第2話 婚約破棄
「まあ。見て。」
「うわ……ハンナ=ロートヴァルト辺境伯よ。」
「相変わらず地味ね。」
「あれが、辺境伯なんて……。」
「恥ずかしくないのかしら。」
「あのドレス、クスクス。いつの時代のドレスかしら。」
「仕方ないわよ、あんな田舎に住んでいるですから。時代に置いていかれているんだわ。」
クスクス、クスクス……。
勇者の国の王都・クライス中央都市。
その中央に位置する王宮の一角で、ナディアが聖女に選ばれたことを祝うパーティーは開かれていた。ジクフリードやナディアと親しい貴族達だけが呼ばれた小さなパーティーということで、ハンナは気楽な気持ちでやってきた。
しかし、昔ながらの伝統衣装をもとにしたハンナのドレスは、王都の若者からは田舎くさいと不評のようだった。
ハンナが会場に到着するや否や、すれ違う貴族の子息令嬢等がこそこそと噂話をする声が聞こえてきた。小声で話しているつもりなのだろうが、全てハンナに丸聞こえであった。せっかくロートヴァルト家のメイドが選んでくれたドレスなのに、酷評されてしまい、ハンナは寂しい気持ちになった。
確かに王都から遠く離れた場所に住むハンナは、流行には疎い。嘲笑われる寂しさを感じると共に、流行に疎いのも事実なのだから言われても仕方ないか、という諦めもあった。
そんな周囲の声よりも、ハンナには大事な事があった。
落ち着きなく会場をキョロキョロと見渡し、目当ての人を探した。
「あ。ナディア!」
そう。
今日の主役であり、ハンナの幼馴染みのナディアである。
ハンナは満面の笑みでナディアのほうに駆け寄った。
ハンナの声に気付いて、ナディアが振り返る。プラチナブロンドの髪に合うピンク色のフリルのついたドレスは、ナディアにとても似合っていた。髪の毛もクルクルに巻いて女の子らしいふわふわした髪型にしている。
なるほどこういう女の子らしいドレスが今の流行なのか、とハンナは思った。
確かにハンナのドレスはナディアとは対照的で、ハンナのスタイルの良さを存分に活かした伝統衣装を元にした大人っぽいドレスだった。ナディアをドレスや周囲の反応を見ると、ハンナのドレスは時代遅れで、この場に不釣り合いなのだと、思い知らされる。
ナディアは大きなくりくりした青色の瞳で、ハンナを見つめた。
「ハンナ。久しぶりね。」
心なしか少し態度が冷たい。
久しぶりの再会だと言うのに、声は冷淡で、笑顔ひとつない。ツンとした態度に、ハンナは急に不安になっていった。
二年間の空白はやはり距離を作ってしまうのか、とハンナは胸を締め付けられていく。ハンナの想像していたナディアの様子とは違い、だんだんと自分は場違いなのではないかとさえ思い始めてしまった。
そして、ナディアの後ろから見覚えのある男性が現れた。
「やあ、ハンナ。君が辺境伯を襲名した時以来かな。」
「ジクフリード様。」
ジクフリード第一王子であった。
ハンナの婚約者であるはずのジクフリードは、ナディアに付き添っていた。本来ならば、会場に着く前に婚約者であるハンナと合流し、エスコートするはずの立場なのだが、どうもジクフリードの様子を見ていると、婚約者というより客人を出迎えるような態度をとっている。
ナディアはジクフリードにすり寄り、甘い声を出した。
「本当ですね、ジクフリード様。ハンナってば連絡してくれないんだもの。」
ナディアとジクフリードは見つめ合い、クスクスと楽しそうに笑い合っている。
その様子は、まるで仲睦まじい恋人同士のようで、ハンナのことなど、もう視界に入っていなかった。
そんな二人だけの世界といった雰囲気に、ハンナの気持ちは大きく掻き乱された。
「ごめんなさい……。忙しくて……。」
俯いて、小さな声でそう呟く。
