私と父
「にゃあ」
足元にしんちゃんがいて、心配そうに私を見上げていた。私の方へ手を伸ばして、抱っこしてくれと言わんばかりである。
まだ力の入らない腕でやっとの事で持ち上げた。
「しんちゃん、怖かったよ」
頭を撫でてやると、目を細め微笑んでいるように見えた。
温もりが腕から身体中に広がっていく。だんだんと震えが止まって力が入るようになる。
「帰ろう」
もう外で散歩なんて気分ではなくなってしまった。
家でゆっくりしたい、父はあんなだけど気にしない。
なんだか変な一日だと思う。
朝から家はひどい状況、外へ出ても怖い思いをして。
まだどこかから見られているような感覚があった、
あの男の子の姿はもうないというのに。
公園から離れないといけない。先ほど男の子がいた場所はまだ見えるほど近い。思い出すとまた鳥肌が立った。
しんちゃんが低い声で唸る、早く離れようとでも言うように。
その声に従い、私は逃げるようにその場から離れた。
家に帰ると、父の姿はないものの部屋は散らかりっぱなし。集中力が切れて一度眠りにでも入ったのだろうか。私には手がつけられないので放置するしかない。もしかすると、自室にこもって違う調べ物でもしているのかもしれない。これで何かに決着がつけば出てくるが、いつまでこの状態が続くかは定かでない。以前、長い時は一ヶ月程このままの状態の時があった。
父はそういう人なのである。
仕事にのめり込んで周りが見えなくなる。
どんな仕事なのか私には見当もつかない。
紙面の編集らしいが、その記事を見たことはないし、調べている内容からして一般的なものではないだろうし。
呆れてものも言えない。
父の様子を見る気にもならず、自室に戻りベッドに座り込んだ。この部屋に帰ってきて一年くらい、最初は綺麗だったこの部屋もなんだか乱雑としてきている。
自分も父と同じ才能があるのかもしれない、そう思えて心が重い。
それでも父は不思議と博識で、ちゃんと仕事をしているように見える。一途にデスクに向かい、とても悩みながら何かを調べ続けている。
父なら、先ほどの男の子の事、何か知識があるかもしれない。解決してくれるかもしれない。
しかし、今の父の状態ではそれも叶わない。
私に何かできれば良いのに、そう思う反面あの恐怖をもう二度と味わいたくないとも思う。
私は無力で我儘で、偽善者だ。
そう思えてきて自己嫌悪に陥る。
とても疲れた、何か重いものがまとわりつくようなだるさがある。しんちゃんも疲れたようで、私の腕の中で眠っていた。
今日は彼のせいでこんな目にあったが、助けてくれたのも彼だった。一体どうしてこんな目に。
昔からよくないことが起きやすい方だった。
持ち物がなくなったり、壊れたり、大切な出来事の日には天気が悪かったり。何気ないこと、心の持ちようなのかもしれないけれど。私は自分を不運な子だと思っているのだ。
就職しても失敗だった。それは、今でも治ってはいない。そう思ってしまうから。
小さな頃、よくお母さんがいないという事を卑下された。それが嫌だった。この考え方はそこから始まったように思える。不憫な子、そう言われることに嫌気がさして。
寂しさを感じないことはなかったが、どうしようもない父でも、一緒にいた日々は大切なものだ。他人に蔑まれる事ではない。
ベッドに横になると、身体と意識が沈み込んでいくように感じた。
このまま眠りに落ちるだろう。
楽しい夢が見たい、そう願いながら。