18:ヘタレの増長?
翌日、アルベルトの作戦の日である。
だがこの大事な日にも関わらずファーリスは寝不足だった。というより、寝ていなかった。
勿論ずっとティーナの事を考えていたのである。
ティーナとは良い雰囲気だとは思っていた。
だがティーナは貴族の領主の娘であり、ここの土地の者にとってはお姫様と変わらない。
実質的に小国のお姫様なのだ。
ファーリスにとってはおとぎ話の登場人物の様であり、仲良くは成りたいと思っていても高嶺の花だと考えていたのである。
だがその高嶺の花が、ひょこひょこと自分で高嶺から降りてきて、しかもファーリスに向かって手を上げ「こんにちは」と挨拶しているのだ。
ファーリスが混乱するのも無理は無い。
そして今もボーとティーナの事を考えていたが、アルベルトの「では、準備は良いですか?」という言葉に我に返った。
「あ。はい。大丈夫です」
アルベルトはファーリスの返事に頷くと、改めて作戦の説明を開始した。
「まずファーリス殿にはいつも通り、敵を迎え撃って頂きます。我々は後から追いかけ、ファーリス殿が追い散らした敵に遭遇すればこれを討ち果たします。もしファーリス殿と遭遇しておらず秩序だった敵部隊と我々が遭遇した場合は、狼煙を上げますので、ファーリス殿は注意して置いてください。そして狼煙の合図でこちらに来てもらい我々に加勢して頂ければ、敵を打ち破るのは訳ありません」
アルベルトの説明をファーリスは必死で頭に叩き込んだ。
とはいえ、実際ファーリスのやる事は今まで通りに戦い、狼煙が上がればそこに向かうというだけなので、そう難しい話ではない。
そして作戦が実行された。
いつも通りファーリスは伝令からもたらされる敵軍の位置へと瞬間移動で向かい敵を追い払う。
だが、敵に向かいいつも通りファイヤーボルトを放つと、っと言うより、敵はファーリスの姿を視界に捉えた瞬間逃げ散ってしまう。
そしてアルベルトは、その後を追う様に軍勢を率いて進撃を開始した。
こうして自身が所属する部隊ともはぐれとにかく自陣へと向かっていた敵は、アルベルトの率いる統率の取れた軍勢に見つかると慌ててさらに逃げようとするが、騎兵に追いすがられて討ち取られていったのである。
そして秩序だった敵と遭遇すればすぐさま狼煙を上げる。
狼煙の合図でやって来たファーリスが、馬に乗っている士官らしき者を重点的に追い払い、敵の指揮系統を壊滅させた後、アルベルトが突撃を行うのだ。
この様にして、この日のアルベルトの作戦は大成功を収め、味方の被害は6名のみ。敵の損害はその数十倍にも及んだのだった。
この様な戦いを続けられるなら、ムダル軍を追い払えるのも時間の問題である。
戦いの報告を伝令により城内で知ったティーナは喜んだ。
(ファーリスも大活躍だったみたいね!)
大好きな男の子が活躍したのだ。
ティーナの顔も自然と笑みがこぼれた。
ファーリスが帰ってきたら、また膝枕をしてあげよう。
それとも抱き付けば、今度こそファーリスも抱きしめ返してくれるだろうか?
ティーナはファーリスの帰りを今か今かと待った。
だが不意に昨日のファーリスの様子を思い出した。
昨日は、明らかに自分を避けている様に感じられた。
どうしてだろう?
