7:やっぱりヘタレ
ファーリスが城に運び込まれてから、丸一日がたっていたが、ファーリスはまだ意識と取り戻していなかった。
その間もティーナがずっとファーリスを看病していた。という事はさすがにない。
嫁入り前の領主の娘が、意識を失っているとはいえ、若い男と同じ部屋で夜を明かすなどという事が出来る訳が無いのだ。
本当にずっと意識を失っていても「実は意識を取り戻していて、一夜を共にしたのだ」などという醜聞が広まっては一大事である。
やむなく、夜の看護を担当する中年の侍女に、くれぐれも大事に看護して、ファーリスが目を覚ましたらすぐに自分を呼ぶように申し付けた。
そして勿論昼間はティーナが自分で看病する。
他の者達は「お嬢様がする事ではない」と止めたが、ティーナは「命の恩人の看病すらしないなどという事になれば、私は人でなしと言われるでしょう」と聞く耳を持たなかったのだ。
とはいえ、実際、ファーリスはずっと寝ているのだから看病と言ってもする事などは、あまり無い。
一番手間がかかるのは、定期的にファーリスを着替えさせる事だが、さすがにティーナがする訳にはいかず、着替えは夜の看護をする侍女が行っていた。
だからティーナに出来ることは、ファーリスの寝るベッドのそばに椅子を置き、ときおり清潔な綿に薄く作った砂糖水をしみこませ、その綿でファーリスの口を拭って飲ませてあげる事ぐらいだ。
結局大半の時間は、ファーリスが目覚めるのを待つという事に費やされた。
だからティーナはファーリスの手を握り、ファーリスの顔を見つめながら、目覚めるのをまった。
(侍医の診断では、病気という訳ではなく体力の低下から眠っているだけだから、暖かくして休んでいればすぐに目を覚ますという事だったけど……)
だがまだファーリスは目を覚まさない。
ティーナはファーリスの唇が少しでも乾くと、綿にしみこませた砂糖水をファーリスに飲ませた。
ファーリスの喉がコクリと小さく鳴ると、ファーリスがちゃんと生きているのだと感じられて嬉しかった。
とはいえ、それも頻繁に行うことではない。
ティーナは眠るファーリスの青白い顔を見つめた。
きっと私はファーリスに恋をしているのだろう。
ファーリスの具合が悪くなったとなれば胸が苦しくなり。
ファーリスの具合が良くなったとなれば嬉しくなる。
これが恋でなくてなんだと言うのだろうか。
でも、どうしてファーリスに恋したのだろう?
助けて貰ったという感謝の気持ちが摩り替わったのだろうか?
それともよく聞く、危機的状況におかれた男女の種の保存本能による錯覚なのだろうか?
そうでなくて、知り合ったばかりの、ほとんど何も知らない年下の男の子の事を好きになったりするのだろうか?
何も知らないといえば、ファーリスも私の事をほとんど何も知らないはずだ。
でも、それでもファーリスは、自分の体をこれほど衰弱させてまでも、私を助けてくれた。
ボルジはファーリスの事をヘタレという。
私もそう思う。
でも、それ以上に優しいのだと思う。
私の恋は摩り替わりだろうか? 錯覚だろうか?
でも、過失だろうと放火だろうと、火事な事に変わりはない。
今はその炎に身を任せるしかないだろう。
でも、できるなら、ファーリスの優しさに恋したのでありますように……。
そして夜に看病はしていなかったが、心配で結局はほとんど寝ていなかったティーナは、ファーリスの手を握り締めながら、ベッドのファーリスの足元あたりにうつ伏せになり、静かに眠りに落ちた。
(ここはどこなのだろう?)
ファーリスが目を覚ますと、自分がやけに装飾にこったベッドに寝かされているのに気付いた。
そしてファーリスが起き上がろうとすると、誰かに手が捕まれているらしく上手く行かない。
自分の足元を見ると、ティーナが自分が寝ているベッドの横に椅子を置いて座り、自分の足元あたりのベッドの縁にうつ伏せになって寝ている様だった。
そのティーナの手が、ファーリスの手を握っていたのだ。
「ティーナ……」
ファーリスがそう呟き、さらについ体を少し動かしてしまうと、ベッドの縁に寝ていたティーナも目を覚ました。
そしてティーナは、目を覚ましたファーリスを見て、心配そうな、しかし目を覚ました事に安心した様な、そんな微笑をファーリスに見せた。
そしてファーリスは、ティーナの手がさっきより少し強く、自分の手を握り締めたのを感じた。
「あの……大丈夫だった? ティーナ」
ティーナが目を覚ましたので、ファーリスはティーナにそう問いかけた。
結局意識を失ってしまったファーリスは、ちゃんとティーナの傷を治す事が出来たのか心配になったのだ。
だがティーナはそんなファーリスに「あは。この状況で、人の心配をしている場合? あなたの方こそ大丈夫なの?」と言って微笑みながら、少し首をかしげて問いかけ返す。
「うん。僕は大丈夫だよ。それでティーナは?」
繰り返し問いかけるファーリスにティーナはさっきより少し強く微笑んだ。
「ええ。私はなんとも無いわ。あなたのおかげよ」
するとやっとファーリスが「そっか。それは良かった」と安心した様だった。
そしてファーリスもティーナに微笑み返し、その為2人は見詰め合った。
いや、ティーナはずっとファーリスから目を逸らしていない。ずっと見つめ合っていた。だ。
だが不意にファーリスは辺りをきょろきょろと見回した。
「それで……ここってやっぱり、お城なの?」
「ええ。そうよ」
「そっか……ごめんね」
「え? 何がなの?」
ティーナはそう言うと、驚いた様に身を乗り出して、俯いたファーリスの顔を下から覗き込んだ。
自分はファーリスのおかげで命が助かり、その為にファーリスはこんなにも衰弱してしまったのだ。
どこのファーリスが誤る要素があると言うのだろう?
