我が家の光る猫
小さな男の子と小さな猫。
真っ暗な中にその二つが浮かんで見える。
見つめ合っているのか睨み合っているのか、どちらにも見えた。
しばらくその状態が続き、実は笑いあっているのだと認識した次の瞬間には消えてしまった。
血のような赤、いきなり広がったその色に全てがかき消されたのだ。
◎
朝日のまぶしさに目が覚めた。カーテンは閉めたはずなのに何故か全開で、容赦ない光が部屋全体を明るくしていた。
なんだか夢を見た気がするのに覚えていない。今眠れば続きが見れるかもしれないのに。
どうにももう一眠りしたくて、顔にかかる光だけでも避けようと手近なカーテンを少しだけずらした。
ベッドの横に窓があるとこれが困る。
朝日が眩しい、夏こそ涼しいが冬は寒い。長年住んでいてもなれるとかなれないとかの問題ではない。
窓側を背にするようにしてもう一度瞼を閉じる。しかし何かがまたカーテンを開けた音がして、振り返るとやはり開いている。
そこには後光の指している一匹の猫がいた。
「しんちゃん、眩しい……」
容赦なく私に襲いかかってきて、寝かすつもりはないと言ってきた。
仕方なく起き上がり時計を見ると十一時過ぎ。もう少し寝ていてもいいではないか。どうせすることもないのだから。
腕の中で暴れているしんちゃんは、どうにも不機嫌だった。お腹でも空いているのか。
このままでは眠ることは許さない、そんな目で見つめられリビングに向かった。
部屋は物取りが入ったかのような有様。
テレビとソファ、父用のデスクと本棚、食卓しかない部屋なのに、誰がこんなにモノを持ち込んだのかといった散らかりよう。
紙が散らかり、そこら中に本やよくわからない人形、壺、植物など盛りだくさんであった。
私にはわからない文字の列、漢字ばかりのもの、みみずみたいなもの。昔からよく見た光景だった。
こうなると、部屋のはじの方にいつも父が正座していた。
仕事の行き詰まった時、もう少しで何がわかる時、新しい何かを考える時。そんなことを言い訳に、関係していそうなものを全部広げていっしょくたにする。悪い癖だ。
よく手を出しては、場所を動かすなだの、それは触るなだの。怒られて泣いた記憶がある。こればっかりは声を荒げて怒るのが父だった。
テストで悪い点を取っても、私の作ったご飯が美味しくなくても、怒る人ではないのに。家に置いてある仕事関係のものに触れるといけない。我が家のルールだ。
その為か、父の書斎と物置には鍵がついている。
家の半分が父のスペースになっているほどだ。
足元にいたしんちゃんはくるくると回っていて、これが伝えたかったことなのだと思った。
「今回はまたひどいね。一体何してるの?」
父に問うても返事がない。何やら考え込んでいるようでぶつぶつ言葉を発しているようだ。どんな言葉なのか聞き取ることはできない。
「しんちゃん、こうなってしまってはどうにもできないよ。私は寝るね」
部屋に戻ろうとすると、それを阻むようにパジャマのズボンを噛んできた。
この状況でしんちゃんが走り回りでもしたら、父の仕事関係のものに被害が出そうだ。猫が暴れ、父も暴れ、寝るどころではない。
「もうなんなの、ご飯?」
答えは間違っていたようで、しんちゃんは廊下へと走っていく。
仕方なくついていくと、玄関の前でおすわりしていた。どうやら外に行きたいらしい。
しんちゃんは外に出るのが大好きでいつもこうして連れて行ってもらえるのを待っている。父は外へ出ないし、私が行くしかないから起こしに来たのだろう。
なんとも変わった猫なのである。
寝ることを諦め着替えに戻ると、しんちゃんが何かを咥えていた。受け取ってみると、それは首輪だった。
ぼろになっていたものを父が手直ししたようで、小綺麗になっていた。
