笹原雪の朝はやや早い
わたしの目覚まし時計が鳴るのは毎朝きまって五時四十五分。
ピピピ、ピピピ……と響く電子音を止め、目をこすりながら起き上がる。
そのときに枕の横に置いていたケータイを掴むことを忘れてはいけない。
ベッドから抜け出したわたしは、まず窓を覆い隠していたカーテンを開け放った。
途端に差し込んでくる鮮烈な朝日。
……眩しい。
生命力にあふれた黄金の光が目に沁みる。
わたしは目をしぱしぱさせながら、先ほど手に取ったケータイを操作した。
起床してまっさきにかける電話は、いつも決まって同じ番号。
耳元で無機質なコール音が響く。何度も、何度も。
だけど、電話の相手はちっとも応答しない。……まあ、いつものことだけど。
ため息をつきながら電話を切る。
モーニングコールは黙殺されてしまったから、さっさと次の手段に移らなければ。
急いで制服に着替え、鍵を一つひっつかみ階下に降りる。階段を踏む音がやけに大きく響く。まだ誰も起きていない家の中はとても静かだ。
わたしももうちょっと寝ていたいんだけどなあ、と思いながらサンダルをつっかけて家を飛び出す。
目的地はとなりの家なので、あっという間に到着した。玄関の前で立ち止まり、インターホンを押す。
ピンポーン…………ピンポーン……ピンポンピンポンピンポンピンポーン!!
はたから見れば狂気じみた連続押し。わたしも数年前までは、コレをするのをかなり躊躇っていた記憶がある。まあ今となっては慣れてしまったんだけど。
しかしまあ、これくらい押せばびっくりして目を覚ましてくれてもいいはずなんだけどなあ。
待てども待てども、扉が開かれる気配はない。まあ、これもいつものことだ。
さて、ここで登場するのが伝家の宝刀(?)合鍵さんである。
あげるねぇ、と押しつけられたブツは特注品のピンクゴールドで、キーホルダー代わりにかわいらしい小粒の鈴がついている。無駄に女子力が高い逸品だ。
その鈴をりんしゃん鳴らしながら鍵穴にピンクの鍵を差し込み、ぐるっと回す。
――よし、解錠完了。
お邪魔しまーす、と一応挨拶してから中に入る。
サンダルを脱いで真っ先に向かうのは二階のとある部屋。
ドアの前まで辿りついたら一旦足を止め、礼儀上のノックをする。お察しの通り、まあもちろん、返事はない。これもいつものことだ。何度も何度も繰り返される日常のひとつ。
まったくもう、どうしてヤツはこんなにも寝覚めが悪いんだろう。
早くも本日二度目になるため息をこぼしながら部屋に押し入る。ピンクのふわふわラグを踏みしめ、途中でお花柄のカーテンを開きながら、眠れる姫の待つベッドの前へ。
純白のシーツの上にゆるくウェーブがかった髪を散らし、少し開いたくちびるから健やかな寝息をたてながら、姫君――花園美優は眠っていた。
まるで童話に描かれるようにうつくしい光景を目の前にして、わたしは少しばかりイラッとする。
わたしを早起きさせておいて自分はまだ夢の中なんていい身分だなバカチワワ!
「おーきーろーーー!!!」
大声とともに布団をはぎ取るが、美優はぴくりと眉を動かしただけ。
うん知ってる。わたし知ってるよ、あんたがこれくらいで起きるような繊細な神経を持ち合わせてないこと。
「おきろーおきろー、おきろったらおーきーろーーー!!!」
ぐわし!
左手で美優の小さいがすらりと高い鼻をつまみ呼吸を封じ。
ぺちんぺちん!
右手で美優の白磁のごときほっぺたを往復ビンタする。
はたから見れば美少女をいじめる下種の図なんだろうけど、気にしちゃ負けだ。
こうでもしないと、このバカチワワは起きないんだもん。
「うぅ……?」
「うぅ、じゃないの、起きなさいっ! 遅刻するから!!」
ぺちぺちぺちぺち!!
美優が唸った今がチャンスと往復ビンタを二連続でお見舞いすると、我が幼なじみさまはやっとのことで長い睫毛を震わせた。うっすらと目が開き、色素の薄い瞳がわたしを捉える。
「おはよお雪ちゃん」
「ん、おはよ」
挨拶を返すと、美優がにへらぁと間抜けな感じに表情を崩す。
任務完了の瞬間だ。ああ、今日も長かった……!
達成感が身体の隅々まで染みわたる。疲労感については知らんぷりしないとやってられない。
「ほら早く起きて。そしてさっさと着替える!」
「ん~」
美優は返事をしたくせに一向に身体を起こそうとしない。
怪訝に思って視線をやると、美優は締まりのない顔で両手を伸ばしてきた。
……その意味するところはなんとなくわかるけど。
一応、尋ねる。
「どーしたの?」
「雪ちゃん、起こしてぇ」
「美優……あんたって子は……」
ほとほと呆れつつも、仕方ないのでしぶしぶ手をとって起こしてやる。
美優は嬉しそうににこにこしていた。その笑顔を殴りたい。
まあ殴らないけども。まかり間違って美優の吐き気をもよおすほどかわいい顔に傷でもつけたら、あいつらが黙ってないだろうし。わたしはまだ死にたくないぞ。だから我慢だ、我慢だ笹原雪。
拳を握りしめてこみ上げる怒りと暴力衝動をこらえるわたしを美優は不思議そうに見ている。
そしてこてんと首を傾げ、言った。
「どうしたの雪ちゃん、トイレ我慢してるの?」
「んなわけないでしょ!!!」
思わず殴った。