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  〔■〕


 その地は、フィンブルヴェトと呼ばれている。

 草木もまばらなほどの寒冷地で、一年を通して雪が溶けきる日はない。止む方が珍しいくらい、風も吹いている。山岳地帯ではあるが標高はさほど高くもなく、根のように張り巡らされた谷間が大地を抉るだけという退屈な光景が、地平線の果てまで続いている。その奥地、唯一の高台に古い造りの城塞があった。

 一人の少女が、開けた窓から外を見ている。肌の露出が多い、薄いローブを着ている。そこは城塞で一番高い円塔の一室だ。暖炉が赤々と燃えていて、外の冷気は打ち消されている。

 少女は扉を開け、円塔の外階段を通って中庭に出た。見える景色は、うっすらと雪に覆われた城壁のみ。どの方向にも高い城壁がある。少女は吐息を漏らした。

(わたしは、ここで永遠に生きていく……どこにもいけないまま。何も知らないまま)

 失望に苛まれ、目の輝きが失せていく。

(でも、それでいい。そうしなきゃいけない――)

 彼女は、この地で生まれた……一年前までの記憶しかないが、大人たちにそう教えられた。だから彼女は何も知らない。城壁の向こうには不毛の凍土しかないのだと思っていた。そうではなく、森や草原、海や川がある、と知ったのも噂話の中でしかなかった。彼女にとって、塔の窓から見える光景が世界のすべてだった。

(……足音?)

 下方の中庭からだ。少女は視線を向け直した。

 口から白い息を散らしながら、二人の衛兵が庭を通りすぎていく。二人は厚い革鎧と、全身を毛皮の防寒具で覆っている。それでも若い方の衛兵は、身をこごめて震えており、その身を揺すって体温を上げようとしている。少女と視線が合うと、彼らは憤るように表情を変じた。

「……あいつさえいなければ、こんな極寒の城を維持しなくてもいいのに」

「道理ではあるな。しかし捨て置けぬ」

「そうだけどよ。あんな小娘一人に……」

「侮るな。九人の暗殺者があやつに挑んで、どうなったかくらいは耳にしたであろう」

(暗殺者……?)

 自分のことを話しているようだが、彼女にそんな記憶はなかった。暗殺者が何を示す言葉なのかも判らない。

「大げさなホラ話だろ?」

「彼女の吐く息を見ろ」

 若い衛兵は、少女に再び目を向けた。そのあと、ハッとして目を瞠った。

「白く……ない…………?」

「冷気に凍えもせず、病にもかからず、猛毒すらも受けつけぬ。害為す万物が彼女に屈服する。死を知らぬ存在にて、かつ彼女がひとたび望めば、我らは等しく死ぬ。魔女の予言は真実であった。あの純真無垢な少女こそが、我らを滅ぼす、終わりの姿だ」

 会話はそこで終わり、二人は歩み去って行った。

 若い衛兵は一度だけ振り返った。その目に宿るのは、怒り、哀しみ、恐怖、そして呪詛。彼だけではない。そんな目を誰もが向けてくる。この少女は忌まわしい存在であった。味方は一人もいない。ましてや家族や友達などできようもなかった。

 涙を流した。その涙は凍ることなく地面に落ち、ワンテンポ遅れて周囲の雪を一瞬で溶かした。

「……どうして」

 彼女は涙を拭いた。

「わたしはこんな風に生まれたかったわけじゃないのに……」

 中庭に一本だけ残されている、枯れた黒い巨木の下に行く。古代の信仰対象だったため、残されている木だ。そこで膝を折り、腕を組んで祈る。

(世界を滅ぼす魔女――わたしはそういう存在だと、教えられた。きっと真実。なのに生かされている。どうして……?)

 泣きそうになるのをこらえて、彼女は祈り続けた。

(お願いです。世界を滅ぼしたくない……!)

