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  〔■〕


 掃除当番が終わって、星野さんと一緒に下校。彼女の家にお邪魔した。女の子の部屋だからって緊張はしない。子供の頃から通い慣れた家だし、部屋も男の子っぽいんだ。

 星野さんは足早に部屋を出て行って、すぐにお盆を持って戻って来た。

「ほら、母さんがどこからともなく買ってくる謎のジュース」

 コップで出されたジュースを一口飲んで――、

「チェリオじゃん」

「どうして判るんだよ!」

 飲み干してから、

「リングスは?」

 押し入れから出してきた。リングスは、その名の通りの《輪》だ。薄いドーナッツをメカメカしくしたフォルム。かしこにかっこいい溝があって、ゲーミング何とかのようにLED発光する。俺に青いリングスを渡してから、自分の手にある白いリングスを怪訝そうな顔でいじっている。

「こうかな?」

 リングスを頭上に持っていって「?」って顔をしている。機械に詳しそうなのに意外だ。

「こう」

 手を伸ばして、リングスの電源スイッチを押す。キューンという作動音と共に強く発光し、木村さんがビビって取り落としてしまったが、リングスは自ら空中浮遊し始め、木村さんの頭上に収まった。

「飛ぶ……んだ?」

「浮かぶ、が正しいけどな。人体からの……」

「人体からの電力伝送を、帆のように受けて滞空する?」

「知ってるのか?」

「いや、この技術は……」

「何?」

「何でもない」

 レクチャーしながらセイバーズのアプリケーションをインストールさせた。

「あとはどうするの?」

「セイバーズのアイコンを、指でコンコンして」

 そう言った直後、星野さんの様子が変わった。目を閉じ、表情が消え、スッと姿勢を正して座る。リングスのLEDライトが大きく光り始め、肌の内側に電子回路に似た光が一瞬だけ走ったのが見えたあと、リングスから漏れる動作音が大きく、高音域になった。肉体の五感から引き離されて、五感や意識が仮想空間内のアバターと同化する没入型ネットワークモード《ディープダイブ》に移行した合図だ。

「さてと。俺もログインするか」

 リングスを起動して、セイバーズの引き継ぎIDを入力する。最後の一文字を入力しようとする、その手が止まった。

「あそこに戻るのか」

 もっと時間が必要な気がした。でも、星野さんが仮想空間内で待っている。

 モヤッとする心を振り切って、最後の一文字を入れる。

 エントリーボタン、タッチ。タイトル画面で〔コンティニュー〕を選ぶと、ヴォン――ッ、という電子音が鳴った。

 見えていた星野さんの部屋が、ゆっくりと闇に呑み込まれていく。

 闇の中で、俺に身体が与えられる。足の裏に、地面の感触が与えられる。手が動くようになったので、目の前に持ってきて見つめる。〝向こうの俺〟の手だ。

 周囲の光景が描画され、セイバーズの仮想世界が見え始める。

 宿屋の看板が、まず目に入った。そこは街。石畳の大通りに石造りの建物が並んでいる。街路樹も見えるけど、現実世界と何ら変わらない広葉樹だ。普通の馬が、よくある馬車を引き、屋台でリンゴが売られている事実から判るように〝ごく普通の異世界〟と言えるだろう。

 俺の手前を、楽しそうにはしゃぐ子供が横切っていった。街には大勢の人々が行き交っている。様々な服装、様々な職業の人々。NPCだ。

 いま俺が立っているこの街の名は、ヴェルランド。大陸の端っこの山間部手前にある商業都市。征服王ルーダストの城が中央にそびえる王都でもある。

 セイバーズの舞台となるのは、人類生存圏アスガルドだ。俺たちプレイヤーは召喚された異世界の勇者としてログインする。

 目の前にある宿屋の向こう側に、塔のような形の巨大建造物がある。闘技場だ。アリーナのワールド・チャンピオンシップの舞台になった場所。

 俺が敗北を味わった場所――。

(…………スタートの街に行かないと)

 街の一画にある《崩れかけた古代神殿》に到着した。神殿の周りには、プレイヤーキャラクター、略してPCの姿がある。

「《スメラギ》が、傭兵を募ってるって。どうする?」

「大手ギルドの中じゃ、あそこは払いがいい。とはいえ、十分でもねえよなあ」

「アリーナで浮かれてた方が、儲かるゲームだしなあ。勇者業を真面目にやることないか」

 その理屈で言えば、俺も浮かれてたクチだな、と思いながら、その二人に続いて神殿の中に入った。空中に、ポータルが浮かんでいる。

 それを見て、俺は思わず「あっ!」と叫んでしまった。列の前にいるプレイヤーたちが振り返ったので「すいません」と謝っておいた。

(……今頃思い出すなんて)

