第七章 二重の否定と一度の肯定
第七章:二重の否定と一度の肯定
蕾をごまかすためクラウドはその場に残り、ツルギの元へフィーネも向かった。
背広を深く着込んだ影――シャドーは一歩も動かずに戦況を感じとっている。その様子をツルギは焦りもせず眺めている。
「中原は間違った判断はしねえよ。何のためにあいつが固有人格っていう切り札をいままで使わずにいたのか分かってないのかよ。それを使えば、四年前のあの状況だってどうにか出来たし、それはあいつの切り札だ。単純に相手を殺るだけならクラウドだって超えるだろうさ。でもな、それじゃあ叶えられない思いがあいつの中にあるから……あいつはもう迷わないし、お前に乗せられて変なことなんてしねえんだよ!」
「そうですわ! でなければ、うちのバカと同じです!」
到着したフィーネも、このときだけはツルギと同じ気持ちだった。
「もしそうであったとしても、人の命を簡単にあきらめろなんて聞けるわけないじゃないか! 一度お互いに武器を仕舞って話し合うために僕はこの判断をする! ――電光世界!」
真人の四方に稲妻の剣が突き刺さる。そしてそれは次の瞬間に天に浮かんでいた。
「僕はもう迷わない。そのために手に入れた力だ! 電光世界・天!」
「ふふ、いまさら高速機動型の能力を使ったって、この守りを貫くことはできない。それは知っている!」
「やってみなくちゃ分からない!」
ランダム飛行する四本の稲妻の剣の中を突き進むように真人は彼女の上から切りつけるが、見えない殻に阻まれて弾かれてしまう。着地点を狙って追撃する赤い光がさらに真人を劣勢の状況へと追い込んでいく。
「この世の終わりを止めたいなら邪魔をしないで」
「勝手な事情に貞芽を巻き込むな!」
「勝手なのは、お前たちだ。こっちの事情を何も知らないで、次々仲間を殺していく! またさっきも最後の仲間が理由もなくやられた」
「それは君たちが来るからだ。止めなくちゃいけない状況になるから、仕方なくだ!」
「そんな言い訳に誰が感化されるか! じゃあ、あなたの知らないことを教えてあげる。私の見た目は、あなたのよく知る人にそっくりでしょう? 実はそれだけじゃないのよ。私の体や能力、持ちうる知識、才覚はあの子そのもの……そして、あの子があの時点まで持っていた記憶そのものも私の中にはあるのよお!」
真人の剣が鈍り、弾き損ねたものが肩を抉る。
「そう、私はあの子そのもので、あの後生きるはずだったその子なのよ――わかった?」
彼女はそこで止まらなかった。隣にいたシャドーという抑制剤がない状態で、私情も挟む。
それは彼女が“田村由依”そのものであったことを表すことで、貞芽の知っていることではなかった。あの夜に、真人から聞いた話でなんとなくわかる程度。
「私には……確かに持っているものがあったのに持っていない。仲間と呼べる優しい人たちのことを知っているのに、本当は知らない……何にも知らない――分からない!」
その程度でも貞芽には思うことがあった。それはこの少女を追ってきた理由にも酷似する。
「わがままを言わないで! さっきから聞いていればぐちぐちぐちぐちうるさい! 何? 私は今まで苦しかったから慰めてほしいとでもいいたいわけ? それをわがままっていうの!」
「お前に何がわかる!」
「分かるよ。だって……耀が死んじゃって、悲しかったときは自分も消えてしまいたいくらいつらかった、けど! 私はあのとき、あなたも知っている思い出で救われたから一人だから」
「……何が……何も知らないくせに」
「自分の思い出じゃなくたって、話してくれる人が楽しいと思った話は、絶対に楽しいものだって思うから! それだけは知っている!」
あのときの貞芽には、確かにそういう気持ちがあった。それは好意を寄せる相手が真剣に元気づけようとしてくれた気持ちに感化されたのかもしれない。でも貞芽が思うようなことも、なくはないはずだ。
