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  〔■〕


 星野さん家から自転車で帰宅し、歯磨きをして寝る準備に取りかかる。部屋はいっぱい余っているけど、二階を寝室にしている。窓を開けると、峰風がよく通るからだ。寝るときは網戸にするけど、それでも蚊が入るから蚊帳も吊る。

(今日も楽しかったな。やっぱりセイバーズはいい……)

 親しい人と冒険して、一緒に目的を達成する。知らない人とも出会って、驚いたり、和んだり――ゾーグレスのようなクズ野郎にさえも、思うところがある。ああした荒んだ心がなぜ生まれたのか、とか……

 不意に脳裏をよぎったのは、最後に出会った新規プレイヤーID/ウエンズデーの、訴えかけてくるような表情だった。

『わたし、生きていいんですよね!?』

『強すぎる力があって。でも、使わずに耐えていかないとならなくて』

『誰にも望まれていないのなら、いっそ死んでしまえばいいんじゃないか……って』

(あの子……演技のようには見えなかった。あれがロールプレイではないとしたら?)

 何かしらの、まだ形になっていない思いが、トクンッと胸を打った。

(使わずに耐えないといけないほど、強すぎる力か。そんなものがあるとしたら、どうなんだろう。たとえばよくあるのは、極大魔法みたいな都市を壊滅させちゃうヤツとか、制御の利かない巨大クリーチャーを召喚しちゃうヤツとか……ああいうのが、うっかり使えちゃうレベルだったら……)

 考えながら溜め息が出た。

(……うっかり使えないけどな、そんな系のヤツは。まあ、あると仮定しよう)

『わたし、誰にも望まれていない子なんです』

(望まれていない子か。うっかり極大のダメージを放ってしまう子がいたとして、その事実が知れ渡っていたら、そんな状況になるかもな。人々はウエンズデーを憎むだろう。制御不能の核爆弾のようなものだ。誰だって疎ましく思うはず)

 アリーナで百敗と呼ばれていた頃の俺を思い出した。大勢の悪意に曝されて生きるのは、心を削られる。ああした思いをウエンズデーもしてきたのかもしれない。

 暗鬱な気分に浸っていたとき、ふと既視感を覚えた。

(あれ? その状況って、聞いたことがあるような?)

 ポータルと共に俺の前に出現した、リーズベルの言葉を思い返した。

『わたしの力は大きすぎたのです』

(――そうだ。アレと似ているな。たしか解決方法も語っていたような……?)

『誤った道を選ばないよう、貴方は別のものを育ててください』

『わたしの心に、優しい強さを』

(……優しい強さ。それが、ウエンズデーに必要なものだとしたら、まさに答えそのものじゃないか。あああっ、『いちごの日』なんて言っちゃったよ……!)

 恥ずかしさのあまり、布団の中で「ううぅ~」と悶えた。

(やめよう……あれがロールプレイだとしたら架空の出来事だし、そんなにマジにならなくてもいいだろ)

 そう考えたあと、眠気が襲ってきた。

(……でも、もし、あれがロールプレイじゃなかったら?)

 思考能力が落ちているとき特有の、思考ループが始まる。残りわずかな意識を使い切って、俺は一つの結論を出した。

「彼女はとても孤独……だろうな」

 閉じられた瞼の中の闇に、一つの記憶が通りすぎた。リーズベルが俺に向かって手を差し伸べている、あの光景だ。

『……助けて』

 俺も手を差し伸べようとしたけど、もう身体に力が入らなかった。そのまま沈み込むように眠りに落ちた。


 目覚ましのアラームが鳴る。もう時間か。ぼんやりとする意識を振り払うように寝返りを打ち、ノールックでアラームを停めてから、目を開ける。

「ふわぁ……」

 朝と呼ぶには早すぎる時間に、俺は起きる。網戸の向こうに見える空は、夜の続きみたいに薄暗い。弱々しい風が入ってきて、ふわっと蚊帳を揺らす。僅かに汗ばむ肌には心地よく感じた。

「ん……?」

 半身を起こしたあと、薄闇の中で光るものが見えて、目を凝らして見つめた。

 それはチョウだった。アゲハチョウ……かな? 模様が光っている。セイバーズの中で見た、アレと同じだ。

(そうだ、このアゲハチョウ……元はと言えば、リーズベルがトレードで渡してくれたものだっけ。それで、俺の掌のアザになって……))

 自分の掌を見る。

(あれ? アザが……ない?)

 その手に、蝶が留まった――。

 すると、パッと明るい光が放たれ、目が眩んだ。

 どこからか、優しい声が聴こえた。

〔――save point――〕

「なっ!?」

 眩んだ視界が戻ってくる頃には、蝶は俺の手を離れていた。光の粒を鱗粉のように散らしながら、階段の方に飛んでいき、見えなくなった。

「――ええっ!?」

 いまのは絶対にあり得ないと、寝ぼけた頭でもようやく理解できた。だって俺の周囲は蚊帳に覆われている。

 電灯を点けて蝶の行方を追ったけど、どこにもその姿はなかった。戸締まりをした家から、どうやって出たんだろう。

 ふと、自分の掌を見た。黒い蝶のアザがある。

「……戻っている?」

 ポロン、と音が鳴った。リングスIDへのメッセージ着信を知らせる音だ。

 その音で、現実に引き戻され、朝のルーティーンを始めた。顔を洗い、着替えて畑仕事、軽い運動、料理、朝食のあと、縁側に座って、頭上にリングスを浮かせ、メッセージを確認する。送り主はエリーだった。

〔言ってたの、これだヨ〕

 アドレスが貼られている。実行すると匿名掲示板に飛んだ。

〔《ダメージレーサー》ゼキの正体はこいつ!〕

 画像も貼りつけてある。自転車を押して歩きながら校門を出てくる俺の写真だ。

 続くレスがひどい。

〔平凡な顔だ〕

 ほっとけ!

