5:ヘタレの危機
ムダル軍の襲撃から、さらに2日が過ぎていた。
リリエルへの道のりも半分を過ぎてあと一息というところだ。
そして3人は、左右に木々が立ち並ぶ山道をさらに歩き続けて、ある川に差し掛かった。
「おかしいのー。ここには橋が架かっておったはずなんじゃが……」
「もしかしてムダルの軍勢が、リリエルを孤立させる為に、橋を落したのかしら?」
ファーリスには分からないことだが、2人の記憶ではここに橋が架かっていたらしい。
「そうかも知れませんの。仕方がありません。もっと上流にのぼり、渡りやすい所を探して渡りましょう」
そしてまったく道の分からないファーリスには何の意見もない。
こうして3人は川の上流に向かって歩き出した。
だが、彼らの推測は半分間違っていた。
たしかに橋を落したのはムダルの軍勢だったが、それはリリエルを孤立させる為ではなく、ティーナ達を上流に向かわせる為だったのだ……。
ファーリス達は、ボルジを先頭に上流に向かってどんどんと歩き続けた。
だがなかなか渡りやすい浅瀬を発見する事が出来ない。
ファーリスはつい(瞬間移動の魔法なら川の対岸なんてすぐに行けるのに……)と心の中で愚痴をこぼした。
とはいえ、相変わらずティーナも荷物を持って歩いている、ファーリスだけ根をあげる訳には行かない。
勿論、あの後ファーリスが持つ分の荷物をティーナが持って歩いていた事を知ったボルジが「お嬢様に荷物を持たせるとは何事だ!」と怒鳴った。
その怒号に首をすくめるファーリスだったが、思いもかけずティーナが口を挟んだ。
「ファーリスが瞬間移動とかの魔法で、何度も目の前に現れるのを私が嫌なの。だからファーリスにそれを止めさせる為に私が自分でやってるんだから、ボルジは気にしないで」
このティーナの言葉にボルジはしぶしぶながら、ティーナが荷物を運ぶのを黙認したのだった。
そしてさらに3人は上流を目指して歩き続け、かなり山を上った頃、やっと谷間に掛かる細いつり橋を見つけた。
「こんな所につり橋なんぞ合ったかの?」
ボルジは記憶を手繰ったが、この様なところにつり橋があった覚えが無いのだ。
「ここの近くに住んでいる山の民が私達の知らない間に作ったのではないかしら?」
確かによくよく見ると、つり橋は最近作られたのか、橋をつる綱は真新しさを感じさせ、渡った先に道らしき物もなく、茂みが生い茂っている。
道がないという事は、まだあまり人通りがなく草木を踏締めて行き来されていないという事だ。
「そうかもそれませんのー」
ボルジはそう言って一応は納得した言葉を口にはしたが、やはり気になる様だった。
そしてしばらく考えた後、ポンっと手を打つと、ファーリスに顔を向けた。
「ファーリスもしもの為だ、先に渡りなさい」
「え? 僕?」
「そうじゃ、お前なら、もしつり橋が落ちても、魔法で落ちずにすむじゃろうが」
「あ。そうだね」
こうしてファーリスがまず先につり橋を渡った。
つり橋はぎしぎしと軋んだが、特に壊れるという事も無く、無事ファーリスは渡りきった。
「大丈夫そうじゃの。では、お嬢様次に私が渡りましょう」
女性であるティーナを最後に残すのもどうかという考えもあるが、危険のないファーリスをはじめに渡らし、次に3人の中で一番体重が重い自分が渡って、お嬢様の安全を確認したいと考えたらしい。
そしてボルジも無事に渡りきった。
「お嬢様! 大丈夫です。お渡りください」
ボルジにそう言われてティーナはつり橋の前まで進み、そして下を見てみた。
(結構高いわね……)
とはいえ渡らないわけには行かない。
意を決してつり橋を渡りだした。
だがティーナが橋を渡す綱に掴まりながらつり橋を渡りだすと、つり橋はぐらぐらとゆれた。
(こっ怖いじゃない。あの2人よくこんなもの渡ったわね)
ティーナはそう考えたが、ボルジはともかく、ヘタレのファーリスが全然怖がらなかったのは、勿論、いざとなれば瞬間移動で飛べるという裏づけがあるからだ。
それでも何とかティーナがつり橋の半分くらいまで渡った時、ヒュンという音が耳の傍を通り抜けるのをティーナは聞いた。
ティーナがなに? と思っていると、その音は、ヒュンヒュン、ヒュンヒュンヒュン、と段々と数を増やしていく。
そして、つり橋の足場の所で、カッ! という音が聞こえたと思い、そこを見てみると、そこに果たして矢が突き刺さっていたのだ。
なんと、ムダルの軍勢がティーナがつり橋を渡るのを待ち構えていたのである。
「いやー!」
ティーナは恐怖のあまりその場にうずくまる。
「ティーナ!」
「お嬢様!」
ファーリスが橋に刺さった矢の向きから、矢が飛んでくる方角を推測して目を凝らすと、果たしてムダル軍が弓を構えていた。
ムダルの軍勢はファーリスの事を警戒して、かかなり離れたところから矢を射掛けている。
そして、遠くから射掛けている為、なんとかティーナに当たらずに済んでいるが、ティーナには当たらずとも、何本かの矢がつり橋を吊る綱を掠めた様で、つり橋が斜めに傾く。
ファーリスは「助けないと!」と思ったが、ティーナの所に瞬間移動で飛んで、結界でティーナを守る事は出来ない。
つり橋は2人分の体重を支えられそうには無かったのだ。