その言葉に揺さぶられて、蒼い髪の少女は考えこむ。そのとき攻撃を弱めて目に見えない殻が消えているのにさえ気付かず真剣に言葉を交わしている。
「……そんなはず、ない。知らない自分がそこにいたみたいで怖いだけ」
「それがきっと君自身なんだ!」
「そうだよぉ!」
自分を苦しめていたものが、楽しい? その現実を受け入れるのは、生まれて四年しかたっていない彼女に――酷なことだった。自分でも自分がわからないのに、さらにわけがわからなくなるだけ。
「嫌、嫌嫌――そんなのは違う! 絶対に違う!」
目に見えるくらい色濃く覆う殻を再び見せ、特大の球体が姿を現す。
それまでのとは違い、真人の武器では切り伏せることも弾き返すこともできない。真人は迷うことなく突進して、その動きに合わせるように、ランダムな動きを見せていた稲妻の一本が同調しながら厚く真っ赤な殻にぶつかる。
「もうやめろ、こんなこと!」
「いない人をいつまでも追いかけている人にどうにか出来る力じゃない!」
「追いかけて強くなることだって出来る! 出来たから僕はここいて、君を止めるんだ!」
防げないなら、やられる前にやる――相手が準備を整える前に。
「そんなのでやられるはず――えっ! 相殺される、いや無力化?」
「僕に君を超えるだけの力がないのなら、その前を叩くだけだ」
「そうか、飛んで剣に流れる電流を強制的に放電させて、しびれさせた相手の能力を封じる――覚えた。もう次は利かないわ」
「そのくらいわかっている。次は――――もっと早く! トラージェン、ドライビングシステム起動!」
足場もない空中で真人は瞬間移動する。今度は真人の剣の中に飛び交う剣の一本が入り込んだように見えた。動作を極限まで俊敏にして、完全にその場全員の目を振り切る。
後ろと前、その二択に至った彼女は後ろを選択して振り返る。
「僕は一歩も動いていない!」
振り向いて後ろがガラ空きのところへ、さらにもう一本飛んでいる剣を掴んで真人が切りかかる。
最初のしびれが取れていない彼女は自動で出していた殻がなくなっているのも忘れて後ろを狙って赤い光を飛ばしている。
勝負が決したこの瞬間に何が起こるのか。
きっと稲妻そのもので切られた方は、全身がしびれて動けなくなる。
きっとその剣は人を傷つけないだろう。
きっとその剣は真人の意志そのものでできているのだろう。
きっと、この一瞬には、彼女の予想していなかった意味があるのだろう。
「――電光の……封印剣!!」
黄金の輝きが、走り抜ける。
真人に切られた彼女は何が起こったのか分からず、その場に立ち尽くしていた。実際に刃物で切られた外傷のようなものも特にない。変化があると言えば……彼女の瞳の赤が鈍い色になっていた。
「これは封印剣。まあ一時的なものだけど、君の力は使えなくした。…………本当は他の人を救うために作っていた技だったんだ。でもこれでゆっくり話が出来るね」
力を失い、赤かった瞳の色も完全な黒色になり、ただの中学生相当の女の子になった蒼い髪の子は生まれて初めてそのきれいな瞳から涙を流していた。理由はわからない――けれど、彼女の中の全てが封印された今、彼女の中には純粋な部分しか残されていないはずだ。
そのころ貞芽はある声を聞いていた。
すぐそばから聞こえているはずなのに、相手の姿は見えない。
幽霊とか、そういうのじゃなくて、自分の心の声のようだった。
「はじめて否定しなかったんだね」「そうだね。それは私にもわかることだったから」
「でも本当は違うんじゃない?」「何が?」
「だってあれは自分の身勝手で彼の大事な人を消したし、大きな事件も起こした」
「でもそれは……」
「同情するの? 目の前で大事な妹が傷つけられ、彼もそれなりの傷を負っている。学校にだって半年くらい休校しなくちゃならない損失なのに?」
