第2話 ほっとけませんよ。 後編
正教会から返事が返ってきたのはアリクスさんの研修から3ヶ月が過ぎた頃だった。
その後何度か手紙をやり取りしつつ可能性を探る日々が続いていた。
「...さて」
仕事を終え、いつも通り自室で手紙を開く。
毎回手紙を受け取る度、一刻も早く読みたい気持ちと、読むのが恐い気持ちとで大変な1日になる。
「...本当に!?」
読み終え、自室を飛び出す。
向かうはもちろんアリクスさんの食堂。
「アリクスさん!」
手紙を握りしめ厨房のアリクスさんの元に。
「わ!ロッテンさん、どうしました?」
賑やかな店内にいたウェイトレス姿のマチルダが目を丸くする。
マリアちゃんの代わりにマチルダが仕事後に手伝っている。
(給料は賄いの食事)
「どうもしないわ、先を急ぐの]
脇をすり抜ける私の突然視界が狭まる。
「え?」
『フード』
マチルダが口パクで知らせた。
慌てた私は顔に布を巻いたままの姿でフードを被り忘れていたのだ。
『ありがとう』
口パクでお礼を言いながらアリクスさんの元に、熱の籠る厨房でアリクスさんは何種類かの料理を同時に作っていた。
「どうしました?」
「...いいえ」
突然現れた私にアリクスさんは驚きながらも手は休まない。
その手際の良さに目を奪われる。
「ロッテンさんなの?」
目の前の椅子に座っていたマリアちゃんが手を振る。
もう完全に視力が失われ私の場所が分からないのだ。
「ロッテンさん、もうすぐピークは終わりますから」
アリクスさんはそう言うが店はまたまだ混む時間が続く筈。
早く教えたいが仕方ない、また出直すか。
「ロッテンさん、お部屋に行こ」
「お部屋?」
「うん、お父さん私が心配でここに座らせてるの。
でも手伝えないからつまんないんだ、お父さん良い?」
「あ、でもロッテンさん、あの...」
アリクスさんは困った顔。
そりゃそうだ、私みたいな女が入っていい場所じゃない。
「お願い出来ますか?」
「...アリクスさん」
意外な言葉に息を飲む。
良いの?
「ロッテンさん行こ」
「はあ」
マリアちゃんに手を引かれ店奥の自宅に。
部屋の中は家具や荷物が壁際に整理されマリアちゃんが躓かない様になっていた。
「ロッテンさん、ありがとう」
マリアちゃんは手探りでクッションの上にちょこんと座り私に頭を下げた。
「え、何が?」
「私の目の為に」
「何故それを?」
「マチルダさんから聞いたの、ロッテンさん教会とお手紙何度もやり取りしてるって」
マチルダに手紙の事は口止めしてなかったけど、アリクスさんやマリアちゃんに教えるなんて。
でも言わずにいられなかったんだ、責められないね。
「私に出来る事はこれくらいだから」
本当にこれくらいなんだ。
直接助けてあげる力も無い。
「私って幸せだね」
マリアちゃんが呟いた。
「幸せ?」
「うん、お母さんは出ていっちゃったし、目はこんなになっちゃたけど、マチルダさんは毎日手伝いに来てくれて面白いお話してくれる。
それにロッテンさんも頑張って私の為に...」
「マリアちゃん...」
この子は凄い。
まだ8歳なのに不幸を嘆いて悲しむ素振りを見せない。
本当は辛くて堪らない筈なのに。
「お待たせしました」
アリクスさんが汗を拭きながら部屋に入って来た。
まだお客が居た筈だが無理やり営業を終わらしたのかもしれない。
「今日はどうしました?」
「あ、あのこれを読んで下さい」
手紙をアリクスさんに渡す。
直接手渡す様に書いてあったのだ。
「失礼します」
アリクスさんは手紙を読み始める。
読み進めるに従い表情が変わる。
手紙は2ヶ月後に正教会の幹部が魔獣退治に行く際、この町に立ち寄る事、その時マリアちゃんを診て貰える様に話を着けた事が書いてあった。
「...これは本当ですか?」
手紙を読み終えたアリクスさん。
手が震え、その目から涙が流れていた。
「はい、治ると決まった訳ではありませんが」
「そんな、ここまでしていただいて...ロッテンさん、ありがとうございます」
「ありがとうロッテンさん!」
「止めて下さい、私なんかに頭を下げては!」
頭を下げるアリクスさんと、嬉しそうなお父さんの声に一緒に頭を下げたマリアちゃんを慌てて止めさせる。
私は人に感謝される人間じゃない。
そんな資格等無い、ましてやアリクスさん達の様な素晴らしい人なんかに。
「ロッテンさん?」
私の態度にアリクスさん達が驚いている。
