閃く刃は現状理解を運ぶ
剣と魔法が息づく異世界フォルスタシア。
この世界は今、【闇】に侵されつつある。
【闇】は瘴気のようなもので、地を枯らし人を蝕む。
人びとはそれを散らし、進行の速度を緩慢にすることはできるけれど、完全に滅することはできない。
滅することができるとしたら、それはただ一人、いにしえの予言に謳われた異界の娘『運命の姫君』のみ。
終わらない【闇】の侵攻に限界を感じたリエナさんたちは、藁にもすがる思いで予言を実行に移すことにしたらしい。
すなわち、召喚。
召喚は何百人もの神官を総動員させて挑む大がかりな術だ。莫大な力が必要な上、稀少な天文条件も関わってくるから失敗は許されない。機会は一度きり、たとえ術が完成しても、本当に運命の姫君が召喚されるのかは定かではない。
まさに一か八かの賭け。しかし、もうそれしか現状を打破する策はない。
これが失敗したら世界は滅ぶよりほかにない。
リエナさんをはじめとした神官たちはそれほどの決意を胸に儀式に臨み――……
わたしと美優が召喚された。
「まさか二人も召喚されるとは思ってもいませんでした」
運命の姫君はただ一人。
それに対して召喚されたのはわたしと美優の二人。
つまり、どちらかが予言の姫で、もう一人はその召喚に巻き込まれたのだろうとリエナさんは言う。
術式は対象を取り囲むようにして発動するから、その範囲内にいる者は対象であるなしに関わらず強制的に術に巻き込まれてしまうのだとか。
そういうことなら、わたしが召喚されたのにも納得がいく。
美優に巻き込まれるのはわたしの性だ。おおかた、今回もそういうことなんだろう。
その根拠に、エレナさんはわたしを困った顔でに見上げているし。
心の声をアテレコするなら「どうしてお前がここにいる」ってところかな。
元の世界でもこの世界でも、美優の親友という一大脇役に向けられる感情は変わらないらしい。
しかしまあ、美優のヒロイン能力は、イケメンホイホイに留まらずファンタジーにも及ぶのか。
どうせこっちでもイケメンの心をわしづかみにして、あれよあれよという間に逆ハーレムを形成するんだろうな。
エレナさんなんて、すでに美優を見る目がやばいし。恋情通り越して崇拝って感じだ。
美優が命じたら靴にキスだって厭わなそう……いや、とっくにキスしてたか。しかも恍惚然とした表情で。あれはヤバかった。慣習なのか敬意の表現なのかは知らないけれど、日本の常識という物差ししか知らないわたしビジョンだと完全に変態だった。
変態の神官って宗教的にどうなんだろう。
しょっぱい気持ちでエレナさんを見ると、彼は何を勘違いしたのか包容力のある笑みを向けてきた。
「この不測の事態も、きっと神の思し召し。貴女の身柄は私が保証しましょう。この神殿でごゆるりとお過ごしください」
要するに、巻き込んだ責任はとってやるよってことなのかな?
さっきの視線や話の流れから、てっきり邪魔者としてぞんざいな扱いを受けると思っていたので嬉しい誤算だ。安全が保障されて衣食住が提供されるなんて幸先がいい。
わたしは心からの感謝をエレナさんに伝えようと口を開いたけれど、「ありがとうございます」の“ざ”を発音したところで、わたしの声は階段下に控えている神官たちのざわめきにかき消された。
召喚が成功したと分かったときの歓喜の声とは違い、困惑の響きがある。
いったいどうしたんだろう。
不思議に思って階段下に視線をやると、白一色の神官たちの中に一点だけ混ざった青が早足でこちらに向かってきているのが見えた。
さきほどまではなかった色だ。遠くの扉がいつの間にか開いていたから、そこから入ってきたのだと思う。
「セイカ……なぜここに……」
足元でリエナさんが呟く。
その目はセイカと呼んだ青い人を捉えて離さず、眉を寄せて青い顔をしていた。
セイカさんがこちらに来ることで、なにか都合の悪いことでもあるんだろうか。
「エレナ、これはいったいどういうことだ?」
とうとう階段を登り切り、わたしたちの前までやってきたセイカさんの第一声がそれだった。
声は硬く平坦で、聞いているだけで恐ろしさに身体がすくむ。
怖がりの美優なんてその反応が顕著で、びくりと身体を震わせた次の瞬間にはわたしの腕にしがみついていた。余程怖いのか、腕に加えられる力は強い。強すぎて痛い。骨がみしみしと嫌な音を立てている。
いったいあの華奢な身体のどこに、こんなに強い力があるっていうんだろう。
ちょっとは加減を覚えろ、加減を!!