〔ゼキがイケメンなのは願望か〕

 うるせえ!

〔日本チャンプ中坊なの超ウケる〕

 あああああくそったれ!

〔こいつ説教しまくるんで、学校ではおじいちゃんって呼ばれてます〕

 バラすなああああ!

「個人情報の保護って大事だな。星野さんに謝らないと」

 その他の用事も済ませ、さて登校だ。自転車に吊したラジオをつけて通学を開始しようとした。

「……シショーッ!」

「え?」

 家の後ろにある崖から、制服姿の少女が飛び降りてきた。そして、俺をキッと睨んだ。

「はあああ――!? エリー、お前なんで俺の家を……」

 俺の言葉が終わらないうちに、学校とは反対の道を指さした。

「あっち、逃げるネ!」

「逃げる……?」

 ごぉ、という轟くような音が、空の向こうから響いてきたので目を向ける。空に五つの点のような影が見えた。それは轟音をさらに大きく響かせながら、あっという間に俺たちの上空へと到達。立っていられないほどの風圧を巻き起こしながら、通過していった。

「F35戦闘機……?」

 騒がしいエンジン音も聞こえてきた。家の下側にある道路を、車列になった自衛隊の戦車が走っていく。

「10(ヒトマル)式戦車まで……ARKⅡの連中、全面戦争をやらかす気ネ」

「戦争?」

「とにかくシショーはあっちに逃げてヨ!」

「その前に説明を……」

 言葉の終わりまで話すことはできなかった。

 パッと、一瞬だけ、目の前が真っ白になった。

 そのあと、家の後ろにある山の向こうで、大きい閃光が生じたと思うと、大地を揺さぶるほどの爆音が響いた。熱を孕んだ風が衝撃波のように迫ってきて、俺たちを揺さぶり、草木を揺さぶった。

「な――ッ」

 その様子から空爆が行われたのだろうとは理解できた。

 でも、ここは日本だ。平和な国だ。空爆なんていう、いつもの日常をぶち壊すような行為を、自衛隊が行うだなんて思えなかった。

 だけど、実際、兵器が使われた――。

「…………嘘だろ。戦争が……始まったのか?」

 エリーが、俺を強く抱きしめてきた。

「……え?」

 呆然とする俺を突き飛ばして倒れさせ、追えないようにしてから、エリーは去っていった。

「……おい、そっちは……」

 戦闘が、いままさに起きている方向へと彼女は向かっている。

「どういうことだ……?」


  〔■〕


「――起きてッ!」

 リーズベルの眠りを、マグナの叫びが引き裂いた。その瞬間、リーズベルは弾かれるように身を起こした。

 そこは寝室だった。ドアの方から煙が入り込んできている。奥から爆発するような音が何度も響いている。大勢の話し声が聞こえている。パン、パン、という何かが破裂するような音もする。

「早く!」

「は、はい……?」

 走って廊下に出て数秒後、轟くような音がして、床がビリビリと揺れた。窓の方から閃光が漏れ、ガラスが割れて撒き散らかされた。

「きゃあ!」

「空爆で、近衛兵たちを破壊する気ね……」

 一階へ行き、衣装箱をズラして、その下にあったフロアハッチを開ける。中には階段があった。

「入って!」

 急いで階段を降りる。少し遅れたが、マグナも追いついてきた。中は洞窟のようだった。赤色灯が吊ってあり、最低限の視界は確保できている。

「ここは?」

「瑪瑙石の廃坑よ。走って」

「いったい何が……?」

「襲撃を受けたの」

 走り続けると廃坑が終わって、太い角材で格子状に封鎖された出口が見えた。マグナは角材の一つを引っ張った。それは固定されておらず、外れて倒れた。

「隙間をくぐって!」

「はい!」

 隙間を通ると、その先は山林の斜面だった。マグナが先導して斜面を駆け下りる。小さな沢が一筋あり、そこを裸足で超える。沢岸にある道路に出た。リーズベルは道路を走っているうち、躓いて転んだ。

「たぁ……」

「大丈夫?」

 マグナが駆け寄ろうとしたが、その表情が緊張に引き締まる。メニューを開き、トレード画面を出し、リーズベルにアイテムを譲渡する。

「これは……?」

「起き上がって、装備して」

 リーズベルは言われた通りにした。アイテム名は《禁秘の腕輪》。装備すると、彼女の姿は薄くなっていった。

「装備者の存在を、正常に認識できなくなるブレスレットよ。リアルワールドの兵器にも有効なはず。効果時間は十分間。その間にできるだけ遠くに走って」

「マグナ様は……?」

「いいから早く」

「は、はい」

 リーズベルが喋らなくなると、モザイク状に見えていた姿が見えなくなり、足音すらも聞こえなくなった。おそらく走って逃げているだろう。

(私が、ここで囮になって、追撃を躱さなくては……)

 《ユニットワン》というコードネームをもらい、言い渡された彼女の使命は、リーズベルの教育と、魔女と共に老い、共に死ぬこと。つまり老衰までのサポートだった。戦力としては期待されていない、はずだった。

(まさか……戦うことになるなんてね)

 マグナは何かを感じ取ったのか、素早く空に視線を転じた。

「あの音……航空機……?」

 やがて、それが見えた。

「――ッ、ミサイル!?」

 六発の誘導弾がマグナに迫ってきた。回避する余裕などなかった。

 彼女の視界は、閃光に包まれた。

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