前哨戦(星奈&シーナ&耀)
奏進と神童の二つの学校で剣道部の対戦オーダーがほぼ完成していた頃。
背丈が小学生くらいの小さな少女が、奏進台の近くへ来ていた。
その手には少女の背丈と同じくらいの長さを持つ竹刀と、ここまでの道筋を示した英字の地図が握られている。
普段の剣道場での分厚い面をつけていない少女の様は、まるで誰か遠い人を彷彿させるような顔立ちだった。焦げ茶色の髪はひな鳥の尾のように小さく跳ね、翠色の瞳は輝いている。それは目の前で戦いが待っているという単純なものだ。
それがこの場にいるシーナを心躍らせるものなのかはわからないが、戦いがあればその場にいたいと思うのがその少女の性格のようなものだった。
奏進台高等部の正門を潜ってすぐのところで立ち止まっているシーナを下校途中の生徒たちに注目されていた。隣町の神童高校の制服を着たシーナが、外国語の地図を持っているのと、少女自身の瞳の色や髪の色のせいで目立っているのもあるが、誰もが「こんな小さな子がどうして神童高校の制服を着ているのだろう」という疑問と「袋にも入れずそのままの竹刀を握りしめているのだろう」という二つの疑問を持たれていた。包み隠さずそのままの状態で持ってきた竹刀は、握りしめている本人がいかつい男であればいろいろな場所で止められていただろうが、見た目だけなら中学生並みの身長の高一女子なので、不思議がられながらもこうしてここまで何事もなく来ることが出来たのだ。
「アレがこのガッコの剣道部員カ……」
下校途中の生徒たちが注目しているのも気にせず、その生徒たちの視界の外へシーナは一歩進む。真人の使う瞬間移動に近い“歩法”だが、シーナの実家に伝わる特殊なものなので真人のような予備動作を必要としないところまで何百年の歳月をかけて完成されたものだった。
……なのだが、普段の移動にこんな技を使うのは、ゼクス家の歴代の人達を探してもシーナくらい。六の剣術を統制するゼクス家の後継者としては才能の無駄遣いというものだ。
シーナは丁度、耀が星奈を打ち負かした瞬間に居合わせた。
動きは悪くないが全体的に遅い星奈が、一撃に掛けた耀に一本取られ、仕切り直しているところへシーナは声をかける。
もちろん星奈の子分たちが囲いを作っているど真ん中に、他校の制服で、片手に竹刀を握った知らない奴が割り込んだのだ。
そりゃあ大そう不思議な目で見られる。
「たたかエ。私に本気を出させたら相当なものダ。あと、日本語はよくわからないカラ、とにかくたたかエ」
「――子供は家でママのミルクでも飲んでれば、いい」
「さすがニそのくらいは分かるゾ。ばかにするナ!」
「こっちは真剣にやってんだ。子供が横から――ってポカンとした顔をするな! 少し早口にしゃべっただけで目を丸くするな!」
「よしっ、準備は整ったゾ。それに、お前の相手はキゼツチュウダ」
「――ちょっと最初にやりすぎたか……撃たれ強いように見えて、普通の子と同じくらいにしか持久力もないし、やっぱあたしの勘違いか――」
「無視をするナ!」
「無視はしてないよ。ちょっと本気になりかけてたから、気持ちを落ち着けるまでは子供と遊べないんだよ。だから少し待ってて」
「本気で――」
最初で最後の攻防で体力を使い果たした耀はその場で眠るように横たわっていた。おそらく痛みを我慢していたせいで余計に疲れたのだろう。
そんな耀の傍で、さっきまでは耀に“濁った瞳”といわれていた星奈も一点の曇りのない瞳で神童の少女を見ている。見上げるように睨みつけているシーナもキラキラした瞳で星奈を見ていた……彼女たちの前に怪しい何かが落ちてくるまでは。
それに最初に気付いたのは、星奈の取り巻きたちだった。
その何かは、学校とその横の施設をしきる金網を超えた茂みの中から飛び出すように現れ、星奈の後ろの方にボトリと落ちてきた。見た目は印象的だが、音が微かなものだったため星奈とシーナは気付いていなかった。
「星奈さんっ……う、後ろになんかいます!」
気付いた一人が叫んで全員がその方向を見ると、始めは座布団のように平べったかった黒色の何かが、重力に反して上の方へ上がってきて、細長い棒状になったかと思うと次第にそれは人のような形を取り始めた。まるで人の影が地面から起きあがったような光景におびえたギャラリーは、後ろを振り返らないで一目散に逃げ出していく。
その場には、見つめ合う二人の少女と、横になっている耀だけが残っている。
「ちょっと聞きたいんだけど……これは神がなんたらの神童高校のサプライズか何か?」
「知らないのカ? こうゆうのがヒ・ニチジョウというのダロ?」
「そうゆうのは、あたしは知らないんだけどね。まあ、学校のすぐ裏でこんなのと出会ったからには」
「やるしかないナ」
「逃げたきゃ逃げてもかまわないよ」
人の形をした影はゆらゆらと二人の少女の前で動こうとしないが、最後の変身を遂げようとぶくぶくと黒色の体を膨張させていった。盛り上がるようにして体積を増やす黒色の塊は、長さにすれば二倍、大きさでいえばそれ以上に大きなものへと進化を遂げていた。
自然界で例えるなら、突然変異で巨大化した大熊。
それほどの巨大な悪意ある敵を前にして、この世界で生まれて、この世界で生きてきたごくごく普通の女子高校生二人は木刀や竹刀などを手に立ち向かおうとする。
シーナは相手の力量を図るように距離をとって竹刀を構える。