 今朝、通学路の上空に出現した渦巻きっぽい何か――あれはポータルとそっくりだ。

(だから既視感があったのか。けどそうなると、現実世界でポータルが開いた、なんて事実が突きつけられるけど。いやいや、あり得ないよな……)

 列の先頭にいるプレイヤーが、神殿の入り口にある制御盤を操作すると、ポータルの下に明るい光が降りそそいだ。

 プレイヤーは歩いていった。光に当たるとプレイヤーの姿は薄くなって消えた。

 俺の番が来た。操作盤に行って、行き先を選ぶ。スタートの街として有名なノーアトゥーンを選んだ。そのあとポータルへと歩いて行く。光に突入すると、一瞬で向こう側に着いた。

 景色が一変しただけでなく、大気の質も変わった。元は内地だったのに、いまは潮風が吹いてきている。神殿は岸辺に建っている。奥の方に川っぽいものが見えるけど、あれはフィヨルドだ。

 さきほどの街とは比べ、馬に乗っているような裕福なNPCは少ない。俺は中級レベル帯になってから攻略情報を見ながらメインクエストを進めていったので、この街のことはあまり印象にない。適当に歩き回っていたら、奥の広場にプレイヤーが百人くらい集中している光景を目にした。あそこがクエスト主とお店が固まって配置されている場所だったかも。

 ここから星野さんを判別するのは、さすがに困難か。

 ストレージから、あるアイテムを取り出す。その名も《木彫りの拡声器》これを実体化させて、口に当てて言い放つ。

「星野凜さーん! 俺はここだあ!」

 広場にいるプレイヤー全員、さらにはNPC全員、一斉に俺を見た。

「あーあ、あいつ全体チャットで本名出しちゃったよ」

「何やってんだか……」

「ぐっ!?」

 後ろから、鋭利な武器のようなもので背中をぐりぐりされているんですけど……?

「望月くーん、個人情報の保護って知っているかなあ?」

 メニューウインドウが出て〔いまのは暴力的迷惑行為ですか? はい/いいえ〕ってシステムメッセージが出てきた。迷惑だけど、『いいえ』を押しておく。

「ごめんなさい……」

 やっと武器のようなものを引いてくれたので、振り返る。

 ……あれ、これ、本当に星野さんか?

