25:無力なヘタレ
ムダル本陣で、ザークは軍勢を集結するように命じた。
リリエル軍に無視された騎兵部隊、さらにリリエル軍に落された陣の兵士達もリリエル軍が第4陣と呼ぶ陣に集結させ、そしてザーク自身も実は本陣である第5陣から兵を率いて出陣する。
ちなみに、指揮を執るには邪魔にしか成らないであろうディエゴには「司令官は前線には立たず後方にて勝利を待つもの。戦闘は前線指揮官に任せ勝利の報をお待ちください」とそれっぽい適当な事を言って軍勢の中頃に留めている。
第4陣で集結したムダル軍はさらに進み第4陣の前でリリエル軍の到着を待った。
その数は以前リリエル軍によって損害を受けたことと、今回リリエル軍に追い散らされて集結しきれていない分を引いても、リリエル軍の2倍以上の戦力である。
そしてリリエル軍も第3陣を落した後、さらに進撃しムダル軍と対峙したのだった。
「こちらの思惑通り敵も出陣してまいりましたね」
敵を目前に望みながらベムエルがアルベルトに話しかけた。
「ああ……」
「どうしました?」
「いや、なんでもない。ここで勝ってさらに敵陣をすべて落す。そうすれば敵も体制を立て直すのに時間が掛かろう。だが我々は連日攻勢をかけ、敵に体制を整える時間を与えず敵を領外まで押し戻すのだ」
そう強気な言葉を発したアルベルトだが内心の不安は拭いきれない。
この戦いは負けるわけには行かないのだ。
ファーリスが来る以前は、ムダル軍に対して勝ったり負けたりを繰り返し、負けた場合は城に篭って体勢を立て直していたが、現在はそれが許される状況ではない。
体勢を立て直すなどと悠長な様な事をしている間に多くの村々が襲撃され、城内はさらに領民で溢れるだろう。この戦いは必ず勝たなければ成らないのである。
だが、敵はまたこちらの作戦を読んでいるのではないか? 今までの作戦がすべて敵に読まれているアルベルトはついそう考えてしまうのだ。
とはいえ、ではそんな危なげな決戦などしなければ、といっても、食料が尽きかけている今、それは僅かばかり命を永らえさせるだけに過ぎないのである。
アルベルトにはもはやこれしか手が無かったのだ。
アルベルトはそばに居るファーリスに「では、おねがいします」と出撃させると、それに続いて全軍に突撃を命じた。
「ファーリス殿が敵を追い散らし、敵の指揮系統を壊滅させる! この戦い我らの勝利は間違いない!」
アルベルトは内心の不安を隠し切り、将兵の士気を高めるべく激を飛ばして突撃を開始する。
そしてムダル軍もそれに呼応する様に前進を開始した。
ファーリスは瞬間移動でムダル軍の前に出現すると、ムダル軍に向かってファイヤーボールを連射する。
ファーリスの攻撃に、何人もの騎士が馬から落馬し、爆風で飛ばされた兵士が槍を取り落とす。
だがその後、ファーリスは思いもよらない光景を目にしたのだった。
なんと、落馬した騎士は、地面に打ちつけた体でふらつきながらも再度馬に跨り、槍を取り落とした兵士は槍を持ち直して、再度前進を開始したのである。
ザークに言わせれば、不必要に魔物を多用し過ぎたのだ。
結局兵士の方から攻撃しなければ魔物は攻撃を当ててこない、いくらなんでも何度も経験すれば、慣れてくるというものだ。
勿論当たれば大怪我どころか下手をすれば命のない火の玉である。恐怖をすべて払拭するのは難しい。
だがザークは次の言葉で自軍の将兵を思い通りに動かしたのだ。
「みな分かって入るだろうが、今回の戦いは、我らの故郷であるムダルの多いなる発展の為の重要な戦いである。みなの親、兄弟、そして妻や子供もお前達の活躍を期待しているだろう。ましてや逃げ出す様な臆病者を身内に持つなど、屈辱のあまり生きては居られまい」
あまりにも分かりやすい脅迫の言葉である。
こうしてなんと味方の将兵を脅迫するという方法で、ファーリスの魔法に対して、恐れずに立ち向かう事を強要したのである。
この状況にリリエル軍に動揺が広がった。
敵が2倍以上でも勝てるという勝算は、ファーリスが敵を追い散らせるという事が前提なのだ。
にも関わらず敵がファーリスの魔法に物ともせず前進してきては、劣勢は免れない。
今までファーリスの魔法頼みだったのが、ここに来て逆にリリエル軍の精神的な弱点となってしまったのである。
ファーリスは必死でファイヤーボールを連射するが、それはムダル軍の前進する速度を僅かばかり減速させる効果しか発揮せず、遂にはムダル軍とリリエル軍が激突した。
ファーリスはならばと、リリエル軍兵士と切り結ぶムダル軍兵士を狙おうとするが、ムダル軍兵士はファーリスの姿を見つけると、巧みにリリエル軍兵士と体の位置を入れ替え
ファーリスの死角に入ろうとする。そしてそうなればファーリスも魔法を撃つ事が出来ない。
このファーリスの死角に入るという事も勿論ザークの指示である。
さすがにファーリスの動向にも注目しながらの戦いに、ムダル軍はその力のすべてを発揮出来ないが、それでも数はリリエル軍の2倍である。
やはりムダル軍が優勢だった。
この状況に危機を覚えたアルベルトは全力でファーリスの名を叫んだ。
「ファーリス殿ー!!」
そしてその声を聞いたファーリスがアルベルトの前に瞬間移動で現れる。
「アルベルトさん、ごめんなさい。魔法が……」
自分の魔法が敵に効かない所為で、戦いが劣勢なのだと考えたファーリスが即座に謝ったがアルベルトは首を振る。
「以前にも言ったとおり、ファーリス殿の所為ではありません。すべては私の責任です。ですが今一度お力を貸してください」
「それは勿論良いですけど。僕は何をすればいいの?」
するとアルベルトがリリエル軍の背後にある木が生い茂る間に通った山道を指差した。
「我々はあの山道から退却します。ファーリス殿は我が軍将兵がすべて山道に入ったら、その入り口に魔法で火を点けて、敵の追撃を防いでください」
「はい。分かりました」
まだ自分が出きる事があるなら全力でそれを行うべきだろう。
そしてリリエル軍は山道へと退却を開始し、ファーリスがその背後を守るべく、ファイヤーボールで木々に火をつけてムダル軍の追撃を防ぐ。
こうして何とか最小限の被害で退却する事が出来たリリエル軍だったが、敗戦の衝撃はむしろ精神的なものが大きかった。
自分達の守り神とも思っていたファーリスの魔法がほとんど役に立たず、決戦にも負けてしまったのである。
もはや、リリエル側には打つ手はなく、このまま食料が尽きて負けていくしかないのだろうか?
