2:飛ばされたヘタレ
ファーリスが目を覚ますと、木陰に寝かされていた。
「……ここは?」
気が付いたファーリスの問いに、白髪交じりの男が答える。
「ここは、リリエルからヴィデンへと続く街道じゃよ。と言ってもこんな事くらい言わんでも分かるか。まあ起きたばかりで頭が混乱しとるのじゃろう。頭がはっきりしてきたら家に帰りなさい」
どうやらこの男が、気を失っていたファーリスを介抱してくれたらしい。
ファーリスがさらに辺りを見渡すと、森を切り開いて作られた道が左右に続いていて、その道の脇には、この男の物と思われる一台の馬車が止まっていた。
ファーリスにはまったく見覚えのない光景だった。
「すみません……まったく分からないです。リリエルやヴィデンってなんですか?」
「なに! 分からんじゃと?」
「はい。まったく」
「それは困ったの。ではお前さんはどこから来たのかね?」
この言葉に、ファーリスは必死で記憶を手繰った。
「たしか先輩に吹き飛ばされて……」
「吹き飛ばされた? どこからだい? たいした怪我はしてない様じゃが」
ファーリスが改めて自分の体を見直すと、確かに怪我はしていないようだ。
(いくら結界を張っていても、あれだけ吹っ飛ばされたら少しくらい怪我をしてそうなもんなんだけど……)
吹き飛ばされた瞬間に気絶したファーリスは、その後自分が池に落ちた事を知らなかったのだ。
そこに女性の声が、割って入った。
「ボルジ、何をしているの? 気が付いたのなら先を急ぎましょう」
ファーリスが声のする方向を見ると、一人の女性が馬車の窓から顔を覗かせていた。
その女性は茶色い髪と、それよりも濃い茶色の瞳をした、気の強そうななかなかの美人だ。年のころは、ファーリスより3つか4つほど上だろうか。
「お嬢様、気が付いたのは良いのですが、どうやらこの近くに住んでいる者ではないらしいのです」
するとその女性も、少し意外そうな顔になったが、すぐに表情を改めた。
「そうなの? でも、どちらにしろ気が付いたのなら、自分の足で帰れば良いじゃない」
「それはそうなのですが、どうやら頭が混乱しているらしく……」
「混乱ってなによ? ねえあなた、どこから来たの?」
「エティエにある学校で……」
「エティエ? 知らない地名ね」
女性は怪訝そうな顔をして、馬車の窓からファーリスをじろじろと上から下まで見渡す。
「確かに……ここらへんではあまり見ない服装ね」
「え? あ、そうかな?」
女性の言葉にファーリスは改めて自分の服装を見渡した。
確かにファーリスもこの2人の服装が随分古めかしいとは思ったが、まぁそう言う好みなのかな? 程度に思っていたのだ。
しかしどうやらこの2人、と言うより、この女性にとってはファーリスの服装は、好みという事では済まされない範疇の違いらしい。
「そんなに変な服装ですか?」
ファーリスはそう言いながら首を傾げた。
「まぁいいわ。来れたんだから帰れるわよね?」
だが、ファーリスが不安げに聞くと、その女性はそう言って、すぐに話題を切り替えた。
もしかしたら、ファーリスの不安げな表情が、服の好みにけちを付けられて悲しんでいる表情と受け止められたのかも知れない。
「それが、どうやってここに来たのかが分からなくて……」
「どうやって来たのかが分からない?」
「……はい」
ファーリスは申し訳なさそうに言ったが、女性はさらに怪訝そうな顔をし、そしてボルジと呼ばれている男を手招きして呼び寄せた。