 ロングヘアだし、体格も女らしいし、妙にキュートな? そして胸が……、

「ちいさ」

「ねえ、望月くん。いまどこ見てた?」

「どこも!」

 IDも確認。フェザントだ。

「かっけえな! 英雄の名前?」

「望月くんが毎日のように見ているヤツだよ」

「何だろう……?」

「キジ」

「裏山でケェエエエ――ッ! って叫ぶ、空飛ぶニワトリみたいなヤツが!?」

「そう、英名はすごくかっこいいんだよ」

「へぇ……」

「これから何をする?」

「そのアイテムがあるなら、メインクエストを途中までやったみたいだな」

「〔政務官のお願い〕は終わった」

「なら、次はこっちだ」

 フェザントを連れ、森の奥へ。順当な狩り場を通り抜けて、初心者では戦力的に入れないエリアへ。

「俺と同じ道を、一歩たりともミスることなく辿って。モンスターの攻撃、軽くかすったら死ぬから」

「どうしてそんな道を通るの!?」

 高レベルモンスターのフィールドを抜け、洞窟に辿り着いた。

「フェザントはここで待ってて」

「どうするの?」

「レベル上げをする」

 前半の山場となるフィールドボス《双喰の溶岩トロル》を俺一人で討伐して、フェザントを一気に五レベルアップさせる。

「……これ、正しいの?」

「正しいって?」

「簡単すぎるような……」

 裏技みたいなもんだからなあ。生真面目なフェザントにはフェアじゃないと映るかも。

 ただね……このあとに初心者がみんなトラウマになる地獄が待っているので、時短は絶対にしておきたかった。

 おかげでノーアトゥーンの首長からのクエストをサクサクとクリアできた。

 フェザントは、クリア後の首長との会話で首を捻り始めた。

「どの見習いを選びますか? ってメッセージが出て……」

「アースメギンというものをもらえる選択肢なんだ。選べるのは、STR、DEX、AGI、VIT、INT、POW、CRM――七つの能力値に対応したものになる」

「どれでもいいの?」

「STRならパワー系。でかい武器が持てて……」

「戦闘苦手だったから、あんまり参加したくない」

「そうなると、魔法か、生産か、隠密か、遠隔になるけど」

「魔法って?」

「セイバーズ独特の大ざっぱなくくりだけど、魔法使い、神官、召喚といった術系のクラスを示す」

「召喚がいいかも」

「あー……召喚はいまのところ、弱いビルドしかなくて。育成も手間が掛かる。悪いこと言わないから、遠隔にしときなよ。育成がシンプルでも強いし」

 俺の口先に、フェザントの人差し指が据えられた。

「ねえ、さっきからちょいちょい出てる、上級者目線、やめてもらっていいかな? 僕を思って言ってくれているのは理解しているよ。君が言う通りにすれば、強いキャラが作れるのかもしれない。でもそれってさ、初心者である僕にとって、本当に必要なことなんだろうか?」

 答えに詰まった。というのも、俺は初心者の頃から同じように最速レベリングをやってきた。それが悪いことだとは、まったく思わずに。

「楽をして、強いキャラになる。それは多くのゲーマーにとって悲願かもしれないよ。けれども僕はね、このゲームを最速で消費したいわけじゃない。迷い道まで含めた成長物語を楽しみたいんだ。教えるのはいいけど、僕の進む道まで君が決めないでくれ」

 憑き物が落ちた――なんて表現が昔の日本にはあった。亡きじいちゃんが使っていたくらいで他に見かけたことはないけど、いま俺はその表現がなぜ生まれたのか、という実感を味わっている。

 初心者だった頃、俺はセイバーズを心の底から楽しんでいた。放課後、自転車を全力で漕いで家に戻り、制服を脱ぐのももどかしいぐらい、速攻でログインしていた。相棒と一緒にバカをやりながら、あれやこれやと手探りで冒険をした。

 あのワクワクした感覚――それがすっかり、俺の中から抜け落ちていた。

 百敗の汚名を着せられ、自分のプライドを守り通そうとする執念が、俺をダメージレーサーにした。

 それからの俺は、変わり果てた。効率を重視し、〝勝てる〟情報通りに攻略することが至高のプレイだと信じ、初心者らしい不出来さをノイズとしか感じない思考に陥っていた。

 もちろん、高みを目指すそのプレイに意義がなかった、という話ではない。だが、俺がいまやっているのはゲームだ。ゲームは楽しむのが前提であって、上に行こうと足掻くあまり、楽しみを無駄として切り捨てたあげく、同じ姿勢を求めていない他人にまでそういったやり方を押しつける人間になるのは、ただのハラスメントだ。

 二ヶ月もログインできなかった理由も、トラウマどうこうより、こっちの方がメインかもしれない。俺自身がつまらない人間になっていたから、セイバーズに戻るのを重く感じたんだ。

「…………すげー判る。ごめん」

「判ればいいんだ。で、召喚を選ぶとどうなるの?」

「CRM――カリスマという能力値をメインで上げていくことになる。ペットを出す魔法が使える」

「へぇ、どんなのが出せる?」

「最初のうちは動物だな。あとはちっこいモンスターとか」

「可愛い?」

「リアル系が多い」

「うーん、パス。魔法でいいかな」

「だとすると選ぶ見習いは叡智、神秘のどっちかだ」

「選んだよ。次は?」

「まず、メニューを開いて、ストレージ画面を出して、右上の動物の顔のアイコンを押して」

「押した……あっ、リストに何かある。〔神秘の見習い/クルチェ〕って書いてある」

「これがアースメギンね。今回もらった見習いシリーズは、一プレイヤーに一つしかもらえない貴重な配布で、頑張って育てると上級になっても使える」

「育てる?」

「見習いのアイコンを長押しして、実体化のコマンドを押して」

 フェザントの目の前に、五才くらいの女の子が出現した。茶系の模様が入った髪に、丸い焦げ茶色のケモミミ。ふんわり丸まったしっぽがある。耳から察するに、リスだろうか。

「わああっ! かわゆ!」

「アースメギンは獣人なんだ。能力値としても扱われるけど、キャラクターでもあって、固有のレベルを有して――」

「ひゃあああ! もう我慢できない!」

 フェザントが女の子を抱きしめた。クルチェが焦った顔をしている。

「待て待て、反応見ろ!」

「え?」

「きゅう……」

 クルチェが気絶してしまった。

「ああ! どうしたのッ?」

「落ち着け、フェザント。クルチェの頭を長押しすると、収納アイコンが出るから押して」

 クルチェは消えた。

「スキンシップするのは正解だけど、最初は距離を取れ。野生動物を飼い慣らすみたいに、相手の様子を見ながら、徐々にだ。アースメギンには、かなり高度なAIが内蔵されているらしい。詳細は判らないけど、愛情パラメーターみたいなのがある。単に愛情と言っても、そのルートが無数に存在していて、接し方や育て方によって、インスキルを引き出したり、能力値を増幅させたり、まるで違う方向に進化させたりできる。あるいはダメにもなる」