嫌われているわけではない。
それは分かる。
ついちょっと前まで、庭で仲良く膝枕をしてあげていた。
だがその後急に、ファーリスの様子がよそよそしくなったのだ。
何かあったかと言えば、ベムエルが来たのでファーリスに隠れる様に言ったくらいである。
そして、ティーナにはまさにその事で自分のファーリスに対する恋心がファーリスにばれてしまったという事に気付かないのだった。
(まあ、とにかくファーリスの帰りを待ちましょう。何か話してくれるかも知れないし)
ティーナはファーリスの帰りを、落ち着き無く城中を歩き回りながら待った。
すると城中のそこかしこでファーリスの噂話をしているのを耳にした。
その内容とは「あの男の子のおかげで戦いに勝てそうだ」とか「見かけによらず強いんだな」と言った好意的なものが多く、ティーナもうんうんと頷いた。
だが中にはティーナには、聞き捨てなら無い話をしている侍女達も居たのである。
なんとその者達は、よりにもよって「あの男の子、結構可愛いわよね」とか「初心そうだから、ちょっと誘惑すれば落せそう」などと言っているのだ。
ティーナはその者達の顔を覚えようと、物陰からじっくりと観察した。
(あの者達は、ファーリスに近づけさせないようにしないと行けないわね)
そう決意してさらに城中を歩き回ると、さらにティーナには馬鹿馬鹿しい話だが、次の様な話をしている者達もいた。
「気の弱そうな男の子だったが、これだけ活躍すればいい気になって増長するだろう。自分の御蔭で勝てたのだと、偉そうな態度になるのではないか」
ティーナはこの話を聞いて思わず吹き出してしまった。
ファーリスに限ってあり得ない話である。
そして遂にそのファーリスが帰ってきた。
ファーリスが城内に入ると、今回は出撃しなかった将兵や文官の重臣などの多くの人々が出迎え、口々にファーリスの功績と、今回の戦いの戦果を褒め称える。
その為、折角ファーリスの帰りを、今か今かと待ちわびていたティーナが近寄る事も出来ない。
そして、ファーリスを揉みくちゃにしている人々は、ファーリスの体を押す様にして、城内に入りどんどんファーリスを連れ去っていってしまったのだ。
結局、ティーナはファーリスを、見送るしかなかったのである。
だが、ティーナは気付かなかったが、何度も繰り返し皆に褒め称えられるファーリスのその顔はどこか虚ろで、足取りも危なげだったのだった。
そしてそのまま夜になり夕食も食べ終わったであろう時間に、ティーナは再度ファーリスの部屋を訪ねることにした。
深夜となればかなり問題だが、この時間ならばまだ部屋に訪問しても問題ないだろう。
だが、ティーナがファーリスの部屋のある建物に入ると、いつもファーリスの夕食を届けている侍女が困惑気味に、ティーナに話しかけてきた。
「実は、ファーリス様が夕食にまったく手を付けていないのです」
「ファーリスが?」
「はい。まったく……」
ファーリスは食べ盛りの男の子だ。普段なら食べないどころか食べ残す事すら有り得ない。
「そう……分かったわ。ちょっと様子を見てくるわね」
そうして、ファーリスの部屋の前まできて扉をノックする。
だが返事が無い。
もう一度ノックするが、やはり返事はない。
ティーナが「居ないの?」と言いながら扉を開けると部屋は明かりも点けていなかった。
だが、月の微かな光でおぼろげながらファーリスがベッドの上に座っているのが見て取れた。
「居るんじゃない。どうしたの?」
そしてランプに火を点けようとした時、ティーナには信じられない言葉が聞こえた。
「ねえ。僕ってえらいの?」
その頃ムダル本陣では、ザークが報告書を片手に今日の戦いの損害をディエゴに報告していた。
「ふ。どうした? いつも偉そうにしている割には不甲斐ないではないか?」
普段、ザークから馬鹿にされていると感じていたディエゴは、ここぞとばかりにザークに対して嘲笑を浴びせているのだ。
ザークはディエゴなど相手にしても仕方がないと、あえて逆らわず俯きかげんに神妙に答えた。
「大変申し訳ありません。今後はこの様な事の無きよう勤めます」
だが、ディエゴにはそれがまた面白くないらしく、ザークを挑発する。
「どうだ? リリエル攻略を諦めて帰るか? ん?」
ザークは先ほどと、まったく姿勢も口調も変えずにまた神妙に答える。
「いえそればかりは。私はリリエル攻略の大任を仰せつかって参りました。それを途中で投げ出す訳には参りません」
だがこの一見神妙に答えていると思われる言葉の裏の「リリエル攻略を任されたのは自分であり、司令官であるお前など飾りでしかない」という皮肉にディエゴが気付く事は無い。
そもそも司令官たる物が、自軍の損害を喜び、皮肉を言う為だけに撤退を口にするなど、正気の沙汰とも思えない話なのである。
ディエゴもザークの反応に、いたぶり甲斐が無いと感じたのか、手を振って立ち去るように促した。
「反省しておるなら、とっとと被害を受けた部隊の再編を急がんか。口ほどにも無い」
そしてザークはも、これ幸いと「は。かしこまりました」と素直にディエゴの天幕を後にしたのだった。
だがザークがまっすぐに自身の天幕へと向かった。
ディエゴに言われるまでも無く、部隊の再編が必要な事など分かっており、そしてそんな事はとっくに終わっているのである。
そして、自分の天幕に入ると、報告書を机の上に投げ捨てた。
ザークはやり場の無い苛立ちを持て余していた。
今日の事は、確かに油断と言えば油断だろう。
だが、まさか敵が「今さら」こちらの作戦に気付くとは!
ザークの想定では、気付くなら気付くでとっくの昔に気付いているはずと考えていたのだ。
そして想定の時期になっても敵が気付いていなさそうだったので、ならばもはや敵が気付く事など無いと警戒を解いた挙句に、この有様とは!
「敵が無能だと、よけいにやり難いわ!」
ザークは、机に備えられた椅子を怒りに任せ蹴り潰した。