“潜在能力”と“予測する力”(政道&耀)
二話連続投稿
奏進の剣道場は県大会決勝のような賑わいを見せていた。
最近行われた大きな大会ではこの学校で蕾が全国優勝、クラウドが県大会で蕾に敗退して県で準優勝、団体戦は男女ともに一回戦敗退というものでいまいち盛り上がりに欠けていた。
でも今回の奏進最大の弱点ともいうべき団体戦に今回は高等部でも有名な二人と、二年前全国制覇した八代星奈、それに非公式であるが蕾とクラウドを破った一年生がいる。
対する相手校はパッとした成績を残してはいないが、この間の団体戦で妙な勝ち方をする先鋒と新加入で秘密兵器のシーナがいる神童高校。
一戦目は、奏進唯一の一年生“片瀬耀”と神童高校剣道部でもっとも成長した“政道道花”
この日のために短期間で作り上げたスタイルが披露されることになるだろう。
S
生徒たちはお休みモードに入っていた。
なんといっても夏休みまであと数日に迫った今となってはテストなど考える意味もない。
もし悪い点を取れば悩ましいことになるだろうけど、そんなこと関係ない。
……そう関係ない。
「お姉ちゃんはどうしてお空に握りこぶしを突き上げて悲しい顔をしているの? やっぱりテストダメだった?」
その通りです、とは正直にいえず。心配してくれる妹に笑顔を作る。
それが作り笑いだと薄々気付いている耀は、心配していることは変えず、何かをいいたくてうずうずしているように見えた。
ある人が一瞬だけ見せてくれた返事を、見極めた私だからこそ、耀のその変化に気付いた。きっと耀が言いたいことは、私が入院して退院してからこそこそ言っている剣道部のことだと思う。
その剣道部は、一度だけ見舞いに来てくれた赤威先輩とフィーネのお兄さんがいるところだ。
周りからの評判だと外見や大会の成績が目立っているけど、一度会っただけでも悪い人たちじゃないという事は分かった。フィーネはお兄さんのことをどう思っていたか分からないけど、お兄さんの方はフィーネが大好き。赤威先輩もそんな二人を微笑ましく見ていた気がする。
「あのね。今度ね。……剣道部の試合に出るんだ」
たぶん嘘だと思うけど、耀についてもおかしな噂を聞いたことが合った。
一番最近の全国大会で優勝した赤威先輩と、年度の最初に行われた大会で優勝した人相手に耀が試合をして勝ったという。小学校へあがる前から、ちゃんばらごっこもしたことがない普通の女の子が、本気の男の人を相手に立ち振る舞うなんて想像もできない。
他にも男子バレー部相手に圧倒的強さを見せたとか。――圧倒的強さって、なに?
「明日はまだあたしもうまくなってないから勝てるか分からないけど、できれば応援に来て欲しいんだ。突然、きまったことだから――」
「そうなんだぁ。でもごめんね。その日はフィーネちゃんと約束があるんだぁ」
耀の表情が一瞬にして曇るのが分かった。お菓子を取られてどうしようもなくなった子供のように。
だけど私がいったことが冗談だと分かると、子供みたいに急に明るくなる耀は、外見が大人で中身が子供のままの私のたった一人の妹。
そしていつからか私を守ってくれている人でもある。
H
あたしの使っている竹刀は赤威先輩から頂いたもの。自分で買うお金も何もないから、世界で一つだけのあたしの物ということになる。
今日の試合に突然選ばれた事は驚いたけど、今の自分がどれくらいのことまでできるのか知ることはいいことだと思う。中堅にいる八代星奈先輩は聞くところによると二年前の全国覇者だったらしい。そんな人と一度だけ対戦して、一本入れられたことはきっとまぐれじゃなかったと思う。
赤威先輩とクラウド先輩に教わったことは決して嘘じゃなかったと思えるためにも、この日の対戦相手には簡単に負けられない。
「なんといっても、大好きなお姉ちゃんがいる前であたしは負けないもん」
この間の大会でクラウド先輩が負けたのは、フィーネちゃんが一度も応援に来なかったのも理由にあるかもしれないと思うと、今日の先輩はいつも以上にやる気だ。
今日の相手に先輩たちと釣り合う相手がいないはずなのに、宿命の相手と再び会いまみえるかのような雰囲気は、どことなく声をかけづらく感じる。
いつもは気安く声をかけてきてくれるのに、集中している先輩たちはじっと正面を見ているだけだった。