歯を食いしばって痛みに耐える中、セイカさんへの恐怖が美優への怒りに上書きされていく。
ヒロインパワーへの親和性が低いわたしの脳みそをも美優色に汚染するとは美少女おそるべし……!
先ほどまでとは違う意味で慄くわたし。
一方のセイカさんは、わたしと美優を一瞥して青い目を細めた。
なんかいやーな感じ。
美優も同じ思いなのか、わたしの腕をホールドする力を強めた――痛い痛い痛い折れるまじで!!
脂汗を流しながら足を踏んで批難するけれど応答はなし。痛覚大丈夫かコイツ。ついに神経までバカになったの? そうなの??
ぎょっとして美優を見ると、ほへーと緊張感がゼロ突き抜けてマイナスな笑みが返ってきた。
……なんかもうつっこみたくない。
わたしは無言で目をそらした。
「異界の娘が二人、か。余計なものが一匹紛れ込んだようだな」
余計なもの、と言いながらばっちりわたしを見据えるセイカさん。
姫君と呼ばれ跪かれた美優の傍ら、もはや人以下の存在としてみなされるわたし。
美優の付属品としての扱いにはもう慣れたけど、人外認定されたのはこれが初めてです。
真正面から喧嘩を売られた気分だ。いい度胸だなこのやろう。
ぐっと握った拳をぷるぷるさせながら心もち鋭い視線でセイカさんを射抜けば、彼はぬけるように青い目にはじめて感情らしきものを浮かべた。
直後に彼の口からこぼれ出たのは「哀れな」という短い言葉。もちろんわたしに対しての感想だ。
え、なんで初対面の人に哀れまれてるんだろうわたし?
首を傾げる暇もなく、彼は次の言葉を発する。
「案ずるな、すぐに楽にしてやる。とこしえの眠りを以て我が聖寵としよう」
なんかえらく仰々しい言葉が並べられたよ、と思った次の瞬間、形容しがたい金属音とともにわたしの視界に銀色の輝きがひとすじ閃いた。
早すぎて何が何だかわからん。これはスロー再生の必要を感じるな。――などと考えながらぬぼーっとつっ立つわたしの隣で美優が悲鳴を上げ、エレナさんが目を丸くする。
「セイカ!」
懇願と怒り、二つの感情で形成された大音声が鼓膜を震わせる。
同時に銀色の閃きがわたしの顔面すれすれを通り過ぎてぴたりと動きを止めた。
静止したそれは、なんと剣の刃だった。日本刀みたいな細身の剣がわたしの左肩の上でぴくりともせずに存在を主張している。
なんて時代錯誤なブツをもってやがるんだこの人!
あまりに現実離れした光景に唖然として声も出ない。
不思議と恐怖は感じない。たぶん、悠長に死を感じることさえかなわない一瞬の出来事だったからだとう思う。
すべてがあんまりにも突然過ぎて、わたしの頭ができるのはフリーズすることくらいだった。
「セイカ、あなたともあろう方がいったい何をやっているのです! 一刻も早くその剣を仕舞いなさい!!」
顔を青くしたエレナさんがきつい口調で告げる。
しかしセイカさんはわずかに眉を動かしただけで聞こうとしない。
……刃、当たってるんですけど。当てられてるんですけど、わたし。
硬い感触が確かな質量と現実味を持って肩にあたり、体中の毛穴という毛穴から冷たい汗がどっと噴き出す。
弱冠十六歳にして死出の旅にでるなんて冗談じゃないぞ。
「いい加減になさい、戯れが過ぎますよ!」
キン!
