落下する死亡フラグ
会長が現れたのを皮切りに、執行部に喧騒が生まれた。
「なんでお前が美優を追いかけてここに来るんだよ!?」
ショック状態から回復した不良くんが、先ほどとは違った意味で顔を真っ赤にして叫ぶ。
男の嫉妬は醜いよ……っていうか、まず腕の中の美優を離すべきだと思う。
「わざわざお前に言う必要はないと思うけど。そんなことより、これはなんだ? お前がやったのか、乾」
「オレじゃねーよ!」
「いやお前のせいだろ」
間髪いれずに部長さんが突っ込む。
天敵の冷ややかな視線を受け、不良くんは一瞬言葉に詰まる。
「そりゃ、たしかにきっかけを作ったのはオレだけど、もとはといえば美優が……というか、そこにいる女のせいで!」
不良くんの相手を射殺さんばかりの殺人光線がわたしに突き刺さる。
思わぬ飛び火を喰らってわたしは目をしばたかせた。
「え、わたしのせいですか」
「お前が俺に扉を閉めろなんて言わなければ、こんなことにはならなかっただろ!」
なるほどそれも一理ある。
しかし、わたしが彼にお願いをしなかったところで、アホの美優が扉のところでコケる確率はほぼ100パーセントなわけだから、結果的にダンボールにダイブして今と同じ状況をつくっていたと思うんだけどなあ。
……なんてぼんやり考えていたら、援護射撃は思わぬところから湧いて出た。
「乾くん、最悪!! どうしてあたしの雪ちゃんにそんなひどいこと言うの!?」
パン!
乾いた音が部室を支配する。
美優が不良くんの頬を打ったのだ。
不良くんは驚愕に満ちた表情で美優を見つめた。その左頬は真っ赤に腫れている。
美優、もうちょっと手加減して叩いてあげたらどうなんだ。
意中の相手に平手を食らった不良くんに同情を禁じ得ない。
「たしかに転んだのはあたしだけどっ! でも、そのあとにダンボールを倒したのは乾くんじゃん!! なのにそれをあたしのせいにするならともかく、雪ちゃんに責任転換するなんて最低! あたし、そういう人って大っきらい!!」
「さいてい……? だいっきらい……?」
乾くんはもう瀕死だ。
物理的なダメージよりも心理的なダメージのほうが大きいと見える。
わたしのせいでごめんなさい、と心の中で合掌する。
ていうか美優、責任転換じゃなくて責任転嫁だからね。
これ、前にも三回くらい教えたはずなんだけどな……。
間違える気持ちも分かるけれど、そろそろ学習してほしい。
わたしは眉間に寄ったしわをほぐしつつ、いつになく真剣な表情で怒りをあらわにする美優の前に立つ。
「美優、もういいよ」
「雪ちゃん……」
「かばってくれてありがと。でも、もう大丈夫だから」
美優はわたしの顔を見ると、とたんに顔をくしゃりと歪めて抱きついてきた。
少しして、くぐもった嗚咽の音が肩のあたりから聞こえた。どうやら泣いているらしい。
わたしはあせった。ここで泣かれた困る。
「美優、泣かないで。つーか泣くな。もう高校生でしょ、ばか」
ぽんぽんと背中をやさしく叩いてみるも、美優の嗚咽はとまらない。
わたしは恐る恐る顔を上げて周りを見回した。
不良くん……はまだ石化してるからいいとして、部長さんと会長の目が怖い。
会長は絶対零度の冷ややかな眼差しをこちらに向けているし、部長さんは部長さんで怒りに滾った視線でわたしを突き刺してくる。
てめえ、いつまでくっついてんだよ。
幼なじみの分際でなに美優泣かせてんだよ。
そんな幻聴が聞こえてくるようだった。
男の嫉妬は……醜いと思う……!
嫉妬よくない!!
