33(完結)
〔■〕
「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろォ――ッ!!」
俺の叫び声にいち早く反応したのはランダで、遅れてきたくせに猛スピードで俺を追い抜いていった。とにかく逃げた。全力疾走なんてもんじゃない。だって背中に発射の予兆のような微風が当たっているけど、そいつがすでにストーブの周りみたいに熱い。
ブレスの発射音は、ヒィイイインという高音域だった。ガスバーナーみたいな音を想像していたけど、まるで違った。似ているのはジェットエンジンの噴射音だ。衝撃波が後ろから来て、俺は弾かれるように転倒して車輪みたいに地面を転がった。二転三転する視界の中で、矢のようなスピードで無数の火の玉が爆散していくのが見えた。何回転がったか判らないけど、最後に背中を打って倒れた。肌がヒリヒリする。腕と頬がビリビリと痛い。煙が鼻から入ってくる。化学物質みたいな刺激臭がある。
起き上がる。大丈夫、骨は折れていない。息が続くうちに煙の中から出なくては――そう思い、走った。煙の向こうへと駆け出た途端、俺は自分の愚かさに絶望することとなる。
八メートル先くらいに、いた。幻想的生物に分類されるそいつは、モンスターの中でも子供からお年寄りまで有名だ。
その名は、ドラゴン――、
鱗の色は白。たてがみも白い。ユニコーンのような一本角もあって、それも白い。翼の膜だけがやや赤みを帯びている。顔は短く尖っていて、トカゲというよりイタチっぽいフォルムだ。前脚、後脚はいわゆるスタンダードなドラゴンよりも細長く、爪が大きい。
ドラゴンが巨体にあるまじき素早さで尻尾を叩きつけてきた。目では捕らえていたし、軌道も読めた。躱そうとしたけど、リアルワールドの俺の肉体がまったくのポンコツで、脳の反応に追いついていけなかった。
(……ああ、死ぬのか、俺)
そんな悲壮感漂う思考を、激しい剣戟の音が叩き割った。
「――!?」
振り向くと、ランダが二本の鎌による同時斬撃をくらわせているのが見えた。巨大な尻尾はその斬撃に弾かれ、鈍く軌道を逸らした。パワードパリィという、力に力をぶつけて相殺する防御法だ。大きめの攻撃スキルのチャージを一つ失うため、ダメージレース的に不利なので俺は使わないが、ランダは後先を考えないタイプなので躊躇なく使う。それが上手く作用するときもあるし、いまがそうだった。
「あ、ありがとう……」
遠距離まで離れ、向き直る。
「ランダ……こいつを、殺せるか?」
「それ、聞く?」
「無理だな……時間稼ぎは?」
ドラゴンがブレスを吐こうと、口に光を溜めている。
「無理みたいネ……」
「逃げろ!」
ブレスが吐き出されようとしたとき、どこからともなく飛来した岩塊が、竜の首を直撃した。ドラゴンが悲鳴のような声を上げ、よろける。
岩の飛んできた方向に目を向けると、岩で構成された巨大ライオンのゴーレムがいた。その上に、女神みたいな格好をした、外国人の女性が立っている。
「……貴方の相手は、私よ」
「ママ!」
ドラゴンへと視線を戻す。攻撃姿勢を取っていたが、羽ばたき始めている。どうやら空中戦に移行するようだ。巨大ライオンも森の奥へ移動し始める。
「行ってくるネ!」
「え? ああ……」
ランダが林へと移動し始めたのを見て、違和感を感じた。
ゲームをやっている人なら「ああ!」って共感してくれると思うけど、合理的な理由もなく、ただ周りの動き、あるいはその場の空気感から、フッと〝これをやったらまずい〟と感じることがないだろうか? ないか……まあ、気のせいだよな。
いや、前にそう思ったとき、ヘマをやらかしているだろ! 考えろ!
「ランダ、待て!」
「……え?」
違和感の正体を考えた。ランダは援護に行こうとしているが、こいつが行ったところで大型モンスター同士の争いに影響を与えられるとは思えない。もっと適切な役割に配置しないと。
「ARKⅡの動きを見張れ。スパイは得意だろ?」
「でも……」
「俺を信じろ」
迷うかと思ったのに、ランダはすぐさま頷き、藪の中へと姿を消した。
シルバーを見る。林の方へ向かおうとしている。
「歩、〔ウルフヘズナル〕を詠唱してくれ」
「でも……戦って負ければ悠也さんは死にます」
「そいつは聞いた。でも、リーズベルを連中の手に渡せば、彼女は確実に魔女になる。それがラグランジュ解のわけがない。違うか?」
「そうですが……」
「覚悟はとっくに決めた。だからこそ逃げずにここまで来た。歩も覚悟を決めてくれ」
「……判りました。やります」
歩はアースメギンの姿に戻り、静かに目を閉じる。
そして詠唱型の発動モーションを入力した。
「目覚めて――宿命を穿つ聖牙――〔ウルフヘズナル〕!」
ヴォン――ッ、という電子音が鳴った。
視界が、ゆっくりと闇に呑み込まれたあと、やがて俺に身体が与えられる。足の裏に、地面の感触が与えられる。手が動くようになったので、目の前に持ってきて見つめる。〝ID/エゼキエル〟の手だ。
シルバーの進路へと、俺は立ちはだかった。シルバーは微かに目を広げて驚き、そのあとは敵意ある眼差しを俺に向けた。
「アリーナで戦ったな。たしか……」
「ダメージレーサーは通り名だからな?」
「……、」
言い詰まったのは、心を読まれた驚きか。
向こうは冷静が持ち味だ。少しかき回してミスを誘わないと勝てないかも。
「なあ、ジョージ・シルバー。剣士が、舌で勝つつもりか? 口を閉じて、レースしようぜ」
俺の挑発を聞いたシルバーの表情が、深い殺気の中へと沈み込んでいく。
「……よかろう」
シルバーは俺のエペ・ラピエルを薙ぎ払って、間合いを作った。そのあと剣を下向きにする、あの構えを取った。
風が吹いた。熱を帯びた火災の風だ。両者、流れてくる黒煙に身を隠して、静かに移動を開始する。
俺が《ダメージレーサー》と呼ばれていた頃は、攻め続けてダメージを競い合い、逆転するのが常套戦術だった。しかし、シルバーには通用しない。新たな手で迎え撃つ必要がある。
エペ・ラピエルを握る手が、汗ばむ。
(……足音が消えた!?)
異変に気づいて我に返った瞬間、真後ろから再び足音が聞こえた。
(しまった、隠密スキルか!)
忍び足、物陰に隠れる、不意を打つ、などをまとめたのが隠密スキルだ。これは大きな体格、大きな武具によるペナルティが入るので、重装甲冑を着ている大柄なシルバーなら、たとえ最大レベルでも判定成功は不可能なはずだが……
(考えている暇はない。対処しないと!)
振り向くと同時に、俺の顔に剣先が迫って――、
間一髪、防御が間に合った。エペ・ラピエルによるパリィではない。空いている左手で、加速がつききる前の剣をつかみ押し、威力を減衰した。
シルバーが口元をひくりとさせる。
違和感があった。シルバーにしては表情の変化が大きすぎる。
「ソードレスリングか」
引き剥がすように威嚇して離れ、攻撃に移る。すると相手は剣を下向きに構え、防御に入った。こうなったシルバーは、どんな技を入れようがきっちり守ってくる。
ゼキのアバターに汗が浮かぶ。
(どうする……? 防御を捨てて攻めに出るか……? いや、そのせいであの嵐のようなラッシュをくらったんだろう? 隙を見せたら終わりだ)
一か八か――前に出よう。
そう、考えていたときだ。気づけば、シルバーが俺の懐に飛び込んできていた。
「……え?」
異常な速さの突撃。前にも見たぞ!
確かあのとき、ヒット箇所は頭部側面だった。顔をパリィで守る。
ダメージヒット!
「……かっ……は」
横腹に激痛。頭部じゃなく、腹部!?
動きの鈍った俺を追って、シルバーは連撃に入った。防御が思うようにいかず、かなりのヒットをもらった。自分のHPゲージがレッドゾーンに差しかかっている。
きわどいアクロバット回避を連発し、どうにか離脱した。細かい攻撃を放って、シルバーを防御姿勢に入らせる。
(死の瀬戸際か……)
前回よりも多いダメージをもらっている。もはやレースどころの話ではない。
(アレしかない――)
シルバーが突撃を開始。俺は――一歩、後ろへ。
シルバーが発動モーションを入力してくる。
俺はさらに後退し、間合い調整。
アドレナリン上等だ。万物を計算し尽くしてやる。
(フルスイング・ゼロカウンターッ!!)
ダメージ音が吠える。視界を埋め尽くす量の、火花が散る。風圧が抜ける。吹き飛ばされそうになるが、踏みとどまる。
敵の刃を六十分の一秒内の無敵で打ち消し、俺の攻撃だけを浴びせたはずだった。
しかしシルバーの剣は、攻撃の真っ最中だったにも拘わらず、引き戻された状態で俺のカウンターをパリィしていた。
すべての謎が解けた気がして、震えが走った。
(そうか……あの試合で、俺のダメージが想定以上に減らされていたのは、パリィされていないように見えたダメージすら、パリィされていたからだ)
「見られてしまったか。想定以上に追加ダメージが乗って、剣が硬直してしまったな。ご覧の通り、これがカラクリさ。私の固有スキル……名は〔ガーダント〕」
「モーションを入力していなかった」
「私は四百年近く費やして鍛錬した。もはや〝攻撃したその瞬間〟ですら、攻撃を中断することなく、パリィできる」
そんなの、矛盾している。攻撃に使うブロードソード、防御に使うブロードソード――同じ武器が同時に存在していることになる。しかし〝システム上のスキル・エフェクトとして発生するパリィ〟という、ゲーム感覚でなら、理解できる。理解はできるが、あり得ない。あり得ないだろ!
