18
〔■〕
レギンナグナルから強奪されたヘリは、夕刻まで飛行を続け、阿武隈高地の一角に着陸した。そこは山林であったが、予め伐採され、ヘリが着陸できる程度に整地してあった。
着陸したあと、ユニットゼロが、リーズベルの手を引いて降りさせた。
そのあとユニットスリーがコックピットを離れ、しばらくして振り返った。機体を見ながら笑む。
「君はボクの、八番目の相棒だ」
ユニットスリーが指を鳴らす。その直後、ヘリが消え去り、彼の前にメニュー・ウインドウが表示される。
〔シュペルピューマを獲得しました。ストレージに入れますか? はい/いいえ〕
「もちろん、はい……っと」
はいを指で押すと、ウインドウは消えた。後ろから声が掛かった。
「行くぞ」
「急がなくても大丈夫だって、ユニットゼロ。僕が操縦する機体は〝騎乗物〟扱いになるから、レーダー波を受けつけない。追跡できっこないさ」
ユニットゼロは、リーズベルを連れて歩き始めた。リーズベルはフィンブルヴェトに居たときとは表情が一転している。「わあっ、これが森ですね」と言いながら、目を輝かせ、辺りを見回している。
「興味は尽きぬだろうが、いまは歩くのだ」
「はい、すいませんでした」
再び歩みを再開する。山林を出ると、一車線道路がある。ユニットゼロは、メニューウインドウを操作し、槍をストレージに収納、《都会風の服》を装備する。ユニットスリーの方はそのままだ。
リーズベルもメニューから《庶民的なティーンのドレス》に着替える。
「……わっ。見たこともない服」
「ここじゃ、そんな格好が一般的だよ」
「そうなんですか? こんなヒラヒラした服、着たことがないから」
「これも身につけておくがいい」
トレード画面によって、リーズベルに《ヘアピン》が渡された。
「わああ……何でしょう。すごくきゅーんってします」
ユニットスリーが笑った。
「可愛い、って言うんだよ。それはね」
「可愛い……ですか。好きな言葉かもしれません」
リーズベルは《ヘアピン》を、トントンと指で小突いた。ヘアピンが消えて頭部に装備される。額を隠していた髪がヘアピンによって分かれて、すっきりとした印象になった。
「髪が肌に当たらなくなって、すっきりしますね……あっ!」
歩きながらヘアピンを触っていたのだが、木の枝に腕をぶつけ、傷ができた。
「……え?」
彼女の肌を赤い血が滑り落ちていく。
傷を受けた場所から湧き上がる、その不快なシグナルに彼女は戸惑った。
「何、これ……?」
「痛みだ」
「痛み? これが……?」
胸の奥で、何かを感じた。黒々とした感情の塊のようなもの。自分を傷つけたこの〝名も知らない植物〟への憎悪が一番近いだろうか。
(コロセ――)
(え?)
(ホロボセ――)
「……声が」
「どうした?」
「いいえ、何でも」
ユニットゼロはストレージから《ミッドガルドの応急手当キット》を出し、傷を消毒し、絆創膏を貼った。
「気をつけよ。《ロキの涙》を飲んだそなたは、無敵ではない。害を為すものがあれば、傷や病、毒を受ける」
「この世界なら、わたしを殺せる――それはたくさんの人たちの悲願なのですよね? でしたら……」
「さに非ず。容易くは終わらぬのだ」
「そう……ですか」
「すまぬな」
「どうして謝るのです? 勇者様の責任では……」
「試行した。幾度となく。其れらの、そなたに詫びた」
「……?」
ユニットゼロが話を打ち切り、歩き出したので、二人も従った。
山裾に下り、アスファルトの道路を進んでいくと、集落が一つ見えてきた。畑がいくつかあり、その中の休耕地の一画が、目立つように白くなっている。
近づくと、甘さをぎゅっと押し込めたような、濃い香りが漂ってきた。
「わあっ! あれは……」
ユニットゼロが懐かしそうに目を細めながら答える。
「ヤマユリの花であるな」
「ヤマユリ……!」
農家が休耕地をもったいなく感じたのだろう。ヤマユリの花畑にしてあった。ちょうど満開の季節だったので、そこだけ別世界のような光景になっている。
「すごい……なんて言っていいか判らないけれど」
ユニットスリーが、また笑った。
「美しい、って言えばいいんじゃないかな?」
「美しい……ですか。何度か本で目にしましたが、ぼんやりとしか理解していませんでした。どんな意味ですか?」