金属音が響く。
わたしの頬を一陣の風がかすると同時に、肩の上で存在を主張していた剣が離れていった。
エレナさんが手にした錫杖を下から薙ぐようにして、剣を退けてくれたようだった。
ひとまず命の危機が去ったことにほっと息をつく。
ありがとうエレナさん、あなたは変態は変態でも慈悲深い変態なんですね……!
いざ五体倒置せんとばかりに感謝の視線を向ける先で、彼はシャンプーのCMさながらにサラサラの銀髪をかき上げ、若干ヒステリー気味に声を荒らげた。
「聖域に血の穢れをふりまくなど、言語道断です!」
感謝の念を返せド変態!
わたしは汚物か、汚物なのか。もはや生物カテゴリにも入らないのかちくしょう。
「雪ちゃんの血は汚れじゃないもん! どっちかっていうとカビキラーだもん!!」
ヒステリーにはヒステリーを。
微妙なポイントが琴線に触れたらしい美優が、美貌の神官に対抗して声を高くする。
庇ってくれるのは嬉しいけどさ……わたしの血液がカビキラーってどういうこと……?
たとえが複雑すぎるっつーの。
もはや庇っているのか遠回しに貶しているのかわからん。
あー……。なんか、一気にシリアスがぶっ飛んだ感じ。
拍子抜けするやら脱力するやらで、わたしは深々とため息を吐きだした。
その、苦い吐息が誰かと重なる。
ん? と思って吐息の主を見れば、なんとセイカさんじゃないか。
彼はわたしと目が合うといささか不愉快そうに顔をしかめた。失礼な奴め。しばくぞコラ。
そんな思いを知ってか知らずか、ガラス玉もかくやの澄んだ瞳はわたしを真っ直ぐ射抜く。
刹那、身体を支配したのはまぎれもない恐怖。
思わず身をすくめると、乾いた笑いが頭上に降りかかった。
「俺が恐ろしいか」
当然のことを聞くなバカ。殺されかけたら誰だって怖いにきまってる。
心の中で叫ぶ。くちびるはかたく結んでいるから声にはならない。――否、できない。
そんなわたしを嘲るように、セイカさんはなお笑う。
「不憫な娘だ。今ここで死ぬほうがよほど幸せだったものを」
哀れの次は不憫か。
……今、ちょっとイラってしたよ、わたし。
勝手に異世界つれこまれて、例の如く邪魔者扱いされて、挙句の果てに死ねばよかった、なんて。
それってあんまりじゃない?
こたえをくれる相手はいない。
美優は未だわたしを庇って(いるつもりで)きゃんきゃん吠えているし、セイカさんはその足元に跪いてうっとりしているし、セイカさんにいたっては、もう用はないとばかりに踵を返して階段を降りてゆく。
三者三様の一方通行を目の当たりにしたわたしはこめかみに指をあてて呻いた。
「うわあ……まじかあ……」
なにこの地獄絵図。
眼下で頭を垂れて呪詛げふごふ祈りをささげてる神官さんたちがまたいい味出してるっていうか、ぶっちゃけシュールなんですけど。
なにこの怪しさ全開の新興宗教のノリ。
美優のバカの逆ハーはついに宗教にまで進出拡大しちゃうの?
次の逆ハーの舞台が不審な宗教の本山とか笑えないんだけど。
このままだと邪魔者は狂信者に死ぬほど異端審問される羽目になりそうだ。いや、ガチで。
わたしはフラグが建ちまくっているのを感じた。
フラグはフラグでも、美優の十八番たる恋愛フラグみたいに甘っちょろいモノじゃない。絶望とどん詰まりのトドメ色をした死亡フラグだ。
――どう考えても死ぬよね、これ。
わたしは頭を抱えた。