(…………勝てるわけが……ない)
エペ・ラピエルが、俺の手から落ちる――……
……寸前で、俺は再び、柄を握り直した。
「うあああああッ!」
「ッ――!?」
俺のエペ・ラピエルと、シルバーのブロードソードがかち合い、火花が散った。
かなりの急襲だった。シルバーも焦りが一瞬出るほどの一撃で、抜きざまのパリィが間に合ったのは、達人級のこいつだったからと言える。
ふたふりの刃は、噛み合ったまま、その力を均衡させている。
「ゲーマーを、ナメんなよ!!」
「小賢しい!!」
シルバーは俺のエペ・ラピエルを薙ぎ払ってから、牽制し間合いを作った。
心がモヤッとした。このやり方ではダメだ。そう思う自分がいる。俺はダメージレーサーとして戦っているが、それでは限界がある。
エンダーでユニットゼロに倒されたとき、シルバーは『まだ見ていない技が……』と言って倒れた。ヤツは研究して戦うタイプ。
(アリーナでの戦いは、メディアを通じて誰にでも閲覧できた。好きなだけ相手を研究できる。おそらくシルバーは、俺の剣技、癖、性格を知り尽くしている――)
考えが突破口を見出していないうちに、局面が変わった。シルバーがまた詰め寄ってきたのだ。パリィで攻撃を凌ぐも、剣の柄で腹を殴られ、スタンさせられた。トドメのラッシュが襲ってくる。
(――死ぬ…………?)
そう思った、刹那。
「ジョージ・シルバァァアアアア――ッ!!」
空中から声がした。人影が降ってくる。シルエットしか見えなかったけど甲冑姿なのは判る。衝撃で梢の葉を揺さぶるほどのスイングをして、シルバーに長槍を振り下ろした。
刃と刃が激突し、空を灼かんとするほどの壮絶な火花が散った。
〔■〕
「よくぞ時を稼いだ、勇者よ」
俺とシルバーとの対決に割って入った人物は、威容だった。
兜には牡鹿の大枝角。漆黒の和甲冑。そして黒塗りの長槍。戦国の武者という出で立ちの中でさえも、異端である。その姿は視線すらも注ぎ難いほどの圧力を放ち、敵を怯ませるだろう。
彼の名は、ユニットゼロ。俺は彼から能力を受け継いだ。継承したとき流れ込んできた記憶によれば、彼の本当の名は本多忠勝。徳川家に仕えた、生え抜きの猛将だ。
彼は着地と同時に、姿が歪むほど凄まじい速度で旋回攻撃をした。ガーダントによって圧倒的防御能力を備えるシルバーにさえも、全力パリィを選択させるような猛攻だ。落下硬直、落下攻撃の硬直、すべて無視。異常なコンボだ。シルバーは気圧されて距離を取っている。
ユニットゼロの目が俺に向いた。
「リアの剣か……」
「リア?」
答えず、「治療せよ」と告げてユニットゼロは戦闘に戻った。
俺がポーションを飲み続けている間に、戦いは次の局面へ。ユニットゼロの姿が薄くなり、霧状のエフェクトを軌跡として残しながら、瞬間移動みたいな速度で動き、上下左右、あらゆる方位からシルバーが斬りつけられている。
前にも使った。インスキル〔蜉蝣紡ぎ〕だ。
ラッシュを切り抜けたあと、刃と刃が噛み合った。力の均衡に入っている。
(前の戦いと同じ展開――)
ここまではシルバーが防戦一方だったが、シルバーがあるアイテムをブレスレット・アクセサリーとして装備し、形勢が逆転する。
「気をつけてくれ、ユニットゼロ! シルバーは《オリフラム》を所持している!」
「なッ……」
八メートルもの距離を一気に跳躍し、ユニットゼロは距離を取った。
シルバーは追わず、オリフラムの召喚も行っていない。ただ俺を睨みつけている。
「ダメージレーサー……その事実を、どうやって知った?」
「……わしのプロトスキルを、継承したのか」
シルバーが俺に剣先を向けてくる。
「どうやら始末すべき人間が二人いるようだな。ヘイハチロウの息の根を止める。お前はそのあとだ」
「強い犬は吼えぬものだが?」
二人は殺気立った空気を作り、どちらからともなく、距離を取った。どちらも静かな歩みだった。
シルバーの鎧がうっすらとした燐光をまとい始めた。地の底からせり上がってくるような重い轟きが続き、地面が震え出した。
ユニットゼロの漆黒の甲冑も、同じように燐光をまとい始めた。轟きがコーラスとなり、地面がひび割れ始める。
「来い。《オリフラム》よ」
「来たれ、《オリフラム》――」
シルバーの手に、ぼろ布が現れた。それを、ブロードソードの刀身に巻いた。
ユニットゼロの手に、ボロ布が現れた。それを、槍の柄に巻いた。
二人とも、同じタイミングで、攻撃の構えを取った。シルバーは剣を頭上に掲げるような構え。ユニットゼロは槍を肩のラインで掲げるような構えだ。
両者の刃が、同時に、渦巻きながら燃える蒼炎を纏った。
「因縁を断とう」
「望むところだ!」
シルバーが突進する。ユニットゼロも突進する。
二つの武器が、激突した――……、
音が死んだ。無に等しい静寂の中で、巨大な火球が生じたあと、爆音が鼓膜を激しく揺さぶった。衝撃波で吹き飛ばされ、地面を転がった。激突で煙で視界は奪われた。
しばらく何が起こったのか判らなかったが、煙が晴れ始めた。人影が見える。二つ。両方とも立っている。ユニットゼロとシルバーは、装備耐久度の激減を示す〝ボロボロの格好〟になり、スタミナの激減を示す〝荒い息〟をしていて、HPの激減を示す〝満身創痍の表情〟になりながら立っている。
どちらも、言葉を発さない。喋るのも困難なのかもしれない。
「……、」
何か言おうとしたのか口を開けた直後、シルバーがブロードソードを取り落とし、前のめりに崩れ落ちた――。
ユニットゼロは一瞬ふらついたが、持ち直した。
「……良かった。生き残ってくれた」
林の方から声がした。
「勇者様ぁ!」
リーズベルだ。涙を浮かべながら、ユニットゼロの元へと駆けてくる。彼の口元に、優しい笑みが浮かんだ。
「無事であったか」
ユニットゼロに抱きつき、泣きじゃくっている。
「案ずるに及ばぬ。あといくばくもなく、終わるであろう」
「――そう、終わりだ」
リーズベルの口から、らしくない言葉が漏れた瞬間、ズシュ、という重い音が響いた。
「…………あ……」
信じられない光景を、俺は目にした。リーズベルが、ローマ式小剣でユニットゼロの腹を刺していた。そのグラディウスの護拳には《オリフラム》が巻かれ、刀身が青い炎を纏っていた。
「……そなた……ピラトか」
「悪いな、ヘイハチロウ。今度こそ私は、悔いのない決断をする」
リーズベルの姿をした〝ピラト〟は、グラディウスをさらに深くねじ込んだ。ユニットゼロの姿が、白い光に包まれ始めた。死亡エフェクトだ。
死に向かうユニットゼロの表情は、哀しげではあったが、不思議と穏やかだった。
「……ユニットゼロ」
彼は俺を見た。そして、メニューを開き、何かのアイコンにタッチした。
次の瞬間、俺の目の前にウインドウが出現。アイテムトレード・ウインドウだった。
〔本多忠勝からアイテムトレードのリクエストがあります。承認しますか? はい/いいえ〕
「これは……?」
はいを押すと、俺の掌に三角形のぼろ布が現れた。
「《オリフラム》――」
本多忠勝の身体が光の粒となり、消えながらも、彼の目から涙がこぼれた。
「リーズベルを頼む……あれにどうか、愛を教えてやってくれ――」
言葉の途中で、彼は死んだ。
俺は身震いした。託されたものの重さを、すでに実感していたからだ。でも……、
(……彼は、世界の存続を背負って生きた。立派な行いだ)
ぼろ布を、ギュッと握り締める。
(その志を絶やしてはいけない)
ピラトは俺を睨み、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「どうやら貴方も始末する必要がありそうですね」
「あのさ、変身してくれないか?」
「は?」
「リーズベルの姿をしているヤツと戦うなんて、やりにくいからさ」
ピラトは鼻で笑い、詠唱モーションを実行し、ドラゴンになった。
「これでいいですか?」
「ああ。レースを始めよう」
ゼキのレベルは完ストだが、このボスモンスターを倒しきる能力などないのは承知済みだ。正面からまともにはやり合えない。
だが、俺の頭の中にはプランが一つだけあった。
(……最も危険なプランだ。でも、いまの状況だって絶望的。危険が一つ増えたところで、もう変わらない。やるしかない。覚悟を決めろ、悠也)
深呼吸して、メニュー画面を開く。アイテムストレージから一つのアイテムを実体化させ、左手に握る。
「消し炭に変われ!!」
ピラトの腹が大きく膨れ、口の間から赤銅色の炎光が漏れる。ブレスが来る!
(いまだ!)
手の中のアイテムを投げ放った。
その名は、《インプの閃光弾》――。
短い時間だけ目をくらませるこの投擲アイテムは、使用のたびに消費する、いわゆる消耗武器である。非常にレアな素材ばかり必要となる高級品だし、シビアな所持数制限があることから察してもらえると思うが、数々のナーフをくり返したいまもなお、モンスター相手にはかなりの強武器だ。
「な……?」
ピラトはそいつを見たことがなかったらしく、ブレスを噴きながら、瞼を閉じることも、目をそらすこともしなかった。俺は目を閉じ、耳を塞いだ。
閃光弾の爆発を迎えた。
大きな爆音が鳴り、強い閃光が周囲を照らした。
「グヴォボボ――、」
ブレスを噴きながら、ドラゴンが叫びを漏らした。ドラゴンに、コンフュージュンとサイレントとブラインドネスの状態異常をくらわせた。つまり混乱してパニックになった上、目も耳も利かない状態だ。ブレスは中断せず続いているが、狙いは無茶苦茶だった。辺り構わず火の海にしている。ブォウ、と重苦しい燃焼音を発しながら、高音の炎が迫ってきて、俺はその場を離脱。山林に入り込んで、藪の裏に姿を隠す。
狼の姿の歩もついてきた。
「どうする気です!?」
「もしラグランジュ解なんてものが存在するなら、それは一周目の答え合わせでなけらばならない」
「はあ……?」
「仮に、エンダーとまったく関係のないルートが正解であるなら、ユニットゼロはそいつをクリアできていない」
「……そう言われると、そうかもしれませんね」
「つまり俺が把握している流れの中で、最善の手を組み立てろ――それがラグランジュ解なんじゃないか?」
「だから、何です?」
「さっきストレージを見たとき、以前に同調スキャニングをした仮想スマホが入っているのが見えた」
俺はアイテムストレージから《望月悠也のスマートフォン》を実体化させた。
「それで誰に……」
「しぃ!」
覚悟を決めて、ある人物に掛けた。二コールで繋がった。
〔……はい?〕
あくび混じりの声だ。それは、いま一番危険な〝敵〟の声でもある。緊張で心臓がバクバク打ち、額を大量の汗が伝う。
〔何さ、望月くん。まだ六時だよ?〕
星野凛――ARKⅡの主任で、俺がいま一番関わってはいけない人物の一人。彼女に見つかれば、俺の周囲にいる人々のほとんどは殺される。リーズベルだって無事に済まない。なのに俺は、そいつと通話している。なぜ、こんな愚行に走ったのか?
