8:救国のヘタレ
ティーナの看病のかいあって、ファーリスの体調も良くなっていった。
元々病気というわけではなく、生命力を消耗しただけなのだから、十分な休養と栄養のある食事を取ればすぐ良くなったのだ。
そして新しく用意して貰った服に袖を通し、起き上がれるまでになったファーリスはティーナにつれられ、城内の庭を散歩していた。
「あまり無理しないでね」
ティーナはそう言って心配げにファーリスに付き添ったが、ファーリスには久しぶりに浴びる日光は心地よかった。
庭に出てみて改めてティーナの父であるクリストフが領主この城を見てみると、思いの外立派な物だ。
ティーナが看病がてら色々と話してくれたところによると、ティーナもボルジも普段は単に「城」と呼んでいるが、正しくはリクルハルド城と言うらしい。
城の内側から見た感想ではあるが、リクルハルドは赤いレンガで造られた褐色の城で、四方に塔が立ち城壁も高く、ファーリスは「こう言うのを難攻不落の要塞と言うのかな?」と思った。
「すごい城だね」
ファーリスが素直な感想を漏らすと、ティーナも得意げに答えた。
「まあね。この辺の土地は肥えているし、交通の要所で商人の行き来も多いのよ」
「そうなんだ。でも、こんなにすごいのに、攻められているんだね」
またもやファーリスは素直な感想を漏らしたが、ティーナは今度は顔を顰めた。
「うっ上には上が居るのよ」
とはいえ、その交通の要所である為に外部からの侵略に備え、城は強固で頑丈な作りと成っているという事だった。
そしてその城のおかげで未だにリリエルはムダルからの侵略に持ち堪えているいるらしい。
さすがに敵もこちらの10倍、20倍といった兵力ではなく、城に押込められていて一歩も外に出れないという訳ではない。
領地内の村や町や砦などがムダルの軍勢に襲われたら、こちらからも出撃して迎え撃ち、勝ったり負けたりを繰り返す。
だが全体としては押されている、という事らしい。
そして負けても城に篭り、その間に体勢を立て直す事が出来るので、今まで持っているのだ。
もっとも、リリエル単独ではムダルに勝てないから、ヴィデンに援軍を頼もうとしていたのだ。勝てていないのは当然だった。
「でも、このお城に篭っている限り負けないんじゃないの?」
するとティーナが腕を組み険しい顔をした。
「うーん。それがそうでもないの。今はまだ城外に出撃する余裕があるけど、このままじゃいつかそれも出来なくなるわ。そうなれば領地で採れる食料もムダルの軍勢に持ってかれちゃって、こちらの食べる物もなくなってきちゃうし……。そうなったらいくら城が落ちなくてもね……」
「そっかー……」
(じゃあ、やっぱり僕も戦いに参加した方が良いのかな?)
そこへボルジが現れ、小走りに2人に近寄ってくる。
「お嬢様! ファーリス! クリストフ様がお呼びです!」
「お父様が?」
「はい。謁見の間で文武の重臣共々お待ちです」
3人がその謁見の間につくとクリストフが奥の一段高いところに置かれた椅子に座り、そしてその前の左右にそれぞれ10人ずつほどの人間が並んで立っていた。
この人達が、文武の重臣という人達なのだろう。
まるでどこかの王様の様だが、この領地の主となれば、ここに住んでいる者にとっては同じ様なものなのだろう。
ボルジが文官の列の最後尾に並ぶと、それを待っていたかの様に、重臣の一人が大声で口を開いた。
「ファーリスといったな。前に出よ!」
「あ、はい」
その声に反応し、ファーリスがつい反射的に前に出る。
そして左右に並ぶ重臣達の列の真ん中あたりの場所で、「ここらへんで良いのかな?」と思いながら立ち止まった。
すると別の重臣が叫んだ。
「跪かんか!」
「あ、はい」
ファーリスが跪く。
そしてまた別の重臣の大声。
「御領主様を正面から見据えるなど無礼だぞ! 頭を下げんか!」
「はい」
こうしてファーリスは、ティーナの父親の前で跪いて俯いた。
するとティーナの父親であり領主であるクリストフが重々しく口を開いた。
「お主ファーリスと申すそうだな。ファーリスよお主に命じる。我が領地を攻めているムダルの軍勢を、お主が持っている不思議な力で追い払うのだ」
あまりにも一方的で偉そうな態度だが、実はボルジの入れ知恵だった。
ボルジがファーリスとティーナを呼びに行く前に、彼はクリストフや重臣達にこう言ったのだ。
「旅の途中で出会って連れて来たあの子供は、不思議な能力の持ち主なのです。彼には矢も効かず、また彼の手から放たれる火の玉は岩をも焼き爛れさせます。彼に戦わせればムダルの軍勢など一溜まりもありません」
このボルジの言葉に、クリストフも重臣達も「おおー!」と声を上げたが、クリストフは当然とも思える疑問を持った。
「それほどの力の持ち主であれば、もはや恐れるものなどなかろう。素直に我々のいう事を聞いてくれるだろうか?」
だがこの疑問にボルジはにんまりと笑った。
「確かにその力を好き勝手に使うならば、恐れるものなどありますまい。ですが彼はヘタレなのです」
「なんと! ヘタレと申すか!」
このボルジの言葉にクリストフおよび重臣達は顔を見合わせた。
そして新たな疑問である。
ヘタレとは、情けない者。意気地の無い者。臆病な者を表す言葉だ。
それほどの力を持つ者が、どうしてヘタレに育つと言うのか。傲慢不遜、傍若無人と育つべきではないのか?