貞芽の声で、貞芽じゃない人が近くにいるようだった。その人物は歪曲された事件の真相を貞芽に告げる。
「もしも、耀を事故死に見せかけて葬り去ったのが……アレであったら?」
「あれは事故だよ」
「いいえ、彼女の力は自動車に追突されたのと同じようなもの。空飛ぶ打撃ともいえる」
「理由がない」「理由なんて必要?」
「そんなことをする人に見えない」「ついさっき命を狙われたのに?」
「私にはあっても、耀には――――」「そゆことぉ」
いけない確信に貞芽は達してしまった。
この場を去っていこうとする人の姿を見つけた耀は体を起すことができた。
「おねえちゃん、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫……だた、ちょっとだけやることが出来ただけ」
その傍にいた貞芽は、フラフラと意志のない濁った瞳で真人たちの方へ近づいていく。
「中原君。ちょっとだけいいかな。――そこの人に用があるから」
「――何?」
貞芽は彼女の正面に立った。
「四月六日、どこにいた?」
「分からない。覚えていない」
「……答えて」
「貞芽、今は無理だよ」
「答えて!」
貞芽の瞳が意志のない濁った色から、なにかへ変わろうとする。真人が二人の間に入ろうとするが、身体が動かなかった。次第に貞芽の瞳は琥珀色に染まっていく。
「答えないことが証拠だってこともあるんだよ。だから私はあなたを――許せないと思う」
ふっと貞芽の視線と蒼髪の視線が重なり合う。
「変わった瞳をしているのね」
「黙ってよ。聞いたことにもこたえられない人がどうしてここにいるの? ここから消えてよ」
小さな否定――貞芽の目の前にいる人が、ここにいることを否定する。少し前の遊園地でも起こった奇跡や、耀が再び姿を現したときの否定に比べれば容易なことだ。
「貞芽。やめろ!」
「大丈夫だよぉ。別に殺すわけじゃなし、ただ私の前から一生消えるだけだから」
「それをやめてくれって言ってるんだ!」
貞芽が別の何かになったと想定して、真人も力任せに呪縛を解いた。一瞬だけ真人の髪が浮き上がって雰囲気を変えるが、すぐに元に戻って貞芽の肩をつかむ。
「貞芽がそんなことをする意味なんてないだろ。これは僕らの問題だ」
「中原君……………………邪魔しないでっ!」
琥珀色の瞳に睨まれて、真人は壁まで吹き飛ばされる。そのまま貼り付けにされ、トラージェンは強制的にネックレスへ戻される。
「さあ、私の前からいなくなって」
力を一時的に封じ込められ瞳が赤から黒に変わってしまった蒼髪は、その姿を透明にしながら無抵抗だった。抵抗しても無駄なことくらいわかっている。そう彼女は感じ取っていた。だが言い残したことくらいは、最後に言う。
「片瀬貞芽。あなたの力は、他人の犠牲の上に成り立っている。今はわたしの封印された力を源泉に使っているが、人をよみがえらせることであなたが払わせた代償を、あなたは知らないでいる。こことは違う世界を犠牲にしたことも知らないなんて――」
「ばいばぁい」
手を振って、貞芽は蒼髪を見送った。
「なにをしてるんだよ、貞芽!」
「うるさいなぁ。それとも一緒に消してほしいの?」
視線を真人へ向け、貞芽の体に抱きついてくる何かがいた。
「ダメだよ、おねえちゃん。そんなことしちゃ戻れなくなる」
実際、そこにいるのは貞芽ではなかった。当の本人は魂だけ別のところへ隠されてしまったようにその場にいない。そこにいるのは貞芽の皮を被った別の何かだ。
それは、その力で貞芽の妹を救ったのに耀のことが分かっていない。それ故にためらいなくそれは耀に襲いかかる。
「邪魔よ」
「え?」
たったそれだけの一言で、蒼髪からもらっていた残りの力で耀はその場からいなくなってしまった。もう一度死んでしまったわけではないだろうが、いまの貞芽に救ってもらえた存在が、それに否定されてしまった場合、どのような結末を迎えるのか。