敵の敵は、敵だから――だ。
「よく聞けよ、星野さん。ARKⅡの所長はすでに死んでいる」
〔…………え?〕
「判っている。生きているはずだって言うんだろ? 違うんだ。そいつは変身能力を持った勇者のなりすましで、本当の所長は〝所長にしか入れない部屋〟の中で死んでいる」
〔ちょ……ちょっと待って……望月くん? どうしてARKⅡのことを……〕
「説明している暇はない。もう一つ、お前が知らなくてはいけない真実がある。お前の弟の歩が生きている。あの日起こったことは自殺に見えるよな。でも、違うんだ。転生するための手段で、」
〔望月くん……どうしたの、気でも触れた?〕
「異世界を憎めと言ったのは、所長だ。違うか?」
〔…………〕
「そうだな、俺は気が触れたかもしれない。真実が信じがたいところにあるから、そうなってる。部屋を確かめろ。もし言った通りになってたら、俺を信じてくれ」
〔信じられるわけがない。だってそうだろ? 君の言葉は奇妙なほど筋が通っているけど、確証なんて一つも……〕
「お前はもうすぐ、ある勇者と戦うことになる。そいつらの一部にはドローンやセスナのセンサーが反応せず、攻撃ができない。所長が手を回して、ある人物にプログラムコードを書き換えさせた」
〔裏切り者がいるってこと? 誰……?〕
「その名を、言えば信じてくれるか?」
〔……判った。言って〕
俺がその名を口にしようとしたとき、視界が突如明るくなった。秒にも満たない間に、熱を孕んだ突風が吹いてきて――、
「……ブレス!?」
横っ飛びに躱す。いままで俺が走っていた場所を、熱線のように細いドラゴンブレスが貫いた。周囲の藪や地面、樹木が燃え上がった。俺は着地に失敗して転倒し、スマホを落としてしまった。
「……あッ」
スマホは火の海に落ち、溶けながら燃えていった。元に戻すには本物を再スキャンしないといけないから、星野さんに連絡を取る手段がなくなった。もう少しで信じてもらえるかもしれなかったのに。
ショックだったが、それどころではない。被ダメージを現す疑似痛覚が、HPの低下を知らせてくる。マントや鎧に火が点いている。歩の毛皮にも火が点き、転げ回って消している。直撃ではないが、ブレスをくらっている。HPを四割も持っていかれた。もし直撃なら余裕で即死だったろう。
ドラゴンがまた腹を膨らませている。ブレスを噴くつもりか。
「歩、走れ!」
「はい!」
〔■〕
望月悠也との通話のあと、星野凛は考えた。彼の言葉が真実なのかどうか――を。
(望月くんは、嘘や冗談を言っている口調じゃなかった。どうしてARKⅡの内情にここまで詳しいのかは判らないけど、言葉に真実味はあった。にしたって、裏切り者か……)
悠也は裏切り者の名を告げる前に切ってしまった。いや、切られたという感じの途切れ方で、そのあとは着信を入れても繋がらない。
彼女はいま、自室にいる。学校に行く準備をしていたところだった。鞄に詰めようと手に持っていた教科書を、勉強机に置く。
(誰にも知られることなく、ドローンや戦闘AIのコードを書き換えられる人物ね。そんなの一人しかいない……)
着信が鳴った。表示されている名前を見て、凛は目を細める。
(さっそくか)
「……はい?」
〔主任、大変です! 山間部で爆発が起きた、怪物を目撃した、との通報が多数寄せられていまして……〕
「勇者かい?」
〔いまドローンを飛ばして確認中ですが、おそらく〕
「ドローンは呼び戻して」
〔主任……?〕
「ああ、ちょっと懸念があってね」
〔どのような?〕
「そっちで話すよ」
〔すぐに迎えをよこします〕
「ううん。誰も動かさないで」
〔……了解しました〕
通話を終える。終えてからもスマホを見続ける。
(もし彼女と所長が敵で、通信が傍受されているとしたら、手を打ってくるだろう……)
熟考に入る。生き残る道筋を立ててから、制服に着替えてリビングに向かった。階段を降りているときに、たまごとウインナーの焼ける香りが漂ってきた。朝のバラエティ番組の音が聞こえてくる。廊下を歩いていたときに、パイプタバコを外で吸ってきた父親が、カメラのレンズを磨きながら、玄関から上がってくるのが見えた。リビングに入ると、母親が味噌汁の具を切りながら声を掛けてくる。
「今日はずいぶん早いのね」
「当番があるんだ」
「朝食は食べていきなさいね?」
「うん」
母親が、包丁を動かす手を止める。
「珍しいわね? いつもは抵抗するのに」
「そうかな」
ごはんをよそって席につくと、母親がおかずの皿と味噌汁の椀を置く。凛は静かに「いただきます」と言う。味噌汁を一口吸う。
(……この味。僕はずっとこの味で育ってきた)
深く味わってから、椀を置いて考える。
(歩の死から、そのあと――色々なことがあった。男の子みたいな子供じゃいられなくなって、憎しみが当たり前のように降り積もって、死にものぐるいで勉強して、人類史に新たな兵器を送り出す仕事をした)
溜め息をつく。
(間違いだったかもしれない。でも、後悔はしないよ、望月くん。この力で道を正せるのなら、僕の得たものには一片の意味がある。そうだろう……?)
母親を見た。目が合った。
「ありがとう」
「……何? 突然」
「何でもないよ」
食卓に近づいてきた父親が「私には……?」と聞いてきた。
「父さんに感謝は……ないかな?」
その瞬間の父親の顔を見て、凛と母親は同時に吹き出して笑った。
「ひどい……」
「嘘、嘘、ごめんってば。父さんもありがとう」
笑いが収まってから食事を再開し、食べ終わってから食器を戻す。
「置いておけばいいのに」
「ううん。感謝のしるしだよ」
そう答えながら、台所にあるペティナイフを後ろ手に取り、隠し持つ。
「行ってきまーす」
「車に気をつけるのよ」
家を出た。自転車のカゴに鞄を入れる。鞄を開けたままにし、ペティナイフをいつでも取り出せるようにする。
(基地まで、自転車で行く。その間は完全に無防備だ。向こうは表立って動けない。暗殺者を送るだろう。それさえ、どうにか凌げば……)
家族に協力を仰ぐことも考えた。しかしそうしなかったのは、巻き込まれて家族を失うのが怖かったからだ。
市街地の大通りを進む。走り抜けていく車。小学生の通学の列。人目が多い。ここでは仕掛けないだろう。仕掛けるとすれば……
大通りを抜け、県道に入る。しばらく行くと人影どころか、車影まで一気に少なくなる。両脇は崖か、森。人目には曝されない道だ。
(ここで、来るよね……?)
道路橋を過ぎたところで、背後から唸るようなエンジン音が聴こえた。いままで凛の送り迎えをしていた車が見えた。自転車めがけて突っこんで来る。衝突する寸前、凛はペティーナイフを引き抜き、自転車から飛び降りて避けた。
ボンネットに当たった自転車は、ひしゃげながら吹っ飛んでいき、左側の崖にぶつかった。凛は地面に転がって膝を擦りむいていたが、そんな些細な痛みに気を取られる暇はなかった。彼女が半身を起こしたタイミングで、車が急停止し、ドアが開いて、運転手が出てくる。手には拳銃を握っている。凛はペティナイフをスカートの下に滑り込ませた。
「悪いな。これも仕事だ」
「報酬を倍払うよ?」
運転手は迷うそぶりも見せずに銃口を向けてきた。
「政治的な話だから、子供にはまだ早いさ」
「子供ってのは、どうかな!」
身体を投げ出しながら、ナイフを投げ放った。銃弾が放たれたが、間一髪頬をかすめた。ナイフは男の右上腕部に刺さった。痛みに苦悶の声も上げず、ただ顔をしかめ、ゆっくりとナイフを抜いた。
「やはり子供だな。こういうときは、首を狙うものだ」
運転手は、血を流しながらも再び銃を構える。
凛は恐怖の顔で後ずさった。
「……い……いや……」
「じゃあな」
運転手は、引き金を絞り――……、
腹の底まで響き渡るような、異常に重い銃声がした。凛は自分の死を予感し、「ヒィッ」とすくみ上がった。しかし、いつまで経っても痛みが襲ってこない。震えながら目を開ける。
運転手が倒れていた。
「……見ない方がいいヨ。スラッグくらった死体は見られたもんじゃないからネ」
上から声が聞こえた。少し離れた道路橋の上で、見覚えのある少女が手を振っている。もう片方の手には、四角い寸胴の銃を持っている。
「エリー……?」
道路橋から宙返りしながら飛び降り、着地する。そして近づいてきてからエリーは言った。
「見てネ」
スマホを渡してくる。画面には、動画が映し出されている。七宮所長の姿をしていた人間が、変身してローマ人になる様子だ。
「これは……」
「所長は勇者ヨ。変身能力があり、どんな人物にもなりすませる上、ドラゴンにもなれるのネ」
「エリー、君は……」
「ワガハイも勇者ヨ。でも、シショーの味方。シショーに言われて、ARKⅡの動向を見張ってた」
「望月くんは、こうなることを予期していたってこと……?」
「さあネ」
エリーが、手を差し伸べてきた。
「貴方次第ヨ。ワガハイの言葉を信じてARKⅡ内部の敵と戦うか、あるいは、いまここで別れるか。どうするネ?」
(……信じる、か)
自分がいままで信じてきた、異世界への復讐という信念。それを形作ったのは所長の言葉だった。だが、悠也の言葉に符合するように、暗殺者が送り込まれた。
(どちらか一方しか信じることができないなら、僕は……大好きな人たちを選ぶ)
凛は、その手を取った。
〔■〕
逃げた。とにかく逃げた。山林の下り斜面を駆け抜けていく。ドラゴンは樹木に邪魔をされて入って来られないと踏んだが、甘かった。育ちきった杉をなぎ倒しながら追ってくる。
(あの巨体で、あり得ないスピードを出しやがって。木をなぎ倒すダメージを一応くらっているけど、低すぎだ。これだからゲームの世界は、現実にそぐわない……)
不意に、閃きがあった。
(現実……? そうか、リアルワールドならではの戦術だってある。たしかこの下にある道にアレがあったはずだ)
メニューを開いて、投擲アイテム《闇ノームの煙幕瓶》を二本出しておく。
「悠也さん、追いつかれますよ! 迎え撃たないと……」
「いや、このまま限界まで走れ」
山林を抜けた。目の前には一筋の沢があり、そこに木の橋がかけられている。制水弁と書かれた標識が一つ経っていて、その向こうに一車線道路がある。橋を渡って道路に出て、向こう側にある集落へと走る。真上を見る。記憶通り、アレがあった。
「悠也さん!」
振り返る。木がへし折れる轟音と共に、ドラゴンが飛び出てきた。凄まじいスピードで追いついてくる。まずい!