「と、とりあえず外に出ようか。もうすぐ昼休み終わっちゃうし」
男二人の殺意と嫉妬が入り乱れた恨めしい視線に耐えきれなくなったわたしは、がっちり抱きついたまま離れようとしない美優の身体を引きずるようにして部室をあとにした。
ずびずび。美優がわたしの制服に鼻をこすりつける。やめろバカチワワ、汚いだろーが。
この制服、クリーニングしなきゃダメかもなあ……。
頭痛の種がまたひとつ増えた瞬間だった。
「ほら、ハンカチ貸してあげるから。早く涙ふいて。鼻水も」
「ううう、ありがどう雪ぢゃあああん!」
「さらに泣いてどうすんのよ……」
まったく、もう子どもじゃないんだからしっかりしてよ。
わたしはほとほと呆れて美優を見た。
やっとのことで引っぺがした美優は、未だ目と鼻を真っ赤にしてぐずぐず泣いている。
「あれ、美優ちゃん……?」
教室に帰る途中で、再び学年主席くんと遭遇した。
彼はぼんやりした眼で泣いている美優を見、次いでその隣で美優をなだめるわたしを見、もう一度美優に視線を戻すと、めずらしくポーカーフェイスを少しだけ崩した。
猫みたいな目に非難の色を宿し、わたしを一瞥する。
「笹原さん。泣かせるのはよくないと思う」
「いや、わたしのせいじゃないから」
どうして美優に惚れてる男どもはみんなこぞってわたしを悪者にしたがるのだろう。
はたしてわたしは彼らの目にどんな人間として映っているのだろうか。
まったく、頭が痛い……。
「おーい、ミーユーウー!!!」
ずきずきと痛むこめかみを押さえていると、頭の上から晴れやかな声が降ってきた。
屋上庭園に誰かがいるようだ。園芸部の部Tシャツならぬ部エプロンをつけ、鉢植えを抱き抱えた恰好でフェンスから身を乗り出し、こちらをうかがっている。
太陽よりも明るい金髪がさらさら風になびいてとてもきれいだ。
髪色から、あの先輩は美優に首ったっけの帰国子女のイケメンだろうと見当をつける。
これで五人目、イケメンコンプリートだ。
本当に今日はイケメンとのエンカウント率が高い。
なにか悪いことの予兆かなあと真剣に考えてしまうじゃないか。
「ルイスせんぱーい!! こんにちはー!!」
美優が手をぶんぶん振りながら先輩の真下へと駆けていく。
すると、先輩も嬉しそうに両手をぶんぶん振って美優に応えて――って、両手をぶんぶん振って?
両手に抱き抱えていた鉢植えはいずこへ?
「落ちてる」
うしろに控えていた学年主席くんが冷静につぶやく。
その声を皮切りに、わたしは人生で一番のスタートダッシュを決めて美優へと突進した。
美優のバカは頭上から真っ直ぐに落ちてくる鉢植えをぼけーっと眺めているだけで、ちっとも避けようとしない。
「このバカーーーッ!!!」
絶叫して飛びつく。
抱きしめた美優の身体ごとふわりと宙に浮いたところで、わたしの頬の横を鉢植えが猛スピードで落下していき、割れた。
危なかった、ぎりぎりセーフだ。
わたしはひとまず安堵し、地面への激突に備えて目をつぶる。――が、しかし。
「ねえ、雪ちゃん」
落下しながら、美優がのんびりと声をかけてきた。
「なんかあたしたち、ずうっと落ち続けてる気がしない?」
まるでアレに乗っているみたいだね。
無邪気に笑う美優は、某ネズミの国の垂直落下型アトラクションの名前を挙げた。
……まあたしかに似てなくもないけど。
「ねえ美優」
「なあに雪ちゃん」
「自由落下運動って知ってる?」
「んー、わかんない!」
沈黙。
一拍置いて、わたしの突っ込みを代行するかのごとく、瞼の奥で光が爆発した。
そして痛みとも衝撃ともつかない熱がわたしたちを襲う。
底知れぬ力の奔流に歯をくいしばって耐えながら、わたしは思った。
やはりあのイケメンたちとの遭遇は不幸の予兆だったのだ、と。
気がつくと落下は終わっていた。