「だって、最後の最後で気を失っちゃってたみたいだし……」
「何を言っているの!」
そう言ってティーナの顔がさらにファーリスに近づくと、それに押されるようにファーリスの顔が少し上向いた。
「私はあなたのおかげで助かったのよ!」
「あ。うん」
と、ファーリスは曖昧な返事を返したが、すでに思考は別の事に飛んでいた。
(ティーナ……顔が近いよ)
とファーリスは、ティーナがあまりにも自分に顔を近づけるのでドキドキしたのだ。
しかも未だティーナの手はファーリスの手を握り締めているままであり、いまさらながらその事に気づいたファーリスの顔が赤く染まった。
ティーナがさらに顔を少し近づけ「どうしたの?」と首を傾げた。
視界がティーナの顔でいっぱいになり、ファーリスの胸がドキッとした。
そしてティーナの問いに「え?」と返すのが精一杯だった。
「だって顔が赤いわよ?」
「あ。そうかな?」
と答える誤魔化す様に答えたファーリスだったが、自分でも顔が赤いのは自覚していた。
「熱があるのかも知れないわね」
「え? 熱? どうだろう?」
すると、ティーナはファーリスの言葉が終らない内に、身を乗り出し自分の額をファーリスの額にくっ付け、ティーナとファーリスのさっきよりもさらに顔が近づく。
男性と女性がこれ以上顔を近づける事があるとすれば、それはもうキスをする時だけだろう。
「うーん。どうかしらね」
「だ。大丈夫じゃないかな」
ファーリスは近くにあるティーナの顔にさらにどきどきとしながら、自分の心臓の音がティーナに聞こえてしまわないかと心配した。
そして自分の事で精一杯で、ティーナの手がさらに強くファーリスの手を握り、そして汗ばんでいることには気付かなかった。
2人は至近距離で見つめあい、そしてティーナは中々どこうとしない。
だが先に耐えられなくなったのは、やはりヘタレだった。
「多分大丈夫だよ! それより僕おなかがすいちゃったかな!」
ファーリスはあまりの恥ずかしさに、ついそう叫んだ。
「そっか。まあ、大丈夫そうね。じゃあ、何か作ってもらうように言って来るわね」
ティーナはそう言うと、ファーリスから離れて椅子から立ち上がり、部屋から出る為に扉に向かった。
そして扉から部屋の外を出るときに、ファーリスに聞こえないように小さく呟いた
「このヘタレ」
「ファーリス。お待たせ」
しばらくするとお盆を持ったファーリスが部屋に戻ってきた。
ファーリスからもお盆に乗った深皿から湯気が立っているのが見える。
ファーリスが上体を起こそうとすると、ティーナが「あ。ちょっとまって」と言って、お盆をベッドの横に備え付けられたサイドテーブルに置くと、ファーリスの体に手を添えて、上体を起こすのを手伝った。
「ありがとう」
ファーリスが礼を言うと、ティーナがにこりと微笑んだ。
そしてサイドテーブルに置いたお盆をファーリスに差し出す。
「はい。消化に良いものがいいと思って」
ファーリスは「ありがとう」と、そのお盆を受け取り、自分の膝の上においた。
お盆の上に乗った深皿の見ると、どうやらミルクで煮たオートミールの様な物らしい。
(旅の時も思ったけど、食べる物がほとんど同じって幸運だよね)
ファーリスがまだ元の世界に居た時に読んだ本では、住んでいた国から遠く離れた国では、まったく食文化が違っていてファーリスにはとても食べられない様な食文化の国もあったのだ。
だが、その食べられない物を思い浮かべそうになって、急いで考えるのをやめた。折角ティーナが食べる物を持って来てくれたのに、食欲がなくなってしまう。
ファーリスは食欲が無くならないうちにと、急いで深皿の中身をスプーンで一すくいすると、口に運んだ。
「ッアチ!」
「あ。大丈夫?」
ファーリスの右側に座っていたティーナは、身を乗り出してファーリスに近寄り、左手をファーリスの背に添えて、右手をスプーンを持っているファーリスの右手に添えた。
「あ。うん。大丈夫だよ」
ファーリスは左手で口を押さえながら、このティーナの態度に戸惑っていた。
(とても優しいんだけど、どうしたんだろう?)