「ダメになる……?」

「見放される、と表現した方がいいかな。アースメギンの嫌がることを続けるのはNGだ。守らないと、アースメギンが非協力的になったり、弱体化したりする。適度に話しかけたり、愛情を注いで。全員個性が違うから、育て方に正解はない。実体化して遊びたい子や、構って欲しくない子もいる」

「さっき言ってた、インスキルって?」

「装備品や、アースメギンに付属されているスキル。正式な名前はスキルだけど、基本スキルは好きに上げていい仕様でね。でもインスキルは、編成や運が絡んでくるので、便宜上分けて呼ばれてる」

「運?」

「同じアイテムやアースメギンを拾っても、中身のインスキルが違ったりする。ハスクラ要素って判る?」

「判んないけど、だいたい雰囲気で判るから説明いいや。スキルはどうやって使うの?」

「スロットにセットしてから、発動モーションというのを入力すると使用できる。性能はピンキリだけど、通常攻撃より強力だ」

「ふんふん……急に面白くなってきた」

「セイバーズはアースメギン育成からが本番、みたいなところあるから」

「もっと欲しいなあ」

「買ってこようか?」

「商品なの!?」

「ストレージに収納できるから、レベルリセットしたあとなら、アイテムと同じように売り買いできる」

「奴隷貿易みたいで可哀相」

「その発想はなかった……。となると、サブクエストでもやる?」

「なんで?」

「ネイチャーシリーズのアースメギンがもらえる」

「連れてって!」

 街を出て、川下りのルートを進み、筏の上にいるNPCからクエストを受ける。森に入って、スワンプボアっていうモンスターを狩り、解体して《ボアの毛皮》を収集する。ノーアトゥーンに戻って、それをなめし皮職人というNPCに持っていき、《なめした皮》に換えてもらってから、依頼主に届ける。

「……はあ? 指定数持っていったのに、足りない、ってメッセージが出るんだけど」

「まあね」

「何回やればいいの?」

「ランダムだな。けど、絶対にすぐ終わったりはしない。基本、セイバーズはひたすら狩り場を周回するゲームだと思って」

「面倒だね……」

「真面目にクエストをこなす行為を〝勇者業〟と皮肉って呼ばれたりもするからなあ」

 で、五周したけど、皮なめし周回は終わらなかった。

「……ふわぁ。眠い」

「最初だからな。疲れたろ」

「ふみゅ……」

「メニューからログアウトしよう。最初の一覧から、歯車アイコン、その一番下……」

「あった」

 フェザントの姿が、だんだんと薄れていく。ログアウトのアイコンを押せたようだ。俺も、と思ってメニューを開いた瞬間だった。

 目の前を光る何かが横切った。

「蝶……?」

 アゲハチョウに似ているが、模様が光っている。ヒラヒラと宙を舞って、奥の方へと飛んでいく。惹きつけられたように目で追った。すると、森の向こうに少しだけ見える、街道のところで消えた。

 街道の方を歩く人影が見えた。目を凝らしたら驚いた。顔を球状に単眼のマスクで覆い、青地に黒のローブを着た二人の人物。シリンダーのような物が先端についた鋼杖を装備している。

「……GMだ」

 ゲームマスターの略。運営のスタッフがゲーム内の確認をしたり、修正作業なんかをしたりするとき、プレイヤーと同じようなキャラクターを使って歩き回る場合がある。このキャラクターをGMと呼ぶ。

 GMは滅多に見かけない。プレイ経験が年単位の俺も、今日が初遭遇だ。気づいたのは巷にGMのスクリーンショットや動画が出回っているためで、目にしていなければ『何だこれ!?』ってなっただろう。何せGMの装備は入手不能品だし、名前や性能すら判っていない。

 会話しながら通りすぎていくGMを見つめていた俺だけど、その姿が森に消えてから、視線を戻した。フェザントはいない。目の前のメニューウインドウに、ログアウトのアイコンがある。

(向こう(リアル)で星野さんが待っている。すぐに行かないと心配するかも……)