渋い顔を先輩たちがしている理由が、あたしが気絶して保健室に寝ている間に行われた先輩たちの賭けで、クラウド先輩を八代先輩が完封したってことなんて知らないことだ。
先輩たちの正面に並ぶ神童高校の人達を見ると、どこかで見たことのある後ろ姿……と応援席にちょこんと座る見たことのある神童高校の女生徒がいた。
名前はうろ覚えだけど政道さんと、進藤さんだったと思う。
進藤さんが寄り道をして危ない目に会うのを政道さんが未然に防いで、その後二人はデートにいった。
そのデート先でもいろいろあって、進藤さんを守った人が剣道部の輪の中で胴着を着ている。
両方の高校毎で準備運動をする。
試合のメンバーに選ばれなかった部員は、人数が足りない神童高校の人と準備運動をしたり、雑談をしていた。どうやらこちらの剣道部とは違い、神童高校にはマネージャーのような人がいるようで、その人が試合に出る人たちより立派な体つきをしていることに少し驚いた。
本当はもう一人女の人のマネージャーもいるらしいけれど、今日は貧血で欠席しているらしい。
あたしの相手は藤村先輩と言う人で、今日の試合で次鋒を務める人。つまりはあたしの次に来る人ということになる。剣道は中学に入ってから始めたようで剣道部男子の中だと団体戦のメンバーに選ばれる実力で、クラウド先輩との試合に二十秒耐えられる実力でもある。
クラウド先輩に数十秒持っていられる人は県内だと数えるほどで、全国でもその数は決して多くない。
「先鋒は片瀬耀、あそこにいる一年生だろ。それと神童高校の先鋒が政道道花、あの彼女持ちのことね。――一番右に座ってる奴」
「対戦相手のプライベートまで聞いてないんだが……」
審判をまかされたのは神童高校の近くの道場で剣道を教えている藤村という人らしい。
名字が同じ奏進の藤村とは何かつながりがあるかもしれない。
よく見れば顔のつくりは似ていて、強気でいる人に話しかけられると一歩引いてでしか話せないところは良く似ている。
その人と、神童高校のマネージャーの人が一戦目の確認を取っていた。
そのすぐ横に赤威先輩もいる。
「ちなみにこちらの先鋒は、初めての実践だからよろしく頼みます。まだ剣道を初めたばかりで、ちょうど楽しくなる時期だから、なるべく自信を無くさない試合になると願っている」
「なら、こっちもまだ始めたばっかだから気にするな。この間大会にでた分こっちが有利かもしれないけど手は抜かない。絶対に」
「それは結構」
「望むところだ」
奏進の部長と神童のマネージャーが、審判の近くでヒートアップしているのをクラウド先輩は流し眼で見ている。相手の顔にどこか見覚えがあったのか、観客席にいるフィーネちゃんに視線を送ると無視をされてとてもガックリしていた。
そのフィーネちゃんの方を見ると、お姉ちゃんと知らない人、知らない人、知らない人と……奏進の生徒が中等部、高等部合わせて三十人ほどいる。
「そろそろ始めてもいいのかな」
審判が両校の代表の間で静かに告げた。
そして試合は始まる。
自分の手の熱さでほんのり温かくなっている竹刀はこれまで道場で使ってきたものだった。
今着ている胴着は赤威先輩がいらなくなったもので、サイズが近かったからもらうことができた。
その二つはどちらも使い込まれたものだったが、手入れがしっかりとされていてまだまだ使える。
自然と手のひらから汗が噴き出していた。
緊張しているんだ、そう思った。
胴着の帯が仕舞っているのか最後にもう一度確認し、面を被る。竹刀の握り方を間違えないように気をつけ、対戦相手の正面まで歩いた。
「それでは、奏進高校と神童高校の試合をはじめる!」
大きな声で試合開始の号令が掛けられた。
まず相手のことをしっかり見て、小さな動作で竹刀を振ってみる。
すると、間合いを測るように相手の人はかわしざまに一振り入れてくるが、すぐに竹刀を胸もとに戻して防ぐ。
男の力で振う竹刀の振動が手の平を通して伝わってくるが、先輩たちのようにしっかりした踏み込みで入れてきたものでも、木刀でやられたわけでもないからすぐにその麻痺から脱出して竹刀を強く握り締めた。
お互いが、素人のようなやり取りをその後も数回繰り返し決定打がないままに時間だけが過ぎていった。
