序章
序章
暗闇に紛れた静寂の中、閃光のように走り抜ける少年と少女がいた。
その二人は六月半ばのしっとりした夜風と戯れながら、町の中枢に来ている。
中枢といっても、その裏側――変態でもあらわれそうな場所に、少年の方は遠くまで見通せる澄んだ瞳をし、風に撫でられた髪がしゃんとしている。その胸元には黒曜石で作られたネックレスをぶら下げていた。蒼い髪を肩のところまで伸ばしている少女の方は、細く小さな指に指輪をはめてその隣にいた。
目的の場所に近づくにつれ、二人の緊張感が強まっていく。
二人が持つネックレスや指輪は少しだけ仕掛けがある。その仕掛けは、人が人でないものを打倒できるだけの力を二人に与えるもの。
彼らだけの武器はその瞬間に、それへと姿を換える。
一筋の光が迸り、ネックレスは三尺ばかりの剣に、指輪は少女の小さな手の平に収まる紅の拳銃に変換される。
目的の相手は二人のすぐ先にいた。
武器を手に少年は足を止め、その前を少女が銃口を正面へ向け引き金を引く。その拳銃から蒼い光の弾丸が打ち出された。
それが何かにぶつかり弾けとぶ。
奇怪な音が暗闇の中を引き割いた。擬音を漏らしながらその怪物は完全に姿を現す。
想像以上に化け物じみた様相に後ろにいる少年が少し高い声を漏らす。
「これはまた悪趣味な。これは――大きさから見て牛ガエルかな? 最近見ないよね」
その声に対して、自信満々の声で少女は相手が何者なのか簡単に解説する。
「いいえ、真人くん。これは間違いなく目的の相手。右腕の下に数字が見えるし、カエルならもっと表面がぬるぬるしているはずだから! カエルといえば乾燥肌が命取りっっ!」
カエルが超進化した化け物は、ところどころ機械で作られた体をしていて、その表面はガサガサとひび割れた肌をしている。少女の豆知識は進化の前に意味をなくしていた。
そして数字――製品が作られた順番を表わす製造番号のようなものが刻み込まれている。
怪物は奇妙な声を発しながら近づいてきて、紅の拳銃を片手に少女は敵を見据える。片眼を瞑ったまま微妙にずれる照準を合わせ、その横を次は自分の番だと言うように、少年が黄金に輝く剣を手に前へ出る。
探偵クラブという組織に属する二人がこのような活動をしていく中で、先制攻撃担当が、遠距離も狙える拳銃持ちの少女。敵の正体をある程度つかめた所で少年が剣で打倒する。
今回も例外なくその方法で敵を打ちのめす。
少年は持ち前の瞬発力と類まれな動体視力を駆使して相手との距離を詰め、右に左に巧みなフェイントを入れ敵に斬りかかる。
「はぁぁあああああ!」
うごめく緑色の化け物に続けざま隙をついて攻撃を繰り返し、それは倒せた。
その数時間後、任務を簡単なレポートとしてまとめるもう一人の少女がいた。
探偵クラブ副部長“片瀬貞芽”は、一人机に向かって朝までにそれをまとめるのが主な仕事。事務的な作業なら安心して任せられる天才肌な少女は、一時間弱で二人の報告を元にレポートを完璧に完成させた。
今回もそこにいたのは図鑑にも載っていないような生物――いわゆる怪物とか妖怪とかいう類のものだった。たまに人型の厄介な奴もいるという。
そしてその化け物を倒したのは、中原真人、田村由依という二人の小学生足らずの子供だ。
***
その週末。真人と由依、それに探偵クラブの面々は保護者たちとともに遊園地へ遊びに来ていた。
あの夜のような裏の活動もある探偵クラブ主催にしては、遊び心満載の企画。
遊び心のない政府からの連絡窓口を担う“探偵クラブ謎の女部長”が立ててくれたものだ。その人物は、部備え付けの“校内放送用のスピーカー(ブラックボックス)”を通してでしか知られてなく、部長の考え的には“少し遅めの新入部員歓迎会”といった思惑もある企画らしい。その空の様子は遊ぶのに十分晴れていて、一昨日まで降っていた雨など微塵も感じさせない程に地面を熱く照らしているのは確かなことだった。
暑い日差しに負けないくらいに一生懸命遊ぶ真人たちは、最後に観覧車に乗ることになった。
部員の真人や由依、フィーネ、そしてツルギの四人は二手に分かれて乗り込む。二人ずつ乗ることにして、チームで行動するいつもの組み合わせで異論はなかった。約一名、不満があるようだったが、観覧車は載る人の都合などお構いなしに回り続ける。
先に乗り込んだ二人はフィーネル・ビット、愛称フィーネという女の子と、ツルギという男の子。四人とも同じ学校の小学三年生。
フィーネは、透き通るような白い肌に、サラサラの銀色の髪。そしていつも通り頭の上に生ものを載せて鉄の籠の中にいた。生ものと言ってもそれはフィーネの人生の友である子猫のことだ。小さなお城のお姫様みたいな華奢な体、と冗談半分にいってみると半分は正解になるお姫様がフィーネである。
溜息交じりにフィーネは外を眺めていた。