 考えていたら、ピコピコと目立つ電子音が鳴って、新たなウインドウが出現。

〔貴方の接続本体が、登録不明者からの接近を受けています。外部通信しますか? はい/いいえ〕

 はい、を選ぶ。そのウインドウにリアルの星野さんの顔が映った。リングスに内蔵されているカメラの映像だ。星野さんはびっくりしたように目を丸くした。

〔わっ、光った……〕

〔星野さん〕

〔え? 望月くんの声?〕

〔そう、外部通信って言って、ログインしたまま外部と会話できる機能〕

〔ログアウトしないの? もう十時だよ?〕

〔それなんだけど……もうだけちょっといいか?〕

〔どうして?〕

〔気になることがあってさ。あとで話すから〕

 渋る星野さんをなだめ、俺は外部通信の窓を閉じた。

 GMが消えていった森へと向かう。少し歩いてから、隠密スキルを実行する。悪いことをするつもりはないけど、俺に見られていたら行動を変えてしまうかもしれない。それはちょっとイヤだった。

 足跡を辿るルートを少し外れ、藪が多い方に遠回りする。そうしていたとき、奇妙な新事実に気づいた。後方の低木がかき分けられるように動いた。俺の他にも追跡者がいる。

 俺は咄嗟に、そいつらから見えない位置取りの岩陰に隠れた。

 低木が派手にガサガサ鳴ったあと、足音が聞こえてきた。岩の端からちょっとだけ顔を出し、確認する。

 追跡者の方も二人組だ。両方、全身がすっぽり入る外套(クローク)で装備を隠し、狼の形をした仰々しい完全兜ウルフェン・アイゼンを被っている。クロークの膨らみから察するに、一人は重装戦士。一人は軽装戦士だろう。

 何か話している。《聞き耳》スキルを実行した。判定に成功したらしい。二人組の会話が聞こえてきた。

「ヤツらで間違いないのだな?」

「ええ、頼みますよ。シルバー。私の変成術は、制限を受けて弱体化して、ここではイヌにしかなれません。第二次勇者とは不便なものです」

 どちらも男の声だった。

(何を話しているんだ……?)

 シルバーと呼ばれた方の男は、軽く鼻を鳴らした。

「レギュレーションの調整さえすれば問題はない」

「それは?」

「第二次勇者は、私たちの下位互換だ。お前のスキルツリーを下に辿れば、お前がいまの段階で装備できる、ギリギリのスキルが見つかる。それはイヌ程度ではないはずだ」

「どうやって辿るのです?」

「攻略情報を検索する」

「検索? とは?」

(……ネット検索も知らない? そんなヤツいるか?)

 足音が止まった。

「おい、アスガルドに来て何年だ? その程度も知らずに、任務がこなせるのか?」

「怒らないでくださいよ、シルバー。ちゃんと判る手下がいます」

「アスガルド人か?」

「いえ、介入者です」

「素性は?」

「ルーデルの紹介です」

「ならいい。だが、頼りきりはよせ」

「判っていますよ」

 歩みが再会した。

「あの二人を倒せば、内通者を送り込めるのだな?」

「ええ。ただ倒すだけでなく、その剣を使い、死亡の際に概念力を込めて相手の心臓を刺してください。オンラインを通じて、元の魂を断てます」

「承知した」

 会話は終わった。足音が遠ざかっていく。

(……元の魂?)

 曖昧な言葉だった。他の言葉は理解こそできないが、具体性はあった気がする。

(死亡した相手の心臓を刺す? 確かに死亡エフェクト時には、ゼロから数秒の猶予時間がある。でもその時間内は、死んでいくプレイヤーが世界に影響を与えることはなくなるし、他のプレイヤーだって死者に影響を与えられない。心臓を刺すなんて行動は取れないはず……)

 考えが進むたび、どうにも胸がざわついた。

(概念力って、何だ……?)

 彼らがしていたのは、セイバーズの話のはず。しかし概念力なんて用語はプレイ時間の長い俺でも初耳だった。

(仮に〝元の魂を断てる〟の意味が、概念力というものを使って、セイバーズに接続しているプレイヤー本人の肉体をどうにかできる――というものだったとしよう。もしそんなものが存在していたら……)

 かりそめの姿(アバター)に、ぞわっと鳥肌が断つのを感じた。

(オンラインゲームを通じた、殺人が可能になってしまう――)

「……シショォオオオオオオオオオ――!!」

 背後から絶叫がして、驚いた俺は腰を抜かしてしまった。考えに没頭していたし、隠密中で緊張状態だったのもある。

「わあああああっ!?」

「わあああ、じゃないヨ。やっと見つけたネ」

 そのキャラクターは少女の外見をしている。褐色の肌に、長い黒髪。露出の大きい白のドレスタイプの甲冑を着て、二本の白鎌をクロスするように背負っている。

 見覚えがある人物だ。しかしここで会うのは偶然にしたって出来すぎだ。上級者なんだから、こんな初心者エリアをうろつくはずがない。怖くなってログアウトのアイコンを押そうとした。手首をガシッとつかまれて阻止された。