「歩、上を見て避けろ!」
「上?」
その呟きが終わるか、終わらないか――追いついてきたドラゴンが、道路へと達した。その瞬間、チュイッという聞き慣れない音を発しながら、いくつもの閃光がドラゴンの翼の辺りで生じた。そして無数の火花と火の粉が散った。宙に張られていた黒い線が、勢いよく踊るように落ちてきた。俺たちの方にも一本落ちてきたけど、どちらも上を警戒していたので避けることができた。
「ギュォオオオ――……」
ドラゴンが悲鳴のような濁った咆吼を上げ、よろっと巨体を傾けた。足が震え、支えを失って顎から地面に突っ込み、転倒した。
「なるほど、電線ですか……」
この道路には、添うように電柱が立っている。この電柱に貼られた電線――引き込み線と呼ばれるそれは、百ボルトから二百ボルトの電気を家庭に送っている。四二ボルトが、人間が即死する電圧と言われているから、ドラゴンにとっては致命的になり得ないダメージだろうけど、電線の怖さはそこではない。切れた電線と接触したままだと、電気を延々とくらってしまう、という点にある。
ドラゴンはガクガクと痙攣しながら、電気ダメージをくらい続けている。指さしてHPゲージを確認する。微量のダメージと、スタンの効果をくらい続けている。
「……このまま倒せるのでは?」
「無理だろうな。スタン明けでスーパーアーマーつきの技で脱出される」
俺は煙幕瓶をドラゴンの手前に投げつけ、もう一個を山林へと投げた。すぐに周囲は赤灰色の煙に包まれた。アイコンタクトで指示し、足音を消しながら移動してから、集落とは反対方向の道路に出る。
十分に離れてからダッシュし、とにかく距離を稼ぐ。
「煙幕に釣られますかね?」
「そうなることを祈ろう」
走っていると、やがて別の集落に出た。畑が何枚もあり、その中の川沿いの畑でヤマユリが育てられていて、いまちょうど満開を迎えている。その花畑の中心に、人影が見えた。
「勇者様……?」
「……え…………?」
(リーズベルだ。どうしてここに? ここは……)
『ヤマユリの花畑の上で、最悪のルートを望んでしまった――』
ゾワッと総毛立った。運命の分岐点が、くり返されている。前回、ここでシルバーを倒そうとして、リーズベルは魔女になりかけた。今回は……
「悠也さん、来ます!」
「何が?」
凄まじいスピードで低空飛行してきたドラゴンが、山の陰から躍り出ながら叫んだ。
「ふざけるなァアアア――ッ!!」
口に炎を溜めている。
「……まずい。ブレスを吐かれる」
「勇者様、私が……」
「やめろ! 魔女の力を使うな!」
「でも……」
俺はリーズベルを抱きしめ、伏せさせた。またドラゴンを見る。まさに、口からブレスが放たれようとする瞬間だった。
俺の腋の間から、リーズベルが手を突き出すのが見えた。力を使おうとしているのか。
(ダメだ……失敗だ……!)
目をきつく閉じた瞬間。
「――させないわ!」
足下が上下するほどの震動が起こり、びっくりして目を開けた。
俺たちの目の前に、砂岩で構成された巨体が着地してきて、ドラゴンのブレスをその身で受け流していた。
その巨体は、ライオンを象ったものであり、背中には一人の女性が見えた。
「リーズベル、待たせたわね……」
「マグナ様! 無事だったんですね」
「足止めされていただけ。ここは任せなさい」
ライオンの口から岩塊が発射され、上空のドラゴンへと迎撃を始めた。
〔■〕
凛とエリーが訪れたのは、元ゴルフ場の敷地に、自衛隊の警備する地下通信基地ARKⅡ――。
その最深部である戦闘指揮所にエレベーターが着き、ドアが開いた。
中にいた大勢のオペレーターたちが、二人を見た。
「主任、到着です!」
報告を聞いていたであろう白衣姿の女性が、弾かれたように凛を見た。恐れるようなその眼差しに、凛は確信した。
(……望月くんが正しいかもね)
「あの……お連れの方は?」
「僕のボディーガードだよ」
小牧が駆けつけてくる。
「主任! 現在、部隊を待機中で……」
「施設内、全室監査を行うよ」
「……はい?」
凛は壁に掛かっている拳銃をホルスターごと手に取ると、高台の席につき、皆を見下ろしながら命じた。
「セキュリティクラスが、いくつまでの部屋を調べます?」
「文字通りの全室だ。緊急脱出モードを使用して、全区画のセキュリティーロックを解除する」
「しかし、所長の許可が……」
「所長と連絡が取れるのかい?」
「……いえ」
「だったら指揮権限は僕にある」
「判りました。それでは、私が上級権限の区画を担当します」
「君は、そこから一歩も動かないで」
「…………」
凛と小牧の間に、エリーが入る。小牧はエリーを一瞬だけ睨んだ。
「どういうことですか?」
「これから判るよ」
緊急脱出モードが使用され、所長のセキュリティ区画に踏み込んだ隊員から、ライブ映像による報告があった。
〔ひどい腐敗臭です〕
〔あそこです! 血が流れ出ています〕
クローゼットを開けると、そこに無残な姿となった七宮所長の姿があった。
オペレーターのチーフがおずおずと話しかけてくる。
「どういうことなんです? 貴方はこの事態を最初から知っていたように見えますが」
「本心から、そう思うかい?」
「……はい?」
「まあいいさ。次に、戦闘AIのプログラムコードを精査する」
「それは、私が……」
「小牧さんは動かないで、って言ったでしょ?」
小牧を抜いたチームでコードの精査を行う。そして、一五分後――。
「ありました! GSMの探知情報を処理するコードに、一部例外が設定されています! 例外を敵と認識できないようにしてあります」
「こんなことができるのは……」
チームの全員の視線が、小牧に注がれた。
「……あはは。魔女裁判って、きっとこういうものですよね」
「小牧さん?」
小牧はポケットから小型拳銃を出した。咄嗟にエリーが飛びかかって小牧を押さえる。その際に暴れて、一発撃った。レーダー表示用のディスプレイが一枚割れ、火花が散った。席にいたオペレーターが悲鳴を上げて逃げ惑った。
けっきょく小牧は組み敷かれた。
「あはは……」
「何が可笑しいの、小牧さん」
「私、けっこう好きだったんですよ。現代のミッドガルド……だからギリギリまで小牧峰夏のままで暮らしたかったんですけどね」
エリーがハッとして、小牧を見返す。
「まさか、勇者……!」
「ごめんなさい」
小牧がセイバーズのメニューを出し、操作すると、いきなり半人半鳥の姿に変わって、エリーを蹴り飛ばして空に舞い上がった。
エリーは起き上がりざま、ショットガンで撃つ。その銃弾は、少しもダメージを与えることなく、弾かれた。
「なっ!?」
半人半鳥の勇者は指揮所の高みへ飛んだ。
「小牧さん……?」
彼女は変わり果てていた。年齢は少女と呼べるほどに下がっており、髪は羽根になり、頭に目立つ冠羽がある。手足は鳥の脚と爪になり、背から延びる白い翼を羽ばたかせている。着ているのは古代地中海文明のドレスだ。
「本当の名前はミネルバです。さようなら」
詠唱モーションを始める。
「オリュンポスの清らかなる風よ、妙なる叡智を以て我を導き給え――〔ウェルテクス〕」
指揮所に旋風が起こり、モニターがいくつか割れ、火花が散った。風の中心にいたミネルバが、強い発光を始めて、やがて光の粒を散らして消えてしまった。
やがて風は収まったが、誰も動けずにいた。
オペレーターのチーフが、惨状を見渡しながら聞いてくる。
「主任、それで、どうなさりますか……?」
尻もちのあと、呆然としていた凛の目に、生気が宿る。ふらつきながらも立ち上がった。
「通報のあったエリアにドローンを派遣する。航空部隊をスクランブル発進させ、現場で上空待機。ストラトローンチも発進させて」
命令を下しながら、凜は強く思った。
(望月くんの言葉が正しかった。復讐心に凝り固まっていたら、僕は判断を誤り、破滅を迎えていたろう。どんなときも彼を信じるべきだ……)
〔■〕
太古の昔、アナトリアの大地に生まれついた娘がいた。フリュギア王国の支配下にある、辺境の村で細々と暮らす奴隷の子だった。彼女には特別な才能があった。古いしきたりによって続けられる、無意味な儀式を執り行うとき、彼女が巫女となると決まって奇跡が起こったのだ。
娘は儀式によって雨を降らして畑を潤し、海に雷を落として大量の魚を採った。神代に海の向こうから渡ってきたとされる獅子の怪物を従わせて使い魔とし、それに乗って侵略者を追い払い、村を救った。
「何という神々しい力だ!」
「輝かんばかりの威光に染まっておられる」
「神の子孫に違いない」
その噂は瞬く間に広まり、フリュギアの王が彼女を特別な存在と認め、去勢した男子を近衛兵として捧げ、自由を保障した。
自由民となった娘は王国やその支配地、同盟国を周り、数々の奇跡を起こして民の暮らしを助けた。民は彼女の起こす奇跡を見て、女神と呼び始めた。娘を見ると祈りを捧げ、感謝の気持ちを伝え、服従を誓った。
「私は神などではありません。ただの村娘です」
娘はそう説いたが、聞く耳を持つ者はいなかった。
やがて娘は流行病により命を落としたが、そのときすでに彼女は様々な国で、五つもの名を持つ女神となっていた。