それと似たようで似ていないことをする星奈は――一般的に考えられる普通を逸した領域に足を踏み入れていた。
そもそも星奈の剣道は、相手の剣を受け流すことや相手の剣を打ち負かすだけの力、というものとは違う。どちらかと言えば剣道における攻めの型“上段の構え”と対極になる“領域”というものだった。
領域――テリトリーは簡単にいえば、星奈が把握しうる範囲で回避行動をとれることにすぎない。
いまのように、熊の鋭い爪のような一撃が日常では考えられないようなリーチで振われても、星奈は冷静にその動作をコマ送りに見ているように正確な一撃を黒熊の脳天に叩きいれる。
それに黒熊がひるんだすきを見て、地面に横たわっている耀を気に掛けるが、そんな隙を与えるほど甘い敵ではなかった。
それこそ、距離にして数十メートルしか離れていない剣道場にいるクラウドやエルデという別の世界に戻った真人などが対処しなければいけない類の一種だった。
「急所にあててダメージなしか……漫画みたいなセリフを言うなんて思ってもみなかったね」
「――――(これは非日常だ)」
星奈の後ろの方で聞き慣れない言葉を発するものがいた。
元優等生の星奈は、それがナマリのひどい英語だということに気付いて脳内で変換する。
(斎藤は言ってた。本気で殺り合うなら相手を選べ。
そんなのは本当はいないだろうが、俺たちの非日常にお前が出会ったなら、ゼクスの家系の者が自身に施した鎖を少しくらい緩めたっていいぜ)
大体こんなところだが、化け物に集中力の大半を使っているので正確に出来ているのかは分からない。
ただ一つ分かるのは、小学生だと勘違いしていた少女は腰が抜けてこの場に残っているのではなく、戦える何かを持っているからここに残っているのだと。
「それにしても――あの程度の運動で寝ちゃったこの子はそろそろ起きてくれないのかな」
星奈は絶対に負けない自信があった。
同じ女子高生や男子高生、それ以上の強敵にだって負けない自信が彼女にはあった。
ただ、それは常識の範囲内に限られる。
黒熊が変化をつけた一撃を星奈に向けて放つ。
「力任せにやったって…………ちッ」
星奈の小さな舌打ちは痛みに耐えるためのものだった。
黒熊の放ったものは、恐ろしいリーチで星奈を攻める一撃目と動作は同じだったが完全にみ切って回避したはずなのに左足に重い衝撃が走っていた。
それが意志なき熊に明確な意志を与えたかのように、次々と軽くないダメージが星奈に蓄積されていく。
避けて持避けきれない感じたことのない感覚に、さすがに息の切れてきた星奈は木刀を地面に擦りつけて膝に手をついていた。
「……はぁ、はぁ……なんなんだよこいつは……」
星奈が呼吸を一回する間に、黒熊の前に小さな影が現れた。
「……ステップ・ワン」
木刀に比べ大した破壊力を有さない竹刀が、黒熊の顎を突き上げる。
少女の体重の何倍もある巨体が一瞬揺らぎ――そして、少女はその小さな体をピンポン玉のように真横へ弾き飛ばされた。
「あのちっさいのだいじょ――」
「……ステップ・ツー」
ピンポン玉のように弾き飛ばされた彼女は黒熊に上にいた。
長すぎる竹刀に空中で回転することで遠心力の力を加え次の攻撃につなぐ。
「……ステップ・スリー」
重い一撃が上空から舞い降りた。
巨体を維持していた太い脚がひざから崩れ落ち、頭の部分を大きくへこませたそれはどこを見ているのか。
その衝撃の反作用で破壊された竹刀は中空で飛び散る。
目のない熊がその彼女の方を振り向く前に、空になった手を振りぬいてその勝負は決することになる。
まるで、その手にこの世のどこかから持ち出した不可侵の力を持ちだしたような。
彼女の刀が正体不明の非日常を切り裂いたのだ。
†
放課後の剣道場に、練習もせず残っていた数人は珍しい訪問者に一斉に注目した。
数年ぶりに訪れた方も、見知った顔が二人ほどいるのを見て表情を和らげた。
「蕾、あたしを次の試合に出してほしいんだ」
「幽霊部員が突然試合に出られるわけがないだろ」
あのオーダーを決めたにも関わらず、蕾は冷たい言葉で星奈の願いを拒絶する。
それでも星奈は、つい先ほど見た数分の出来ごとの中で見たものが信じられなくて。一度でいいからあの子と勝負してみたい気持ちがあるからこそこんな場所に足を運んだのだ。
「なら、こちらも君に条件を出そう。もし次の試合にいきなり出たいなら、この場にいるメンバーの一人を倒すくらいのことはやってくれないと困る。だから――クラウドと戦え」
ほんの数分前まで怪物と戦っていた星奈は、左足を引きずって耀を保健室へ運び、ここではそんな弱みを見せないように振る舞っている。
蕾の提案とはいえ、ハンデ付きのクラウドに勝てるのは状態が万全の星奈でも難しい、かもしれない。
蕾が意図していることは、試合に関係しない別の所にあるのかもしれない。
「あたしがそんな初心者に負けるわけないじゃん。あんたがやっても結果は変わらないだろうけどね」
「うちの副部長をなめると――――いや、なんでもない」
そして特別試合が始まり、勝負の決着がついたころに耀は家へ帰って貞芽にいろいろと心配されていた。
タイトルは投稿する直前まで考えていないので,その場の思いつき。
次の投稿は、とりあえず実家のポンコツPCを買い替えてからになるのか,もしくはいろいろなイベントをこなしてからになるのか分かりませんが,ことしか来年のどちらかで――冬休みらへんということでよろしくお願いします。