「………………」

「……よ、よう。ランダ」

「逃げようとしたネ?」

「目が怖い……」

「二ヶ月ログインもしなかったヨネ!?」

「…………」

「しなかったヨネッ!?」

「……ごめん」

 俺が謝った途端、ランダの目からポロッと涙がこぼれ落ちた。

「見捨てられたかと……」

「お前のせいじゃない。俺の弱さだ。アリーナでの敗北が堪えてさ」

 ランダが手首を離してくれたので、俺は近くにある倒木に腰掛けた。ランダも座った。

「相手は世界チャンプだヨ? しかも、未確認のユニークスキルを持っているって、ネットで噂になってるネ。決勝戦の相手だって二十二秒で片づけられてたし」

「……だとしても、だ。あの試合で、俺は〝百敗のゼキ〟に戻されたような気がして」

「シショー……」

 そこで我に返った。

「そうだ。悪い、ランダ。いまは忙しい」

「何?」

「GMが危ない」

「ハ……?」

 俺は手短にさっきの出来事を話した。そしてセイバーズを通じた殺人が行われるのかも、と考えていることを語った。笑われるかと思ったが、ランダの反応は意外だった。俺の話が進むにつれ、ランダの顔は真剣さを帯びていき、最後まで聞き終えてからは背中から鎌を抜いた。

「どっちに言ったのヨ」

「俺の推測を疑わないのか?」

「…………」

 どうして返事しないのか気になったが、追求する時間はないように思えた。

(ランダも何かを知っている……?)

 また胸がざわついたが、味方は多い方がいい。俺の推測が正しければ、相手はGMに挑むようなイカレた連中だ。腕は相当立つだろう。

「協力するならついてきてくれ」

 ダッシュで森の奥へ行く。ランダもついてきた。

 一分も経たないうちに、推測が正しかったと確信した。金属が激しくかち合うような音が、森の奥から響いている。それは鳴ってはならない音だ。なぜか? 通常、プレイヤーキャラクターはGMに攻撃すらできない。攻撃モーションは対立禁止フィールドに阻まれ、中断してしまうはず。なのに、GMと戦闘が成立してしまっている。

「当たりだ! ランダ、イヌを止めろ」

「イヌ……?」

 下り坂に差し掛かり、下方に視界が開けた。下にある小川の淵で、GMが剣士に襲われている。剣士はクロークを翻して戦っていて、装備が見えた。防具はプレートメイル、武器はバスタードソードだ。どちらもイギリスバージョン。中級者以降あまり使われない時代遅れの装備と言える。

 その奥では、イヌ……ゲーム内での名称は、マジック・ハウンドとされるそれが、GMの臑に噛みついている。それを見たランダは瞬時に状況を理解し、下り坂に生えている木を利用し、枝を次々と跳躍していった。俺は跳ばずに走り抜ける。

「やめろォ――ッ!!」

 叫んで、剣士に俺の存在を知らせる。兜の中にある剣士の目が、俺に向いた。ハウンドの目も俺に向いた。

 ハウンドがGMから牙を放し、俺に向かって掛けてくる。剣士はGMへの攻撃を続行しようとした。

「させないヨ!」

 空中から猛スピードで落下してきたランダが、ハウンドに向かって二刀流の鎌を振り下ろした。一本がイヌの背を斬りつけ、吹っ飛ぶように転がっていく。致命傷――

 ――のはずが、イヌはすぐに起き上がってきた。

「気をつけろ、ランダ。そいつハウンドの性能じゃない!」

「みたいネ……」

 マジック・ハウンドは下位の召喚魔法でお馴染みのモンスターで、まあ召喚系初心者の通過点にすぎない性能だ。攻撃力オバケのランダの鎌を直撃でくらい、生きているようなHPはない。なのにこいつは、起き上がってきた。どう考えてもあり得ない。

(GMへの攻撃。システムを超越した性能の変成スキル――やっぱりこいつらの会話は、意味のない戯れ言じゃない。俺の知らないセイバーズの裏側を知っているんだ。オンラインゲームを通じた殺人だって、やりかねない)

 もう一度、剣士が俺に視線を向けた。でも、GMへと打ちかかっていった。

(――させるかよ!)

