第4話 大丈夫ですよ。 中編
食事会から3ヶ月が過ぎたアリクスさんの食堂。
旅を終えられたナシュリー様は荷物もそのままに直接来られ。
奥の自宅でマリアちゃんの目を診察していた。
幾つかの質問の後、最後に右手をマリアちゃんの目に翳した。
「大丈夫だったみたいね」
目から手を離し、ナシュリー様はホッとした顔で微笑まれた。
「ありがとうございます」
ナシュリー様に私達は頭を下げる。
良かった、マリアちゃんの目は完全に治っていたようだ。
「いいえ」
静かに首を振り立ち上がるナシュリー様。
自宅の部屋を出る彼女の後に私も続いた。
「本当に良かった、余り魔力が残って無かったの」
アリクスさんの店の椅子に腰掛け、疲れた様子のナシュリー様。
いわれてみれば目の下には黒いクマの様な物まで。
「今回も大変だったのですね」
魔獣討伐は過酷な仕事、僅かなミスが命取りになる。
ナシュリー様とルーラはこんなに大変な事をされているんだ。
安穏な生活を送っているのが申し訳無い。
「いいえ、魔獣討伐は大した事なかったのですが」
覇気の無いナシュリー様の言葉。
何だろう、胸騒ぎがする。
「何かあったのですか?」
「ええ、少し。まあ少し...」
言いにくい事なのだろう。
正教会の幹部ともなれば守秘せねばならない事も一杯ある。
ここにルーラが居ない事も含めて。
「どうぞ、お召し上がりください。
猪肉の赤ワインソース煮込み、マンサル風です」
「え?どうして?」
アリクスさんの出した料理にナシュリー様は驚かれている。
まさか故郷の名物料理が出てくるとは思わなかったのだろう。
「以前ナシュリー様から」
「そうだった?」
忘れておられるのも無理は無い。
9年前に私が療養所にいた時に聞いた、『私はマンサルの生まれなの』と。
「...美味しい」
一口食べ、ナシュリー様が驚く。
正教会は肉食を禁じられてはいないが幹部ともなれば余り口にする事は無い。
気が咎めるのかもしれない。
だが聖女様に到ってはお酒まで飲まれるという話だ。
「ルーラにも食べさせてあげたかったな」
「そうですね、彼女の好きなスープを作るつもりでしたから」
その為に材料も用意していた。
アリクスさんに厨房を使わせて貰う許可も。
「本当に美味しかったです」
「そんな、お口に合って良かったです」
料理を食べ終えたナシュリー様はアリクスさんに礼を言う。
アリクスさんもナシュリー様が満足された様子にホッとされている。
店を出た私達は宿に向かう。
ナシュリー様は今夜一泊されてから近くの大きな町にある教会に向かう予定となっていた。
「...ロッテン、少し良いかしら?」
宿の前に着いた時ナシュリー様が呼び止めた。
「話があるの、とても大事な」
「分かりました」
真剣な表情のナシュリー様、これは只事ではなさそうだ。
(もしかしてルーラの身に何か?)
(それともシードレスの事か?)
様々な事が頭に浮かんだ。
「座って」
「失礼します」
部屋に通され椅子に座る。
ここは1年前に話をした完全に音が外に漏れない特別な部屋。
「シードレスの事なんだけど」
「はい」
やはり奴の事か。
まだ話し足りてない所でもあったのだろうか?
「安心して、貴女の証言はちゃんと正教会の本部に届けたから。
証拠としては申し分無かったそうよ」
「そうでしたか」
それでは一体何の話なのか?
「シードレスは人身売買組織の一員だったの」
「人身売買?」
「ええ」
確かに洗脳の手順や、隠れ家、薬物等思い当たる節はいくらでもあった。
私が売り飛ばされ無かったのは予想外の妊娠でシードレスが激昂したからだ。
「...ランドール」
最後まで私は救われたのだ、赦されざる過ちを犯してしまった恋人とお腹の子供に...
「ごめんね」
「いいえ」
涙を流す私にナシュリー様が優しく背中を擦って下さった。
彼女も告げるのが辛い筈なのに。
「...まだあるの」
「まだ?」
まだとは一体?
まさか身近な人にシードレスの被害者が?
「奴の居た組織は大きくて売り飛ばされた被害者が大勢いたの」
個人でやって無かったならそうかもしれない。
シードレスの様な洗脳のプロが他にも何人か居た訳か。
「王国とギルド本部はシードレスを尋問して組織の洗いだしを進め、そして数人を捕まえた。
奴隷商人や冒険者...流れの冒険者達をね」
流れの冒険者、まさか?
「アリクスさんの奥さんも」
「ええ、拷問の末自白したそうよ」
「そんな...」
シードレスの仲間がアリクスさんの奥さんを?
「か、彼女は...」
「落ち着いて」
思わず立ち上がる私をナシュリー様が押し留める。
アリクスさんは言っていた。
『妻は次の娼館に飛ばされていた』と。
「彼女は見つかったわ」
「見つかったんですか!?」
「ええ、教会の療養所でね」
「アリクスさんの妻だって自分で言ったんですか?」
それならもっと早く見つかってもよかった筈だ。
どうして今まで?
「違うわ、身体に刻まれた名前からよ。
きっと助けて貰う為自分で彫ったのでしょう」
「そうなんですか」
話す事が出来ない状態という事。
病気か身体の欠損による物。
酷い状態が予想された。
でもそれなら普通の治癒魔術で治るはずだ。
その費用くらい私が払ったって構わない。
アリクスさんには酷い妻でもマリアちゃんにはたった1人のお母さんなんだから。
「彼女は保護されたんじゃないの」
ナシュリー様は苦しそうに呟いた。
「保護じゃないってまさか...」
「収容された、教会の前でね」
「...そんな」
収容された娼婦。
最悪な展開を意味していた。
売り物にならない娼婦は棄てられる。
真夜中の道端や山の中、そして教会の前に...
「...もう手遅れなんですか?」
「ええ、ルーラから昨日報告がありました」
「ルーラから」
だからルーラはここに来なかったのか。
辛かったんだね。
何も知らないアリクスさんとマリアちゃんを見るのが。
「この事をアリクスさんに?」
「言います。正教会の決まりですから」
身元が分かった人は身内か知り合いに伝える。
しかし拒否される事が多いのだ。
誰だって娼婦が身内や知り合いに居る事は知られたくないだろう。
それが理不尽な理由であっても。
(だかアリクスさんなら?)
「私が伝えます」
「ロッテン、それは私が」
「いいえ私に伝えさせて下さい」
彼の罪を知る私が伝えなくては...
今日のアリクスさんとマリアちゃんの笑顔が心を重くさせた。




