのかマハルダの言葉は耳に届いておらず、ただ唖然と今起こった出来事を頭の中で反芻しているようだ。


 ストムは額に大量の汗をかきながら、恐怖を必死に消化させている。


「しかし、魔法で経済だけはできぬ。現に、わらわは金銭感覚がおかしいらしい」


 どこか誇らしげなマハルダ。常人だと情けないことのはずなのに、マハルダが言うとそう感じないのが不思議だ。


 ストムの意識がやっと現実に戻ったのを見計らって、マハルダは言葉を投げた。


「先ほど貴様は、ベレスティナより自分の方が優秀だと言っておったが…勘違いも甚だしい」


 マハルダは優雅に足を組みかえ、その足の上に頬杖をつく。怯えの色を宿す瞳を向けてくるストムに、マハルダは愉快そうに目を細めた。


「貴様にできぬのは、単に貴様の実力と努力不足。それをベレスティナのせいにするなど…哀れで愚かよのぉ」


 クスクスと嘲笑するマハルダ。あからさまに馬鹿にされたストムは、カッと顔を赤くした。


「婚約破棄の要因は魔法だけじゃない!」


 先程まで恐怖に支配されていたことなど忘れたかのように立ち上がり、ストムは興奮気味に声を張り上げる。


「俺は…俺は真実の愛を見つけたんだ!」


 ババーン! と効果音でも聞こえてきそうな芝居じみたセリフに誰もが唖然となっている。マハルダだけが、退屈そうに欠伸をこぼした。


「ネウロパさ! 俺の真実の愛は、彼女にこそ捧げるべきものだ!」


 ストムは自分の発言の意味を理解しているのだろうか…今自分が堂々と浮気宣言をしたことを…


 舞台の主演のように振る舞うストムに、ベレスティナは呆れかえった。こうも堂々と宣言されれば、ある意味清々しい気分にもなるというものだ。


 完全に言い訳ができない台詞をストム自身が吐いてしまい、ストムの父は頭を抱え込んでしまっている。ベレスティナは、バンボラ商会が有責で婚約破棄できると確信し、心の中でガッツポーズをした。


「フッ!」


 ストムの一世一代の告白をマハルダは鼻で笑った。必死に笑いを堪えているのか、マハルダは肩を揺らしている。


「よかったのぉ、ネウロパ。真実の愛を捧げられたぞ」


 マハルダの呼びかけに、今で空気に近かった人物に視線が集まる。


 名を呼ばれたストムの思い人でもある少女、ネウロパはただ静かに漆黒の瞳でこの場にいる全員を見ていた。


読んでいただき、ありがとうございます。


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