第三十七話 その男、用心棒につき
ゴリラ凶魔に近づいてみると、こいつは風に抑えつけられながらも暴れまわっていた。辛うじて自由になっている頭部はせわしなく周囲を見渡し、身体は何とか拘束を外そうともがいている。
今下手に近づくと少し危ない気がする。噛みつかれたりしないだろうな?
「…………このまま暴れ疲れておとなしくなるまでどのくらいかかると思う?」
「……確実に私が拘束しきれなくなる方が早いわね。いいから倒すにしても助けるにしても早く!」
エプリに急かされて、改めてゴリラ凶魔の方を向く。背丈は以前の鬼と比べて低めだが、それでも二メートルはあるので当然魔石がある場所もやや高め。手を伸ばせば何とか届く場所だ。
だけど当然近づいた俺にゴリラ凶魔の視線がバッチリ集中する訳で、殺意のこもった視線が俺にグサグサと突き刺さる。……あんまりこっちを見ないでほしいんだけどな。
「…………待てよ?」
手を伸ばして、魔石に触れようとしたところで肝心なことに気が付いた。このままぶっこ抜いたとして、こんな深々と埋まっているものを摘出したら大量出血だ。それに、俺がここに跳ばされてきた時のように、これも取り出した後で何か発動して、また何処かに跳ばされたりしないだろうな?
念のためエプリにそのことを伝えると、それは多分大丈夫と彼女は言った。
「……まず出血についてだけど、魔石を摘出したらすぐに私の持っている道具で応急処置をする。傷口を塞ぐだけなら問題ないわ。それともう一つの方。私自身で見ていないから断言はできないけど、おそらく私達をここへ跳ばしたのは魔石に仕込まれたクラウンの空属性。だけどそういう術式は仕掛けるのに手間がかかるから、そうそう多く作れるとは思えない」
成程。むやみやたらに乱発は出来ない物だから、こんなところでまた仕込まれている可能性は低いってことか。……それを言ったらこんなところで凶魔化した人に出くわすのも大概可能性の低いことだと思うけど、今はそのことは置いておこう。
「よし。それじゃあ気合を入れてぶっこ抜くとしますか」
軽く自分の頬を叩き、なるべく刺激しないようにそっとゴリラ凶魔の胸元にある魔石に手を伸ばす。頼むからおとなしくしていてくれよ。
「グルアアア」
ゴリラ凶魔はこちらを明らかに威嚇している。頭部にある角を振り回して暴れているが、ギリギリ俺のところまでは届いていない。それでも危ないことに変わりはないので、なるべく下の方からそっと魔石に触れる。
身体から露出している部分はおよそ子供の握りこぶし程度。前の鬼の身体にあった魔石のサイズと同じだとすれば、まだ身体の中に半分以上埋まっている計算になる。俺はそのまましっかりと魔石を握りしめて全力で引っ張った。
「グルアアアァッ!!」
痛みを感じるのか、一層ゴリラ凶魔のもがきが激しくなった。考えてみれば当然だな。だけどもう少し我慢してくれよな。俺も負けじと更に力を込めて魔石を引っ張る。
よく見れば、ヌーボ(触手)も一緒になって引っ張ってくれている。ブチブチと音を立てて、魔石も少しずつだが身体から引き抜けつつあるようだ。これならいけるか? 俺はそう思っていた。
ビシッ。ビシッと、何かがひび割れる音が聞こえるまでは。
……ひび割れる音? まさか強く握りすぎて魔石が砕けたとか? そう考えて魔石を見るも、別段砕けた様子はない。ヌーボ(触手)が握ったところも問題ない。とすると一体何が……。
「……っ!? マズイ。すぐにそこから離れてっ!!」
俺がエプリの声に反応したのと、壁に入ったヒビが広がってゴリラ凶魔の右腕が自由になるのはほぼ同時だった。しまった! さっきからもがき続けてたのはこのためか!? 拘束が解けないからって、代わりに土台となっている壁を壊すなんて!?