死の床より娘が目を覚ましたとき、そこは異世界アスガルドであった。召喚士たちの話によれば、彼女は神性クラスの勇者として転生したという。
娘は第二の生に乗り気ではなかった。そこは当時の魔女によって厳しい治政が敷かれ、勇者はその支配を固める役割をしていたからだ。彼女は逃げ出し、山中で隠遁生活を送り、数千年の穏やかな時間を過ごした。アスガルドの民と家族を持ち、暮らしたこともある。しかし……
「母さん、看取ってくれてありがとう」
「まだ生きられるわ」
「もう四〇年も生きた……これが限界よ」
彼女の子は、微笑みながら最期にこう言って、息を引き取った。
「母さんは……いつまでも綺麗ね」
老いていく家族と、永遠にそのままの自分という、存在の決定的な違いに苦しみ、娘は孤独を好むようになった。
そんなある日、彼女の家の畑の作物を食い荒らしている少女を見つけた。事情を聞くと、彼女も勇者だと言う。彼女は我が子のように、その勇者を世話した。
やがて魔女は幾人も世代交代し、あの戦争が起こった。
魔女戦争――穏やかな性格だった魔女が豹変し、世界を滅ぼそうとしている。かつて魔女の配下であった勇者が、民を守るために団結し、魔女を討ち果たそうとしている。彼女の元にも多くの使者が訪れ、参戦を願った。しかし……
「私は女神や勇者と呼ばれますが、ただの村娘です。戦争に与したことなど一度もありません。どうか放っておいてください」
断り続けて千年以上経った。最後の使者が、彼女の家のドアを叩いた。
その勇者は、自分をヘイハチローと名乗った。
「魔女戦争へ加われという話でしたら……」
「その用向きに非ず」
「はい?」
「マグナよ。そなたは女神の生き方を望んだか?」
「……いいえ」
「かつて使者となった者にこう聞き及んでな。民や家族に憧れ、その暮らしを守りたいがゆえ、そなたは奇跡を起こして回ったと。違いないか?」
「そうね……」
「永遠に死せぬ運命の子を、万死の地へと誘い、その子と共に老い、死んでみたくはないか?」
その不思議な提案は、彼女の胸を打った。
そして、いま――……
彼女は再び、女神マグナのドレスを纏い、茨城県の山中でドラゴンと対峙している。
(実戦経験のない私に、こんな恐ろしい相手をぶつけるなんてね……)
そう思いながらも、口元には笑みがある。
上空のドラゴンが火炎ブレスを吐いた。
マグナは古代打楽器〔トフ〕を打ち鳴らし、打撃面からホログラムの魔法円を散らしながら詠唱モーションを入力。
「守護せしめよ、穢れなき近衛隊――〔アルキガッルス〕」
マグナの全方位を固めるように、白いドレスを纏った見目麗しい宦官近衛兵たちが瞬間転移してきて、茨で編んだ盾を構える。ドラゴンの放ったブレスは、その盾に弾かれて、周囲の山を火の海に変えた。ドラゴンは驚いたように目を広げ、上空へと離脱する。近衛兵たちは槍を投げてドラゴンにダメージを与えているが、その射程距離から抜けられてしまった。
(距離を取る気ね。そうなれば、こっちは防ぐのに精一杯。ここは勝負に出ないと……!)
「殺意限定解除!」
ライオンの目に不気味な青光が宿り、静かに唸りながら空を見上げる。そして牙を剥いた。
その口から、丸い岩塊がフルオートのように連続発射される。それは目で捉えるのも困難なほどの速度で飛び、上空にいるドラゴンに迫った。ドラゴンは横ロールをしながら回避し、命中には及ばなかった――しかし、突然その岩塊が爆発し、破片を周囲に撒き散らした。続く岩塊もドラゴンに近づくと爆発し、ダメージを与えていく。見る見るドラゴンのHPが低下していく。
「いける!」
しかしドラゴンはブレスを腹に溜めながら、ダメージお構いなしで急降下してきた。
「無駄な抵抗ね。削りきれるわ」
「逃げろ!」
背後からの声に振り返る。少年剣士の姿が見えた。その装備に見覚えがある。
「……リア……?」
「物理演算が適用される! 真上からブレスをくらったら、地面との折り返しで倍ダメージだ!」
「は……?」
理解するのに二秒掛かり、ライオンに離脱を命じようとするが――遅かった。
真上から噴き下ろされる炎が、彼女の目の前に迫り――……
〔■〕
俺の警告虚しく、女神マグナがドラゴンの急降下攻撃に倒されようとした、数秒前。
俺はその音を耳にした。ヒーンという高音域の飛行音だ。聴こえたかと思うや否や、すぐに近くまで迫ってきた。
「あれは……!」
空中にいるドラゴンの横っ腹に猛スピードの飛翔体が激突し、大爆発が起こる。
ドラゴンブレスは、マグナのライオンを攻撃したが、それは刹那の間だけだ。ミサイルの衝撃で、ブレスはバラけて撒き散らされ、周辺のところどころを火の海にした。ドラゴンは横転をしながら落下し、山裾に突っ込んでいった。
「マグナ様!」
ライオンは消えた。マグナは地面に落ちて倒れたけど、死亡エフェクトは出ていない。
上空を四機のF35が通過していった。
「ARKⅡです! 逃げなきゃ」
「大丈夫。今回は俺たちの仲間だ」
大きな飛行音も響いてきた。
巨大な輸送機で、直線上の主翼に、二つの胴体が繋がっているという、奇妙な形をしている。胴体と胴体の間に、青く塗装されたロボットがぶら下がっている。
「合流しよう、リーズベル」
「させるものか……」
俺たちの進路をふさぐ者がいた。
ジョージ・シルバーだ。前の戦いで先端が折れたブロードソードを手にしている。鎧も、所々が破損していて、おそらく耐久度は0に近いだろう。HPは回復している。ポーションを飲んだのだ。
(決着をつけるしかないな……)
レイピアの構えを取る。俺の横にいた狼は、アースメギンになった。
「私を装備してください」
頭を長押しし、収納アイコンを押した。
ステータスアップの表示ウインドウを開き、内容を確認する。
〔全ステータス二倍上昇〕
「二倍ッ!?」
「何を騒いでいる。さっさと戦え」
「ああ……」
シルバーへと剣を突き出す。
「レースしようぜ」
俺の挑発が、場を殺気色に染めた。
(こいつ相手に、間合いは意味を成さない。俺の攻撃は常にパリィされる。単にスタータスが上がっただけで、ヤツに勝てるのか……?)
俺はダメージレーサーと呼ばれた。そう呼ばれていい気にもなったし、謙虚な振りをしていたけれど、慢心もあった。あいつにへし折られて、やっと謙虚になっても、実力差で及ばなかった。
(それでいい……)
傲慢も、敗北感も、全部ひっくるめて俺の歴史だ。思い出して反吐が出そうになる自分も、全部が、現在に繋がっている――。
心の奥底で、ほのかな灯火を宿すように、リーズベルの笑顔を思い返す。
(もう、俺は、剣を手放さない。守るべきものがあるから……)
BADエンドの痛みが、俺を強く支える。痛みに抗う俺こそが、いまの俺。
(俺が俺であるために、この消えない残痕に挑む!)
開幕一撃目、ベタ足からの通常攻撃が〔ガーダント〕を――0・02秒、硬直させた。
「重いッ――」
思わずそう呟かせ、シルバーを半歩だけ退がらせるのに成功した。得たのはほんの僅かな優位だったが、十分だった。
間合いを詰め切り、ゼロ距離技である〔ロッシュ〕を入力する。それも〔ガーダント〕に防がれるが、それでも構わない。
相手がどれだけダメージを減衰しても、硬直モーションは減衰前のダメージ量を引き継ぐ。だから、次の攻撃も俺が取った。
肩を入れた体当たりだ。〔ガーダント〕によるパリィはされない。大したダメージは与えてこないと踏んだか? まあ、読み通りだ。
「私には勝てないと、いい加減悟りたまえ!」
バックステップで退がってからシルバーの姿が、フッと消えた。
(――来る!)
あの見えない攻撃。間合いは一瞬でゼロにされ、一戦目は顔の側面、二戦目は脇腹を斬られた。軌道予測は不可能。だが――、
(ヒット箇所から予測できる。あの技は、サイドスイングの型だ!)
俺は、地面を蹴って、前に跳んだ。
「――な、」
シルバーと空中で激突し、互いに物理演算による衝突ダメージをくらい、姿勢を崩し、床に転がった。
身を起こしていると、シルバーの声が聞こえた。
「なぜ、前に出た……?」
「横から斬られるのは知っていたからな」
「そうか……」
立ち上がって武器を構え直し、再び対峙する。
両者、突撃。撃ち合い、どちらも二連撃。どちらも有効な攻撃はなかった。
シルバーが空いている手で俺のマントをつかみ、姿勢を崩させる。俺は前転して立ち直る。足音が聞こえた。ノールッキングでバックアタックする。〔ガーダント〕で防がれた。
あの嵐のようなラッシュが来る局面だったけど、引っ掛けるような足払いで出鼻を挫く。シルバーの目が僅かに大きくなる。
(あの目……どこかで見たような)
思い出そうとしていたら、遠間からのスライディング突きを受けた。電光のような攻撃エフェクトを伴っている。インスキル〔ライトニング・スパイク〕だ。電流をくらいながら受け流すと、シルバーはそのまま俺の後ろに抜けていった。
俺はダッシュして、背後から襲いかかる。
「くらえ!」
通常攻撃、強打を選択。これならプレートメイル相手でも、無視のできないダメージを叩き出すだろう。剣先は上手いことクリティカルコースに入った。これならアーマーを貫通できる。
だが――、
次の瞬間、俺の攻撃が消えた。
(……――ッ、この感覚は!?)
