電話の後で…
電話を切ってから、しばらく、私の思考は停止したままだった。実際には数分っだたのかもしれないが、私には時間が止まっているように感じた。
確かに時を刻んでいる時計の音も、花の香りを運ぶ春風さえも今の私には鬱陶しく感じた。私の頭には一つの考え、ただそれだけが、ぐるぐると行き来しては蝕んでいった。
人にとってはくだらない事実でも、それがどんなに小さなきっかけであっても、ある人を苦しめ続けることがある。幸せだった時は一日でも、一分でも長く生きたいと思ったもんだったが、今は違った。この先ずっと胸の痛みを抱いて生きていくことは、私にはできない。
「もう何もかも、嫌だ…。」
これから先、彼のことを忘れる日が訪れるのだろうか。何も手につかず、何も喉が通らず、呼吸は浅いままで、私はこの先何日生きていくのだろうか。
「…死にたい。」
とうとう感情が爆発した私の手には一本のカッターナイフが握られている。ゆっくりと腕を捲り上げる。部屋には、カチカチ、という刃を出す音が静寂を切り裂く。右手に握られたそれを徐に左腕へと近づけていく。一センチ、一センチと近づくにつれ、私の呼吸はどんどんと速くなり、枯れきったはずの涙が頬をつたう。刃は冷たかった。力を込めて押し付けると鮮血がボタボタと床やカッターを汚した。
「…痛い。」
痛みが増すにつれて、私の意識も遠くなっていった。目には白い世界に赤色が映っている。まるで独り雪の中にいるような気分だった。
「もう、だめ…。」
赤く染まったカッターナイフを握り締めたまま、私はその場に倒れた。徐々に消えていく意識の中で思い出せるものは、彼の笑顔だけだった。