「はぁ~、貞芽さんも来られたらよかったですのに、残念です。わたくしたちだけで楽しんでしまいましたが、おみやげでも買って帰りますので、わたくしたちを恨まないで下さい」
神に祈るような感じだった。外の景色を楽しみつつ、急な用事で欠席した友人のことを思い出すフィーネ。一緒に来ることができなかった友達のことを残念に思い、同時に今の状況も残念に思う。そんな残念そうな顔をしている。
その理由は共に乗るぼさぼさ頭の少年にもあった。その少年は、いかにも育ちの悪そうな顔をしていて、靴を履いたままあぐらをかいて反対側に座っている。それが赤威剱――通称ツルギの廃れた家系の長男である。
その家系は、真人や由依の武器の基礎を作りもしていたが、今はツルギしかこの世にいない。
「……おいお前、なに外に向かって語りかけているんだ? なんだか気持ち悪いぞー」
ツルギにとって、地上数十メートルから見える景色に興味はない。ただこの猫かぶり女に対して一種の感情を覚え、本音で話をしようとしたところから何かとうまくいっていないだけの話。つまり、フィーネという女の子をちら見しているだけの意気地なしだった。
別にその子のことが好きなわけじゃあない。
ただそいつが誰かに似ている気がして、自分でもよくわからない気持ちに悩んでいる。そのツルギに対して敵意むき出しの言葉は容赦なく突き刺さる。
「あなたと顔を合わせながら話すよりは、良い選択だと思いますわ」
かわいらしく少女は、にっこり負の感情を含んだ顔で言葉を向ける。
「……そうですか、まあいいですけどね、はいはい。俺はこれでも十分ですよー」
そう言いつつも、夕日を浴びて薄いピンク色に染まっている女の子の姿を眺めていた。
フィーネの方は窓の外を見ていて、ツルギの視線に気づいていない。そのままの状態でちぐはぐな言葉を二人はしばらく交わした。
強気な言葉を放つ少女から急に覇気が失わる。口の回らない酔っぱらいのようなフィーネにツルギは変な眼を向ける。
「そ、そぉですか? それはよろしゅう……ことで……よか……」
「――ん、何ふにゃふにゃしてんだ。眠いのか? そんなわけねえよな……!」
最初、ツルギは挑発したつもりだった。だがフィーネの変化に気付き、周りに注意を払う。ツルギは自分で思っているよりも敏感な奴だ。
――コツン。
おでこをさっきまで夕焼けを見ていた窓に押し付け、完全な眠り姫になっているフィーネはさておき、ツルギはちょくちょく少女のその姿を見つつ、辺りを警戒する。
「ほんとに寝ちまいやがったな、この猫かぶり女。俺はそんなにつまらない奴なのかね。こんな場所で、ねる、な……よな……ふざけやがって……」
ツルギは豪快に椅子から落下して眠りに落ちた。
空へと限りなく近づいていく鉄籠の中、真人と由依は隣同士で座っていた。
二人は一緒に暮らしている家族でもあるから、普通にこんな感じになっている。急に天涯孤独になってしまった由依を真人の親が引き取って、それからの関係からもう四カ月ほど経っている二人だ。
蒼く艶やかな髪に、黒い大きな真珠がそのまま入っているような瞳を持つ少女は、フィーネたちも見ている夕陽を眺めていた。真人もその隣で同じ色の景色を見ている。
真人は、瞳をキラキラさせている女の子を見てホッとしている反面、他の心配ごとも抱えていた。あの夜のようなものが出るようになったのはほんの数か月前から。そして真人と由依が出会ったのも、ちょうどそのときだ。それが何か引っかかる。まるで、田村由依=数字を持つ謎のものたちの関係性があるような。もちろんそこに関係性がない、ともいいきれないが、真人も由依もいたって普通の子供と同じだ。それはフィーネやツルギ、ここにいない貞芽も同じことだ。
この世界では変わったルールがある。
それはある科学者が提唱した法則というより、仮説に近い話だった。
『我々人間は、この世界を支配したと言っていいだろう。大地も海も、空も、そのほとんどで我々は存在しているのがその証拠の一つといってもいい。だが、一つ見落としていることがあった。それは約一千年前から存在する、内包的な特殊能力についてだ』
その内包的な特殊能力、通称“神の力”が、真人たちの出会いのきっかけでもある。
あるときは他の人よりも数倍速く動くことや、片手一つで装甲車の突進も防いでしまうもの、神のような生命誕生の力をもつもの、大地を剣で割って見せるもの。
これだけ危険な子供たちが、偶然にも巡り合ったのは必然ともいえることだ。
その中でも剣聖と呼ばれる切り札をもつ真人と、最強の能力者とも言われた母親譲りの力をもっている由依。この二人が中心となって仲間が次第に増えていったのだ。今回の遊園地も、ツルギとフィーネが部員に加わった記念を祝ってのこと。
観覧車がゆっくりと回転するなか、鉄の籠がてっぺんに到達する前に異変は始まる。
まず由依が動いた。
「何かおかしいよ、真人くん」
さっきまで輝かせていた瞳をしまい、静かにこの状況を分析する。