何故か、自分を含めた周りの動きがとてもゆっくりに感じられた。
奴の右拳二つが俺に向かって迫ってくる。このままいくと一つは俺の顔面。もう一つは胸元辺りに直撃するコースだ。躱そうにも距離が近すぎて躱しきれない。
意図してかどうかは分からないが、俺が魔石を取ろうとしたことの意趣返しになっている。さっきは何とか耐えることが出来たが、今回はガードも何もない状態での直撃だ。まず間違いなく酷いことになる。
意識を周りに向けて見ると、ヌーボ(触手)は咄嗟に体を伸ばしてゴリラ凶魔の腕の一本を絡めとろうとしている。これが間に合うかどうかはギリギリ。間に合えば顔面の方は食い止められるかもしれない。エプリは風で俺を吹き飛ばして逃がそうとしているようだが、距離的な問題でほんのわずかに拳が直撃する方が早い。
…………刻一刻と近づいてくる拳。もう現実ではあと一秒。このゆっくりな体感時間でも十秒くらいで直撃するだろう。……あのパンチ痛そうだな。躱せないならせめて、なるべく痛くないように身体に力を入れる。そして、俺の胸元に拳が直撃する瞬間。
「…………悪いね。ちょいとゴメンな」
そんなどこか申し訳なそうな声が聞こえたと思ったら、俺の目の前に迫っていた拳の片方が突如として視界から消えた。どこへいったのかと目で探せば、それはすぐに見つかった。
床に転がっていたのだ。切断された状態で。
もう片方の拳はヌーボ(触手)によって絡めとられ、俺に直撃する直前で止められている。こっちはまだ理解できる。しかし、床に転がっている腕だけがどうにも分からない。
「……おわっ!?」
次の瞬間、俺は強い風に吹き飛ばされた。エプリの使っていたものだろう。彼女の所までゴロゴロと転がっていく。ヌーボ(触手)も俺に巻き付いたままなので巻き添えだ。……なんかすまない。
「っ~。もうちょっと優しく助けてくれると嬉しいんだけどな」
「…………咄嗟だったから贅沢言わない。……それに、私だけだったら間に合わなかった。間に合ったのはスライムと……あのヒトのおかげ」
「あの人?」
俺が改めてゴリラ凶魔の方を見ると、そこには一人の男が立っていた。
歳は二十歳くらいだろうか? 金髪碧眼で身長百七十半ば。どこか着物にも似た、空色を基調とした服を身に着けている。どことなく涼やかなイメージのある優男と言った感じだ。そのまま日本の町中をぶらついていても普通に留学生か何かで誤魔化せそうである。
……その腰に提げた二振りの刀さえ無ければ。だが、二本とも今は納刀されている。
「グァ。……グルアアアアアアッ」
ゴリラ凶魔は今の今まで、自分の腕が一本消えたことにも気づかなかったようだった。しかし、床に転がっている自分の腕と、自身の腕があった所から流れ出る血を見てようやくそのことに気が付いたらしく、今までで最大の咆哮をあげる。
それは痛みでと言うよりも、自らを傷つけたと思われる相手に対する圧倒的な怒りと殺意によるもののようだった。
「……あぁ。一応聞いておくけど、これアンタらの獲物か? なんかヤバそうだったから咄嗟に斬っちゃったけど、もしそういうことなら悪いことしたなぁと思って」
男はこちらに振り向いてそんな質問を投げかけてくる。俺は首をぶんぶんと横に振って違うと答える。というか後ろ後ろっ! ゴリラ凶魔が今にも殴り掛かってきそうなんだけどっ!
