錯覚する交差点
Fさんの住む町に、事故の多発する交差点がある。
それは町の西の端にある丁字路の交差点。「丁」の字の下の直線から交差点に入ると、当然左右どちらかに曲がらなければならないのだが、そこを直進して衝突する事故が後を絶たないのだそうだ。
不思議なことに、事故を起こした者はみな「十字路だと思った」と証言する。正面にはコンクリで固められたのり面が聳えている。なのに、何故かそこを直進できると思うらしい。幅が狭いわけでもなく、見通しが悪いわけでもない。注意喚起の看板や、反射材のついたポールなど、事故防止の対策もとられている。
それでも事故は続くのだという。
街の人々は、「きっと何かしらの錯覚を誘う構造があの交差点にはあるのだろう」と、大方はその意見で一致しているらしい。
ある夜、Fさんは車で帰宅の途にあった。
時刻は深夜近く。予想外の残業で帰りが遅くなった。
早く帰って休みたい。ぼんやりしそうになる頭を叱咤しながら運転していると、運悪く霧まで出始めた。しかも急速に濃くなっていく。慣れた道も先が見えないと土地勘が狂う。まるで知らない場所を走っているようだ。
慎重に運転を続けていると、知らぬ間に例の交差点に差し掛かっていた。信号の赤い光が霧に淡く滲んでいる。
Fさんはブレーキを踏んで停車した。道は目の前で左右に分かれている。進行方向は右。Fさんは信号が変わるのを待った。
車が止まると、深夜の静けさが重くのしかかってくる。周囲には車も人もなく、交差点は静まり返っている。聞こえるのは、自分の車の単調なエンジン音だけ。霧はますます濃くなってきたようだ。視界の大部分が白く埋め尽くされている。世界が曖昧にぼやけている。信号は赤。単調なエンジン音。次第に頭がぼんやりしてくる――。
信号が青に変わった。
夢うつつのような状態にいたFさんは、はっと意識を取り戻した。
目の前に真っ直ぐに伸びる道路がある。霧の中でもはっきりと見えるアスファルトの直線。いつもの帰り道だ。Fさんはアクセルを踏んだ。
ふと視界の端に人影が映った。数メートル先の右端。子供が前のめりに道路に乗り出している。目の前を横断しようとしているのか。今にも飛び出しそうな体勢だ。
慌ててFさんは急ブレーキをかけた。耳をつんざく鋭い音が上がる。交差点を渡り切る直前で、車は急停車した。
ヘッドライトのすぐ前を、小学生らしき男の子が横断していく。白いビニール袋を下げ、小走りで駆けていく。その姿が遠ざかり、小さくなるまで見送ってから、Fさんはほーっと息を吐いた。そして顔をあげ、ギョッとした。
目の前にコンクリートの壁があった。車の先端、数十センチにまで斜面が迫っている。
Fさんは全身に冷水を浴びたようにぞっとした。
そうだ。ここは丁字路だ。直進できる道なんてあるはずない。何故、道があるだなんて思ったんだろう。いつも通る道だと勘違いしたんだろう。――錯覚? それにしては鮮明だった。あんなにもはっきりと見えるものなのか。いやしかし、他に考えられない。錯覚とはなんて恐ろしい……。
いつの間にか霧が晴れていた。辺りが見えるようになると、車が衝突寸前の危険な状態にあることが、さらに明確に感じられた。
あの子供がいなければ衝突していた。
すっかり目の覚めたFさんは、震えながら運転し、なんとか帰宅した。
錯覚に惑わされないように。
その日以来、Fさんは常に緊張感をもって、例の交差点を通過している。そのためか、あのような危険な目にあうことはもうない。
ただ、とFさんは言う。
「よく考えるとおかしいんですよ」
あの後、事故寸前の状況を何度も思い返しては肝を冷やしていて、ふと気付いたという。
「あの子供。あの子がいなかったら大変だった。あの子がいて助かった。ずっとそう思ってたんですが……。おかしいんですよ」
衝突寸前に車の前を横切った少年。
「あの交差点の徒歩圏内に家はありません。コンビニやスーパーみたいな店もない。大体、あんな深夜に小学生が一人で出歩くなんて不自然です。それに」
Fさんは声を低める。
「あの子、目に入った時に前のめりになったまま、こっちを見てたんですよね。突っ込んでくる車を見ながら横切ろうとするなんて……ないですよね。よく思い出すと、最初は渡ろうとしてなかった気がするんですよ。その場に前のめりに立っていただけのような。……多分、車が衝突するのを見物しようとしてたんじゃないですかね」
その子供が何者なのか、Fさんには分からない。
ただ、あれ以来、その子供を見かけることはないという。