真人も半分開いていた口を閉じ、行動を開始した。
「――うん。とにかく上に出よう」
観覧車の扉は内側から無理やりこじ開け、軽々と乗っていた籠の上へと出る。
ちょうど観覧車が一番高くなる位置で出てきたため地上よりも肌寒く、風も強く感じる。
「誰だ!」
人の気配を感じて、真人は叫んだ。そこには、隣にいる由依と全く同じ姿をした女の子が、濃い青のドレスを着て立っているのが見える。唯一異なる部分がこの二人にあるとすれば、きれいな漆黒の瞳の由依と、全てを飲み込むような赤い瞳をもつもう一人の彼女。
雰囲気もどことなく違う気がした。
「――死になさい」
唐突にそう言い放つ赤い瞳の少女の周りには、空間が歪曲し紅の球体をいくつも現わした。真人は危険だと察知して、自分の武器を手にするために叫ぶ。
「トラージェン!」
共に成長してきた剣を抜き、真人は半ば放心状態の由依をかばうように前へ出る。
鉛の玉を弾く音を立てながら紅の球体を弾き、次なる攻撃に備えて体制を崩さないように気をつける。足場は想像していたものより少ない。
真人には、空間を歪曲させる球に見覚えがある。
いや、それに見覚えがあるなんてものじゃない。――それは隣にいる由依に流れている母親の力そのものだ。もちろん由依も最強種のその力を使うことができる。
赤い瞳の少女が呟く言葉は、周囲に浮かぶ紅き闇を容赦なく真人へ叩きつけてくる。そこに明確な殺意は感じられないが、最強種の力を持っているに違いない。それでも剣術においては達人の一歩手前まで極めた驚異の小学生の真人だ。ある程度までは防ぐことが出来る。
「剣聖も防げない、巨砲の一撃を」
だが力任せに押し切られ、体制が崩れた。落ちれば人が死ぬのに十分な高さで、足場を失った真人が見た赤い瞳の少女の表情は、バイバイとでもいっているような、感情の一切ない顔をしていた。
「真人くん! 大丈夫!」
正気を取り戻した由依は、手を伸ばした。
由依の手は震えていて、これまでに感じたことのないほどの恐怖が真人にも伝わってくるようだ。
「ごめんね、少し考えちゃって、わたしって役立たずだよね……全くダメな子だ」
落ちそうになった真人を引っ張り上げ、強い風に流される蒼い髪を押えながら由依は真人を安心させるやさしい表情で見つめていた。
そんな危なっかしい女の子を守らなきゃならないと、心に決めていた真人は再び立ちあがる。
「ちょっと油断しただけ。由依ちゃんはそこで待っていて。僕が決着をつける」
「でも……ううん、まかせる。でも、もしもダメになったらわたしの番」
「了解――いくよトラージェン、新技を使うときだ」
真人は全力で戦った…………はずだった。
***
結果として真人は敗れ、由依は真人の前に出ることになった。
「真人くんは下がって! わたしがこの子をどうにかする。しなくちゃいけないんだ! ……大丈夫。わたしは真人くんよりずっと強いから――だから安心してそこにいてね」
由依は歩き出した足を止めることなく、観覧車の上をその少女がいるところまで弾幕を避けながら順に飛び移ってゆく。
「……ぅ、待……って……」
真人は、咽喉や体中にダメージを受けてしまったせいで声が出せなかった。声を無理やり吐き出そうとじたばたしているだけで何もできない。由依の後ろ姿が手の届かないところへいくのを見ているだけ。
「わたしのことを守ってくれるのはすっごく嬉しいことだけど、知ってた? わたしにも秘密にしていたことがあるんだよ。嘘の得意な真人くんと同じでね、えへへ。
それは、これが終わって、みんなで帰った後に教えてあげる。
わたしが君と出会って思ったことと、伝えたい気持ちを。……だから、それまでわたしは消えたりなんかしないし、絶対にやられたりしない―――――――だから、信じて」
一度だけこちらを振り返ってそんなことを言う。自信たっぷりのどこか切なげな表情で。
その後に起きたことは、一生夢にでてきてしまうほど強烈に真人の網膜に焼き付いた。観覧車の上で自分に倒された由依は、敗者となってそこから落ちていく。その高さから落ちれば確実に死ぬ。敗者が投げ出されるように落ちていく様子を、真人はじっと見るしかなかった。
あのときほど自分の力が無力だと思ったことはない。
自分が何なのか分からない。
そう思いながら真人もそこで気力が尽きた。
真人やフィーネ、ツルギが目覚めたとき、すべては終わりを迎えていた。
保護者としてきていた真人の父らが異変に気付き、あの時間帯に同じような襲撃を受けていた保護者グループはてこずりながらも切り抜けてきたのだ。
真人の父の回復系の能力で直せないような大した傷もなく、みんなが起き上がると、その場にいなかった由依を全員で探した。しかし由依の姿はどこにも見つけることが出来なかった。
それから、約四年の月日が経過する。
世界はより平和に、より普通になっていく。
それは他の世界が平和でなくなっていく前触れのようだった。