そして当然のごとく、ゴリラ凶魔は怒り狂って目の前の男に襲い掛かった。腕が一本無くなったとは言え、残る三本の腕のパワフルな攻撃と本体の頑丈な表皮は侮れない。……そのはずなのだけど。
「……よっ。とっ。あらよっと。いい加減止めとかないか?」
男はゴリラ凶魔の拳をこともなげに全て躱していった。まるで相手の攻撃のタイミングや軌道が全て読めているかのように、少しの無駄もなく紙一重で。おまけに、躱しながら軽くゴリラ凶魔のバランスを崩してよろめかせるなんてこともやっている。明らかに圧倒的な実力差がないと出来ないことだ。
「……さてと。どうやらアンタらの獲物でもないみたいだし、意思の疎通も出来ないただの凶魔となれば…………俺が仕留めちゃっても良いのかね?」
そう言って腰の刀に手をかける男の動きに俺はハッとした。
「ま、待ってください。その凶魔は元人間かもしれないんです!」
「…………へぇ」
俺の言葉に、男は少しだけ興味を持ったようだった。エプリは事態を静観しているようで動きはない。俺はさらに続ける。
「その胸元にある魔石をなるべく傷つけないように摘出できれば、もしかしたら元に戻せるかもしれないんです。だから……」
「だから? 俺に助けてほしいとでも言う気かい? 言っとくけどアンタらを助けたのは偶然だ。これ以上を望むのは虫が良い話じゃないか?」
男はニヤリと笑いながら訊ねる。無論そのやり取りの間も戦いながら。一人でゴリラ凶魔の注意を引きながら、全ての攻撃を回避し続けている。
「実際さっきは俺が割って入らなかったらヤバかったんじゃないの? そんな危険を冒してもコイツを助けたいのか? 特に知り合いでもなんでもなさそうなのに?」
俺はその言葉を聞いて一瞬考える。確かにそうだ。俺達にはその人を助ける理由はない。元々魔石をどうこうという話も、まともにダメージが与えられなさそうだからそこに至ったというだけの話だ。他に倒せる方法があったらおそらくそっちを取っただろう。
助ける義理はない。義務もない。正直このままこの人に倒してもらった方がよっぽど楽だ。無理に危険に顔を突っ込むこともない。なんだ。答えは簡単じゃないか。
「…………助けたいです。だって、目の前の人のピンチを見捨てて迎える明日よりも、助けて迎える明日の方が気持ちがいいに決まってるじゃないですか!!」
別に考えることでもなかった。俺は見も知らぬ誰かのためにやるんじゃない。自分のささやかな満足のためにやるんだ。何もしなかったらこのままで終わり。それなら助けられるか試してみてからの方が良いに決まってる。勿論死にたくはないので危険な行動はなるべく控えながらだけどな。
「…………成程。アンタ自分の考えや行動で周りの人を振り回すタイプだろう? うちのボスに似たタイプだ。ならば…………こうするしかないよなっ!!」
男はそう言うと、刀を握ってゴリラ凶魔の方に向き直った。
「何を……」
俺の言葉はそこで途切れた。何せ、男が刀を握って軽く身構えたと思ったら、チンっという音がしてそのまますぐに構えを解いた。俺に見えたのはたったそれだけ。
たったそれだけの間に、ゴリラ凶魔は胸から血を吹き出して仰向けに倒れこんだのだから。
…………何が起こったか分からず、俺は倒れこんだゴリラ凶魔に駆け寄る。すると、よく見れば胸元に埋まっていた魔石が無くなっていた。
「下手に長引かせるとマズそうだったんでね。勝手だが魔石の部分だけ断ち切らせてもらった。……急いで傷口を塞いだ方が良いんじゃないか? 本当に人に戻るのなら、放っといたら出血多量で死んじまうぜ?」
振り向くと、男は片手に血まみれの魔石を持ちながら俺にそう言った。返り血もほとんどなく、目にもとまらぬ早業で、この男は魔石を摘出して見せたのだ。
「貴方は……誰なんですか?」
あれだけ厄介だったゴリラ凶魔を瞬殺し、自分たちを助けてくれた謎の男に対して、俺は感謝やら警戒やらが色々まぜこぜになった声で質問する。
「そう言えばまだ名乗ってなかったな。俺はアシュ。アシュ・サード。流れの用心棒をやっている者だ」
男、アシュはうっかりしていたとばかりに額をポリポリと掻きながらそう名乗った。