 俺を止めようとハウンドが噛みつき攻撃をしてきたが、それをジャンプで躱す。着地を狙って追いかけてきたが、ランダが斬りつけて止めてくれた。

 俺はダッシュして、背後から剣士に襲いかかる。

「くらえ!」

 そう叫んでも、剣士は無視している。

 通常攻撃、強打を選択。これならプレートメイル相手でも、無視のできないダメージを叩き出すだろう。振り向かせてやる。そう思いながらエペ・ラピエルを突き出した。剣先は上手いことクリティカルコースに入った。これならアーマーを貫通できる。

 だが――、

 次の瞬間、俺の攻撃が消えた。

 妙な表現だろう。俺が感じたそれに近い言葉が、どうしてもそれしかなかった。剣士は俺を見てもいないし、振り向いてもいない。なのに、グワンッという金属音が上がり、火花が散り、俺がくり出していたはずの強打は、空中分解でもするように消え、ワーブルというモーションに差し替えられていた。これは通常、相手がパリィでクリティカルを出したとき、攻撃者の方に発生するモーションだ。体勢が崩れて次のモーションに移行できず、一方的にやられるだけの、いわゆる〝隙のモーション〟だった。

「……なッ、」

 この感覚、この違和感。どこかであった。どこだか思い出せない。

 しかも奇妙な点があった。剣士の装備していたエストックが宙に浮いている。どうやら軽く上に放り投げたようだ。

(剣を手放したのか……なぜ?)

 そもそも唯一の武器を手放したらパリィはできないはず。だったら、あのワーブルが発生した説明もつかなくなる。

 考えようとしたが、それどころではなかった。剣士がエストックをキャッチし、背後攻撃で俺に斬りつけてきた。そいつは直撃した。

 一瞬で、視界が目まぐるしく移り変わった。意識が飛びかけたので判断がつきにくいが、たぶん吹っ飛ばされたらしい。水が喉まで入ってきている。むせて咳をした。身を起こす。小川に突っ込んでいた。ずぶ濡れだ。疑似痛覚が危機をがなり立てている。HPは半損。

(エストックのダメージ? これが?)

 どんなにクリティカルを盛ろうとも、いまのこれは通常じゃ出せない。この戦闘、考えられないことが起きすぎだ。頭が追いつかない。

 剣戟の音が聴こえた。またGMが襲われている。ポーションを飲む暇はない。

(救わないと――)

 起き上がって、またダッシュ。また背後から斬りかかる。

(これでどうだ!)

 俺は〔エリュプシオン〕の発動モーションを入力した。フェンシング系最大のダメージソースであるこの技は、刀身が火炎を伴い、大轟音と共に派手に振り下ろされる火属性範囲斬撃であり、実行後はスーパーアーマーという〝敵に殴られてもパリィされても一切中断せず、技は必ず出し切る〟特質を有している。入力が終わった。スーパーアーマーでダメージは確定した。反撃されて死ぬかもしれないが、相手だって特大ダメージは免れないだろう。

 剣士は振り向いた。そして――、

 また、攻撃が消えた。

「……なッ?」

 エペ・ラピエルが纏っていた轟々と燃える炎が、完全に消失。攻撃モーションが消え、ワーブルのモーションになっている。

(スーパーアーマーすら、止めた……そんなの絶対にあり得ない)

 また空中にエストックがある。剣士はそれをキャッチして――、

 次の瞬間、俺を支配していたワーブルのモーションが解けた。

(――ッ!!)

(――!?)

 俺も驚いたけど、相手も兜の中の目を瞠った。

(VITセーブ判定に成功したのか!)

 ワーブルの状態は、このセーブ判定によって早く解除されたりもする。とはいえ、このメリットを享受できるのは高VITキャラクターのみ。本来は非常に少ない確率で、俺はVITにポイントを振っていないし、これが出る可能性は万に一つくらいだった。成功するはずはないと思っていた。それが、したのだ――。

 しかし、俺の武器はのけぞりの慣性力に満たされていて、それを押し戻していたら、剣士の反撃を先にくらうのは確実。

(いま出せる攻撃は……)

 右手は武器共々、のけぞっている。なら――、

 俺は左手で殴りつけた。

 格闘はまるで取っていない。ソードレスリングという格闘モーションはあるが、いまの状況に適した技などない。完全に手動モーションだ。生身の身体の感覚でアバターを操作し、ただ、素で、ぶん殴った。

 これが、なぜか効いた。

 あの〝見えない防御〟が発生せず、剣士は拳をくらった。兜が回るようにズレ、視界を失い、よろめいた。

(――いける!!)