それを見て真人はもう一度力任せに呪縛を破ろうとする。見えない紐で縛られた腕には血が滲み、線のような跡がくっきりと残る。だがもうひと踏ん張りが足りない。
ただ、真人の視界の中にはまだ耀が見えていた。
そして次第に貞芽のことも他の場所にいるように感じる。
***
耀の体はおそらく生き返った時に十六歳くらいになっていた。記憶の中には姉のことしかなく、その危機を記憶の中に刻まれて現代からここにきている。その危機を空想の中で組み立てて自分が未来から来たと錯覚していた。
でも妹を失った後の姉はそれを感じさせないほどに強く生きていた。一人になってもちゃんとしていたし、こんな見ず知らずの人間を妹としても受け入れてくれた。一生懸命フォローしてその後の新生活も考えてくれた。そんな姉のことを耀はより一層大好きになり、かけがえのない時を再び送ることが出来ていた。
「見えなくてもいい――聞いて、お、おねえちゃん。そんなことしちゃダメだよ」
生き返ったはじめのころは、姉と話すときだけが自分でいられる気がしていた。学校に行くようになって、新しくできた友達や色々な人と関わることが出来て、良いことも悪いことも全部ひっくるめて今の耀という一人の女子高生を作り上げていた。
「その人がおねえちゃんにとってどんな人なのかも忘れるなんて変だよ。それをしてしまったらおねえちゃんもさっきの人と同じになっちゃう気がする。あたしはそんなの絶対に嫌だよ。それにあたしの大好きなおねえちゃんは人を思いやることが出来て、優しくて立派なおねえちゃんでいてほしいよ」
貞芽はそれを見ていた。隠れていて他の誰にも気づかれないような場所から。
(……耀はこんなことを思っていたの? なんで今の私には耀の心の中まで見えちゃうんだろぉ……。本当にこの子は、私のことをこんなにも思ってくれているのに)
傍観者になっている貞芽は嬉しい気持ちで胸が満たされ、目の前で暴走している自分とは全く正反対だ。
「どうしてこうなっちゃたんだろう。耀は何も悪くないのに……本当にいい子なのに」
呪縛も解けて真人も解放される。
「ここにいてほしいって言った私が、否定しちゃったらいなくなっちゃうよね。もう私の前に耀は……帰ってこないんだよね」
うっすら琥珀色がまだ残る瞳に涙をためて、元に戻った貞芽は真人を見ていた。
「嫌だよ。でももう……」
真人はあきらめずに言葉を投げかける。
「そんなことはないさ。貞芽が言っていることは正しいけど、否定って奴は何度だって重ねたっていいんだ。例え望まれて生まれてこなかった人が、その存在を否定されたって消えるなんてことはない。その否定をもう一回否定すれば、それは強い肯定の言葉になるんだから」
シャドーが貞芽に同じことを言っていた。そのことを思い出す。実は、シャドーは貞芽に他にも言っていた。それは、否定をすることに嘘はない。つまり否定を二回繰り返すことは現実不可能なことということだ。
「でも私は耀に消えてほしいなんて本気で思えない!」
「そんなことない。絶対できる――いや、やらなくちゃだめだ――」
「中原君!」
抗っていたことで体力が尽きていた真人がよろけるが真人は倒れない。倒れるわけにはいかない。倒れてしまったら、あきらめたことと同じだ。
「わかった――私は耀がいることを否定する。
耀がここにいるわけがない。
いないわけがない。
絶対にいる!
私の大切な妹はまだ消えてなんかない!」
(おねえちゃん――)
幽霊のように半透明だけど耀の姿を見た貞芽は、全身から力が抜けるようその場に倒れた。「おねえちゃん!」
ただ、この場に残っていてそれなりに力を持っていた少年は、貞芽が最後に使った力の代償になることを受け入れてその場から消えていた。