今回のルールでは始めの時間内に決まらなければ延長サドンデスになっている。時間内なら一本取られても取り返せばどうにかなるが、サドンデスになれば少しでも有効打が決まれば勝ちが決まる。だからこそ普通なら早くに決着をつけたいが、初心者である二人はへたくそな攻めで有効打になるもの自体がほとんどなかった。
体力が失われ、ほとんど練習していない攻めに疲れて息が荒くなる。試合の中で集中しなければならないけど先輩たちの言葉が思い出される。
『剣道に必要なのは色々あるが、試合に勝つために必要なことはそう難しいことじゃない。まず弱い人間は強い人間から遅いとよく言われる。……だが、それは気にしなくていい』
対戦相手と自分との実力は、どう見ても同じか、男の人と言うことで相手の方が上だと思う。速さでいえば、身体に筋肉がついていない分、早く動けているかもしれない。
『必殺技は欠かせないな!』
たまに夢をみる藤村先輩がそんなことをいうと、それに同調するように周りにいた剣道部員が一斉にワッと湧き上がった。まぐれでも全国区相手に勝利した人間が必殺技なんて得た日には男子が興奮しないではいられない! という風に子供っぽい人たちがそこにいた。
そしてあたしは、必殺技を隠し持って試合に挑んでいた。
それは八代先輩に一本入れられた必殺のカウンター。
「楽しいかい?」
打ち合っていた竹刀の打ち込みを緩めて、対戦相手が話しかけてくる。
面越しに一滴の汗が流れ落ちるのを見て、こちらも少しだけ手を緩める。
「申し訳ありませんけど、今日は勝ちに来ました。よろしくお願いします!」
「はは……一年生の女子に負けるところを彼女には見せられないかな。と言うことで手加減なんてできないけど、いい勝負をしようよ。どうやらお互いに始めたばっかりみたいだしね」
「はい!」
緊張していてよく聞いていなかったけど、優しい口調で厳しいことを言われた気がする。
会話を切って、一瞬、目をつむったかに思えた政道道花は竹刀を構える高さを明らかに低い位置に変えてきた。まるで打ち込まれることを誘っているようで、後ろで見ている蕾や星奈はその構えに気持ち悪さを感じる。
ここ数年の大会でこの二校が直接当たったことは今まで一度もないが、今年はトーナメントのブロックが同じで、相手の試合を見ることが出来ていた。そのため、政道が誘っていることを蕾は理解した。
それと同時に、試合中の耀に蕾は「下手に打ち込むな」と助言をしそうになる。
無言の助言をその場の雰囲気から察せるほど、あたしはうまくやれそうになかった。
頭の上から降りおろすようにして、面を狙いに行く。
上がガラ空きで、きっと防御は間に合わない。
かかとの方に重心を置いて立っているから相手は踏み込んでも来ないと分かっている。
……でも踏み込めない。
どこかで見た光景がフラッシュバックするかのごとく、あたしの足はそこで止まってしまった。
『なんだ。のらないのか? それとものれないのか?』
相手側からそんな声が飛んでくる。
いつもならここで攻め込まれて、そこを打ちのめす剣道をする政道はやや困った風に竹刀を構えなおした。
耀がフラッシュバックした光景は蕾やクラウドと練習していた試合形式の経験から、あそこで踏み込んだ先では常人では予測できない一振りが来そうだった。
どんなに不利な状況でも、それが事前に張った罠によって不利を有利へと変換する。そんな必殺技を罠に潜ませて政道は待っていたのだ。
県大会の政道を思い出そう。
それは定石通り、先鋒に部で一番強い人を置いてくるような学校が相手の一回戦だった。
それが政道にとって初めての試合で、多少緊張していたのかもしれないが、それでも神童高校へ来たばかりの少女とやり合っていたから緊張よりも自信に近いがあった。
その試合の展開は耀と戦っている今回のような長期線とは違い。決着はすぐに着いたのだ。
政道のことを構えだけで初心者と見抜いた相手のエースが、数手で政道を完全に崩した次の一瞬で――――見事に打ちのめされていた。
体制が悪いのにもかかわらず、寸分の狂いもなく未来を予想したかのように竹刀の軌跡を寸断し、それに動揺した一瞬で一本を奪い去る。
そんな、相手が強ければ強いほど力を発揮するような、とても厄介な相手が耀の初めての相手だった。