ハンナだけでなく、ナディアもジクフリードも、事務的な連絡でしか手紙をくれなかった。だが、二人の雰囲気が「悪いのは全部ハンナ」と言っているようで、ハンナは謝るしか出来なかった。
「そうよね、何たって辺境伯なんだから。私たちとは違うものね。」
ナディアは嫌味たっぷりにそう言った。
「ナディアだって、聖女じゃない。」
「ふふ。そうなの。」
「聖女」という言葉に嬉しそうに微笑むナディアを見て、ハンナはようやく息が出来たような心地になった。ほんの少しだけさっきの冷たく取り残されたような雰囲気が、壊れたような気がしたのだ。
ハンナは安心から表情を明るくして、心の底から祝いの言葉を伝えた。
「おめでとう、ナディア!」
「あら。ありがとう。」
しかしハンナの笑顔を見たナディアは、表情を失くし、冷たくあしらう様にそう言った。ハンナが笑う事さえ不満だと言いたげな態度に、ハンナは視線を下に落とした。
ナディアから壁を作られ、取り付く島もない。見下す様な軽蔑する様な、そんな冷たいナディアの視線に、ハンナは追い詰められていく。
ーーあれ。私、なんでここにいるんだっけ……。
周囲は飽きもせずハンナのドレスをバカしてこそこそと陰で笑っている。しかし、その笑い声はしっかりとハンナの耳に届いていた。
「久しいな、ハンナ。」
心細くて逃げ出してしまいたくなっていたハンナに声をかけたのは幼馴染みの一人であるルイスだった。
「ルイス!」
ルイスは、領地を与えられた貴族の一つであるボートシャフター家の次男で、ジクフリードの近衛兵であった。ジクフリードとハンナが会うとき、いつもジクフリードのそばに控えていたので、自然と仲良くなったのだ。
しかし、ハンナと一線を引くように、ルイスは膝を突き、頭を垂れた。その仕草は、自分より身分が上の貴族に対する騎士流の作法であった。
「やめてよ、ルイス。私たち幼馴染みじゃない。」
「辺境伯にそんな無礼は出来ない。」
今までそんな態度を取られたことのなかったハンナは慌ててルイスにやめる様言うものの、ルイスは決して頭を上げようとしなかった。
ーーああ。ルイスまで。
ハンナはもう心の底で諦めかけていた。
ナディアの冷たい視線。
ジクフリードの素っ気ない態度。
ルイスの他人行儀な行動。
昔一緒に遊び育ったはずの三人は、誰一人としてハンナとの再会を喜んではいなかった。
幼馴染み四人という関係は、もう元には戻らない。
その事実を受け入れようと、ハンナは心の準備を始めていた。
「ハンナ。」
重々しい雰囲気のジクフリードに、ハンナは首を傾げた。
「……?どうされたのですか?ジクフリード様。」
ハンナの婚約者であるジクフリードに、ナディアは体をすり寄せるようにぴったくりとくっついている。そしていつの間にかジクフリードの後ろにはルイスも控えている。
ジクフリードはハンナを汚いものを見るかの様に上から下へとジロジロと睨んだ。
そして、呆れたように深くて長いため息をついた。
「ナディアの聖女就任を祝うパーティーなんだから、もっとお洒落したらどうだい?」
「え……。す、すみません。」
お洒落はしたつもりだった。
ロートヴァルト家のメイドに化粧してもらい、ドレスも選んでもらった。「これが似合う」「やっぱりこっちかも」と悩むメイドの姿を思い出し、ハンナは申し訳ない気持ちになった。
せっかく選んでくれたドレスを批判されるのは、ハンナがドレスを着こなせていないのだと、自分を責めた。
「君はいつもそうだ。」
ジクフリードはさらに深いため息をついた。そして、耐えられないとでも言う様に首を横に振った。
「王の妻となるのにそれでどうする。身なりは第一に大事にすべきなのに。君は地味すぎる。王妃となる自覚が足りないとしか思えない。」
婚約者から鋭く睨みつけられたハンナは身を小さくし、頭を下げた。
「気をつけます。」
第一王子の注意は、火に油を注いだも同然だった。
