21:ヘタレの深刻な悩み
城内に村を焼かれて行き場の無くなった領民が溢れた。
住むところを焼かれ、そして領外へと通じる道は全てムダル軍に押さえられている為、彼らは城へと逃げ込むしかなかったのだ。
幸いな事に、村がそれほどの被害を受けているに比べて村民の被害は少なかったが、そのささやかな幸運すら、城を兵糧攻めにする為に、多くの村民を城へと追いやるザークの作戦の一部である事に気付く者は居ない。
そしてこの光景を前に、アルベルトは屈辱に血が出るほど唇を噛んだ。
敵は打つ手が無く、自分達を遠巻きに挑発するしか出来ないのだと高をくくっていたら、実は自分達こそが敵に良い様に翻弄されていたのである。
アルベルトはリリエルの軍部最高責任者を務める家系に生まれ、その責務に耐えるべく幼少の頃より軍略について学んできた。
だが敵はそのアルベルトをあざ笑っているのだ。
アルベルトの受けた屈辱感は彼のプライドを粉砕するには十分だったのである。
しかしアルベルトも、悔しがってばかりもいられない、何かこちらも手を考えなくてはならない。
だがどうすれば良いのか?
アルベルトは司令部にある自身の執務室で領内の地図を広げ、敵に対応する手段を模索する。
ファーリス殿には以前の様に村を襲う敵軍に専念してもらい、自分達はあの敵騎兵部隊に当たるか?
いや、あの部隊の数はこちらと同じ程度と推測されたが、歩兵と騎兵の混成部隊であるこちらの主力より全兵騎兵な分、攻撃力は敵が勝ろう。
勝算が高いとは言えない。
では、ファーリス殿に敵騎兵の相手を頼むか?
だが、敵の総兵力はこちらの3倍ほどと推測されている。
あの騎兵隊以外にも、こちらの主力の兵力に勝る敵部隊が派遣されてこないとも限らない。
いっその事、あの敵騎兵を無視して、村を襲う部隊のみに集中してはどうか?
いや、あの敵騎兵を放置すれば、敵騎兵自体が村を襲うだろう。
アルベルトは突然、地図を広げた机に自分の右拳を叩き付けた。
その表情には、敵に対抗できない自身に対する怒りが浮かんでいた。
ファーリスとティーナも、城内が村民で溢れる光景に唖然としていた。
「まったく、ひどい事をするわね!」
「アルベルトさんが言うには、敵の作戦みたいなんだけど……」
「作戦って? 敵が村を襲うのは当然じゃないの?」
「えーと。アルベルトさんが言うには、村の人達を沢山城に追いやって、城の食料を無くならせようとしてるんじゃないかって……」
ティーナは「食料……」と呟くと、自分の周りをぐるりと見渡した。
「確かにこれだけ人が増えちゃ、食べる物なんてすぐになくなりそうね……」
そう言ったティーナの表情は不安げだった。
だがそのティーナの様子をみたファーリスが
「大丈夫だよ。きっとまたアルベルトさんが作戦を考えてくれるよ」
と彼には珍しく強い口調で断言し元気付けた。
ティーナの不安がる表情など見たくは無いのだ。
するとティーナも「そうよね。きっと大丈夫よね!」とにっこりと笑って見せた。
ティーナは内心不安は拭えなかったが、ファーリスが自分を元気付けようとしてくれているのだ。
ファーリスには心配をかけたくない。
そしてファーリスもティーナが笑ってくれた事に喜び「うん」と笑顔で答えた。
だが城内が領民で溢れた為、2人には、特にティーナには深刻な問題が発生していたのだ。
ファーリスと2人きりになれないのである。
勿論、今の様に2人で会話する分には問題は無い。
だが、ティーナの言う2人きりになれる場所とは、ファーリスを膝枕してあげたり、ファーリスとキスしたりする場所である。
領民達は気の毒とは思うが、それとは別として城内に領民達が溢れているこの状況はティーナには、精神的に死活問題だったのだ。
ティーナはファーリスと2人きりになれる場所を必死で考えた。
ファーリスの部屋に長時間2人で入り浸るのは問題だろう。
ティーナの部屋は昼間は侍女が控えているので無理だし、深夜なら侍女は下がっているのでファーリスが瞬間移動で飛んでくれば2人きりになれるが、それはまだ早いだろう。
そう考えると、ティーナの顔は赤くなった。
「どうしたの?」
突然顔を赤くしたティーナを不思議がって、ファーリスがティーナの顔を覗き込んだ。
ティーナは上ずった声で「なんでもないわよ!」と答えた後、まだ顔を赤くしたまま恥かしさを誤魔化す様に「ファーリスも何か考えてよ」とファーリスに矛先を向ける。
ファーリスは腕を組み考えるしぐさをし「僕の部屋は?」とティーナに問いかけた。
ティーナは「うーん」と首を傾げる。
「それは私も考えたけど、長い間あなたの部屋で2人きりにはなれないわ。少しの時間しか居られないならあまり意味ないし……」
「じゃあ、ティーナの部「ダメ!」
ファーリスが言いかけると、ティーナが即座にダメだしをする。