将兵、領民問わず、城内すべての者達の不安は深まるばかりだった。
司令部の執務室ではアルベルト、ファーリス、ベムエルが顔を合わせて今後の対策を練っていた。
「ごめんなさい。僕がちゃんと出来てれば……」
戦いが負けたのは自分の所為だと気に病んでいるのだ。
だがアルベルトは首を振る。
「そんな事はありません。先ほども言いましたが、ファーリス殿の所為ではありません。何度もファーリス殿に出撃して頂いていれば、敵もその対応を考えるのは当然の事。それに気付かなかった私の責任なのです」
「でも……」
「いえ。本当にファーリス殿の所為ではないのです。ファーリス殿に頼りすぎた私の責任です。今一度ファーリス殿のお力を借りずに戦う方法を考えてみようと思います」
「僕を抜きで?」
ファーリスは目を見開いて驚いた。
その様子をみてアルベルトが苦笑する。
「いえ。勘違いなさらないで下さい。なにもファーリス殿がもう必要がないという訳ではないのです。言うなればそうですね……ファーリス殿がいなくても勝てる策ならば、たとえファーリス殿の魔法が封じられても勝利できますし、ファーリス殿の魔法が効くならばなおの事大勝利ではありませんか」
「それはそうかも知れませんけど……」
アルベルトがまた苦笑する。
「仕方が無いですよ。私だって火の玉を飛ばす能力が防がれるなんて思っても居ませんでしたから」
その言葉にファーリスは首を傾げた。
するとその様子を見たベムエルがファーリスに話しかけ様としたが、その前にアルベルトが口を開く。
「では、作戦をもう一度考えなおしてみたいと思います。ファーリス殿にはまたその時にお願いする事になると思いますので、よろしくお願いします」
そしてファーリスはベムエルに扉を開けてもらい執務室を出ると、ベムエルと少し話した後その場を立ち去った。
その夜、意気消沈するリリエル側とは反対にムダル陣営では将兵が浮かれていた。
もう今日は敵襲がありえぬと、酒樽を引き出し将兵共々酔いに酔っている。
将兵の機嫌を取る気など毛頭ないザークであるが、戦いには士気を高揚させる事も必要だと、ザークが命じたのである。
焚き火の周りに集まった兵士達の酒の肴の話題は、当然今日の魔物のヘタレっぷりについてである。
「火の玉を出すというからどれほど恐ろしいかと思っていれば、他愛も無いではないか!」
「まったくだ。魔物など、居ないと思って戦えば良いだけなのだからな」
すると周囲からドッと笑い声が上がる。
まるで元々ザークに脅迫されて魔物に立ち向かわされた事など、忘れてしまったかの様である。
ザークも焚き火の明かりに顔を照らされながら、この光景を満足げに眺めた。
これでますます将兵はあの魔物を恐れずに戦うだろう。
ザークに言わせればリリエル軍の作戦はすべて後手後手過ぎて機を逃しているのである。
一番初めに魔物を投入した時に、こちらの全陣を襲わせ物資を焼き尽くさせていたら?
こちらの食料が無くなり、リリエル軍の圧勝である。
だが今や、物資を焼き尽くそうにも各陣にはほとんど物資を蓄積させていない。
戦いの初期の段階で今日の様に全陣を攻め落とすつもりで、魔物と共に軍勢で攻め寄せてきていれば?
魔物の火の玉でムダル軍将兵は追い立てられ、リリエル軍の圧勝である。
だが今や、魔物を多用した為にその弱点を将兵にも看破され、将兵を追い立てる事など出来ない。
だが実は今でもリリエル軍がムダル軍に勝つ方法はあるのだ。
ザークにはそれが分かっている。
勿論、いきなり魔物がムダル軍将兵に攻撃できる様になるなどという事ではなくである。
敵が魔物による陣への攻撃を止めたという事は、敵も物資を山中に隠しているという事を察したのであろう。
そして山中に隠した物をそう簡単に見つけられる訳が無いと諦めたに違いない。
だがザークであれば、そんな事なんの問題にもしない。
もしザークがリリエル側に居れば、ムダル軍の食料を燃やす為に、リリエル領内の山々をすべて魔物に燃やし尽くさせているだろう。
自分の命が危なく、敵に領地を獲られそうだというなら、そうした方がマシというものだ。
だが今リリエルに居る奴らでそれを実行する者など居ないであろう。
ザークは、リリエル領奪取後の、荒れ果てたリリエル領の再建計画を立てるべく自身の天幕へと戻った。