「……そなたの魂に、どんな神が響いたのだ?」

 後ろから声を掛けられた。

 少年が、いつの間にか近くに立っていた。彼は甲冑を着ている。騎士とは毛色の違う、異文化の鎧だ。長槍を背負っている。

 若いのに、その柔らかな表情の奥には、長く苦悩の旅路を経てきたような、すり切れた重みのようなものが宿っている。

「神……?」

「祈りを捧げておったろう?」

「神というもののことは判りません。城の人たちが、そうしているのを見たので……考えなしでごめんなさい」

「謝らずともよい。教育係もつけずに放置した城長(しろおさ)の怠慢である。まあいい。右目を見せよ」

「はい……?」

「瞼を指で押さえ、瞬きを封じるのだ。しばしそのままで」

 彼女がそうすると、少年は顔を寄せて、目を覗き込んだ。彼女は顔を赤らめた。

「…………あの……?」

「兆候はない」

「はい?」

「城長はそなたの成長を恐れ、知識の習得を禁じたのであろう。しかし、皆が恐れるその力と、戦闘術や魔術は毛色の異なる力だ」

「はあ……」

「だが、その理屈が心底理解できるまで、そなたは決して攻撃を行うな。誰かを傷つけようと思うことさえ封じよ」

「攻撃だなんて――そんな恐ろしいことは、思ったことすらありません」

 少年の眉が、僅かに動いた。言葉を切り、しばらく考えた。

「……であろうな。ならば、知識を与えよう。ついて参れ」

「どこへ?」

 答えず、少年は早足で塔へ向かっていく。彼女も早足で追った。

 少年は塔の六階に入り、厳重に閉ざされている扉に触れた。すると、扉が消えた。

「消えた……?」

「扉が開ける者を選ぶ。そなたも選ばれるはずだ」

 少年が中に入ると、また扉が現れた。彼女がおそるおそる触れてみると、扉が消えた。

「どうしてわたしが選ばれたのですか?」

「叡智のミードが、条件となっておる。そなたはすでに常人の及ばぬほど高いはず。器に水が注がれておらぬだけ」

「はあ……」

 広大な書庫だった。視界の果てまで高い本棚が並び立ち、ぎっしりと本が詰め込まれている。

「おかしいです。この城は、こんなに広くないのに」

「辺獄に繋がった虚数空間であるからな」

「はい……?」

「理屈はいずれ呑み込めよう。ともかくここは勇者の書庫――そう呼ばれておる」

「勇者……?」

 書庫の奥に人影があった。分厚いローブを着て、頭巾と仮面をつけた少女たちだ。掃除や痛んだ本の修復などをしている。リーズベルは頭巾の膨らみが気になった。頭頂部の二箇所が、髪型にしては不自然なほど盛り上がっている。

「彼女たちも勇者なのですか?」

「否。かの者らは執行体と呼ばれておる。ここで働きながら学び、いずれ使者として枝葉に散ってゆく」

「枝葉?」

「余談に至ったな。勇者の成り立ちを紐解こう。ミッドガルドの英幽を転生させ、不老の戦争人形とした存在。いまは第一次勇者と呼び、区別しなくてはならぬようだ。わしもその第一次勇者だ。集められた勇者の中には戦闘に向かぬ者がおった。ここの管理者はそういった者たちに知識をしたためさせ、この書庫を知識の集積所とした。所蔵本は様々な言語で書かれておる。これはドイツ語、これはフランス語。ギリシア語もある」

「あの、わたし、そういった文字の読み書きは……」

「案ずるでない。読もうと思い、本を開き続けるのだ。どんな言語も最初は読めぬが、いずれ読めるようになる」

「これ全部、ですか?」

「そなたが望むのであればな」

「……望んでいいんでしょうか?」

「安心して励むがよい。それでは」

 少年が去っていこうとしたので、彼女は振り返った。

「勇者様……」

 少年は足を止めた。

「なにゆえ、かのように呼んだ?」

「名前を知りませんので」

「ならば、そう呼ぶがよい。わしも(おの)が名を好かぬゆえ」

「どうして、お嫌いなのですか?」

「名にこびりついた、威光、名誉。それらは、わしの残痕だ。そうしたものを求め、戦ったわけではない。さる者と交わした、生きて帰る約束を守り抜いたのみ。だが、肝心なものは守り通せなんだ……」