グワンッという金属音が上がり、火花が散り、俺がくり出していたはずの強打は、空中分解でもするように消え、ワーブルに差し替えられていた。
(そうか! セイバーズに戻ったあの日、GMの暗殺を企てていた剣士は、オンライン経由で接続したシルバーだったのか。あのときに感じた既視感は、世界大会でくらったガーダントとはね除けられる感触が似ていたからか)
あの日は、エストックが宙に浮いていたのを思い出した。
(エストックが浮いていた理由は、ブロードソード専用インスキルだからか。だとすると、あのとき最後に俺がくらわした一撃……)
シルバーが振り向きながら襲いかかってくる。俺はワーブルのモーションをくらっているから、一方的にやられるだけだ。
しかし次の瞬間、俺を支配していたワーブルのモーションが解けた。
(――ッ!!)
(――!?)
俺も驚いたけど、シルバーも目を瞠った。
VITセーブ判定に成功したのだ。万に一つの確率なのに、同じ状況で二度も奇跡を起こすなんて出来すぎもいいところだ。けれど、ここはアルターの世界で、俺はラグランジュ解を辿ってここまで来ている。
(奇跡は起こせるはずだ!)
俺は左手で殴りつけた。格闘スキルに依らない、素人によるぶん殴り攻撃だ。普通なら効くはずがない。
だが、効いた。
シルバーの顔面に俺の拳がめり込んだ。勢いを失って、後方に二歩、よろめいた。そしてシルバーにスタンの状態異常を示すアイコンが出ている。追撃に行こうとした。
(――焦るな!)
立ち止まった。あのときも、俺をランダが止めてくれた。あれは偶然じゃない。ラグランジュ解はきっと、過去の中にヒントがある。
エペ・ラピエルを構えて息を整える。プランを書き換える。計算する。頭の中で猛然と、勝利への道を描く。
(仕留めるぞ……落ち着け……俺ならやれる)
「……なぜ、殴った?」
「ガーダントは格闘を防げない。そう思ったからだよ」
「気づいたのは君が最初だ」
ソードを下に垂らす構えで、じわりと近づきながらシルバーは続けた。
「そして君が最後となる」
「どうかな」
HPを確認。あれだけ散々やっても、ダメージレースはシルバーがリードしている。ここから逆転するには、大技をクリティカルで当てなくてはならない。
あの見えない突撃のスキルがリチャージに入ったいま、シルバーは動く要塞となって俺を追い詰めにくるだろう。
しかし――、
(シルバーはいま、切り札を一枚欠いている。そのチャンスを活かさない手はない)
ジョージ・シルバーには絶対の間合いがある。嵐のようなラッシュに転じる間合いだ。そこでは、俺を上回る速度での連撃がくり出される。
(踏み込まれたら最後)
禁忌としてきた間合い。
だけど、そこにしか勝機はないのかもしれない。
あの間合いは、タンクであるあいつを、アタッカーに転じさせる。最強のアタッカーだ。しかし、アタッカーを食うことなら、俺は一流のアリーナプレイヤーでもある。
(そうだよ、ダメージレーサー。レース……しようぜ)
エペ・ラピエルの鋭利な剣先を、後ろに下げる。ネーベンフート――攻撃の出は遅くなるが、ヤツは俺の発動モーションを読んでいるはず。そこにプレッシャーを掛ける。
シルバーの片眉がヒクッと引きつった。
「……何のつもりだ」
「来いよ」
シルバーが接近してくる。
(敵を憎むな。恐れるな。あいつも人間だ。その考えを読め……)
その表情、その立ち振る舞い、その動きを観察する。
(……この戦いに滲み出る、シルバーの人間味。焦り。そう、焦りだ。時間はあいつの味方ではない。早く決着をつけたがっている)
あと三歩で間合いに入る。
(その焦りを利用するんだ)
あと二歩。
(シルバーは、ここで必ず仕留めにくる。大胆になり、隙も生まれる。そこを突く)
あと一歩。
(ここで逆転する)
罠と判っている、敵の間合いへと――躊躇を捨て、一気に踏み込む!
ラッシュが開幕した。狙い通りだ。俺がするべきことは、その一撃に合わせ、ジャストのタイミングでカウンターを出すだけだ。
(フルスイング・ゼロ――)
シルバーの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。いままで彼がくり出してきたのは、乱れ一つない正確なコンボだったのに、俺が動こうとした瞬間、技の出がわずかに乱れた。
(しまった! フェイントだ)
攻撃を引き戻そうとするも、遅かった。
ブロードソードが、俺の上腕を打ち据えた。痺れるような疑似痛覚が走り、衝撃で俺の手から力が失われ、エペ・ラピエルがすっぽ抜けるように落ちた。
(状態異常ディザーム……こんなときに!)
回避動作に移ろうとしたとき、踏んだ岩が割れて崩れ、大きくよろけてしまった。
(まずい!)
「チェックメイトだ!!」
シルバーが、トドメとばかりに上段斬りをくり出す。
刃を防ごうと、俺は掌を突き出す。そんなことをしても微量のダメージ軽減にしかならないのは理解しているが、他に手はなかった。
不意に――、
俺の目の前に、黒い何かが飛んできた。
黒い、光る蝶――冥界アゲハだ。ひらひらと迫ってきて、左目に留まった。そして、閃光が生じた。
「うわっ!?」
「ッ――、」
シルバーの剣が、直撃した。俺に致命的なダメージが入るはずだった。なのに、上がったのは斬撃音と言うよりは弾き返されたような音だったし、ダメージを伝えるはずの疑似痛覚は、まるで〝無を俺に伝えている〟かのように静まり返っている。
俺は自分の手を見た。
火花のエフェクトが散っている。攻撃を受け止めた証だ。なのに、その手は微動だにもしていない。逆に、シルバーの剣が弾かれて、彼は後ろに大きくのけぞっている。ワーブルのモーションだ。つまり彼の攻撃を、掌が弾いたことになる。
(…………これは……?)
〔■〕
茨城県常陸大宮市、ARKⅡベースメント基地の地下六八階、戦闘指揮所――。
「これより《陸戦零式》を実戦投入する! 第一フェーズ、ジェネシスをバーサーカーモードで起動!」
「飛行プロトコル、スタンバイしました」
「投下!」
大型ディスプレイの映像が切り替わった。輸送機の拘束具から解き放たれた零式は、ギュム、という不気味な飛行音を立てて、空間を歪ませながら空へと飛び立った。
「飛行タイムリミットを表示して!」
ディスプレイの隅に八分四二秒から始まるカウントダウンが表示された。これは零式の飛行限界時間を示している。
「ジェネシス、ドラゴンの後ろを取って!」
ドッグファイトが始まった。追いすがってバルカンで攻撃してくる零式を、ドラゴンは優雅な横ロールで躱す。そのまま宙返りで離脱しようとするのを、零式はさらに追いすがるも、徐々に引き離されていく。
しかしジェネシスはドローンを山林に隠し、潜伏させていた。山林に潜んでいたドローンで取り囲んで、レーザートラップを発動させた。
ドラゴンは量子縮退によって氷結の状態異常をくらい、動きを止めた。
「ジェネシス、翼を狙って!」
零式はドラゴンの翼にバルカンを撃ち込みながら急降下し、接近したあと爪で両翼を斬り裂いていく。
ドラゴンはきりもみ回転しながら地表に落下した。そこからは格闘戦になったが、ドラゴンはしっぽや噛みつきを駆使して零式にかなりのダメージを与えてきている。
「意外に苦戦していますね……」
「体格差では、向こうに優位があるからね」
〔自立AIでの限界を認識。カスパドによるクラウド・ラーニングを申請〕
「承認する」
「カスパドから大量のデータが流入! 戦闘ラーニング、更新されました」
陸戦零式は人間のような複雑な立ち回りをするようになり、ドラゴンの格闘能力を上回った。
「これなら勝てます……!」
「ああ、そうだね」
勝利ムードになり始めた指揮所だが、一人だけ迎合に染まらない者がいた。エリーである。ドラゴンが殴られながら、何か喋っている様子を見て、顔色を変えた。
「……まずいヨ。魔術を使ってるネ! たぶん変身する!」
「何に……?」
騒がしかった指揮所が静まり返った。二人は大型ディスプレイを見上げる。
零式の目の前から、ドラゴンが消えた。
その代わりに、別の巨体が立った。
それはこの場にいる大勢が見慣れた〝モノ〟だった。見慣れているのに、最もおぞましい恐怖を駆り立てる存在でもあった。
「…………陸戦零式……」
エリーが、呆然と呟く。
陸戦零式の前に、無傷の陸戦零式が立っているのだ。
AIであるジェネシスも想定外の自体だったらしく、攻撃するのも忘れて棒立ち状態になっている。
やがて、アルファ零式が、先に殴りかかってきた。その動きが妙だった。
「あれって、カンフー……?」
「蟷螂拳と思われます!」
爪を活かしたその攻撃を、零式は防御しきれず、翼を一枚もがれた。その後もアルファ零式が攻め続け、防戦一方になり、じりじりと損害を重ねていった。
「嘘でしょ……? 変身の魔術って、機械にもなれるの……? どういう仕組みだよ。無茶苦茶じゃないか!」
「それが魔術というものネ」
「主任、向こうの零式の方が、性能が高いのでは?」
「コードを書いたのは小牧さんだからね。蟷螂拳を加えた最新版を向こうに渡していたとすれば……」
「勝ち目がありませんね」
〔カスパドによるクラウド・ラーニングを申請〕
「その手があったか」
「無理です! 前回の戦闘ラーニングによる負荷で、送電網が一部ダウンしています」
「……くっ」
アルファ零式は旋風のように爪を振り回し、零式の腕を切断してしまった。そして脚部も斬って転ばせ、倒れたところで馬乗りになって、爪で斬り裂いていく。互いのマトリックスアーマーによる破損も増え、装甲が割れて剥がれ、内部の機構が剥き出しになっていく。その過程は零式の方が圧倒的に早かった。もはや動くのさえやっと、という状態だ。
「零式が……負ける……」
報告の言葉を発し続けていたオペレーターたちが、気力を失ったかのように、次々と無言になっていく。
(このままじゃダメだ……何か手を考えないと)
頭に浮かんだアイデアは、彼女の胸を斬り裂くような痛みを伴った。それでも、これしかないと思った。だから実行に移した。
「ジェネシス。このまま防御を続けて、相手を八秒間だけでも拘束できる?」
〔全損の可能性もあります〕
「構わないよ。みんな《岩融式宙対地誘導弾》発射準備だ」
「まさか、零式を……」
「ああ、相討ちになってもらう」
「《岩融式宙対地誘導弾》大気圏突入軌道に進入。三段階加速を行います」
零式は破損をくり返しながら長丁場の防御をこなしていった。
「見えた!」
オペレーターがそう叫ぶと、皆が一斉にそれを見た。ディスプレイの一つ、上空を映しているそれに、光りながら落下する物体が映った。
アルファ零式の頭部が、気づいたように上空を見上げる。その瞬間、ボロボロになった零式が飛びかかり、アルファ零式を組み伏した。
空から、巨大な槍が降ってくる。
「岩融、インパクトまであと三秒!」
「ごめんね。僕のロボット。でも、喜んで――」
凛は静かに涙を流した。
「これで君は、正義のヒーローだよ」
爆炎が、二つの巨影を、呑み込んだ。
〔■〕
シルバーは姿勢を大きく崩したが、ハッとよろけた足を立て直した。しかし、彼はまだ冷静ではないようだ。攻撃することすら忘れて、俺を見つめているのだから。
「その目……」
「目?」
そうだった。俺は攻撃を受ける直前、冥界アゲハの飛来を見た。左目に留まって、そのあと閃光を発して――
(冥界アゲハが、また俺に何かをしたのか?)