でも仕方ない、錯覚するんだ、私が死なしてしまった恋人とアリクスさんとが。
「マリア、お父さんはロッテンさんと2人でお話がしたいんだ。
良いかい?」
「...うん」
私の言葉にマリアちゃんが奥の部屋に行く。
もう1人で行けるんだね。
「ロッテンさん」
長い沈黙の後、アリクスさんが私の名を呼んだ。
「はい」
「私は貴女の過去を知りません」
「ええ」
「しかし私の事詳しくも知らないでしょう?」
「それは」
それはそうだ。
私が知ってるのはアリクスさんは腕の良い料理人でマリアちゃんと暮らしている事、後は奥さんが出ていった事くらいか。
「私は貴女が思う程善人ではありません」
苦しそうにアリクスさんは話し始めた。
懺悔をするようにうつむきながら。
「妻は3年前に出ていったのはご御存知ですね?」
「はい」
アリクスさんの奥さんはある日忽然と姿を消した。
とても綺麗な人で店はアリクスさんの奥さん目当ての人も多く、大騒ぎとなった。
アリクスさんは一言、『愛想を尽かされました』とだけ呟き諦めた表情だった事を覚えている。
「あいつは浮気していました。
流れの冒険者とです」
「まさか...」
流れの冒険者とは何らかの事情で冒険者登録を取り消された者達。
当然ギルドからの依頼を受けられない。
しかしギルドを通さず格安で町を荒らす魔物を退治したり、用心棒を引き受けたりと需要はある。
但し報酬の際大金をふっかける奴が多いのが現実。
「妻がどこで奴と知り合ったか分かりません。
浮気に気づき責める私に『こんな所で一生終わりたくない』そう言い残し、奴と飛び出して行きました」
「そんな事が」
知らなかった。
でもそれが善人では無いに繋がらない。
「1年後手紙が届きました」
「手紙?」
「ええ、妻からです。
『身体を売るよう迫られている。
断ると酷い暴力を、アンダルの町に居る。助けて欲しい』と」
「やはり」
結局はそれが目的だったのか。
世間知らずの人妻を言葉巧みに誘いだし、売り飛ばす。
昔からよくある手口だ。
「私は無視しました。
アンダルの町に行かず、助けにも...」
それが彼の罪か、しかしそれはやむを得ない。
アンダルは遠い町。
ここから馬で2ヶ月は掛かる。
アリクスさんの妻を連れ去った男の狡猾さが分かる。
「更に1年後また手紙が」
「また?」
「ええ、今度は娼館の住所が書いてありました」
「娼館の?」
よく娼館から手紙が書けたな。
娼館の娼婦は借金で売られた女。
徹底的に見張られそんな事は出来ないはずだが。
「客に託したそうです。
なけなしの金を貯め、客に手紙を。
...『助けて』と歪んだ字で...」
手紙が届いたのは運が良かったとしか言いようが無い。
娼館に通う客にそんな人がいたとは。
「私は手紙にあった娼館に向かいました。
ここから馬で1ヶ月の小さな町の薄汚れた娼館でしたが、そこに妻は...」
「まさか...」
死んでいたとか?
「...妻は更に次の娼館に飛ばされ行方しれずでした」
「そうでしたか...」
安値の娼館から更に次の娼館へ飛ばされるか。
恐らく性病か何かに罹ったのだろう。
治すより劣悪で安い値段で抱ける娼館に飛ばす事もあると聞いた。
私が療養していた時に知り合った...手遅れの娼婦からだ。
「私は善人なんかじゃない、最初の手紙の時に見つけていれば妻は...妻は...」
アリクスさんは呻く様な声で項垂れた。
それでも私にはアリクスさんが悪いとは思えない。
全て彼女の招いた事、自業自得なのだから。
「分かってます、妻の自業自得だと。
でも私は私自身が許せない。
それは仕方ないのです」
そうですとは言えない。
アリクスさんも背負ってしまったのだ。
罪の意識を。
「ロッテンって貴女の本当の名前では無いでしょ?」
どうしてそれを知ってるの?
「ロッテンってナンクスの方言で腐ったって意味でしたね」
「...それは」
どうしてそれを?
「言いましたよねナンクスに住んでいた事があると」
「そうでしたね」
確かに聞いた。
料理人の修行していたなら尚更だ。
「私の故郷では違います」
「違う?」
違うとはどういう意味だろう?
「ロッテンとは教え、導く人と言う意味です。
ですからロッテンさん、貴女は今私を導いてくれました。
それで良いのです。
そうじゃないと私も救われませんから」
「アリクスさん...」
本当にそんな言葉がアリクスさんの故郷にあるのか分からない。
しかし否定する事は出来ない。
暖かな言葉に涙が止まらない私だった。