ファーリスはムダルの軍勢を追い払うしか方法がないと考えて、彼らの所に瞬間移動する。
そして「射るのを止めて!」と叫び、矢を射掛けている兵士にファイヤーボールを撃ちまくる。
だが、彼らの作戦は巧妙だった。
ファーリスがつり橋から遠く離れた射手の所に行ったのを見計らって、つり橋の渡ったところにある茂みに隠れていた数人の騎士が、ボルジにも目もくれずつり橋へと駆け寄り、つり橋の綱を抜き放った剣で切り落としてしまったのだ。
「きゃーー!!」
ティーナが叫び声をあげて、ティーナがつり橋から落ちる。
しかもさらに悪い事に、ティーナはつり橋の綱を落ちる瞬間まで握っていた為に、ティーナの体はその綱に引っ張られ、谷の側面にぶつかってしまったのだ。
谷の側面にぶつかったティーナの体は弾き飛ばされ、そして水面へと消えて行く。
ファーリスにはなぜかそれがスローモーションの様にゆっくりに見えた。
「ティーナ!!」
そして騎士達は、それを見届けると、もはやこの場に用はないと、立ち去っていった。
もしこの男の子の姿をした魔物が、怒りのあまり自分達を皆殺しにしようとすれば、自分達の命は無いだろう。
あくまで自分達の目的は、ヴィデンからの援軍の為にヴィデンに嫁に行くというティーナを襲撃する事にあるのだ。
無駄に戦う必要はまったく無い。
ティーナが川に落ちるのを見たファーリスの背筋が冷たくなった。
「うわーー!」
ファーリスはそう叫ぶと、ティーナが落ちたと思われる場所の上に瞬間移動で現れ、そして川に落ちた。
ファーリスは、泳ぎながら必死にティーナの姿を水面に探した。
そして水面に水面に白い影を、ティーナの服の色を見つけたファーリスは「居た!」と叫ぶと、さらに瞬間移動でその場所の上に飛んだ。
そして水面の上に現れた瞬間、また川に落ちてティーナの服を掴んで、ティーナを引き寄せる。
ファーリスは泳ぎが得意ではなかったが、それでも必死にティーナを引っ張って泳ぎ、何とかティーナを川から引き上げた。
だが、川沿いの川原にティーナを寝かせたファーリスは、ティーナの体が水以外の物で濡れているのに気付いた。
「ティーナ! 血が……」
川から引き上げたティーナの腹部の服が破れそこから血がどんどんと流れ出ている。どうやら、谷の側面にぶつかった時に、岩肌に腹部を削られたらしい。
ファーリスはティーナに覆いかぶさって抱きしめた。
抱きしめると、トクントクンと、ティーナの心臓の音が聞こえた。
(良かった。生きてる……)
ティーナが生きている事に安心したファーリスは、強くティーナを抱きしめた。
治癒魔法を行う為にだ。
いくら治癒魔法でも死んだ人間は生き返らせられないが、生きてさえ居れば傷を塞げば命は助かるはずだ。
だが、そうは言ってもファーリスの魔力は弱い。
逞しい肉体の者ほど魔力が強いという事は、溢れる生命力を魔力に変換すると言う事だ。
しかし、ひ弱なファーリスに溢れる生命力などない。その為に魔力が弱いのだ。
だから、なけなしの生命力を魔力に変換した。
ファーリスの自分の体力を削っての治癒魔法に、ティーナの傷口が見る見る塞がっていく、だがまだまだだ。
傷口が完全に塞がりきらないといけないし、表面的な傷が消えても体の内部が傷付いているかもしれない。
ファーリスは意識が遠くなりそうなのに耐え、ティーナを抱きしめ続けた。
防御結界の魔法と違い、意識が無くなれば治癒魔法が途切れてしまう。
ファーリスの目がかすんで来た。だが、ティーナを抱きしめ続ける。
不意に、ファーリスは何かが自分の頭を触るのに気付いた。
それはファーリスの頭を撫でている様だった。
「ファーリス。……あなたの体って温かいのね」
その優しい声を聞いた瞬間、ファーリスの意識は途絶えた。
目を覚ましたティーナは、気を失ったファーリスを右腕で抱きながら、今までファーリスの頭を撫でていた左手で自分の腹部を触って傷の具合を確かめた。
だがそこには傷どころか、傷跡すらなく、滑らかな感触を彼女の左手に与えた。
ティーナは川に落ちる瞬間まで、意識があった。
岩肌が彼女の腹部を切り裂いた時もまだ意識があったのだ。
だが脳が防衛本能を働かせ痛みを感じる神経を遮断したのか、腹部を切り裂かれてもティーナは痛みを感じなかった。
しかし腹部が切り裂かれたのは分かった。
もう自分はお仕舞いだ。
体にこんな大きな傷を作ってしまっては、もう、どこにもお嫁に行けないだろう。
年頃の娘であるティーナは、命の危機というのに、瞬時にそう考えた。
そして川に落ちて気を失い、気付けばファーリスに抱きしめられていた。
ファーリスの体は温かく、そしてその重みは心地よかった。
腹部の傷が塞がっているという事は、きっとまたファーリスの魔法という物のおかげなのだろう。
だがそのファーリスは、顔色は青ざめ、唇は紫色に変わり、見るからに衰弱している。
魔法の知識などないティーナにも、それが自分を助ける為の代償なのだとは理解できた。
ティーナは左手も添えて、ファーリスを両手で抱きしめた。
そしてファーリスの体を抱きしめながら思った。
自分にもファーリスの言う魔法という物が使えれば良いのに……。
そうすれば、ファーリスを癒してあげる事が出来るのに……。