「え? ダメなの?」
ファーリスが「なんで?」というふうに首を傾げた。
だがティーナは顔を赤くして「ダメなものはダメなの!」と叫ぶ。
こうして、ムダル軍をどうやって撃退するのかに頭を悩ますアルベルトに比べ、まことに恋人同士らしい事に頭を悩ませる2人なのだった。
そしてここに、城内に領民が溢れている事により仕事が激増した人物が居いた。アルベルトの副官のベムエルである。
彼はアルベルトの補佐的役割を任務としているのだが、現在は城内に収容した領民達の管理を任されていた。
だが、あまりの領民達の多さに、全員を屋根のあるところに寝かせる事も出来ない有様だ。
幸いにも今は温かい季節なので、寝るときも我慢できないほどではないが、雨でも降ろうものなら大変な事になるだろう。
そして一番の問題はやはり食料の問題だ。こればかりは我慢ですまされる問題ではないのである。
ベムエルは城内の食料を管理する文官に、あとどのくらい食料が持つかを問い合わせると、その問いに文官が渋い顔をして答えた。
「この城は交通の要所として建てられた要塞です。2年、3年の篭城が可能な様に備えられています。ですので、この様な状況でもすぐに食料がなくなるという訳ではありませんが……」
言いよどんでいる様な文官の言葉に、ベムエルが少し眉をひそめて繰り返し問いかけた。
「具体的には?」
すると文官に、遠慮がちに口を開いた。
「現在の領民の数ならば半年以上は持ちましょう。ですが……今後もまだ領民が増える可能性があるとなると、当然その期間は変わってまいります」
つまり、いつまで持つかはアルベルトやベムエル達、軍部の働き次第と言う事だ。
ベムエルもそう言われると二の句が継げず、取り敢えずは「今のところは後半年」という心許ない情報を胸に収め、そして司令部へと戻る道すがら今回の戦いについて思いを馳せた。
はじめはムダルの軍勢に押されていた為に、ヴィデンに援軍を頼む代償にとティーナお嬢様がヴィデンへと嫁ぎに行った。
するとなぜかお嬢様は、ヴィデンの援軍ではなく、頼りなげない男の子を連れ帰ってきて、どうするんだと思っていたら、その男の子は異世界から来たとかで、無敵の力を持っていた。
それならばヴィデンからの援軍が無くても勝てるだろうと自分達だけで戦い、はじめは優勢だったが、今はまた敵に押されている。
現在、戦況は芳しくない。
しかしベムエルの見るところ、まだ勝つ手段はある。
確かにリリエルの戦力とファーリスの戦力だけでは厳しい状況になっている。
しかし、まだ動員できる戦力はあるではないか。
それはヴィデンの戦力だ。
ヴィデンの動員力はムダルを超える。勿論、他領への援軍に全軍を遠征させてくるとは考えられないが、それでもリリエル軍とあわせればムダル軍に匹敵する戦力が期待できるだろう。
そしてさらに加えて、ファーリスが居れば戦況はこちらが圧倒的に優勢に成る。だがその為には、ティーナがヴィデンへと嫁ぎに行く必要がある。
「しかし、ティーナお嬢様はファーリス殿の事が好きみたいだしな……」
ベムエルはやれやれといった風に呟いた。
ティーナは隠しているつもりだったが、あれだけいつもファーリスにくっ付いていてはベムエルにはバレバレだったのである。
もっともそのベムエルにしても、すでに2人が出来ちゃっている事には気付いては居ないのであるが。
そしてそうこう考えているうちに司令部のアルベルトの執務室に辿り着いた。
「失礼致します。城内の食料の状況を確認してまいりました。現在の所、後半年ほどだそうです」
「半年か……」
アルベルトは机に添えられた椅子の背もたれにもたれ掛り、そう呟くと上を向いて目を瞑った。
「ただし、城内に避難する領民が増えればまた変わってくると……」
「まあ……そうであろうな」
半年と言えばアルベルトの予測よりは少し長いが、それも今後の戦況しだいと言われるとさらにアルベルトの気持ちは沈んだ。
「そのムダル軍を撃破する為の、なにか作戦は思いつかれましたか?」
「いや……やはり、逃げる敵を追いかけながら他の部隊も抑えるのは難しくてな」
空気が変わらない事に息苦しくなってきたベムエルは、少しでも場を明るくしようとあえて、希望的な話題をふってみた。
「しかし、食料と言えば敵とていつまでも食料は持たないでしょう。耐えていれば敵が先に撤退する事も考えられるのでは?」
「いや、敵はリクルハルド城が篭城に強い要塞と分かっていて攻めてきているはずだ。長期戦を睨み食料を満載して……」
とここまで言った時、ベムエルにはこちらに飛んでくるのではないかと思われるほど、アルベルトは勢い良く上体を起こした。
そしてその顔には自身に満ちた笑みが浮かんでいた。
「ファーリス殿を呼んでくれ。作戦を思いついた」