だがボルジはこの疑問に得々として説明した。
それはファーリスと出会った時に、ファーリスがボルジとティーナに一緒に連れて行って貰おうと、必死で洗いざらい喋った時の内容だった。
「なんと彼は異世界から来たと言うのです。そしてその彼が元居た世界では、彼の力は特別な物では無いと」
そして説明が終わると、またにんまりと笑った。
「……異世界とな?」
「はい。勿論私も初めは信じられない思いでした。ですが、そうでなくては彼の力の説明が出来ません」
「なるほどの。その者は我らからしてみれば恐るべき力を持っておるが、元の世界では当たり前……。いや、ヘタレという事は、驚くべき事にその世界ではむしろたいした能力の持ち主ではない……と言うのか」
「はい」
ボルジは短く答え一礼した。
「では、そのヘタレをムダルの軍勢と戦わさせるとして、報酬はどの様な物が良かろうな? ヘタレであれば、領内の村の一つでもやると言えば、飛び跳ねて喜ぶであろうかの?」
「いえいえ。御領主様。ヘタレはその様な事では動きません。ましてやあの様な子供では、領地をやると言われてもどうして良いか分からず重圧に耐えかね、むしろ逃げ出してしまいかねません」
「では、どうしろと言うのか?」
「御領主様が御命令あそばせればよろしいのです」
そしてまたにんまりと笑う。
「勿論、命令はしよう。だがその命令に対しての報酬の話をしておるのではないか」
だがボルジは、このクリストフの言葉に首を振る。
「いえいえ。ヘタレには御命令されるだけで結構で御座います。何の報酬も入りません」
「なんと? ヘタレとはそれほどの者なのか!」
「はい。私は今まで色々なヘタレを見てまいりました。程度の差こそあれヘタレの行動原理はただ一つ。それは無理難題で無い限り、人のいう事を聞くという物です」
「それは本当か?」
「はい。さすがに無理難題を押し付ければ、いくらヘタレと言えども遂には逆上し逆らう事もあります。ですが、それが自分がやろうと思えば出来る事の範囲内であれば、なんとヘタレは「逆らうくらいならやった方が気が楽」と考えるのです」
「おーー」
またもや重臣達が顔を見合わせた。
「なるほど。それでは早速その者を呼んで来るがよい。ムダルの軍勢を追い払う様に命じようではないか」
ボルジは「かしこまりました」と頭を下げたが「しかし……」と前置きし、言葉を続けた。
「同じ命じるにしても、高圧的に命じなくてはなりません。ヘタレには如何に「断り難い様に命じるか」が重要なので御座います」
そしてボルジは一礼した。
こうして主従共々、ファーリスに対して高圧的な態度を取る事になったのだ。
そして実際ファーリスも(まぁティーナも困っているみたいだし、僕にはそれが出来るみたいだし)と考え、「はい。わかりました」と答えようとした、その時……。
「あなた達は、何を言っているのです!」
その声の主はティーナだった。
そしてその顔には怒りが、いや、悔しさが滲んでいた。
自分の目の前で、自分が恋している相手がこの様な扱いを受け、平然としていられる者など居ないだろう。
ファーリスもティーナの声に反応し後ろを向くと、ちょうどティーナが傍に寄ってくる所だった。
そして近くまで来ると、ファーリスに右手を差し伸べた。
「さあ立ちなさい。あなたはひざまずく必要など無いのよ」
そしてその言葉に反応してファーリスも右手を差し出すと、手を引いてファーリスを立たせた。
ファーリスが立ち上がると、ファーリスの右手にさらに自分の左手を添えた。
そしてファーリスを見つめて微笑む。
だが次の瞬間、ティーナの表情が険しくなったと思うと、重臣達を見渡しながら睨みつけた。
「彼はこの領地の民ではありません。私達に彼に命令する権利は無いのです!」
このティーナの言葉に「いやだってボルジが高圧的に言えって……」と思い、ファーリスに高圧的に出る事に対して後ろめたさを感じていた重臣の一人が口を開いた。
「しかし、それではムダルの軍勢をどうする御つもりなのですか? 我らではとても……」
「彼に頼めば良いのです」
だがティーナのこの言葉に重臣達は首をかしげた。
「命令するのと、どう違うというのです?」
ティーナはその重臣を一瞥した後に、彼らには考えられない行動を取った。
なんとこの領地の者にとっては絶対的な支配者の娘であるティーナが、どこの馬の骨とも分からぬ者にひざまずいたのだ。
そしてさらに頭も下げた。
「ファーリス。お願い。ムダルの軍勢をやっつけて」
あまりの光景に重臣達は呆然としている。
だが、頭を上げたティーナが重臣達を怒鳴りつけた。
「何をしているのです。あなた達もひざまずくのです!」
重臣達は慌てて跪く。
「お父様も!」
「あ。ああ」
ティーナの剣幕に、クリストフも慌てて椅子から降りて跪こうとする。
「そこではありません。床に跪くのです!」
「ああ」
クリストフは、さらに慌てて皆から一段高いところから降りて床に跪く
そしてそれを見届けると、ティーナは改めて頭を下げた。
はじめにファーリスに対しては高圧的な態度を取るべきだと助言したボルジも跪いている。
この広間で立っているのはファーリス1人だった。
だがファーリスはティーナに手を差し伸べた。
「ティーナ」
その声に反応してティーナが顔を上げる。
そしてファーリスの手を取った。
今度は、さっきとは逆にファーリスがティーナを立たせたのだ。
そしてティーナを見つめた。
ファーリスは今まで、ずっと誰にも必要とされずにいた。
だがティーナは自分を必要として、いや、認めてくれているのだ。
「僕やるよ。ムダルの軍勢をやっつける」
そしてティーナに微笑んだ。