「どうしたの?」
ついティーナを見つめてしまっていたファーリスを不審がってティーナが問いかけた。
「あ。なんでもないよ」
ファーリスは、誤魔化す様にまた、急いで深皿の中身をスプーンですくうと口に運んだが、「ウヮッチ!」とまた熱さに悲鳴を上げた。
「もー。本当に気をつけてよ!」
ティーナが少し怒った様にそう言ったが、その目を笑っている。
そしてまたファーリスの右手に手を添えて、スプーンをファーリスの手に持たせたまま深皿から中身をすくい、そしてそれを冷ますように、息を吹きかけた。
その為、ティーナの後ろ頭がファーリスに近づき、ティーナの後ろ髪がかすかに、ファーリスの顎を掠める。
「ティーナ?」
あまりに近づき過ぎるティーナに戸惑い、思わずファーリスがその名を呼んだ。
しかしそれは、さらに彼を戸惑わせる結果となった。
ファーリスに呼ばれて「なに?」と振り向いたティーナの顔は、やはり近かったのだ。
あせったファーリスは何か言わなくては成らないと、必死に考えたが良い話題が思い浮かばない。結局ファーリスの口から出たのは先ほどの疑問だった。
「あ。えーと。どうしてそんなに優しくしてくれるのかな……って」
「え?」
内心の胸の高鳴りを隠しながら、彼女なりに必死にファーリスにアタックしているつもりのティーナだったが、さすがにこう正面から質問されては戸惑う。
「それは……私を助けてくれたし……」
戸惑った挙句そう答えたティーナだったが、彼女はすぐに自分の失敗に気付いた。
なんとファーリスが「あ。そうか!」と納得してしまったのだ。
これでは、いくらファーリスに優しくしたりアタックしても、助けてくれた事への恩返し、としか思われないだろう。
(仕方が無いわ。ここは一旦引くべきね)
ティーナは内心がっくりとうな垂れたが、表情には出さず、むしろがんばってにっこりと笑って見せた。
「さぁファーリス、ちゃんと自分でもってね。ゆっくり食べないと駄目よ?」
ティーナはそう言うと、ファーリスの右手に添えていた手を離す。
そしてファーリスも「うん。ありがとう」と素直に礼を言う。
だが一時撤退と言ってもアタックを一時中断するだけで、まだこの場を去る気は無い。
色々と確認しなければならない事があるのだ。
「ファーリスって歳はいくつなの? 私より5つくらい下なのかしら?」
今度はちゃんと冷ましながら食事をしていたファーリスが、ティーナの声に顔を上げた。
「ティーナより5つ下って、ティーナは何歳なの?」
「あ、そっか。私は20歳だけど?」
「じゃあ、5つも下じゃないよ。僕17だから」
ファーリスの返答にティーナは少し嬉しくなった。年下に違いないが、5歳差よりはまだマシだろう。
だがティーナがファーリスの返答ににこにこしていると、ファーリスの表情はその逆に少し曇っているのに気付いた。
「どうしたの?」
「あ。いや、僕ってやっぱり幼く見えるのかなーって……」
(あ。まずかったかも!)
そう思ったティーナは、急いで「いえ。別にそう言う意味じゃないわよ。えーっと。ふけて見られるよりは良いと思ってちょっと若めに言ってみたの」と誤魔化した。
素直なファーリスは、ティーナの言葉を素直に受け止めて「あ。そうなんだ。でも、別にちょっとくらい年上に見られても気にしないのに」とすぐに笑顔になる。
(うまく誤魔化せたけど、ここまで素直に反応されるとさすがに胸が痛いわね……)
だがそうこうしている内にファーリスの食事も終わり、日も暮れてきた。
目を覚ましたところで、あまり無理をしては行けないだろう。
「食べ終わったなら、また少し寝た方がいいわね。」
「うん。色々とありがとう」
ティーナはファーリスの膝の上においてあったお盆を手にすると立ち上がり、一旦そのお盆をサイドテーブルに置いた。
「最後にもう一度だけ、熱を見てみましょうね」
そう言うとティーナは屈んで、ファーリスの額に自分の額をくっ付けた。
だがファーリスは、さっきの「恩返しなんだ」という判断で暫くじっとしていたが、ティーナがなかなかどかないと、やはり最後には顔を赤らめ「だっ大丈夫だよ!」と身を引いてしまうヘタレだった。
最後にもう一度だけ! と思ったアタックも空振りに終わり、ティーナはファーリスに気付かれない様に内心ため息を付いた。
「じゃあ、私も寝るわね。夜にあなたの看病をしてくれる人を呼んで来るわ」
そう言うと、ティーナは立ち上がり、背を向けた。
そして扉から部屋の外を出るときに、ファーリスに聞こえるか聞こえないかの声で呟いた
「このヘタレ」
「え? 何か言った?」
「ううん。何でも無いわよ。お休みファーリス」
ティーナはそう言いながら、振り返ってにっこりと笑った。