 少年はしばらく目を伏せ、そして彼女に目を向けた。

「そなたも、自らの名を好かぬか?」

「わたしは……」

 涙が出そうになって、うつむいて、堪える。

「……そうか。では、わしもそなたの名を呼ばぬ」

「いえ!」

 彼女は顔を上げた。少年の顔を、まっすぐ見返す。

「貴方には呼ばれたいです。呼んでください、わたしの名を――」

 少年は微笑んで、答えた。

「では、よろしく頼むぞ、リーズベル」


 その出会いから三年が過ぎた。

 書庫で勉強を続けていたリーズベルの元へ、旅から帰還した少年が訪れた。

「久しいな、リーズベル」

「勇者様、おかえりなさい! わたし、いっぱい勉強して……」

「その話は、しばし待たれよ。心頼みがあるのだ」

「どんな……?」

「共に旅立とう」

「どこへですか?」

「ミッドガルドなる地だ」

「でも、わたしはここを出てはならないと」

「城主はわしの部下だ。わしが命じれば逆らうことはあるまい」

「そうだったのですか……」

 リーズベルはしばらく言葉を切った。

 書庫の本に描かれていた世界は、彼女にとって《無》だった。書かれている言葉の意味は理解できても、それがどういうものなのか、想像もつかなかった。彼女はいままでの生涯において一本の木しか生えているのを見たことがなく、あとは建材や薪を目にしただけだ。本に描かれた森を、目にしたことなどない。だから森を、実感として信じることができない。

(世界が、本に描かれたように、本当に広い場所なのだとしたら……)

 リーズベルの目に、輝きが宿り始める。

(わたしは、それを見たい! 感じたい! もっと、もっと、知りたい!)

