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〔■〕
で、初勝利から半年後の話をしようか。
結論を言わせてもらうと、俺は国内チャンプになった。
テレビのeスポーツ番組、バーチャルオンザTVから取材も受けた。素顔は曝したくなかったから、仮想空間の方でお願いした。
〔貴方が《ダメージレーサー》という名で呼ばれているのはご存じですか?〕
〔はあ……言われていますね。でも百敗と言われてもいましたし〕
〔そこから脱出して国内覇者となった、貴方のストーリーが多くのファンを引きつけているのではないでしょうか?〕
〔そうだとひいですけど……〕
全国放送されたインタビューはこんな感じで、視聴者に大笑いされそうなレベルで噛んだ。わざわざ人に頼んで録画してもらったけど、恥ずかしさのあまり観ずに削除したし、以降エゴサーチもやめた。
その後、ワールド・チャンピオンシップの開催が発表された。俺は日本代表選手として参加する運びとなった。
ワールド・チャンピオンシップ、当日――。
思い返せば、この日の俺は焦っていた。
自分のスタイルを守り通そうとするあまり、自分を見失っていた。それが敗因に繋がるとは、微塵も考えずに。
二戦目までは通用していた。悪夢が牙を剥いたのは、三戦目の準決勝だった。
〔おーっと! 《ダメージレーサー》の名を冠するゼキ選手の速攻スタイルが、今大会で初めて崩れ去りました!〕
アナウンスの大げさな絶叫に、追従するかのように、観客席が騒然となる。
(――イラつく)
バーチャルオンザTVの放送アナウンスは、百万人を収容できるまでアップデートされた巨大円形闘技場の、バトルフィールドにまで届いていて、この試合までは、俺も気に留めてなどいなかった。なのに、いまの俺は、あのがなり立てるような司会に苛立っていた。
世界最強の《シュヴェルト・ブリッツ》編成を、相性で食い物にしてきたこの俺が、完全に精彩を欠いていた。
フィールドで対峙しているのは、イギリス代表選手。
青年に差し掛かる、少し手前くらいの年頃のアバターを選択している。長身で痩身。据わった目をしていて、どんな局面でも表情は揺らがない。
彼は現在のアリーナ環境をまったく無視した異質な編成を採用している。
ブロードソードという、みんなが中級者の頃に捨てる〝伸びしろのない武器〟を握り、剣を下向きに立てるという、奇妙な構えを取っていた。それは現在、主力級とされている技の発動モーションを入力しにくい、初心者じみた構えだった。なのにこの選手は、地味な通常技を器用に組み合わせて、俺の攻撃を次々に防御していった。
(堅い!)
堅牢なプレートメイルに身を鎧っているし、俗にタンクと呼ばれる防御主体の編成なのは間違いない。なのに、なぜか兜はつけていない。おまけに盾を装備せず、片手を空けている。
(どういう理由で、そんな編成を組んでいるんだ? まあ考えるのも面倒か。大技で仕留めよう)
連続パリィをさせて硬直させたあと、ダメージの大きい技を次々と叩き込む。会場にいるホログラムの観客たちが轟くように沸いた。こういった技は隙が多く、実際に反撃も受けるが、恐れないでくり出す。この無謀なラッシュこそ、俺の真骨頂だからだ。
俺がダメージレーサーと呼ばれるその所以は、ダメージレース本来の意味である〝無謀なダメージの応酬〟ではない。圧倒的なダメージを与えあい、抜きつ抜かれつしながら、最後で逆転する――ダメージレースのプロという意味合いで、この名が定着していった。
でも今日の試合では、いつものようなレースをさせてもらえなかった。次々と派手な技をくり出したあと、距離を取りながら相手のHPを確認して愕然とした。
(嘘だろ!?)