そして、ファーリスに聞こえない様に小さい声でこそこそを話し始め、2人は話しながらも時折ファーリスの方をちらちらと覗き見している。
そして暫くすると、女性が馬車から降りて、ファーリスに近寄ってきた。
「あなた、どうやって来たかが分からないんだから、自分の家への帰り方も分からないのよね?」
「はい。……そうです」
「そうよね……」
その女性は、そう言って少し俯きため息をついた。
「仕方が無いわね。良かったら私達についていらっしゃい。食べる物の予備くらいはあるから、近くの村までは連れてって上げるわ」
その言葉にファーリスはペコリと頭を下げた。
「はい。よろしくお願いします」
ヘタレであるファーリスに、今自分が置かれている状況を自力で解決するという発想はなく、その女性の言うとおりにするしかなかったのだ。
「じゃあ、早く馬車に乗ってちょうだい。これでも先を急いでるんだから」
女性はそう言いながら、踵を返し足早に馬車に向かう。確かにかなり急いでいる様である。
そしてファーリスも「あ、すみません」と言うと、足早に馬車へと向かい、こうしてファーリスは、彼ら2人の馬車に乗せて貰う事になったのだった。
もっとも、ファーリスは馬車の中ではなく、馬車を操るボルジという男の横に座らされた。
とてもファーリスがこの女性を襲う様には見えないが、見ず知らずの男を乗せるのだから当然の配慮といえる。
ボルジの横に座り、ゴトゴトと進む馬車に揺られながらファーリスは、ボルジから色々な話を聞いた。
女性の名前は、ティーナというらしく、なんとリリエルという領地の貴族のお嬢様という事だった。
そしてヴィデンという領地に住む貴族の元へ嫁ぎに行く途中だと言うのだ。
とはいえ、ファーリスには全てまったく聞いた事の無い地名だ。
「さっきティーナさんも言ってましたけど、エティエという地名は知らないんですよね?」
「エティエ? ああ、知らんな」
(もしかして、吹き飛ばされた時にものすごーく遠くにまで飛ばされちゃったのかな……)
ファーリスは自分の不幸を呪った。
まさかルービンに無理やり倶楽部に付き合わされた挙句、この様な目に合うとは。
「でも、その割にはわびしい旅ですね」
嫁ぎに行くという事に対してファーリスが、そう正直な感想を述べると、ボルジの表情は曇った。
「うむ。実はなお嬢様の御家の領地であるリリエルが、ムダルを領する貴族からの侵略を受けての……、ヴィデンの貴族へと援軍を要請したのじゃが、その見返りにお嬢様を嫁に欲しいと言うて来てな。やむを得ずお嬢様をヴィデンへと御送りしておるのじゃ」
ファーリスはボルジの言葉に驚いた。
(貴族同士の戦い? 今時そんな事が起こっている地域があるんだ? 僕はいったいどれくらい飛ばされちゃったんだろう……)
ファーリスは自分の不幸をさらに呪ったが、同時に素朴な疑問も沸いて来た。
「貴族が居るなら、王様とかも居るんでしょ? 王様は止めないんですか?」
「勿論、王は居るには居るが、王の力が弱くての。貴族同士の戦いに口を挟めんのじゃ」
ボルジはそう言いながらため息を付いた。
「そんな事があるんですか」
「うむ。そして戦いの最中にお嬢様の護衛に大部隊をつける余裕は無くての。とはいえ少数の部隊では敵襲があれば歯が立たん。ならばいっその事、見つからない様に地味に行こうという事になったのじゃ」
「なるほど」
でもファーリスは、さらに素朴な疑問が湧き上がっていた。
行きたい所があるならば、瞬間移動の魔法で行けばいいじゃないか。どうして馬車なんかに乗っていくのだろう?