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先日、シーナ・ゼクスという女子と試合する機会が政道にはあった。
高校生とは思えないような小さな背に、言葉足らずの日本語で意志疎通できているか定かじゃない留学生は、実家の方でも剣を振りまわすのが日常だったらしい。
その延長線上で侍に興味を持った外国人らしく剣道部に顔を出したのがそのときだった。
政道が剣道部に入ったのは微妙な時期で、遊園地で事故が起きた月のことだった。
前向きな気持ちになり始めた政道が、自身の肉体というよりは精神面を鍛えるために選んだ部活が剣道部で、それから数週間後にシーナがやってきたのだ。
試合はシーナに剣道のルールを教えてから、彼女自身がやりたい相手と一戦だけ行うことになっていた。
シーナが始めに選んだのは剣道部マネージャーにして運動部なら即戦力になりそうな肉体をもった男子だったが、剣道をやらないと言われたのでなかばやさぐれ状態で政道が選ばれた。
竹刀を片手で持ち、覚えたばかりのルールをところどころ忘れつつあったシーナは、気を取り直していつもの調子で試合を回していった。
実家で“一体どんな生活を送っていたんだよ!”と聞きたくなるような、妙なことをするシーナを剣道部員は口を半分開けたまま見て、斎藤と佐須は腕を組んで眺めていた。
床に足を叩きつける音がしたかと思えば、その姿は百八十度反対の場所にいるシーナは政道の背後にいる。それに反応出来ていない政道は、後ろから切りつけられるのを避けるように前のめりに倒れ込んだが、それを見たシーナはルールを思い出して腹部に竹刀を突き立てる。
そこで政道の中の何かが再び覚醒した。
突きのように一点を狙った一撃を政道も一点を防ぐ一振りで防ぐ。その瞳が琥珀色に輝いていたのは一瞬で、次第に琥珀は黒色に、それが彼の自然な色のように溶けていった。
それがシーナと政道のよくわからない信頼関係と、政道の中の自信につながったとは誰も知ることになかった。
そして県大会で結果を残したすぐの対外試合は女子を相手にしているのに決定打を欠いている。相手はシーナのように人間離れした動きを見せる上手な相手でも、全国に何度も顔を出した強者でもない。ごく普通の女子高生だ。
その中身が普通じゃなくとも、ここ最近の彼女は完全に片瀬耀単体で生活している。
もしかしたら、ある日の事件で一人で三人だった彼女がそうでなくなったのかもしれない。その中の一人が、シーナの目指す実家の伝説的な英雄であろうと、彼女は彼女、彼は彼の今なのだ。
「攻めたら負ける……そんな気分だ」
政道も攻めるのは苦手な方ではない。
少し先の未来を予想できる政道だからこそ、相手がする行動を予測して打ち込めばどんな相手でも隙を突かれたように振る舞うことになる。だがそれは渾身の一撃を交わされて返されるときと比べれば小さなものだ。
それが政道のスタイル――カウンターというわけだ。そしてそれは耀と同じスタイルと言うことになる。
「どう表現したらいいのか分からないが、後ろに大きな影が見える……と言えばいいのかな」
耀がここまで思わせる過程には、その構えにあった。
もともと耀が初めて剣道をしたときに、その構えをしていたのは彼女の中の別の人だった。それは耀が“バラ”と呼んでいる大人っぽい女性で、今日は始めから面を被ったままのシーナと同じ顔をした人のことだ。
「シーナと初めてやっとときに何となく似てる。そういう気がするな」
上から攻めようか――いや、軽くかわされて横薙ぎに一閃される。
ならば横、もしくは引きながら小手を取る――――それもだめだ。全国区を相手に練習していたからだろうか、スピードに関して問題外なほどに全ての過程をひっくるめて圧倒される。出した竹刀は簡単に受け流され、そのまま一本取られてしまう。
完全に、攻めたら負ける先が見えていた。
それからさらに時間が過ぎ、サドンデスに突入していた。
数分で区切って小休憩をはさんでまた再開を………………いったい、何回繰り返しただろう。
すでに、一時間が経とうとしている。
体力的に限界に近くなり、両者のスピードが同じくらいになったところで勝負は決することになった。
すぐ続きます