姫君は朝からワガママ
2014/08/12 大幅改稿
異世界の朝は聖なる鐘の音から始まる。
畏怖と畏敬を呼び起こすような清らかな音色に起こされたわたしは、大きなあくびをかましながらベッドから起き上がった。
ぱちりと目を開くと、ベッドのむこうで横一列に整列したお世話係の神官たちと目があった。
思わず悲鳴をあげそうになった口を間一髪で閉じる。
まったく朝から心臓に悪い……!
無表情でつっ立ってるとか、ホラーかっつーの。
しかも、絶対、わたしがあくびしてるの見られたし。
わたし、あの時手で口をふさいでなかったのに。やっばい、恥ずかしすぎるって。
「……」
「……」
……気まずい。
わたしは、この得も言えぬ沈黙を打破すべく、大げさに咳払いをひとつ、そしてぎこちなく笑いかけた。
「おっ……おはようございます」
「…………」
返事は言葉ではなく、ゴミムシを見るような視線だった。
うわあ、起床早々、心折れそうなんだけども……。
とはいえ、そんなことをいちいち気にかけるようじゃ美優の幼なじみなんてやってられない。
わたしは気持ちを入れ替え、彼らから目をそらすと、未だ夢の国にいるらしい美優の肩をゆすった。
「美優ー、おきろー。朝だよー」
だめだ、ぴくりともしない。
荘厳な鐘の音は未だ鳴り続いているって言うのに、それでも起きないとは、コイツはいったいどんな神経してるんだ。
「美優ー、おきてってばー。……おいコラ、おきろ」
べちん!と両手で美優の頬を挟む(というか叩く)と、同時にギャラリーたる神官たちから非難めいた悲鳴が漏れた。
「なんてことを……!」
「至高の方たる姫君に暴虐をはたらくなんて!!」
……だって、こうでもしないと、美優、起きないし。
心の中でもごもご言い訳してみるも、もはやすべて後の祭り。
姫君の信奉者たる神官たちはわたしを憎悪の視線で射抜いてくる。
その一方で、美優はやっと目を覚ました。
あーとかうーとか唸りながら、長い睫毛に縁取られた目をそっと開く。
「うーん……雪ちゃぁん、おはよぉ」
「……おはよ」
美優の邪気のない微笑みを受け止めながら、わたしは複雑な気持ちになるのだった。
その後、お世話係の神官たちは手早く美優をドレスに着替えさせた。
一点の曇りもない白地に銀で刺繍がほどこされた華奢なそれは美優によく似合う。
わたしは神官たちとともに感嘆のため息を漏らした。
性格に難ありの美優だけど、やっぱり美少女なんだよなあ……黙ってさえいれば。
「とてもよくお似合いですわ」
「本当に。まるで天使のよう!」
「輝かんばかりの美しさですこと」
神官たちは美優を鏡の前に立たせ、口々にほめたたえる。
しかし、当の美優は不満そうに唇を尖らせていた。
「この格好イヤ。動きにくいよぉ」
なんつーワガママ娘だ。
わたしは呆れて、美優のまろい額にデコピンを一発お見舞いした。
ふたたび悲鳴。
ううう、突き刺さる視線が痛い……!
「ワガママ言って神官さんたちを困らせないの!」
「うう……だってぇ、」
「“だって”じゃない。そのドレス美優によく似合ってるし、文句言っちゃダメ!」
「えっ、本当!? 似合ってる!?」
「ホントホント。本物のお姫様みたい」
おざなりに、しかし本心から感想を述べると、美優はたちまち笑顔を咲かせた。
「えへへ。なら、これでいいや~」
う、ん?
よくわからないけれど、美優のご機嫌は直ったらしい。
美優の気を損ねて青ざめていた神官たちも胸をなでおろしたようだし、まずは一安心だ。
あとは、美優の気が変わらないうちに大聖堂に向かってもらおう。
「これから朝祷なんでしょ。遅刻しないように早く行きな」
「ええぇー……」
美優の顔色が曇る。
ここ数日で分かったことだけど、どうやら美優は『姫君』としてのお役目が好きではないらしい。
「お祈り長いし暇だしつまらないよぅ。ねえ、雪ちゃんも一緒に行こ?」
「あんたは馬鹿か……」
わたしは頭を抱えた。
そりゃあお祈りなんだから楽しいわけないでしょうが!!
でも、だからって、その愚痴を神官たちの前で言うなんて配慮が無さ過ぎる。
彼女たちは心の底からこの世界の神とやらを信じている。
そんな人たちの前で、朝祷の時間に文句をつけるのは、彼女たちの神を侮辱しているのと一緒だというのに!
「……美優、あんたは『運命の姫君』でしょ。世界を救うお姫様が、朝祷のひとつやふたつでぐずぐず言っててどうするの」
「でも、」
「“でも”もダメ。いいからさっさと行きなさい。――……みんな美優を待ってる」
沈黙が落ちる。
美優はしばらくうつむいていた。
一瞬、泣くのかと心配したけれど、顔を上げた美優は泣いてはいなかった。ただし、ふくれっ面だった。
「仕方ないなあ、わかったよう、行くよぅ!」
ふてくされきって宣言した美優は、わたしにあっかんべーして踵を返した。
ガキじゃあるまいし……とわたしは呆れるばかりだ。
しかし、出たくもない朝祷に嫌々参加させられる幼なじみを不憫に思う気持ちもあったので、わたしは遠ざかりつつある華奢な背中に声をかけた。
「美優」
美優の動きがぴたりととまる。
「なにっ!!」
……チワワが吠えた。
やっぱり声をかけなければよかったとも思ったけれど、今さらなんでもないと突き放すのも大人げないので、とりあえず用意していた言葉を伝えた。
「美優のお役目が終わったら、一緒にのんびりしよう。なんでも聞いてあげるから」
要は、思う存分愚痴を聞いてやろうというわけだ。
あのバカが含むところを理解できたかどうかは定かではないけれど、「絶対だよ!」という返事が妙に明るく力強かったので、ご褒美としては十分だと考えていいよね。
なにはともあれ、ひとまずこれで美優の機嫌が持ち直した。
わたしは疲れきってため息をつくのだった。