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〔■〕
リーズベルが感じたのは『自分とは何だろう?』という不可解な感覚だった。
セイバーズのアイコンをタッチした直後、目の前の世界から〝自分が消えた〟――肉体の感覚や、声を出すという基本的なことさえままならない状態になったのだ。
タイトル画面、キャラクターメイキング画面と、理解もままならない状態で進めていき、いまゲームスタートの状態になっている。
見えるのは森。ミッドガルドの樹木とはまるで形の異なるものが生い茂っている。地面は湿った土で、草が生え放題になっていて歩きにくそうだ。妙な臭いがした。生臭いような、錆びた鉄のような、少しツンと刺激を感じる臭い。風の吹いてくる方向を辿ると、かなり遠いところに水辺がある。
「あれが川……? 湖……? 海かも?」
足音が聞こえた。森の手前に木造の見窄らしい建造物がいくつか建っている。せわしなく働く者たちがいる。
「これは……村?」
そこまで喋ってから、びっくりして口を押さえる。
「わたし、喋ってる? それに、わたしの声じゃない……?」
いつもとは違う、もっと高音域の声だった。手も薄桃色の肌をしていて、いくつかアザのような黒い紋様が見える。
「わたしが……わたしでなくなってる? さっきの画面の子かなあ……?」
ウインドウ画面が目の前に出現した。
〔チュートリアルを実行しますか? はい/いいえ〕
「……?」
よく判らない様子で、ウエンズデーは悩んだ末、最後にはフィーリングに身を任せて、いいえを押した。
〔では、メニューの開く動作と、簡単な説明だけをします〕
妖精が目の前に現れ、メインメニューを開始する動作を教えてくれた。真似するとメニューが開いた。
〔はてなマークのアイコンから、マニュアルを読むことができます。またスキャンアイテムで外部ブラウジングもできますので、困ったらワード検索などをしてください〕
「スキャンアイテム……?」
アイテムのアイコンを押し、そのあとにスキャンの文字を見つけた。アイコンをタッチすると画面が変わり、さっきの仮想スマホが見つかった。
「わあ、これでワード検索ができます!」
スマホをいじっていたとき気づいた。地面に、青い矢印のようなものがある。それはガイドマーカーと呼ばれる道案内だ。
「何でしょうか……?」
しばらく考えて、無視して気ままに歩き始めた。森に入り、キノコを見つけた。しゃがんで指でつつくと、ウインドウが出た。
〔ヨルノツルタケを採集しますか? はい/いいえ〕
はい、を押した。
すると、ヨルノツルタケがシュンと音を発して消え、ウエンズデーの左手に移った。一瞬だけ、ガイドラインのような矢印が出た。口に持っていけるらしい。
(あ。これ、食べ物だ……)
何の抵抗なく、それを口へと近づけた。
「ダメェーーーーっ!!」
キノコを口にする直前、後ろから叫び声が聞こえてリーズベルはビクッとした。足音も聞こえてきたので振り返ろうとすると、彼女は手をバッと振り払われた。
システムウインドウが表示された。
〔他プレイヤーの攻撃により、動作がキャンセルしました。いまの行為をハラスメントとして運営に報告しますか? はい/いいえ〕
「ハラス……メント?」
「あああ、違うの! これは助けようとして」
相手を見る。羽根がついたティアラを被り、葉を鱗のように縫い合わせた鎧を着た、赤毛の少女だ。両太ももにベルトを巻き、短剣を二本提げている。
「それ毒キノコよ。1レベルで食べたら確実に死ぬわ」
「死ぬ……」
しばらくヨルノツルタケを見ていたが、急に理解できたらしく、はわわ! と叫んで尻もちをつき、焦った様子でそれを捨てた。
「ええと、あの……ありがとうございます?」
「どうして疑問形かなー……?」
「ハラスメントのこれは、はいを押せばいいですか?」