 俺は追撃しようと、のけぞりの消えたエペ・ラピエルを構えるが――、

「逃げるヨ!」

「へ……?」

 腕をつかまれて、ランダに引っ張られた。見れば、GMは魔法円のようなものを地面に描き、その姿を消しつつあった。襲撃は失敗した。目的は果たしたのだ。逃げていい。ランダの判断は正しかった。

 なぜか、剣士とハウンドは追ってこなかった。逃げ去る俺たちを睨むように見つめている。

 一番近くにある街、ノーアトゥーンに戻ってへたり込む。そして息を切らしながらポーションを飲み、ごぷっとつっかえて咳をした。

「……ゆっくり飲めばいいヨ。来ないから」

「どうしてそう言える?」

「ヤツらは目立ちたくないはずネ。ここはプレイヤーが多すぎる」

「かもな」

 息切れモーションが止んでから、ポーションを飲み干した。

「色々おかしかった。あの戦闘はセイバーズのルールの外側みたいな……」

「…………」

「どうして黙るんだよ? 何か知っているなら教えてくれ」

「シショー……」

「ん?」

「ワガハイと一戦だけして」

「へ?」

「シショーが居ない間にした特訓の成果を見てヨ」

「もう疲れた。落ちなきゃいけないし、カンベンしてくれ……」

 グヴンッ――と発動音が鳴り、ランダの握っている二刀流の鎌が、紫色のオーラを纏った。

「お願い」

 ランダを見る。やけに真剣な顔だ。さっきの戦闘で触発されたか。あるいは俺がログインしていなかった時期が、彼女にとってそれほど重かったか。どちらにせよ、巻き込んだ責任は俺にある。ハウンドの相手をしてくれた借りもあるし、ここは受けるべきかも。

「……判った」

 ランダと距離を取る。メニューを操作して《トレーニング・ヴェイス》というアイテムを使用して〔訓練モード〕に入る。周囲の景色が、ワイヤーフレーム描画になる。周囲のNPCが消え、地形の概念も消え、地面は果てなく真っ平らに。

 このモードでは、指定プレイヤー同士が自由に攻撃し合うことが可能となり、HPがゼロになっても死亡しない。技の練習をしたり、効果測定をしたりするために使う。

「これでいい。時間がないから勝負方法は……」

「時間がないなら、さっさと征くヨッ!」

 ランダが突撃してきたので、腰から《絢爛のエペ・ラピエル》を抜き放った。

 あいつのプレイスタイルはピーキーなので、すぐにスタミナ切れで動けなくなる。守り通せば勝ちだ。

「はァ――ッ!」

 初撃。ランダの刃は、俺の予想を少しも裏切らないところに打ち込まれようとしている。迎え撃つように見せかけ、到達の直前、ステップで身体の軸をズラし、鎌の刃へとエペ・ラピエルをぶつけにいく。その試みは成功したかに見えた。

「――なッ、」

 ランダの鎌は、俺のパリィを避けるように、軌道変化をした。

 直撃をくらい、紙くずのように吹き飛ばされ、無様に転がって、くらくらしながらランダを見上げる。

「……嘘……だろ?」

 進化してるのか。あの猛牛みたいな動きしかできなかったランダが。

 悔し泣きするまで、俺にいなされていた、あのランダが。

 ランダは俺に近づきながら言う。

「いまも感じた。さっきも感じた。あの最後の試合でも感じたヨ」

 俺の胸を、少し強めに小突いて、こう続けた。

「腑抜けてるネ」

 小突かれた痛みよりも、もっと大きな痛みが、胸を打った。

「いつものシショーなら、弱気なんか見せなかったヨ。最後まで迷わず、自分を貫く。それがシショーの剣だった」

「……ッ!」

 ランダの言う通りかも。

 あの試合で心をへし折られて、再び勝ち上がるための努力を放棄し、ログインすらしなかった。

 外部通信の通知音が、再び鳴った。

「悪い。ログアウトする」

 ログアウトのアイコンを押す。

「シショー……あの……ごめ……」

 言葉は最後まで聞けなかった。俺の視界は完全な闇となっていき、そこから〝自分の眼球経由の光景〟に視覚が戻っていく。星野さんから漂う、甘く爽やかな匂いを鼻腔に感じながら、肉体へ意識が戻っていった。

 仰向けに寝ていた。星野さんが覗き込むようにつき添ってくれている。

「遅いよ。何してたの?」

 簡単な質問、だったろう。でも、答えは簡単じゃなかった。俺が山ほど感じた違和感、不自然な遭遇、恐怖、弟子に突きつけられた自分の過ち……それらを言葉にするには、疲労が溜まりすぎていたし、何より初心者の星野さんに説明するのは難しかった。

 なので俺は、笑ってこうまとめた。

「昔のフレンドに会っちゃってさ」

「クラスで孤立しがちな君が、向こうでは友達を作れている、ってことかい?」

「言い方!」

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