周囲からはさらに笑い声が大きくなっていき、嫌味も加速していく。
「ジクフリード様の言う通りだ。」
「パーティーにそぐわないわ。」
「貴族としての意識が足りないのよ。」
ハンナは、悔しくて、悲しくて、頭を上げられなかった。王子であるジクフリードがハンナを指摘したのだからこのような状況は仕方ない。
しかし、ジクフリードは会場にいる全員が自分に味方していることをいいことに、さらに追い討ちをかけてきた。
「いや。気をつける必要はない。」
「どういう……意味ですか?」
さすがに聞き捨てならなかったハンナは、顔を上げ、目を丸くしてジクフリードを見た。
「私はハンナ=ロートヴァルト辺境伯との婚約を解消し、ナディア=アーベントメーアと婚約する。」
そう言って、ナディアの腰を抱いた。
ジクフリードとナディアは見つめ合い、互いにうっとりとしている。
「え……。」
突然の婚約破棄。
ハンナは目を丸くして、目の前でイチャつく二人を見つめた。ハンナの視線に気付いたナディアは、勝ち誇ったような笑顔で、ハンナを見下した。
「ハンナ、ごめんなさい。でも貴方はジクフリード様の隣は似合わないと思うの。」
そう言って、ナディアは大きな声で笑った。
「それにそのダサいドレス!地味で取り柄のない不運なハンナには、本当に田舎がぴったりだわ。」
ジクフリードも冷たい目でハンナを見下していた。
「ハンナ、私は正直地味な婚約者には辟易していたんだ。どんなに言っても君はお洒落してくれないし。」
困ったものだと、ジクフリードは悲しげな素振りを見せた。演技がかったその態度は、ハンナには茶番にしか見えなかった。しかし、ナディアはそんなジクフリードに寄り添い、優しく抱きしめた。
「ジクフリード様の気持ちに気付けないなんて、妻失格だと思うの。」
ナディアはハンナを責めるように睨んだ。
これではハンナが完全に悪者である。
「……そうかも、ね。」
しかし、ナディアの言葉には何も言い返せなかった。
ジクフリードの気持ちに気付けなかったのは婚約者として至らなかった点だろう。
「ねえ、ハンナ。私も貴方のような地味な田舎貴族と友達なんて、嫌なの。」
「え……。」
ナディアの言葉は、ハンナにとどめを刺した。
「金輪際話しかけないでくださる?」
ナディアの正直な気持ちに、ハンナの視界は真っ暗になった。
「帰ればいいのに。」
「よくもまあここに来れたこと。」
「貴族の恥だ。」
ナディアに続いて次々と「帰れ」という声が大きくなっていく。
もう、ハンナは前を向くことができなかった。俯いて、どうやってこの場から逃げようかと必死に考えている。
ぱしゃっ。
「ほおら。これで少しは鮮やかな彩りのドレスになるのではなくて?」
ナディアは手に持っていた葡萄ジュースを、ハンナの頭からかけた。
ぽたり、ぽたりと前髪から滴り落ちる葡萄ジュースに、ついにハンナの視界は歪み始めた。赤黒い雫が、ハンナのドレスを点々と汚していく。一つ、また一つとこぼれ落ちる度、ハンナの心も澱んでいく。
俯いたままのハンナの前に、ルイスが歩み寄った。
「ルイス。」
少し顔を上げて、ルイスを見る。
もしかしたら、と思った。
昔、四人で遊んだ頃の様に、ルイスは優しく慰めてくれるかもしれないと。
「もう帰ったほうがいい。」
しかし、ルイスの瞳は他人を見る目と同じだった。事務的に、騎士としての言葉を述べただけだった。
「……、そうね。」
「ここに君の居場所はない。田舎に戻るんだ。」
完全に突き放したルイスの言葉。
ハンナはゆっくりと目を閉じ、涙が流れるのを堪えた。
わからない。
何が起こっているのだろう。
けれど、ここで泣いたらいけない気がする。
ハンナはゆっくりと立ち上がり、パーティー会場を後にした。
最後の最後まで、参加者全員から指をさされ、嫌味を浴びせられ、笑われながら。