「いいえを押してね!?」
ウエンズデーがいいえを押してウインドウを消すと、少女は手を伸ばしてきた。手を握ると、起こしてくれた。
「初心者さんかな?」
「はい。その……何も判らなくて」
「最初は地面に見える、ガイドマーカーの矢印に従って動けばメインクエストができるよ」
「それはやらなきゃいけないものですか?」
「というわけでもないけど……ええと、」
少女はウエンズデーを指さす。
「ウエンズデーちゃんが、何をしたいかに依るね」
「わたしの名前を知っているのですか?」
「指させば、IDネームと一部ステータスが確認できるの」
「なるほどです。貴方は……サーシャ様?」
「様づけ!?」
「変ですか?」
「変だよね!?」
「そうですか……?」
「変わっているなあ……まあ、いいや。で、ウエンズデーちゃんは何がしたい?」
「うーん……まったく判りません。そもそも、わたしはここに来るべきだったのでしょうか?」
「そのモチベーションで、よく購入したね……」
「サーシャ様は何をなさっていたのですか?」
「有終の美、かなあ」
「はあ……?」
「私ね、今年受験なんだ。いい加減セイバーズをするのは辞めなさい、ってパパに怒られちゃってね。今日がプレイ最終日になるの」
「お別れってことですか?」
サーシャはそれまで笑顔を保っていたが、そう聞いた途端に沈んだ表情になった。
「そう」
目が潤み、それを隠そうとしてか、森の奥へと顔を向ける。
「本当はこっちの友達にさよならを言いに来たの。でもね、できなくて。フレンド登録も削除しちゃったし、この初心者用サーバーに入ったのも、友達の行動エリアから離れるためだし。こういうシチュに弱くってさ。ダメだなー、私は」
「サーシャ様……」
「半年間プレイしてさ。すごくね……楽しかったんだ。私、学校では友達いなくて。ていうかほら、自慢じゃないんだけどなぜか勉強ができちゃって、親が期待しちゃって、中学、高校と進むうちに、周りが勉強しかしていないような子だらけになっちゃってさ」
「待ってください、中学と高校をワード検索します」
「普通、そこでぐぐる!?」
「教育……? すいません、読んでも良く判らなかったです。続けてください」
「判らないの!?」
「わたし無知なので」
「無知にもほどがあるよ!?」
「すいません……」
「ま、まあ、いいや……とにかくね、セイバーズは今日までなの。息抜きとかそんな感じじゃなくて、家よりも学校よりも、この場所が好きだった。本当はもっとたくさん遊んでいたかったけど、仕方ないんだ。私が良い大学を出て、良い会社に入って、家族を安心させてあげないといけないから……」
「わたしがしたいこと、見つかりました」
「何がしたいの?」
視線をウエンズデーに戻したとき、彼女はそれに気づいた。
「どうして泣いているの? ウエンズデーちゃん……」
「貴方が哀しんでいるから」
「やだなあ。私は哀しんでなんか――」
言葉の途中で、サーシャの目から涙がこぼれた。
「あれ……? 変だな。泣きたくなかったのに」
「サーシャ様が最後にしたいことを、私もしたいです」
「ウエンズデーちゃん……」
「心残りがあったらダメです。ずっと哀しいままになっちゃいます。何がしたいですか? 言ってください」
「最後に……友達に会いたい」
「どこにいますか?」
「フレンド登録を削除しちゃったから判らないよ」
「サーバー? 場所? そこから逃げたって言ってましたよね? だったらその逆に、見つかりやすいところがあるのでは?」
「ある……でも、そこはウエンズデーちゃんの行けない場所だし」
「行ってください。わたし、サーシャ様の帰りを待っていますから」
サーシャは涙を拭いた。
「……行ってくる」
「はい」