「もしかしてお2人は、瞬間移動が苦手なんですか?」
「え? なんだって? 瞬間?」
ボルジがファーリスの方に耳を突き出す様にして、聞き返した。
「瞬間移動です!」
ファーリスは、そう言って大声で叫んだ。
この男の人はもしかして耳が遠いのかと思ったのだ。
「え? 瞬間に移動? だからこうやって急いでおるんじゃろうが」
「いえ。ですからね。瞬間移動の魔……うわっ!」
突然馬車を引く馬が嘶き、立ち上がったかと思うと横倒しに倒れた。
ファーリスが見ると、馬には棒が刺さっている。
「ムダルの奴らか!」
どうやら、目立たない様に地味に行こうという策は、残念ながらうまく行かなかった様である。
ファーリスが前を見ると、前方から木の棒を曲げて紐を括りつけた物や、長い棒の先に刃物を付けた物を持った男が、数十人馬に乗りこちらに向かってきていた。
馬が倒れた為、馬車も大きく揺れ、馬車の窓からティーナという女性が「なにかあったの?」と顔を出した。
「お嬢様! ムダルの奴らです。見つかりました!」
「なんですって!」
その言葉にティーナも驚きのあまりそう叫んだ。
そして、男達が来れば意味が無いだろうに、避難のつもりなのかボルジが馬車の中に逃げ込む。
そしてファーリスは、わが身の運命を呪っていた。
見れば男達はみな筋肉隆々で魔力も強そうだ。彼らが放つであろうファイヤーボールの前に、自分の防御結界など、紙切れほどの役にも立たないだろう。
勿論、ファーリスは瞬間移動で逃げる事は出きるのだが、ティーナという女性も、ボルジという男もなぜか瞬間移動で逃げようとはしない。
ヘタレ過ぎるファーリスは、他の人が逃げないのに自分だけは逃げるという判断すら出来なかったのだった。
だが不思議な事に彼らは近寄ってきてもファイヤーボールを放たず、サンダーボルトも放たない。
そしてなぜか木の棒を曲げて紐を括りつけた奇妙な物に、細い木の棒を引っ掛けてファーリスに向かってその木の棒を飛ばしてきたのである。
いくらファーリスの防御結界が弱くても、飛んでくる木の棒などを防ぐのは訳がない。
木の棒は皆ファーリスの体に当たったかと思うと、カンカンカンと音を立てて弾き飛ばされ地に落ちた。
ファーリスがなぜ男達はこんな事をするのだろうと不思議に思い首を傾げたが、男達は木の棒がファーリスの体に弾き返されたのに驚いている様だった。
そして男達はみな気味悪がっている様子で、ファーリスを遠巻きにして近寄ってこない。
だがファーリスには、男達の意図がまったく分からない。
(どうしたんだろう? もしかしてこちらが手も足も出ないと思って、ふざけてるのかな?)
だが、暫くすると男達の中で一際体が大きく、逞しい男が、長い木の棒の先に刃物を付けた物を振り回して、ファーリスに近寄ってきた。
「我が名はムダルにこの人ありといわれたディエク! どの様な手妻を使ったかは知らぬが、この槍の錆にしてくれるわ!」
ファーリスは(槍ってなんだろう?)と思いながら、馬に乗り近寄ってくる男を注意深く見つめた。
男が魔法を撃ってくれば何とか避けなくてはならない。なにせファーリスの防御結界は魔法に対して、紙切れほどの防御力も無いのである。
だが不思議な事にその、ムダルにこの人ありのディエクは、魔法を放たず刃物の付いた木の棒でファーリスを叩いて来たのだ。
そして勿論、ファーリスの防御結界でも、その程度ならば防ぐのは訳がない。
ファーリスを力いっぱい棒で叩いたディエクは、鉄の塊を叩いたかの様な衝撃を棒を持つ手に受け、棒を取り落としてしまった。
しかも、それがよほどの衝撃だったのか「ッウガーー!」と叫ぶと馬からも落ち、右腕を左腕で抱え痛みにのた打ち回っている。
もしかしたら、腕の骨が折れたのかもしれない。
(冗談とかでやってるわけじゃなさそうだ……。もしかして!)
ファーリスはディエクの事はほって置いて、彼らを遠巻きにしている男達にファイヤーボールを放った。
ルービン達、倶楽部の優等生達に放てば、彼らの居眠りさえ妨げる事すら出来ぬ威力のファイヤーボールをだ。
「ドッウワ!」
だが、ファーリスの手から放たれた、その最弱ファイヤーボールを受けた男達は、吹っ飛び地に伏した。
さすがに死んだりはしていない様だが、大火傷をおったらしくのた打ち回っている。
ファイヤーボールの的にならなかった男達も慌てふためき、その挙句落馬する者まで居た。
「なんだあの者は!」
「魔物か!」
だが、その言葉はファーリスの脳裏には届かず、ファーリスは呆然としながらもこの状況について考えた。
そしてやっと理解した。
遠くに飛ばされたんじゃない。
魔法の無い、別の世界に飛ばされたのだと言う事を。