大技を叩き込んだはずなのに、総ダメージはいつもの半分もない。すべてパリィされたというなら計算は合うが、相手からカウンターもくらっていたので、そのときは絶対にパリィが不可能なはず――。
(防御バフか? いや、状態アイコンがない。発動モーションもエフェクトも見えなかった。くそ……とにかくリチャージして、今度は一発ずつ慎重に……)
そう考えていたときだ。気づけば、相手選手が俺の懐に飛び込んできていた。
「……え?」
空間が歪んだような、異常な速さの突撃だった。
(なッ!?)
次の瞬間、唐突にダメージヒットした。疑似痛覚が、俺に損害箇所を伝えてくる。右目にヒット。
(右目!?)
右目のブラインドネス状態異常が適用され、視界の半分が消える。左目で、自分のHPゲージを見た。レッドゾーンに差しかかっていた。
(……死亡寸前? え? 俺は、何をくらった?)
目まぐるしく頭を動かし、相手の強さの理由を探ろうとした。だが、探っている場合ではないと悟った。どうにかダメージ差を埋めないと、確実に負ける。
(バトルスタイルをまったく違う形に塗り替えないと)
逆転の芽を考えた。一つ浮かんだのは、退がりながらカウンターを撃ち、相手をやり込める案だった。やったとしても逆転は不可能に近い。
俺は決断を迫られていた。このまま頑なに自分のスタイルを守って死ぬか、かなぐり捨てて自暴自棄になって死ぬか――。
(どうせ死ぬなら、全部試してから死にたい!)
相手選手が突撃を開始。俺は――一歩、後ろへ。
〔退がるのかあ!? 《ダメージレーサー》の名が泣くぞォ!〕
俺の胸に、ナイフで切り裂かれたような痛みが走った。
その痛みの正体は、恥――。
爆音のような歓声が耳に入った。
〔ダメージレーサー、信じてるぞ!〕
〔勝ってくれッ!!〕
闘技場の熱量が、生ぬるい渦風となって俺の髪を揺らすのを感じた。VR空間においてそんなものは存在しないはずなのに、いまの俺は確かに感じている。元の肉体でアドレナリンが出ているせいか、あるいは――いや、そんなことを考えている場合じゃない。
(俺はまだ檜舞台にいる。恥をかいてたまるか!)
壊れかけたプライドにしがみつくように、前に出た。すると相手は、前半の冷静な守りから一転、野獣のようなラッシュをくり出してきた。圧倒的ダメージ量に気勢を削がれ、守備一方に傾き、それではダメだと我に返り、守りを捨てて立ち向かった瞬間、ブロードソードの剣先が喉へ向かってきて――……
(…………あ……)
タイムアップを待たず、HPゼロ――死亡決着だ。
目覚めたとき、俺は会場にいなかった。リスポーン地点を、会場近くの宿屋に設定していたからだ。会場の方角から轟くような声が響いてくる。
しばらく放心状態だった。
廊下の方から足音が聞こえてきて、宿を出なくてはと思って、ベッドを離れた。
宿部屋のドアを開けると、そいつの姿が見えた。
「ゼキ・シショーッ!」
答えずに、すれ違う。
「あの、今回は……」
「一人にしてくれ」
「でも、シショー……」
「誰とも話したくない!」
こいつに怒鳴ったことなんか、いままで一回もなかった。
自分がひどいことをしている自覚はあったけど、優しくなんてできやしない。
普通の人ならこう思うだろう――たかが仮想空間内の出来事で、ゲームの試合に負けただけじゃないか、と。
そうかもしれない。そもそもこのゲームは暇つぶしから始めた。けれどアリーナで最初に勝ったあの日が、勝利にしがみつく理由を俺に与えた。努力に努力を重ね、頂点がそこに見えて――……
でも、つかみ損ねた。少しも惜しくなんかない。誰がどう見ても完敗だった。百敗の名を退けたときの、あの輝かしいプライドは砕け散り、もはや微塵も残されていなかった。
ログアウトして現実空間に戻った俺は、接続装置を頭上からむしって床に投げつけた。俺以外、誰もいない家の中。月のない夜の、淀むような深い闇と向きあって、数分間、ただ立ち尽くした。
涙が流れた。流すたびに胸が痛くなる涙だった。それでも流さずにはいられなかった。