 勇者を見つめた。

「行きます。連れていってください。勇者様」

「ならば、これを飲め」

 勇者は一本の小瓶をリーズベルにトレードした。実体化してみると、それは色あせた水晶の小瓶で、爪を象った紋様が彫り込まれている。

「……これは?」

「《ロキの涙》と呼ばれる《魔女遺骸》(アーティファクツ)ぞ。そなたの世界を崩す力を封じるはず」

 リーズベルは少し迷ったあと、封を開けて一気に飲みきった。

「これで良いですか?」

 勇者は心痛めた顔で、視線を地面に落としていた。

「勇者様?」

「すまぬ。その品を守っていた者たちを思っていた」

「大切な品だったのですね」

「そうであろうな。もはや知るよしもないが」

「疎遠になったのですか?」

「否。殺した」

「…………はい……?」

「わしがこの手で殺した」

 会話はそこで途切れた。


 一週間後――。

 二人はフィンブルヴェトを脱出し、ある場所に赴いた。


 日本国。

 首都東京、東京湾上――。

 中央防波堤より五百メートル海上の地点に、それはある。海上石油プラントのような形をしているが、上部は逆ピラミッド型の鋼板に覆われている。

 鋼板の内部にはレンズホールがある。十九年前、東京に突然出現した〝空間の穴〟――。

 日本政府は、このレンズホールを鋼板で囲い、外との接点を無くすことから対策を始めた。それがこの海上プラットフォーム《レギンナグラル》だ。

 プラットフォーム北側に設置されたヘリポートへと、大型ヘリが着陸していく。

 ヘリポートには、小銃で武装した自衛官を引き連れた男が立っている。痩身で背が高い、眼鏡をかけた男。その男は深々とおじぎをして、ヘリが着陸するのを待っている。

 やがて小ぎれいなスーツ姿の一団がヘリから降りてきた。

 痩身の男は、その一団で一番恰幅のいい老人に声を掛ける。

「《レギンナグラル》にようこそ、防衛大臣」

「貴様は……誰だったか」

「望月と申します。内閣府 時空災対策本部 特別顧問官を務めさせていただいております」

 大臣は望月顧問官の周りにいる自衛官たちを侮蔑混じりの目で眺めた。

「ずいぶんと物々しいではないか。軍事施設でもあるまいに」

「もし破壊されれば、世界が滅びますので」

「真空崩壊とやらか。本当に起こるかどうか、眉唾物ではないのか? 一個小隊の配備など予算の無駄づかいにすぎん。この平和な日本で、戦争沙汰など起こるはずが――」

 大臣がそう口にした瞬間だった。

 爆音が耳をつんざいた。衝撃波が抜けていき、視察団の何人かが吹き飛ばされるように転倒し、悲鳴を発した。

 よろけながら望月は顔を上げた。レギンナグラル上部で大爆発が起こっていて、吹き飛ばされた巨大な鋼板が落下してくる。

「大臣、逃げてください!」

 鋼板は、大臣の目の前に突き刺さった。

「ヒィイイイイ――ッ! 何事だ!? ミサイルか!? 戦争か!?」

 爆発は内部からのようだった。いくつも起こり、辺りは黒煙に包まれた。デッキまでもが半壊し、鉄骨が見えている場所もある。

「ヘリに逃げましょう、大臣!」

「あ、ああ……」

 流れてくる黒煙の中から話し声が聞こえてきた。

「……解せぬな。容易すぎる」

 煙の奥から、二人の人物が現れた。

 一人は少年だ。黒塗りの和甲冑を身にまとっていて、片手に槍を持ち、ローブ姿の少女を腕に抱えている。

 望月顧問官は、和甲冑の少年の顔を呆然と見つめた。

「お、お前は……悠也か? 悠也なんだろ?」

 少年の目が、顧問官に向いた。

「そのような者は知らぬ」

「顔だけでなく、声も同じだ……」

「知らぬと言ったであろう」

 煙の中から、もう一人現れた。

 白人の少年だ。ハンサムだが、小生意気そうな顔。古い時代のゴーグルを額につけており、フライトジャケットを羽織り、ジーンズを履いている。

「あーもー、ひどいなあ……置いていかないでよ、ユニットゼロ」

「三人とも止まれ!」

 自衛官が銃を向けてきた。

 白人の少年が、目を細めた。

「やれやれ。ボクたちに銃が効くと思っているのかい?」

 その顔に、サディスティックな笑みが浮かんだ。

「急降下爆撃しちゃうぞ?」

「相手にするでない」

「はいはい。行くよ」

 口笛を吹きながら、白人の少年が歩き出した。

「どこへ行く気だ!?」

「撃ちたければ撃つがよい」

「発砲を許可する! 撃て!」

 自衛官たちは一斉に発砲した。

 ――しかし。

 銃声のあとも、少年は無傷だった。カララン、という小さな音がして、無数の銃弾が床に転がっている。

「……そんなバカな」

 明らかに銃弾は〝槍で弾き落とされていた〟――あり得ないその光景を目にし、さらに引き金を絞ろうとする者はいなかった。

 大臣は去っていく少年を見ながら震えた。

「あれは何だ……? 人間じゃない」

 望月顧問官が答える。

「勇者です」

「はぁ?」

「異世界は存在するのです、大臣。総理は彼らと和解できると思っていました。ですが、現実はご覧の通りです。方針を改めなければなりません」

 遠ざかっていく一団を見つめながら、望月はスマホを取り出し、通話する。

 相手はすぐに出た。

〔どうした? 父さん。もうすぐ授業だから手早く頼むよ〕

 音声の背景に、予鈴のチャイム音も重なった。

(間違いない。いま見た勇者は、悠也ではない……)

「また掛け直す」

 通話を切ってから呟いた。

「どうして私の息子が、異世界の勇者と瓜二つなんだ……?」

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