第一話『ツギハギの世界』5
茂みの中から何かが確実に近付いてくる気配に、くるみが思わず一歩後ずさる。
「ハッ!まさか・・・」
すると、いつになく遥が真面目な声色で呟いたので、くるみの緊張感も否が応にも高まる。
「ま、まさか、何よ?」
遥は時々、というかいつも突拍子もないことを空気も読まずに口にするので、何か恐怖を煽るような余計なことを言い出すのでは、という不安がくるみの頭の中をよぎった瞬間、遥がその言葉を発した。
「オカタさん!?」
「・・・はい?・・・誰?岡田って」
知り合いの変質者か何か?
予想通りの突拍子もない発言の、予想の斜め上をいく内容に、くるみの中から素直に出た言葉を遮る様に、遥は表情だけは大真面目に語り続ける。
「この丘にはね、むかーしからタヌキのオカタさんが住んどったげな」
「・・・」
言葉が出ないくるみの表情からは完全に感情が抜け落ちていた。しかし遥はお構いなしに、
「それから“ダ”じゃなくて“タ”ね。タヌキだから」
と、真剣な面持ちでくるみに注意する。その理不尽さに、僅かに怒りの感情が刺激されたせいか、ようやくくるみが言葉を絞り出す。
「・・・もうね、ツッコミ所が多過ぎて、ワザとにしか思えないときがあるのよ、アンタは・・・」
「おーい!オカタさーん!」
しかし、遥の興味は既にくるみにはなかった様で、茂みの向こうに居るであろう、その存在へ大きな声で呼びかけ出した。
「人の話を聞いとんのかい!」
いつも通りのテンションのツッコミを入れた時には、既にくるみの中で事の起こりは忘れ去られ、そしてそのタイミングで、不意に茂みの中から駆馬が顔を出す。お陰で女子3人は揃って、
「あ」
と言うだけの間の抜けたリアクションを取るハメになった。
「ん?」
少しズレた眼鏡を直しながら駆馬は、ポカーンとした感じでこっちを見つめる、クラスメートで知った顔の3人の女の子を一瞥した。
「・・・タヌキのオカタさん?」
そのくるみの呟きは、あくまでも遥に対するある種の当てつけみたいなものだったが、事情を知る由もない駆馬はそうは取らなかった。
「誰がタヌキだ。しかもオカダって、何訳の分からないこと言ってんだ、お前は」
服に付いた葉や小枝を払いながら、いつも通り何の感情も表に出さず冷徹に言い放つ。そしていつも通り、くるみはそんな駆馬に苛立ちを覚える。
「・・・うっさいわね。アンタこそ何して・・・」
すると、再び茂みが揺れた。くるみは思わず言葉を飲み込み、遥は無駄に鋭い視線を向けて言った。
「おお!今度こそオカダさん来たか!?」
その無駄テンションにくるみのなけなしの緊張感も一気に萎える。
「もういいから」
「ぷはぁ。あれ?」
まるで水面から顔を出す様に、今度はトーマが茂みの中から現れた。
「あら、トーマ」
「トーマくん」
遥は埴輪の様に目と口を丸くして、かりんはその開いた口を両手で覆いながら、思わず声を上げた。
「アンタたち、本当に何してんのよ」
茂みの中で四つん這いになって顔だけ出しているトーマを見下ろしながらくるみがそう言うと、トーマは照れ笑いを浮かべた。
「エヘヘ。おはよう、みんな」
「おっはよー!トーマ!」
「おはようございます、トーマくん」
遥とかりんが笑顔で応える。その様子を横目に見ていた駆馬がトーマに早く茂みから出てこいと促す様な身振りをしながら言う。
「ほら、早く行くぞ。コイツらに構ってる暇はない」
「いきなり人の前に這い出てきといて、何よその言い種は」
「お前らも急がないと遅刻するんじゃないのか?」
コイツら呼ばわりされたのが癇に障ったくるみがその感情を声と表情にストレートに表したが、駆馬は全く気にする素振りすら見せず、自分より大分低い位置にあるくるみの目線を冷徹に見下ろしながら言い放った言葉に、くるみの怒りがヤカンの蒸気のごとく噴き出した。
「ムッキー!んなことはアンタに言われなくても分かってんのよ!私だってさっきからずっと・・・」
そうなのだ。今朝も早くから登校する為に自分がどれだけ努力してきたか。そしてどれだけ苦労させられてきたか。それを何も知らないこの男にどうして偉そうに見下されなきゃならないのか。余りの怒りに、言葉が上手く出てこない程だ。
「あーもう!」
そんなくるみの叫びを聞いて、遥が優しく微笑みながらその肩にそっと手を置いた。
「まあまあ。さ、早く行こう」
「お前が言うなー!!!」
そう言われて例のごとく埴輪がびっくりした様な遥の表情を見たら、何だかムキになってる自分がアホらしく思えて一気に力が抜けたくるみは、それでも握り拳を作って声を震わせて呟いた。
「・・・何かすっごい納得いかないんだけど、この状況・・・」
そうこうしている間に、茂みから這い出て服に付いた葉を払ったトーマが、夏の日差しを反射させた様な眩しい笑顔で言った。
「皆で一緒に行こうよ」
かりんはその笑顔に一瞬瞳を奪われて固まった。そして少し赤らんだ頬で小さく「はい」と応える。
遥は拳を振り上げて満面の笑顔で「おー!一緒に行こー!」とはしゃいだ。
駆馬は少し俯きながら、首の後ろを押さえて「ハア」と深いため息を吐いた。
「何よ、そのため息は。いちいち引っ掛かるリアクションするわね」
イライラを残したままのくるみがまたまた駆馬に突っかかる。駆馬は今度は視線を向けることすらなく、学校へ向かって歩きだす。
「女は歩くの遅いし・・・」
「はあ!?」
駆馬の背中に言葉をぶつけるが反応はなく、気が付けば皆先を行っていた。
「くるみ、行くよー」
「行くならさっさとしろよ」
「ぐぬぅぅぅ・・・だから何で私が遅いみたいな感じになってんのよ!」
小走りに皆を追い掛けるくるみの背中を蝉の鳴き声が追う。木漏れ日も眩しい、いつもの夏の1日の始まりだった。