左目が熱を帯びているように感じる。左目から見える視界が赤みを帯びている。そして光の筋や、渦のようなものがうっすらと見える。
(この感覚、何だ……?)
その感覚は、だんだんと収まっていき、光の筋などもすぐに見えなくなった。
「概念力をどこで得た?」
「は? 何だ?」
「知らずに使っていただと? いや、そもそも第二次勇者は概念力の使用条件を満たしていない……」
シルバーの目が、憤るような殺気を帯びた。
「何かがおかしい。世界の法則が揺らいでいる。その震源地は、お前だ」
「俺だって、そんなの……」
「禍根は断つ!」
シルバーが攻撃に転じた。俺は咄嗟にバック転で退がって躱すも、その突進が止まない。いずれ追いつかれるのを察した俺は、森に入り込んで、木の陰で相手の死角を得た。
そこから隠密スキルを実行して草むらの影を移動。相手の近くをすり抜け、元の場所に戻り、ディザームによって落としたエペ・ラピエルを拾う。
「そこか!」
見つかった。シルバーは横斬りで樹の幹を切断してきた。ギリギリで回避して、技後硬直を狙ってカウンターを叩き込む。
「くッ……!」
シルバーの剣は、攻撃を放った直後だったにも関わらず、俺のカウンターをパリィしていた。
右回りの軸線移動をしながら打ち合う。相打ちだったが、こっちの攻撃は〔ガーダント〕で防がれる。リードを広げられた。
(……あいつの剣圧が鈍っている?)
軸線移動のせいなのかも。苦手? 戸惑い? どうでもいいか。ほんの少しの差だけど、いまはそれが大きい。軸線移動を続ける。
向こうの攻撃が、さらに来る。
(フルスイング・ゼロカウンターッ!!)
また〔ガーダント〕で防がれる。
「それはもう見た!」
ストレスを帯びた叫び。口数が多い。俺の意図を計りかね、ヤツは焦っている。リードしているのはヤツの方なのに。
(そうだ。焦れ……焦りこそ、ヤツの最大の弱点。普段は慎重で懐の広い剣技が、苛烈さを帯び、単純化する)
さらにラッシュしてくる。近すぎて回避は不可。パリィによる減衰も鈍い。俺の防御はもう崩壊しつつあった。攻撃しながら、ただくらうだけだ。
「形勢逆転だな!」
小さく歪むような、笑顔――、
勝利を確信した顔だ。これを待っていた。
(レースを早く終わらせようと、激しい攻めを続けるだろう。そこが唯一の隙だ)
読み通り、シルバーはラッシュを続けた。
(来たな……!)
一発目、そのままくらい、二発目――ここで仕掛ける。刃をマントの下に入れ、その陰で略式モーション入力。大技〔ヴォン・コントレール〕……、
入力後、わざと転倒する。
倒れ込みながら、迫ってくるシルバーの刃を見据える。
いけるさ。
自分を信じろ。
「くらえ!」
振り下ろしの袈裟斬りが、シルバーの胸部を捕らえる。重濃なダメージ音が上がり、クリティカルのエフェクトが壮大に散る。シルバーの表情が、驚愕に軋む。
「――ッ、な……」
本来ならば〔ガーダント〕が防いでいたそのダメージは、シルバーのHPへと直接叩き込まれ、彼の左胸に無数のヒットマークを生じさせていた。
「…………な…………?」
理解ができないのは無理もない。彼の〔ガーダント〕は機能した。しかし彼のブロードソードは、俺の武器軌道を素通りしている。
俺の弟子、エリーの操るキャラクター、ランダが俺に使った技がある。
『コケたとき、スイングが変な攻撃軌道になったんで、使えるかもと思ってネ』
あの軌道変化の技を使ったのだ。〔ガーダント〕がいかに強力なインスキルであったとしても、自動成功パリィではない。となれば、トリッキーな攻撃なら、受け切れない可能性もあるはず――俺の読みは、的中した。
「だが、たった一発では……」
「来い。《オリフラム》よ」
「何!?」
俺の手に赤いぼろ布が現れた。
シルバーの表情には焦りがある。あいつはすでに、《オリフラム》の召喚を使ってしまっている。いまはリチャージ中だろう。
俺は〔ヴォン・コントレール〕を入力。初動の逆手を、シルバーが危なげなく〔ガーダント〕によって防いだ。俺の周囲に分身が発生する。オリフラムを隠し、分身の中に紛れる。
「その技は見切った!」
シルバーが、分身に紛れた俺に襲いかかる――が。
「なッ――、」
その手応えのなさに、シルバーが呆然とする。彼が隙を見せてまで斬りつけた相手は、俺の分身だった。
「お前のお陰で、自分の弱点に気づかされたさ!」
前の戦いで、俺はシルバーに分身と本体の動きの違いを見抜かれた。だから今度は、分身に〝俺が取った動き〟をさせたのだ。結果、シルバーは罠に掛かった。
(屈辱にまみれたあの敗北も、いまこの瞬間の礎だった……)
「いっけえええええ――ッ!」
分身と俺で総攻撃する。
シルバーが〔ガーダント〕で防御する。一撃目、二撃目まではそれで防げた。しかし、突如としてシルバーがダメージを受けた。
「……なッ、」
彼の頼りとする〔ガーダント〕は発動しなかった。背後に回った分身たちは空いている左手でぶん殴っていた。格闘インスキルを取っていない俺のパンチのダメージなんて、たかが知れている。しかし、
「――っ!?」
シルバーの目が限界まで見開かれた。
次の分身の拳には、《オリフラム》が巻かれているからだ。シルバーの死角に入った際、《オリフラム》を分身に移してから、背後を取らせたのだ。
閃光が目を灼き、爆音が耳を揺さぶった。シルバーが爆炎に包まれ、そのエフェクトで俺まで吹き飛ばされた。すぐに起き上がり、エペ・ラピエルを構える。
「……やったか?」
煙の中から、揺れながら歩いてくる人影がある。
「幻想だ」
声がした。ヤツの声だ。
「お前の勝利など……幻想……」
煙を割って、シルバーが姿を現した。ボロボロになり、顔には死相が浮かんでいるが、死亡エフェクトが出ていない。
(直撃をくらってまだ生きているのか……?)
俺は不意に違和感を覚えた。シルバーの瞳孔の中に、赤い筋のようなものが光っている。それは流れるように動いていて、その筋が光って彼の身体中に拡がるのも見えた。
(あの妙な目のせいか……? そうか、さっき神眼と言っていたのは、あれか……?)
神眼がどんなものかは判らないが、それを使って俺は〝素手でソードをパリィした〟――セイバーズのシステム上、あり得ないことだ。しかし、神眼は不可能を可能にしてしまう何かなのだろう。
(神眼を使われ続けたら、ヤツを倒すのは不可能なのかも……)
そう思った途端、寒気がした。あいつを倒した本多忠勝の力を改めて実感する。これだけやっても倒せないバケモノを、一撃で倒し切ってしまったのだから。
手が震えた。
けど、きつく握って震えを打ち消す。
(……恐れるな。あいつも人間だ)
「お前はここで負けるのだ、ダメージレーサー!」
「なわけが、ねえだろォ――ッ!!」
互いに突撃し、斬り結ぶ。一撃目で、エペ・ラピエルが折れた。
「――くっ」
「運の尽きだ!」
「そうはさせるかよ!!」
左手でぶん殴った。顎に決まり、スタンが入った。
「がハッ」
(いまだ!)
折れたエペ・ラピエルでシルバーの内ももを斬り裂く。スタン中はパリィ無効なので、〔ガーダント〕は機能しない。
「なッ――」
シルバーは自分のHPゲージを見る。バーの減少が止まらない。出血の状態異常を受けている。継続ダメージが入り続けていて、止めるには《バンテージ》というアイテムを使うしかないが、モーションが長すぎて戦闘中は使用できないし、ほぼ死亡確定だ。
「……バカな」
自失呆然――だが、次の瞬間、シルバーは我に返った。俺とてHPは一ケタ台。お互いに一撃で殺せる。俺さえ殺せば、バンテージを使用できる事実に気づいたのだ。
シルバーが、ブロードソードを突き出してくる。
「うおおおおおおお――ッ!」
「やらせるか――ッ!」
迎え撃つように、エペ・ラピエルを突き出す。
一瞬だけ早く、ブロードソードの方が届き、俺は死を覚悟した。
だが、狙いはわずかに逸れていて、頬をかすめて通りすぎていった。
俺のエペ・ラピエルは〔ガーダント〕に阻まれたものの、パリィの精度が甘かった。受け止めたというより、かするように弾かれただけだ。
(……――!?)
