第4話 大丈夫ですよ。 前編
ナシュリー様とルーラが旅立たれ8ヶ月が過ぎた。
私の心に大きな波紋を残して...
「さん...ロッテンさん!」
「え、どうしたのマチルダ?」
「『どうしたの』ってさっきから呼んでるのに」
気づかなかった。
マチルダは困った顔で溜め息を吐いている。
「そうだった?」
「もう良いですよ、今日の仕事です」
私の様子に呆れた様子にマチルダは少し乱暴な仕草で今日の仕事が書かれた書類を差し出した。
今日も新しい冒険者の指導。
そしていつもの様に1日が終わった。
「それじゃお先に」
仕事が終わり荷物を纏め席を立つ。
今日の書類も書き終わったからギルドに用事は無い。
「お疲れ様です、アリクスさんの店には?」
同じく仕事の終わったマチルダが席を立ちながら聞いた。
「家で食べます」
「最近ずっと家じゃないですか」
「そう?」
「アリクスさん心配してましたよ、ロッテンさんどうしたのって」
「元気ですって伝えておいて」
そう言えばここ数ヶ月全く行って無かったな。
最初はマリアちゃんが心配で毎日行っていたのに。
「良いんですか?マリアちゃんも心配してましたよ」
「...お先です」
気まずい空気に早々立ち去る。
悪いと分かっているが心に芽生えた気持ちにどうして良いか分からないのだ。
....平穏な今と過去の罪悪感に。
「はあ...」
背中越しに聞こえるマチルダの溜め息。
『ごめんなさい。みんな』
心で呟いた。
「おはよう...あれ?」
それから更に1週間が過ぎたある朝、いつもの様にギルドの扉を開けようとするが開かない。
「ロッテンさん」
ギルドの前で立ち尽くしていると後ろからいつもの声が、
「おはようマチルダ、今日って休みだった?って貴女その格好は?」
マチルダはアリクスさんの店を手伝っていた頃のウェイトレス姿だった。
「やっぱり似合うでしょ」
「ええ...って、それより今日は休みなの?」
「まあこちらに」
マチルダは質問に答えず私の背中を押す。
混乱したままギルドの建物裏に連れて行かれた
「これは?」
建物裏は広い空き地になっている。
普段は何も無い筈だが今日はテーブルが並んでいる。
そんな中置かれた一際大きなテーブルには沢山の調理道具。
かまども置かれ、さながら調理場の様だ。
数人の人が既に並んだテーブル席へ着いていた。
みんなギルドの職員、私の仕事仲間達。
「ロッテンさん!」
事態が飲み込めない私を呼ぶ元気な声。
どこかで聞いた懐かしい声、まさか...
「あなたは...ラインホルト君?」
「覚えてくれてたんですね?久し振りです!」
「久し振り...一体今日は?」
やっぱりラインホルト君だ。
漁師になった彼はすっかり日に焼け全身の傷跡もすっかり目立たなくなっていた。
何より元気な彼の姿は最初に見た彼を思い出させた。
「ほら見てください」
彼は笑顔で大きな木箱を私に見せる。
中には沢山の魚が氷に浸かっていた。
「凄いわ、どうしたの?」
「昨日の夜釣り上げた魚です。
そのまま朝一番に持ってきたんですよ」
誇らしげに胸を張るラインホルト君。
すっかり海の男だ。
「これ全部ラインホルト君が?」
「もちろん、俺の舟で釣ったんです」
「自分の船で?」
凄い、もう自分の船を持ったのか。
「って言っても手漕ぎ舟です、まだ1人なんで仲間の舟と一緒に漁をしてますけど」
少し恥ずかしそうなラインホルト君。
協力し合える人にも恵まれているんだ。
「本当に凄いわ、たった2年で」
「3年ですよ」
「そうだった?」
彼は自分の居場所を作り上げたんだ。
悪夢の冒険者時代から立ち直った彼の姿は私の心に小さな明かりを照らした。
「ゲストは座って下さい」
マチルダが嬉しそうな私達に言った。
「ゲスト?」
ゲストって私も?
大きなテーブルの前に置かれた1つのテーブル。
そこに私とラインホルト君2人並んで座った。
「それではお願いします」
「アリクスさん、マリアちゃんも...」
現れたのは優しい笑みを浮かべ調理服に身を包んだアリクスさん。
隣には同じく小さな調理服を着たマリアちゃんが笑っていた。
「ロッテンさん、今日は腕によりをかけて作らせて貰います」
「え?これって?」
「それじゃ始めるぞマリア」
「うん!」
2人は私の目の前で次々と料理を作って行く。
即席の調理場なのに全く淀み無く作業するアリクスさん。
彼の卓越した腕を改めて目の当たりにした。
「さあどうぞ」
たちまち最初の一品が出来上がる。
アリクスさんは直接私のテーブルに料理を置いた。
「美味しい...」
それはとても美味しい前菜だった。
高級レストランの味。
冒険者時代、依頼の成功に仲間と食べた味を思い出す。
「次はフライです、お好みでこちらのソースをお掛け下さい」
次々と繰り出される料理の数々。
本当に美味しい。
隣でラインホルト君は我を忘れて頬張っている。
「美味しい!!」
「もうマチルダさん、ウェイトレスが先に食べちゃダメですよ」
「そんな我慢出来る訳無いじゃない!」
マチルダも運ぶ前に食べてマリアちゃんに叱られていた。
「ロッテンさん」
「はい」
マチルダの様子に笑っていたらアリクスさんが私を呼んだ。
「カジキです、これは美味しいですよ。
お好きでしたよね」
カジキは大好きだけれど、この町では滅多にお目にかかれない。
アリクスさんのお店でもメニューにすら無い。
それなのに知っていると言うのは...