ウエンズデーは路傍の石に座って、空を見上げてサーシャを待っていた。その間に、ログアウト要請メッセージと称するウインドウが開き、現実世界のマグナが〔お楽しみのところ悪いけれど、ごはんができたわ〕と言ってきたので、急いでログアウト。ごはんを食べ、シャワーを浴びて、またセイバーズに戻る。
「ログアウトしている間に、来ちゃったかもしれません……」
ハラハラしながら待っていたが、サーシャが歩いて来た。まだ眦は濡れていたが、すっきりした顔をしていた。
「お待たせ」
「どうだったですか?」
「お別れが言えたよ」
「そうですか」
「ウエンズデーちゃんのお陰だね」
「そんなことはありません。サーシャ様が勇気を出したからです」
「色々教えてあげたいけど、もう約束の時間なんだ」
「そうですか……」
サーシャはメニューウインドウを操作し始めた。
「はい。これ」
「何です?」
ウエンズデーの目の前に、ウインドウが現れた。
〔サーシャからアイテムトレードのリクエストがあります。承認しますか? はい/いいえ〕
「これは?」
「受け取って欲しいの」
はい、を押すと、サーシャの腰にあった二本の短剣が、ウエンズデーの手に収まった。
「わわっ……剣が」
「《ルビー・スクレーパー/デュアル》っていう、けっこう珍しい武器だよ。最大まで魔法強化してあるから、すっごい値段がつくと思う。これを売って、序盤を乗り切って」
「いただいても、わたしには返せる物が何一つありません」
「とっくにもらったから。ウエンズデーちゃんがいなかったら、私は大事な人たちにお別れを言わず、後悔しながら受験に挑んでいた――」
「サーシャ様……」
「やり残したことがあるの。いっぱい、いっぱいね。メインクエスト第二章のクリアもまだだし、生活系スキルを上げて、自分のおうちを飾ったり、衣装アバターを自分で製作したりしたかった。たくさんの武器を試して、自分の合ったものも選びたかった。スクレーパーは私のスタイルに全然合わなかったから」
「本当にいっぱいありますね」
サーシャはメニューを少し操作したあと、走ってきて抱きついてきた。ウエンズデーは目を大きく瞠って、硬直している。彼女は両親を知らず、冷たい城塞に幽閉されて育った。ハグという行為そのものに現実味を感じられず、本の中に書いてある出来事、つまりファンタジーのような概念に思えていた。
(……温かい)
そう感じたとき、ウエンズデーの心に小さな息吹が宿った。自分はこの世界に生きている――という実感が生まれたのだ。
「わたしがやります……」
「え?」
「強くなって、上手くなって、サーシャ様のやり残したことを、全部やり遂げます」
「ウエンズデーちゃん……」
「ここでお別れでも、貴方のこと、絶対に忘れないです」
「私も絶対に忘れないよ。ありがとう……もっと早くに逢えれば、親友になれたかもしれないのに。でも、そろそろ、お別れの時間だよ。いいえを押して」
「いいえ……?」
サーシャの姿が光片を散らしながらかき消えた。ログアウトしたのだ。
ウエンズデーはしばらく呆然としていたが、目の前にウインドウがあるのに気がついた。
〔パーソナルスペースの侵害を検知しました。いまの行為をハラスメントとして運営に通報しますか? はい/いいえ〕
「これですね……」
くすっと笑いながらいいえを押し、そのあと、涙を流した。
「サーシャ様……」
彼女の残したスクレーパーを、ギュッと胸に抱え、ウエンズデーは声を上げて泣いた。しかし、その声はすぐに途切れた。
近くの大きな茂みが揺れ、草をかき分けて現れた人物がいる。
カラスに似た仮面をつけていて、濃灰色のボロマントで全身をすっぽり覆っている。
その不気味な姿に、ウエンズデーは後ずさった。
「……何ですか?」
男はマントを跳ね上げ、三日月型の刃を持つ斧を抜き放ちながら、ウエンズデーに近づく。
「そいつを……スクレーパーをよこせ」
ウエンズデーは唾を飲んだ。