「醜いの反対だから……うーん、自分にとって不快じゃないものかなあ?」
「自分にとって不快じゃないものは、美しい……」
リーズベルは目を潤ませ花畑を眺めた。
「そうですね。この光景は美しいです。勇者様、ありがとうございます。あの城にいたままでは、美しいものなど知らずにいたでしょう。貴方のお陰です」
「いいや、わしは……」
ユニットゼロは言葉を切ったまま、黙ってしまった。
「勇者様?」
「進むぞ」
さらに三〇分ほど歩いた。沢筋から山登りの獣道に入った。やがて林の境界がうっすらと明るくなってきて、建物らしき陰が見えてきた。
「着いたぞ」
そこは山頂だ。一角だけ樹木を切り開らかれている。
三角屋根の大きな山荘があり、柵つきの菜園と、水田の休耕地がある。
菜園で草刈りをしている少女が、視線を向けることなく「来たわね」と呟いた。
その少女は、西欧人のような掘りの深い顔立ちで、肌は浅黒い。宝石のように見事な碧眼を持っている。黒髪を三つ編みにして、前に垂らしている。着ているのは真っ白なドレスと、麦わら帽子だ。
「貴方がリーズベルね」
「あ、はい」
「こっちへ着て」
リーズベルは戸惑った顔でユニットゼロを見る。彼が頷いたので、少女に近づいた。
「私はユニットワン。いえ、本名の方がいいわね。マグナと呼んで」
「はい、マグナ様」
マグナはくすっと笑った。
「様づけで呼ばれたのは、数千年ぶりよ」
「はあ……」
マグナから、じょうろを差し出される。
「……?」
「手を出して」
リーズベルが手を出すと、じょうろを渡す。
「え?」
「それは受け渡すという行為よ」
「アイテムの受け渡しは、メニューのトレードでするものかと……」
「もうメニューやインタラクトは使わないで。ミッドガルドの住民はメニューを出せないの。貴方だけ使っていては不自然に見えてしまうでしょう?」
「メニューやインタラクトなしに、どうやって生きればいいんですか?」
「それを今日から、一つずつ教えていくわ。とにかくお風呂に入りましょう」
「お風呂?」
「ミッドガルドの身体は汚れるの。それを防ぐためにするのよ」
「ええと……?」
「判らないわよね。とにかく、一緒に入りましょう」
マグナとリーズベルは、二人でバスルームに入った。
「服を解除して。下着もよ」
「下着も!?」
「ミッドガルドでは装備品も汚れるから、毎日洗わないといけないの」
「不思議な世界ですね……」
顔を真っ赤にしながら全装備解除をして、教わりながら身体を洗い、風呂に入った。
「……ふぁああ。何です、これ……安らぎます……」
「それが温かいってことよ」
「温かい……これが……」
のんびりしていたら、急にバスルームのサッシが開いた。
中学校の制服を着た少女が、リーズベルを睨むように見ている。
「ああ、リーズベル。この子はユニットツー。名前は……」
「ふん」
「ランダ!」
ランダと呼ばれた少女はビクッと後ずさった。
「でも、ママ。こいつは……」
「恐れは捨てなさい。計画遂行しか道はないの」
「……ハイ」
「彼との接触が途切れた件は?」
「明後日、転校する手筈ヨ。そこで会うネ。苦境を共にしたから好意は持たれているはず」
そこまで言うと、ランダはサッシを閉め、去って行った。
「あの、いまの計画っていうのは?」
「グラズヘイム計画。異聞人類録を観測できる勢力との共闘よ。それしかこのパラレル・リアリティの生存ルートはない」
「はあ……」
「計画を指揮するのは、ユニットゼロ。私は拠点を管理して、彼のサポートをしているわ」
「勇者様が、一番偉いってことですか?」
「そう、偉い人よ。ステータス的に彼に勝る勇者は数多存在した。けれど、魔女戦争を終結させたのは彼だし、みんな彼を信じている」
「そんなに強いんですか?」
「彼には特別な能力がある。だから、バックアップを……」
「バックアップ?」
マグナは、ハッとした顔でリーズベルを見た。そして、急に意地悪な顔で笑った。
「面白いことを教えるわね」
「何です……ぴぃっ!? きゃはははは!」
腋をくすぐられ、リーズベルは大笑いしながら風呂場で身をよじった。
「これを、くすぐる、と言うの。ミッドガルドでは、こんなこともできるのよ?」
「きゃははは! やめてぇーーーっ!」