「もしかしてルーラに?」
「ええ、手紙を頂きました。
マリアの状態を心配する内容の中に、
貴女の大好物はカジキのトマトソース。ナンクス風だと」
ルーラ、覚えていたのね。
でもそんな事まで書いていたなんて。
「お願いがあります」
「お願い?」
「はい、レシピをすっかり忘れてしまいました。
私に教えて貰えませんか?」
「アリクスさん...」
突然の申し出に何と言ったら良いの?
「お父さん私楽しみにしてたのに。
ロッテンさん困ってるじやない」
「ごめんなマリア」
マリアちゃんが怒っている。
でも2人共棒読みだよ。
「分かりました、私の味付けで宜しければ...」
「はいエプロン」
立ち上がる私にマチルダがエプロンを差し出した。
完全に用意されていたんだ。
みんな私の為に...
「ありがとう」
フードの上からエプロンを締める。
少し動きづらいけど大丈夫。
だってこれは私の得意料理だから。
「どうぞ」
「すみません」
フライパンを手渡される。
使い込まれてるが全くがたつきが無い。
愛用の調理器具なのに素人の私が使って良いのかしら?
「ほう、軽く炒めるんですね」
「ええ」
みじん切りにした玉ねぎを油で炒める。
私の脳裏に懐かしいあの日の光景がうかぶ。
『旨そうだなアンナ!』
『ランドール危ないでしょ、向こうで待ってて』
『ランドールさん子供みたい』
『仕方ないだろルーラ、何て言ってもアンナのカジキ料理は絶品なんだぜ』
『はいはいごちそうさま』
『ヒューリも料理の一つ覚えたらどうだ?』
『いやよ、私は食べる方が楽しいから。
それならニユートあんだが覚えなさいよ...』
そう、みんな一緒だった。
ランドール、ルーラ、ヒューリ、ニユート。
懐かしい仲間達、もう帰らないあの日...
「...ロッテンさん」
「...何でも無いです、何でも」
「代わりましょう」
「...すみません」
アリクスさんは私からフライパンを優しく受けとる。
とてもでは無いが作り続ける事は出来ない...
「味付けをお願いします」
「はい」
器にトマトや香草を加えアリクスさんのフライパンに流し込む。
立ち上る香りにみんな目を瞑っている。
「どうですか?」
「はい、とても美味しいです」
一口味見、うん美味しい。
これならみんな満足だろう。
「旨い!」
「へーカジキってこんな味付けもあるんだ。
今度は仲間に作ってやろ」
「ラインホルト君料理するんだ?」
「ええ、冒険者時代に覚えたんです。
と言っても素人料理ですけど」
楽しい会話、やっぱり沢山で食べる食事は楽しい。
最近ずっと1人だったから尚更だ。
「ラインホルト君、最初はみんな素人ですよ」
「確かに、アリクスさんまた来るから料理教えてよ」
「良いですとも」
ラインホルト君、冒険者時代の事を口に出来る様になったんだ。
辛い記憶しか無いと思っていた。
でも彼は前を向いて生きている。
それに引き換え私は...
「ロッテンさん」
アリクスさんが私を見つめ優しく微笑んだ。
「料理って皆が居れば楽しいものですよ」
「アリクスさん」
ダメだまた涙が...
「はい、ロッテンさん」
マチルダが私にハンカチと一通の手紙を渡した。
「これは?」
「ルーラさんからの手紙です、ちっとも封を開けないんだから」
「そうだったわね」
そう言えば先週から来てたな。
開ける気になれず机に置きっぱなしだった。
「何と書いてます?」
マチルダが覗き込む。
彼女は本当に知りたがりだ。
「討伐が無事に終わって3ヶ月後ここに来るって」
「ナシュリー様も?」
「もちろんよ。アリクスさんの料理楽しみだって。私も作ろうかな」
「ロッテンさん?」
マチルダが驚いてる。
私が料理を自分からなんて初めて聞いたから当然か。
「あの子、干し肉と香草のトマトスープが大好きなの」
「あれですか」
アリクスさんも嬉しそう。
「ええ、アリクスさんの作った物と少し味付けが違いますけど」
「え?ロッテンさんそれって食べたんですか?」
「ええ」
「狡いわ、私まだそれ食べてない!」
マチルダが悔しそうな振りをしながら笑うとみんなも一斉に笑い出した。
「ありがとうみんな、ありがとう」
和やかな雰囲気の中、私は何度も呟いた。
 