そうなった理由が、頭に浮かんだ。シルバーのパリィは恐ろしいほど正確だった。彼は見て反応するより、先読みして防ぐタイプで、その予測が正確だったから、百%に近い確率で防げていた。しかしその精度が裏目に出たのだ。
俺のエペ・ラピエルが折れたのに、ヤツは同じように予測パリィを行い〝存在していない剣先〟を受け止めようとしてしまった。その結果、パリィは予測不能の事態を引き起こした。
弾かれて軌道が歪んだ俺の刃は、かすった程度のダメージを、シルバーの喉へと与えた。クリティカルは出ておらず、ヒットマークも少ないが、それで十分だった。
シルバーのHPゲージが砕け、その身体がぼんやりと光り始めた。やがて肌が光の粒となって、剥がれて、こぼれて、宙に散り始めた。
修羅の顔をしていたシルバーは、その表情を静かに鞘に収め、青空と視線を向けた。物寂しそうな表情だった。
「リア……」
シルバーが漏らした呟きは、誰かの名だった。聞き覚えがある。本多忠勝の記憶にあった美しい少女剣士だったかも。その響きは、悔恨のような痛みに満ちていた。
沸き立っていた俺の心が、急激に冷めていった。俺にとっては障害そのものだった。けど、彼にも人生があったはず。引導を渡したのは、俺だ。
「私の命運は、フェンシングによって尽きるのだな……」
「俺は自己流だから、フェンシングの使い手なんかじゃないよ」
「お前の使うインスキルは、リアが作った」
「インスキルを……作る?」
ユニットゼロの記憶が小さく蘇った。プロトスキル――第一次勇者が持つ、固有スキルをそう呼ぶ。プロトスキルや固有の装備は、その持ち主が死ぬと、第二次勇者、つまりセイバーズへと実装される。俺の使っている《エペ・ラピエル》や、必殺インスキル〔ヴォン・コントレール〕などは、リアという人物の死により実装に到ったらしい。
シルバーは言葉を続ける。
「騎士である父が愛した、誇り高きブロードソードに取って代わった、フェンシングという流派が憎かった」
複雑な感情……俺には理解しかねた。でも、彼の生きた時代はそうだったのかもしれない。
「私の憎悪を受け止めて、彼は死んだ。殺してから思った。私は、古臭い怨念に憑かれた怪物になっていたのだ。幾重もの歳月がすぎ去った頃、彼の技をアリーナで見かけて、いてもたってもたまらず……」
窓から視線を戻し、俺を見つめる。
「これでもう、怪物にならずに済む」
アリーナ最強を誇った男は白光に包まれ、光の粒になって粉々に散らばって、やがてその光も薄くなって消えていった。
役目を果たした、とでも言うように、直後――俺は人間……望月悠也の身体に戻ってしまった。
「がッ、はァ……!」
その場に崩れ落ちるように座り、喘ぐように呼吸をした。食道から何かが込み上がり、吐いた。血が飛び散った。この身体で戦ったわけではないのに疲労が蓄積し、身体中が軋むように痛む。
「……勇者様!」
リーズベルが駆けつけてきて、俺の背中を支えた。泣いている。
「ケガですか!?」
「いや……傷はない。この血は……何だろうな」
「こんなになるなら、わたしが戦った方が、よかったですよね……?」
「いや、君はそのままでいてくれ……」
「そのまま……?」
リーズベルの手を握った。あまり力は入らないし、震えてもいる。それでも精一杯、握った。
「戦いの間、声が聞こえたか?」
リーズベルはビクッとした。
「なぜ、それを?」
「どんな声だった?」
「わたしが無敵の存在になれると、そう囁くんです」
「力を求めるな。いまの君のままでいい」
「でも……」
不意に脳裏をかすめた言葉がある。
『世界の楽しみ方を、教えてください』
エル・トゥエルブの言葉だ。
(彼女はなぜ、あんなことを口にした?)
リーズベルに関する本多忠勝の記憶を思い出そうと、集中する。瞼の裏に浮かんだ光景がある。雪の降り積もった城。古木の根元で、祈りを捧げているリーズベル。そこまで思い出したところで頭痛がした。
(彼女は、長い間あの城にいた。名前はフィンブルヴェト。俗世から引き離され、まともな教育もない軟禁状態。思い出せるのはここまでか……)
「勇者様、わたしはミッドガルドにいていいんでしょうか? いつか滅ぼしてしまうのなら、どこか遠くの世界に……」
エル・トゥエルブが消えゆこうとしている瞬間、俺は手を差し伸べようとしたのを思い出した。その手は彼女に届くことはなかった。
(彼女はもう救えない。でも、目の前のリーズベルには手が届く。諦めるもんか。俺は今度こそ、この手を差し伸べる――)
深呼吸して、口を開いた。
「イチゴの日を探そう」
「……はい?」
「ええと、イチゴの日ってのは……」
「知っています」
「知ってるの!?」
「骨様に聞きました」
「ウエンズデーは、君だったんだな」
何万人もログインしているゲームの中で、俺たちは出会えたのか。なら、きっと意味があるはずだ。
「俺にとってのイチゴの日、みたいなものが君にもきっとある。それを探そう。色々な場所に行ったり、色々なものを食べたり、色々な人に会って、色々な考えに触れたり……学校に行くのもいいな。セイバーズの続きもしよう。君の性格だったら、すぐに友達もできるだろう」
「二人目です」
「何が?」
「わたしを危険な魔女として見ないで、普通の女の子として扱ってくれる人です。勇者様と、貴方だけです。どうしてそんな風な目で、わたしを見るのですか?」
「特別なことじゃない。きっとこれから、もっと多くの仲間が、君をそういう目で見てくれる。ユニットゼロと俺は、その第一歩にすぎないよ」
「一緒に探そう。君の、イチゴの日を」
リーズベルは、涙ぐみながら最高の笑顔を見せた。
「…………はい……!」
割れるように開けた雲間から、一条の光が降りそそぎ、俺たちを照らし上げた。
こうして――。
世界は、滅びを回避した。
〔■〕
マグナさんが柔らかくブレーキを踏み、ワゴン車を減速させ始めると、移動中ずっと途切れなかったお喋りが止まった。
「着いたわ」
車内で歓声が上がった。
「ワッショーイ♪」
「ここですか?」
「そうだよ。ほら、荷物持って」
ドアを開けて、エリーが飛び出るように走っていった。星野さんがそれに続く。リーズベルがモタモタしていたら、星野さんが戻ってきて、連れ出していった。
俺も車を降りた。ここは橋のすぐ近くにある、土手道だ。周囲には畑と民家が見える。空がひたすら青くて、ぽつりぽつりと小さな雲が浮かんでいる。
あの戦いが終わってから、一ヶ月が経過――魔女と勇者にまつわる一連の災禍は、終息に至った。リーズベルは異世界人でありながら藤倉苺という名で日本国籍を得て、小学校にも通い始めた。
「シショー!」
「早く!」
呼ばれたので思考を打ち切り、河原へと下りていった。ここは玉川。普通のよくある川だけど、瑪瑙石を採集できる。土手は低めで、坂も緩く、歩いて下に行ける。
遊んでいる連中を集めて、声を掛ける。
「それじゃ、イチゴ探検会を始めるぞ」
この不思議な名前の会は、一昨日急に発足した。リーズベルにとってのイチゴの日を探そうと言い出した手前、何かやらなくてはならない。まずは最初に鉱物採集をしよう――という流れになったのだ。
リーズベルが一番真面目に探している。
「ありません……」
溜め息混じりに川底の石をつかんだら、つかんだのはカニで、「きゃあ!」と悲鳴を上げた。
「モンスターが出ました!」
「ミッドガルドにいないからね……?」
「これ当たりかもですネ」
最初に見つけたのは、上流に向かって歩いていたエリーだった。
みんなで集まって確認すると、確かに瑪瑙石だ。ぼんやりとしたオレンジ色で、白めの筋がある。好奇心いっぱいの目で瑪瑙石を見ていたリーズベルだが、急に顔色を変え、石を星野さんに渡すと、無言で走り去った。
「リーズベル……?」
「俺が行ってくる。みんなは続けて」
リーズベルは廃屋の陰に入って、泣いていた。
「嬉しくなかったか?」
「みんなが、優しくて……」
「だったら、どうして?」
「わたし、物心ついたときから家族なんていませんでした。こんなにいっぱいの優しい人たちに囲まれたことはありません……だから、怖いです」
「怖い?」
「こんなに幸せになったら、失ったときに……きっと絶望します」
頭をぶん殴られたような気分になった。
いまでも思い出すときがある。一周目で見た、BADエンド――美しい造形の、赤い結晶石に変貌を遂げた世界――本多忠勝の知識によれば《原初性共核結晶全空間》という現象で、ビッグバン以前の宇宙の状態らしい。あれを為す力は、リーズベルの魂の深淵に潜んでいる。絶望という起爆剤さえあればいつでも蘇り、世界を滅ぼす……。
俺はリーズベルに幸せを教え、愛情を安全装置とさせる道を選んだ。この選択は正しかったのだろうか?
レンズホールは閉じられていない。それは異世界との火種がくすぶり続けているのを意味する。いずれ、あの地獄のような戦いが再燃するかもしれない。
(いずれ世界は、また滅びへと向かっていくんじゃないか? 滅びは無限の連鎖となって、絶えることなく世界を襲い、俺が力尽きるまで、未来永劫に続くのだとしたら……?)
そんな不安が胸をよぎり、リーズベルに掛ける言葉を失ってしまった。
「……勇者様?」
思い出に、心を馳せる。
『リーズベルを頼む……あれにどうか、愛を教えてやってくれ――』
『わたしの心に、優しい強さを――』
託されたものは、重い。とてつもなく。だけど、背負わずにはいられない。
だって俺を見つめるこの子は、まだ世界が喜びに満ちていることを知らない。哀しみと同じくらい、楽しみも転がっていて、怒りと同じくらい、喜びも見つけられるのだから。俺がセイバーズ黎明期の冒険で感じた、あのワクワク。最高の日々。なりたかった自分になれる感覚――あれをまだ、彼女は知らない。知れば、きっと心は強くなるはずだ。
エリーと星野さんのはしゃぐ声が聞こえてきた。
「きゃあっ、冷たい」
「シートに座れなくなるまで濡らしてやるヨ」
二人は水を掛け合っていた。リーズベルがじっと見ている。興味がありそうだ。でも、表情は迷っている。
俺はしゃがんで、リーズベルの背中を軽く押した。
「ふあっ?」
「行っておいで」
リーズベルは一瞬考えてから、「はい!」と笑顔で言って走っていった。
「わたしも入れてください」
「よーし、連合してエリーを倒そう!」
遊びに混じって水を掛けあっているリーズベルの、輝くような笑顔を見ながら、俺は決意を固めた。
力尽きるまで、立ち向かおう――。
この無限の連鎖に。
〔了〕