汚れていて気がつかなかったが深い赤色で、変な形のチャームが付いていた。十字架のような形の不恰好なものだ。
なんとも器用な父である、全部手作りに見えた。
つけてやるとくすぐったそうに首をかき、なんだか喜んで見えた。
こういう姿を見るとどうにも可愛らしく見えて。いやいや起こされたけれど、散歩ぐらい行ってあげようという気にもなる。
何やら不穏な空気の父は置いて外に遊びに行こう。
相変わらずお金がないので財布は置いて、私はしんちゃんと家を出た。
この猫は好奇心旺盛で、そして食いしん坊。
人が多いところに出向いて行ってはおねだりして何かもらってきたり、味しそうな匂いがするところへ走って行って食べ物のあまりをもらってきたり。基本食べ物関係が多い。
そして時々、何もいない、誰もいない場所でじっとしている。ぼうっとしているようだし、何かと話しているようにも見えるし。
ただ、目を離すとすぐにいなくなる。これには手を焼いていて、連れ帰るのは一苦労。困ったちゃんなのである。
今日は天気も良く、秋の風が心地よい。
十月に入り、気候はいよいよ秋本番。色めく木の葉に冷たい風が、散歩に出た私を迎えた。
しんちゃんは家を飛び出した後、すぐに見失ってしまい、現在かくれんぼ中。
私はいつも鬼で、いなくなる彼を夕刻までに探して帰らなければならない。でも大抵、公園に行くと彼はいる。夕方の迎えに行かなければならない時間には。
今日は先回りしてやろう。そう思い公園に向かった。
公園には子連れの親子がいて、微笑ましく遊んでいる。お父さんと息子さんがキャッチボール、お母さんが赤子を抱いてそれを眺めている。
これがいわゆる幸せな家庭なのだろう、そう感じさせるものだった。
記憶のない母も、あんな風に私を抱いてくれたのだろうかと。意味もなく思った。
なぜだか近づきにくくて、二つ続きにあるベンチの先客の隣には座れそうになかった。
帰るにも、しんちゃんをほったらかしにしている気がして申し訳なく、いつも彼が私を待っている場所に座り込むことにした。
しんちゃんを拾った時に、何度も隠れてしまった場所。公園を囲むようにある手入れのされていない雑草たち、その一画。
ススキが揺れ、名もわからない紫のような赤のような花が咲いていた。地べたに座るのもあれだが、今日くらいはいいだろう。砂に汚れても、父に洗濯してもらおう。
座り込んで見たものの、特にすることもない。
心地よい温度で眠くはなるが、さすがに横になることはできない。仕方なく携帯で遊び始めたが、どうにも不審者か家出人。怪しい大人だ。
これならどこか歩いている方がましだろうか。
待ち人は現れず、夕方まで後五時間ほど座っているわけにもいかず。
退屈だった。
何かしたいと、思えなくなっていた私にはいい変化なのだと思う。
何もしたくない、ベッドから出たくない、部屋から出たくない。なんとか独り立ちして勤めたインターネット関係の仕事。私はただ末端の末端の作業しかしてなかったけど、まだまだこれからと頑張ろうとしていたのに。
違法サイトの運営、詐欺、倒産。
いわゆる私のようなよくわからない新人に作業を分配し、上の人たちがもっとよくわからない何かをしている。そんな会社だった。まさか悪いことをしているとは露とも思わなかった。
私のような末端も、何人かはやっていることを理解してもっと重要な作業を割り当てられていたらしい。
私と数名のみが全く感知しておらず、ただ作業をしていた。
仕事ができなくてよかった、そう警察の人に言われた。その言葉は深く刺さり、鈍く痛みを放っていた。
家に引きこもって、真っ暗な生活だった。
それが最近は外に出て、日に当たる毎日。
私を翻弄し、弄ぶ悪い黒猫は、実は後ろから太陽が照らしているような公園を運ぶ猫なのかもしれない。
なんとなくそんな気がした。
そうだったらいいのにと、思うばかりだった。